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ジョゼッペ・メアッツァ

サッカー

概略

FC Internazionale Hall of Fame – Meazza
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 1910年8月23日
出身地 イタリア王国ミラノ(現イタリア共和国ミラノ)
没年月日 1979年8月21日(68歳没)
身長 169cm
体重 73kg

 

ポジションはフォワード(ツーバック・システムにおけるインサイド・レフト/ライト)。

 

利き足は右。

 

愛称は“ペッピーノ(Peppino)”“バリッラ(il Balilla)”

 

20世紀前半のイタリア・セリエAで活躍し、インテル、ACミラン、ユヴェントスのイタリア3大チームを渡り歩いた稀有な選手の一人。

 

特にメアッツァ自身がプロデビューを果たしたインテルでは、同チームの第一期黄金時代の中心的役割を担い、1927年から1940年に渡る最初の在籍13シーズン中、3回の得点王を獲得して2回の優勝と1回のコッパ・イタリア制覇に貢献した。

 

またイタリア代表としても1934年と1938年のワールドカップ連覇を果たしたアッズーリのエースだった事から、イタリア史上最高の選手(もしくはイタリア史上最高のストライカー)として現在も語り継がれる伝説的選手であり、インテルとACミランのホームであるスタディオ・ジョゼッペ・メアッツァにその名を残している。

 

53試合出場33得点という記録は、ルイジ・リーバに次ぐイタリア歴代2位。

 

セリエA通算ゴール数は220ゴールで歴代3位。

 

キャリア338ゴールはイタリア人2位である。

 

スポーツ界の多くの人からイタリア史上最高の選手と見なされています。

 

彼の技術的スキル、得点力、および創造的能力により、彼はしばしばキャリアの中でイタリアのマスコミから「il genio」(天才)というあだ名を付けられました。

 

主なタイトル

  • セリエA優勝:3回
  • コッパ・イタリア:2回
  • 1934FIFAワールドカップ優勝
  • 1938FIFAワールドカップ優勝

個人タイトル

  • セリエA得点王:3回
  • 20世紀世界最優秀選手 21位 (1999年、国際サッカー歴史統計連盟選定)
  • 20世紀欧州最優秀選手 15位 (1999年、国際サッカー歴史統計連盟選定)
  • 20世紀の偉大なサッカー選手100人 37位(ワールドサッカー誌選出 1999)

 

経歴

Giuseppe Meazza
クラブ
クラブ 出場 (得点)
1924-1940 イタリアの旗 インテル 348 (241)
1940-1942 イタリアの旗 ACミラン 37 (9)
1942-1943 イタリアの旗 ユヴェントス 27 (10)
1944 イタリアの旗 ヴァレーゼ 20 (7)
1945-1946 イタリアの旗 アタランタ 14 (2)
1946-1947 イタリアの旗 インテル 17 (2)
代表歴
1930-1939 イタリアの旗 イタリア 54 (33)

 

1910年、イタリア王国(当時)のミラノで生まれたメアッツァは、画家だった父親が1917年に第一次世界大戦で戦死した為、母親のエルシラとの貧しい母子家庭で幼少期を過ごした。

 

当時7歳のメアッツァは市場で果物を売る母を手伝ったが、父親を失う少し前、6歳の頃からサッカーを始めており既に夢中だった。

 

近所の子供達とストリートサッカーチーム”Maestri Campionesi”を結成、暇を見てはボロ布を丸めたボールを追う日々を過ごしていたという。

 

エルシラは将来を考え、幾度かメアッツァのシューズを隠してまでサッカーを止めさせようとしたが、メアッツァは裸足でストリートサッカーを続け、これは後年の優れたボールテクニックを育てる土壌となった。

 

12歳になったメアッツァはサッカー選手として生きていく事を決意、地元の”Gloria F.C.”に入団してプロを目指し始めた。

 

この時使用していたメアッツァの人生最初のスパイクは後に彼のファンが買い取り、現在も保存されている。

 

インテルの下部組織出身で、17歳でトップチームデビューした直後から主力として活躍。

 

1930年代のインテルの隆盛の中心にあり、クラブに2度のリーグ優勝をもたらすとともに、自身も3度の得点王に輝いた。

 

1930年には19歳でイタリア代表に初選出。

 

デビュー戦でいきなり2ゴールを挙げ、以降アズーリ(イタリア代表)のエースとして君臨し、1934年・1938年のワールドカップ連覇の原動力となった。

 

53試合出場33得点という記録は、ルイジ・リーバに次ぐイタリア歴代2位。

 

セリエA通算ゴール数は220ゴールで歴代3位。

 

キャリア338ゴールはイタリア人2位である。

エピソード

Giuseppe Meazza

1980年、インテルとACミランの両チームに所属したジョゼッペ・メアッツァが亡くなったことを受け、所有権を持つミラノ市がその業績を称えて、スタジアムの正式名称を旧称の「サン・シーロ」から「ジュゼッペ・メアッツァ」とした。

 

インテル側は、「ジュゼッペ・メアッツァ」と呼ぶのに対し、ACミラン側は、メアッツァの在籍年数は2年のみなどの理由で「サン・シーロ」と呼んでいる。

プレースタイル

Giuseppe Meazza- Eroi Azzurri

フィールド全体を縦横無尽にプレーしていた。

 

得点力もアシスト能力も優れた万能の選手。

 

センターフォワードとして彼のプロとしてのキャリアを始めましたが、その後、彼はキャリアの半分以上をクリエイティブなインサイドフォワードとしてプレーしました。

 

彼はさらに、熟練した攻撃的なミッドフィールダーになることでスキルと創造力を発揮し、後のキャリアでセンターハーフまたは中盤の底でプレイメーカーとしてもプレイしました。

 

彼は優れたシュート能力と酔わせるドリブルやパス能力で知られていました。

 

メアッツァは身長169センチと小柄であったが、ジャンプするタイミングが素晴らしく、彼より背の高い相手にも競り勝ち、ヘディングで数多くのゴールを決め空中でのアクロバティックな能力で知られていました。

 

プレーヤーとしての彼の資質を超えて、彼はピッチの素晴らしいリーダーでもありました。

 

メアッツァはチームメイトに多くのチャンスを作り、同様に自身でゴールも決めました。

 

彼のカーブシュート「フォリアモルタ」、特にフリーキックからの「デッドリーフテクニック」も、ゴールキーパーによって恐れられていました。

 

攻撃的なプレイメーカーとして、彼は見事なパサーであり、両足でボールを扱え、顕著な視野を持ち、ボールのバランスとスピード、コントロール、ターン、スピンで突出した技術を持っていました。

 

得意技は相手ディフェンス全員をドリブルで抜き去った後、ゴールキーパーをおびき出し、チップキックで得点することだった。

 

GKとの1対1で負けることは皆無でした。

 

PKも完璧で、1938年ワールドカップのブラジルとの準決勝では、ゴムが切れて落ちそうなパンツを押さえながらPKを決めた。

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