概略
国籍 | ![]() ![]() |
||
---|---|---|---|
生年月日 | 1987年6月24日(32歳) | ||
出身地 | ロサリオ | ||
身長 | 170cm | ||
体重 | 72kg |
ポジションはフォワード(右ウイング、セカンドトップ)とミッドフィールダー(オフェンシブハーフ)。
利き足は左。
愛称は「レオ」。
13歳でFCバルセロナに加入し、17歳でトップチームデビューして以降、10度のリーガ・エスパニョーラ優勝、6度のコパ・デル・レイ、4度のUEFAチャンピオンズリーグを含むバルセロナ歴代最多33回の優勝に貢献。
自身も歴代最多6回のバロンドールを受賞し、6回のチャンピオンズリーグ得点王と歴代最多6回のゴールデンシュー(欧州得点王)を獲得している。
同クラブの歴代通算最多得点(603ゴール)の記録を保持しておりラ・リーガ(419ゴール)、ラ・リーガとヨーロッパのリーグの1シーズン(50)、クラシコ(26ゴール)の歴代最多ゴール記録ならびにチャンピオンズリーグ歴代最多ハットトリック記録(8)、ラ・リーガ(169)、コパ・アメリカ(12)の歴代最多アシスト記録を保持している。
また多くのサッカー関係者、選手にサッカー史上最高の選手と呼ばれている。
アルゼンチン代表では2005年8月から代表に選出され、2010年からはキャプテンを務めている。
同国代表の通算最多得点記録及び通算最多アシスト記録の保持者でもある。
2005ワールドユース選手権に出場し、優勝するとともに自身もゴールデンボール賞(MVP)、ゴールデンシューズ賞(得点王)を受賞した。
2008年、北京オリンピックに出場し、金メダルを獲得した。
2014年ワールドカップではアルゼンチンの準優勝に貢献し、大会MVPにあたるゴールデンボールを受賞した。
南米全てのチームからゴールを奪った史上4人目の選手である。
W杯南米予選で通算21ゴールを記録しており南米予選歴代最多得点者でもある。
2012年、公式戦69試合に出場し91得点を記録した。
これは1972年にゲルト・ミュラーが作った公式戦年間最多ゴール記録85ゴールを40年ぶりに破った記録である。
更にこの年にまたがる2011-2012シーズン、ラ・リーガでシーズン37試合に出場し50得点を記録。
スペイン記録のみならず、1976-77シーズンにルーマニア1部リーグのディナモ・ブカレストでドゥドゥ・ゲオルゲスクが記録した47得点を抜き、欧州のリーグシーズン最多得点記録を更新した。
この記録はギネス世界記録にも認定されている。
獲得タイトル
クラブ
- FCバルセロナ
- リーガ・エスパニョーラ:10回 (2004-05, 2005-06, 2008-09, 2009-10, 2010-11, 2012-13, 2014-15, 2015-16, 2017-18, 2018-19)
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ:8回 (2005, 2006, 2009, 2010, 2011, 2013, 2016, 2018)
- コパ・デル・レイ:6回 (2008-09, 2011-12, 2014-15, 2015-16, 2016-17, 2017-18)
- UEFAチャンピオンズリーグ:4回 (2005-06, 2008-09, 2010-11, 2014-15)
- UEFAスーパーカップ:3回 (2009, 2011, 2015)
- FIFAクラブワールドカップ:3回 (2009, 2011, 2015)
代表
- U-20アルゼンチン代表
- FIFAワールドユース選手権:1回 (2005)
- U-23アルゼンチン代表
- 北京オリンピック金メダル:1回 (2008)
個人
- バロンドール (FIFAバロンドール):6回 (2009, 2010, 2011, 2012, 2015, 2019)
- FIFA最優秀選手賞 (FIFAバロンドール):6回 (2009, 2010, 2011, 2012, 2015, 2019)
- UEFA欧州最優秀選手賞:2回 (2011, 2015)
- FIFA/FIFProワールドイレブン:13回 (2007, 2008, 2009, 2010, 2011, 2012, 2013, 2014, 2015, 2016, 2017, 2018, 2019)
- FIFAワールドカップ・ゴールデンボール:1回 (2014)
- FIFAクラブワールドカップ・ゴールデンボール:2回 (2009, 2011)
- FIFAクラブワールドカップ・シルバーボール:1回 (2015)
- ピチーチ賞:6回 (2009-10, 2011-12, 2012-13, 2016-2017, 2017-18, 2018-19)
- ヨーロッパ・ゴールデンシュー:6回 (2010, 2012, 2013, 2017, 2018, 2019)
- UEFAチャンピオンズリーグ得点王:6回 (2008-09, 2009-10, 2010-11, 2011-12, 2014-2015, 2018-19)
- FIFAワールドユース選手権得点王・最優秀選手 (2005)
- オリンピア賞 (アルゼンチン最優秀選手):11回 (2005, 2007, 2008, 2009, 2010 ,2011,2012, 2013, 2015, 2016, 2017)
- ゴールデンボーイ賞 (2006)
- 世界最優秀若手選手賞(ワールドサッカー誌選出):3回 (2006, 2007, 2008)
- ワールドサッカー 歴代最高のイレブン(ワールドサッカー誌選出) (2013)
- FIFPro年間最優秀若手選手 3回 (2006, 2007, 2008)
- コパ・アメリカ最優秀若手選手 (2007)
- ブラヴォー賞 (2007)
- リーガ・エスパニョーラ最優秀外国人選手:3回 (2006-07, 2008-09, 2009-10)
- EFE賞 (リーガ・エスパニョーラ最優秀アメリカ大陸出身選手賞):2回 (2006-07, 2008-09)
- UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー 11回 (2008, 2009, 2010, 2011, 2012, 2014, 2015, 2016, 2017, 2018, 2019)
- FIFAチーム・オブ・ザ・イヤー (2008)
- リーガ・エスパニョーラチーム・オブ・ザ・シーズン 2回(2014–15, 2015–16)
- リーガ・エスパニョーラ 月間最優秀選手 3回 (2016 1月、2017 4月、2018 4月)
- トロフェオ・アルフレッド・ディ・ステファノ:6回 (2008-09, 2009-10, 2010-11, 2014-15, 2016-17, 2017-18)
- リーガ・エスパニョーラ最優秀選手:6回 (2008-09, 2009-10, 2010-11, 2011-12, 2012-13, 2014-15)
- リーガ・エスパニョーラ最優秀FW:7回 (2008-09, 2009-10, 2010-11, 2011-12, 2012-13, 2014-15, 2015-16)
- UEFAクラブ最優秀FW :2回 (2009, 2019)
- UEFA年間最優秀選手 (2008-09)
- オンズドール:4回 (2009, 2010-11, 2011-12, 2017-18)
- GOAL 50:3回 (2009, 2011, 2013)
- UEFAチャンピオンズリーグベストチーム (2014-15)
- UEFAゴール・オブ・ザ・シーズン 3回 (2006–07, 2014–15, 2015–16)
- コパ・アメリカドリームチーム 4回 (2007, 2011, 2015, 2016)
- FIFAワールドカップドリームチーム 1回 (2014)
- リーガ・エスパニョーラベストイレブン (2014-15)
経歴
クラブ | |||
---|---|---|---|
年 | クラブ | 出場 | (得点) |
2003-2004 | ![]() |
10 | (5) |
2004-2005 | ![]() |
22 | (6) |
2004- | ![]() |
470 | (433) |
代表歴 | |||
2004-2005 | ![]() |
18 | (14) |
2007-2008 | ![]() |
5 | (2) |
2005- | ![]() |
138 | (70) |
クラブ
5歳の時には父親がコーチを務めるクラブで本格的にサッカーを始め、1995年には地元のクラブであるニューウェルズ・オールドボーイズに加入する。
当時敵なしで「La Maquina del ’87」と称えられたニューウェルズのユースチームの一員であったメッシはプレーしていた6年間の間に約500ゴールを記録した。
しかし10歳の頃成長ホルモンの分泌異常の症状(成長ホルモン分泌不全性低身長症)が発覚、成長ホルモン投与などの治療なしでは身体が発達しないと診断された。
人生の転機となったのは、13歳の時に受験し合格したスペイン・リーガ・エスパニョーラのFCバルセロナの加入テスト。
当時の監督カルロス・レシャックは彼のプレーを一目見ただけでその小さな身体に驚くべき才能と将来性が宿っていることを悟り、すぐさま合格を決めたが当時、ヨーロッパのクラブがメッシのような若い年齢の選手と契約することは珍しいことだったため会長がなかなか契約を前に進めなかったため交渉は難航した。
どうしても契約を逃したくなかったレシャックは自身の権限の下でFCバルセロナはメッシと契約すると約束した。
この時レシャックは契約書の代わりになるものを持っていなかったため紙ナプキンにこの契約を書き留めた。
その後FCバルセロナは家族揃ってのバルセロナへの移住を条件に治療費を全額負担することを約束し、家族もこれを快諾。
2001年2月、メッシは家族と共にバルセロナへ渡りバルセロナの本拠地であるカンプノウ近くのアパートで暮らし始めた。
2001年3月1日、正式契約を結びスペインでの生活を本格的に始めることとなった。
ユースチームで投薬治療を続けた結果、身長は170cmまで伸び、選手としても一流のテクニックを披露するまでに成長。
17歳となった2004年10月16日、第7節エスパニョール戦にてプリメーラ・ディビシオン・デビューを果たすと、2005年5月1日の第34節アルバセテ・バロンピエ戦で初得点。
17歳と10ヶ月7日で決めたこの得点は、後にメッシ自身のアシストからボージャン・クルキッチが17歳と51日で記録するまでクラブ史上最年少得点だった。
このシーズンはレギュラー定着とはならなかったが、その才能をのぞかせ、リーガ制覇を経験した。
バルセロナと2014年まで契約期間を延長し、スペインの市民権を得て臨んだ2005-06シーズン、リュドヴィク・ジュリとの右ウィングのポジション争い時にこのフランス代表のライバルを上回る活躍を披露。
ワールドユースも含めた質の高いプレーが人々に認知され、イタリアのスポーツ紙Tuttosportが選ぶゴールデンボーイ賞(U-21欧州最優秀選手賞)にクリスティアーノ・ロナウドやウェイン・ルーニーを抑えて選出された。
UEFAチャンピオンズリーグの対チェルシーFC戦・1stレグをはじめ、相手左サイドをしばしば混乱に陥れるビッグプレーを見せたが、対チェルシー戦の2ndレグ中に右足の筋肉を故障し、その後のシーズンを棒に振った。
リーガでは17試合、チャンピオンズリーグでは6試合の出場に終わったが、チームはリーガ、チャンピオンズリーグの二冠を達成した。
2006-07シーズンは故障による欠場が目立ったものの、右サイドから切れ込むドリブルが冴え渡り数々の印象的なプレイを披露する。
チームはリーガ3連覇とチャンピオンズリーグ2連覇のどちらも達成できずに終わったが自身はリーグ、カップ合計で36試合に出場し17得点と奮闘した。
2007-08シーズンは、ジュリがローマに移籍したものの、プレミアリーグのアーセナルからフランス代表のエースストライカー、ティエリ・アンリがチームに加入し、サミュエル・エトー、ロナウジーニョにメッシと、4人のワールドクラスのFWを揃えた陣容は「ファンタスティック4」と呼ばれその圧倒的な攻撃力が期待されたが、アンリがチームのスタイルに合うまでに時間を擁し、エトーが負傷、ロナウジーニョが不調と、思うように攻撃陣が機能しない序盤戦、単独での突破から貴重なゴールを幾度となく決めチームを支え、欧州最優秀選手を選出するバロンドールではカカ、クリスティアーノ・ロナウドに次ぐ3位に選出された。
2008-09シーズンは、ACミランに移籍したロナウジーニョに代わって背番号10を背負ってチームを牽引。
これまで孤立しがちだった右サイドにダニエウ・アウヴェスという心強い相棒が加わったこともあって、前線のエトー、アンリと共にゴールを量産。
初めて年間通して故障らしい故障もなく過ごし、チームはUEFAチャンピオンズリーグなどで優勝し見事に三冠を達成。
メッシは大会を通じて9得点を挙げ得点王に輝いた。
2008-09シーズンの総計38得点は、チーム得点王。
2009年12月1日にはアルゼンチン出身の選手としては3人目(4度目)となるバロンドールに選出された。
12月のクラブワールドカップでは負傷した状態での参加となったが試合には間に合い、準決勝のアトランテFC戦では途中出場し、決勝点を挙げる。
決勝のエストゥディアンテス戦では先発出場し、延長戦の末にダニエウ・アウヴェスのクロスを胸で押し込み決勝点を挙げ、バルセロナの優勝に貢献。
メッシは大会選定のゴールデンボール賞(MVP)を受賞した。
12月21日にはアルゼンチン人としては初となるFIFA年間最優秀選手に選出された。
2007年、2008年と2年連続で次点となっていたため、3度目の正直での受賞となった。
チャンピオンズリーグは準決勝で敗退し連覇を逃したものの、リーガではその後も得点を挙げ続け、バルセロナの連覇に貢献。
メッシ自身は35試合に出場して34得点を挙げ、得点王、ヨーロッパ・ゴールデンシューに輝いた。
リーグ34得点、シーズン公式戦通算47得点はロナウドと並び、バルセロナ最多タイ記録となった。
2011年1月10日、バルセロナの同僚でありワールドカップ優勝メンバーでもあるアンドレス・イニエスタとシャビを抑え、2年連続でバロンドールを受賞した。
2年連続でバロンドールを受賞したのは史上6人目であり、複数回バロンドールを受賞するのは史上9人目の快挙である。
バロンドールがFIFA最優秀選手賞と統合され、FIFAバロンドールとなってからは最初の受賞者となった。
2010-11シーズンも、前シーズンと変わらぬ活躍を見せる。
チャンピオンズリーグではルート・ファン・ニステルローイと並び大会史上最多タイとなる12得点を挙げ、3季連続の得点王を獲得。
バルセロナの2シーズンぶりの優勝に貢献した。
2011年8月25日には新たに設立されたUEFA欧州最優秀選手賞の初代受賞者に選出された。
2011-12シーズンも開幕から得点を量産し、2011年9月28日のチャンピオンズリーグ・BATEボリソフ戦で2得点を挙げ、ラディスラオ・クバラと並びクラブ史上2位タイとなる公式戦通算194得点とすると、10月25日のラシン・サンタンデール戦で2得点を挙げ、単独2位となった。
2011年12月18日に日本で開催されたFIFAクラブワールドカップ決勝のサントスFC戦ではブラジルの新星ネイマールとのエース対決に注目が集まったが、試合は終始バルセロナがサントスを圧倒し、4-0のスコアで勝利した。
メッシ自身も2得点の活躍で大会MVPを受賞し、チームの2年ぶり2度目の大会制覇に貢献した。
2012年1月9日にはFIFAバロンドール男性部門の最優秀選手賞を受賞。
3度目の受賞は史上4人目、3年連続での受賞はミシェル・プラティニに次ぐ史上2人目の快挙となった。
1972-73シーズンのゲルト・ミュラー以来39シーズンぶりとなる、1シーズン公式戦通算60得点を達成した。
5月2日のリーガ第20節延期分のマラガ戦で3得点し、これでシーズン公式戦68得点とし、ゲルト・ミュラーの持つ、シーズン公式戦67得点の最多得点記録を更新し、最終的にシーズン公式戦73得点を記録し、リーガ、チャンピオンズリーグの両方で得点王を獲得。
リーガでは史上最多記録となる50得点を挙げ、1976-77シーズンにディナモ・ブカレストのドゥドゥ・ゲオルゲスクが記録した欧州リーグシーズン得点記録(47得点)を35年ぶりに更新した。
またチャンピオンズリーグでは前述の通り大会最多得点を記録し、史上初の4シーズン連続得点王となった。
2012年12月9日のリーガ第15節のベティス戦では2得点を挙げてゲルト・ミュラーの年間ゴール記録(85得点)を40年ぶりに更新し、最終的に年間91得点を記録した。
2013年1月7日、クリスティアーノ・ロナウドとアンドレス・イニエスタを抑え、バロンドールを4年連続で受賞。
4年連続4度目の受賞は共に史上初である。
2014-15シーズンはリーグ戦では5月17日のアトレティコ・マドリード戦、コパ・デル・レイでは決勝のアスレティック・ビルバオ戦でいずれも先制点を決め、 チャンピオンズリーグ決勝のユヴェントス戦では決勝点につながるシュートを打ちチームの史上初の2度目三冠達成に大きく貢献した。
チャンピオンズリーグではネイマール、クリスティアーノ・ロナウドと並びCL得点王に輝いた。
2015-16シーズン、8月27日にはUEFA欧州最優秀選手賞を54票中49票(得票率90.7%)と圧倒的な票を集めて史上初となる2度目の受賞を果たした。
FIFAクラブワールドカップでは決勝のリーベル・プレート戦で先制点を挙げてチームの5冠達成に貢献し、2015年を出場した6大会全てで得点して締めくくった。
1月11日にはクリスティアーノ・ロナウドとチームメートのネイマールを抑えて5度目のバロンドール受賞を達成し、バロンドールの受賞記録をさらに更新した。
2018年5月にキャプテンであったイニエスタが退団したことで、メッシは次のシーズンにチームの新キャプテンに選ばれた。
2018-19シーズン、2018年8月12日、スペールコパでセビージャを2-1で下し、バルセロナのキャプテンになってから初めてタイトルを獲得した。
これによりバルセロナでの自身のタイトル獲得数が33個になり並んでいたイニエスタを抜き単独でチーム歴代最多記録となった。
しかしその後チャンピオンズリーグで2年連続の逆転負けを味わうこととなった。
5月19日、ホームで行われたリーガ最終節となるエイバル戦でチームは2-2のドローに終わったが自身は2ゴールを決めリーガ通算34試合36ゴールの成績でテルモ・サラと並ぶ史上最多6度目のリーガ得点王になり同じく史上最多6度目のピチーチを受賞することが決定した。
2019-20シーズン、2019年8月5日、チームに合流直後に右足のヒラメ筋を痛めたため、プレシーズンのアメリカ遠征を欠場すると、怪我の再発防止の為に開幕戦も欠場した。
9月23日、ザ・ベスト・FIFAフットボールアウォーズ2019で男子年間最優秀選手賞を受賞した。
受賞はバロンドール時代も含めて6度目となり、C.ロナウドをふたたび抜いて歴代最多記録を更新した。
代表
2005年8月17日のハンガリー戦でフル代表デビューを果たした。
この試合では63分に途中出場したものの、そのわずか40秒後に相手選手に肘打ちを入れレッドカードを受け、涙を流しながら退場というほろ苦いデビューであった。
2006年夏にドイツで開催された2006 FIFAワールドカップでは怪我の回復が危惧されたが、プレイ可能な状態にまで回復し、代表に選出された。
レギュラーとしての出場ではなかったが、グループステージの対セルビア・モンテネグロ戦にて、W杯でのアルゼンチン代表の最年少出場、最年少アシスト、最年少得点を記録する活躍をみせ、死のグループとも形容されたグループCの突破に貢献した。
チームは準々決勝で開催国ドイツに敗れた。
2008年夏に中国で開催された北京オリンピックではグループリーグ1試合目のコートジボワール戦で大会初得点を挙げチームの2得点目をアシストした。
準々決勝のオランダ戦では1得点を挙げ1-1の同点で延長戦に突入したが決勝点である2得点目をアシストしアルゼンチンが勝利した。
準決勝ではブラジルと対戦、3-0でアルゼンチンが圧勝して決勝へ勝ち進んだ。
決勝ではナイジェリア戦では唯一の得点をアシストした。
最終的に1-0でアルゼンチンが勝利し金メダルを獲得した。
2010年夏に南アフリカで開催された2010 FIFAワールドカップでは大会最大の注目選手として臨み、マラドーナと同じトップ下でプレー。
グループリーグ第3戦のギリシャ戦では初めてキャプテンを務め、大会選定のマン・オブ・ザ・マッチに選出される活躍を見せた。
チームはベスト4の座を懸けたドイツ戦で完敗し、自身も30本のシュートを打つも無得点に終わる。
コパ・アメリカ2011では準々決勝で敗退し、自身も無得点に終わった。大会後に新たにアルゼンチン代表の監督に就任したアレハンドロ・サベーラからチームの新キャプテンに任命され、9月3日のベネズエラ戦ではキャプテンとしてプレーした。
2012年2月29日のスイスとの親善試合で、代表では初めてとなるハットトリックを達成した。
2014 FIFAワールドカップ大会前、メッシはバルセロナで怪我に悩まされていたシーズンを送っていたため、コンディションが懸念されていた。
しかし大会が始まるとその不安は払拭された。
グループリーグ初戦であるボスニア・ヘルツェゴビナ戦ではフリーキックからセアド・コラシナツのオウンゴールを誘い、ドリブルで次々相手を抜き、追加点となる2点目を決め8年ぶりのW杯での得点を挙げた。
グループリーグ2戦目のイラン戦では、ロスタイムにゴールから約23mの位置からミドルシュートを放ち、決勝弾となる得点を挙げた。
グループリーグ最終戦のナイジェリア戦では、キーパーが弾いたこぼれ球を、弾丸シュートでゴールに押し込み先制点を挙げ、逆転弾となるFKゴールを決めた。
トーナメント戦に入りベスト16のスイス戦では、4人抜きのドリブルをして決定機を作り、延長後半にはディマリアの決勝弾をアシストした。
メッシはここまでの4試合全てでマンオブザマッチを獲得している。
準々決勝のベルギー戦では、決勝弾の起点となった。
アルゼンチンにとって1990年以来の準決勝となったオランダ戦では、ドリブルやパスからいくつもの決定機を作るもPK戦に突入し、チーム最初のPKキッカーとしてPKを成功させた。
そしてチームもPK戦を4-2で制し決勝進出となった。決勝のドイツ戦ではゴールへの起点となっていたが、ゴールは入ることはなく、延長の113分にマリオ・ゲッツェが決勝弾を挙げ、アルゼンチンは準決勝に終わったがメッシは得点王ランキングで3位に位置する4得点と1アシストを挙げ、最も決定機を作り出し、最もドリブルを成功させた選手として大会最優秀選手のゴールデンボール賞を受賞した。
コパ・アメリカ2015では決勝で敗れ準優勝。
同大会最優秀選手の受賞が決まっていたものの受賞を辞退。
同賞は空席となった。
開幕前に負傷し臨んだコパ・アメリカ・センテナリオでは、2016年6月10日に行なわれたグループリーグ第2戦のパナマ戦で61分から途中出場しハットトリックを達成。
6月18日の準々決勝・ベネズエラ戦では先発に復帰し、1得点2アシストの活躍で勝利に貢献。
続く6月22日の準決勝アメリカ戦では直接フリーキックを決めて代表通算55得点とし、アルゼンチン代表最多得点記録を更新した。
チームは3年連続で国際大会の決勝に進出するものの、因縁の再戦が実現したチリ戦では延長戦の末スコアレスドローで2大会連続でPK戦にもつれこむ。
PK戦では自身もPKを失敗して2-4で敗れ、3年連続で決勝で敗退しタイトルを逃した。
コパ・アメリカ・センテナリオ大会の終了後、代表引退を示唆するコメントを残したが、8月12日、母国への愛情を理由に引退表明を撤回。
引退騒動後最初の試合となったワールドカップ地区予選のウルグアイ戦では決勝点を挙げた。
2018 FIFAワールドカップロシア大会ではグループリーグの第1戦アイスランド戦で自身がPKを外してしまいチームは1-1の同点に終わる。
第2戦のクロアチア戦では0-3でアルゼンチン代表が敗北した。
グループリーグ最終戦のナイジェリア戦では バネガからのロングパスを2回のタッチでボールをコントロールし、右足でゴールした。
この得点によりアルゼンチン人ではディエゴ・マラドーナ、ガブリエル・バティストゥータ以来3人目のワールドカップ3大会連続得点を達成し10代、20代、30代それぞれの世代で得点したワールドカップ史上初の選手となった。
決勝トーナメント1回戦のフランス戦ではガブリエル・メルカドとセルヒオ・アグエロへのアシストをして2アシストを記録した。
これによりワールドカップで4大会連続アシストをしたワールドカップ史上初の選手となった。
しかしアルゼンチンは3-4でフランスに敗北しワールドカップ敗退した。
エピソード
サッカー以外の私生活面では非常に寡黙で、酒席やパーティーに招かれても本人なりに気遣って隅の方で佇んだまま他の者らの談笑を黙って見ているだけで、談話の輪に入るよう料理を取り分けてあげると、メッシは「ありがとう」と小声で答え、そのまま大人しくしているという。
しかしカンテラ時代から一緒にプレーしているジェラール・ピケは「みんなは知らないだろうけど、メッシはシャイなんかじゃないよ。本当に皮肉が効いたユーモアを持っているんだ。僕が知っているなかでも、最もキツイ“荒らし屋”のひとりだね」と意外な一面を明かしている。
2007年、「レオ・メッシ財団」を設立。
難病の人々の救済や彼らの夢を叶え、平等の機会を与えるという信念の元に、自身と家族のアイデアから設立された。
財団のホームページは現在では5ヶ国語に翻訳されている。
他の慈善団体と協力してイベントの実施や病院や施設などを訪れたり、施設環境の向上に尽力している模様はブログなどでも度々語られており、その活動が認められユニセフより国際親善大使に任命されている。
2017年5月、アメリカのESPNは世界で最も有名なアスリート100名を発表し、メッシはクリスティアーノ・ロナウド、レブロン・ジェームズに次ぐ3位にランクインした。
2019年6月、アメリカの経済誌フォーブスは最新の世界のアスリートの年収ランキングを発表した。
メッシの年収は1億2900万ドルであり、サッカー選手、世界のアスリートの中で1位にランクインした。
世界でも屈指の人気アスリートであり、Instagramのフォロワー数は2019年9月現在で約1億3000万人を超えており、世界中のアスリートの中でもクリスティアーノ・ロナウドに次いで2番目に多い。
2017年にヨーロッパで最大の小児がんセンターの設立費用を集めるキャンペーンの大使に就任したメッシは自身の発信力やカリスマ性を利用してさまざまな活動を行った。
その甲斐もあってか2018年には目標額である3000万ユーロ(約39億円)が集まりこの病院は2020年後半に完成する見通しとなった。
そしてその後もレオ・メッシ財団による2016年から続くサン・ジョアン・デウ病院の研究プロジェクトへの貢献の一環として主に子供や青少年の発症率が高く、非常に生存率の低い小児ガンの一種である横紋筋肉腫の研究に20万ユーロ(約2,500万円)を寄付している。
NBAのゴールデンステート・ウォリアーズに所属するステフィン・カリーが、メッシのファンであることを公言したのに対し、メッシも「僕もステフのファンなんだ」と感謝の意を示している。
プレースタイル
瞬発力と敏捷性、卓越したボールコントロールを生かした突破力やキープ力は他の追随を許さない。
加えて、シュートセンスも世界トップクラスであらゆる大会で得点王を何度も獲得している。
また、極めて高いパスセンスや展開力も兼ね備えておりアシストも量産する。
オフザボールの動きも秀逸で相手DFのマークを外すことも得意である。
メッシはMFとしても、左右のWGとしても、CFとしても対応できる世界最高峰のパサーであり、ドリブラーであり、チャンスメーカーであり、フィニッシャーでもある多才な選手である。
幼年時代の好きなポジションは、アルゼンチンのサッカーのエンガンチェと呼ばれるトップ下の役割だったが、バルセロナのユースでは左ウイングまたは左フォワードとしてキャリアをスタートさせた。
バルセロナのファーストチームのデビュー戦で、フランク・ライカールト監督によって右ウイングを持ち場とされ、サイドを深くえぐってからのセンタリングや、ドリブルで内側へ切り込んでからのシュートを武器としていた。
グアルディオラ監督の采配により0トップ布陣の中央へ移動しシステム上はストライカー(=9番)だが、9番が本来いるべきポジションを無視して中盤やサイドへ流れて相手を引きつけチームメートが攻め上がるためのスペースを巧みに作り出しメッシの武器であるドリブルやアタッカー陣と連動して相手DFに全く的を絞らせない流動的な攻撃を実現するために、センターフォワードよりも下がった位置で動き回る「ファルソ・ヌエベ(偽の9番)」の役割を会得。
決して恵まれた身長とは言えないがバランス感覚に秀でており激しい当たりを受けても簡単に倒れない、そのため自分より大きなDFにも対応が可能。
こぼれ球の処理にも秀でている。
プレースキッカーとしても優れており、直接FKからの得点も彼の武器である。
メッシはタイミングの取り方が他の選手に比べ細かい。
どう細かいかというと、たとえば、ふつうの選手が「タン、タン、タン」と一拍のリズムで動くところを、メッシは0.5拍で「タ・タン、タ・タン、タ・タン」と刻むように進む。
この細かいリズムにより、メッシは相手が1歩を踏み出している途中のタイミングでサッと逆に切り替えしたり、シュートを打つため、マーカーは付いていけない。
このリズム感こそが、メッシの最大の武器である。
このようなリズムを生む要素はいくつかあり。
一つは、歩幅の短さ。
二つ目は、ドリブルタッチの細かさ。
そしてもう一つ特徴的なのは、ドリブルをする際に、ボールタッチと歩みが同じ動きの中で行われていることである。
メッシはどんなボールが来ても確実に自分の足元(大概は左足側)にトラップすることができ、そのトラップによりドリブルなどの次の動作に移りやすくなる。
メッシが止めるボールの位置は相手が触れられない場所にあってパス、ドリブル、シュートどの選択肢も行動可能な状態となるため相手は迂闊にボールを取りに行けば交わされることが見えているので、相手はその選択肢を全て考えながら守備をしないといけなくなりメッシの次の動作を待つしかなくなる状態となる。
メッシは視野を広く保ち、味方と相手の選手の位置や距離感などが常に分かっている。
そのため自分の次の行動につなげる情報が豊富に揃い、さらにトラップテクニックを有することで、プレーの幅が増えている。
また、味方だけでなく、相手選手についても全体を通して見えており、相手選手がどのように自分に向かって来るのかも分かる。
このように視野を広く保ち状況判断がしっかりとしているため、数プレー先のことを考えながらプレーすることができる。
メッシはその視野を生かし、味方の動きを利用し、パスを出すフェイントをしたり、味方の作ってくれたコースにドリブルで侵入したりする。