概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1951年2月14日(69歳) | ||
出身地 | ドンカスター | ||
身長 | 172cm | ||
体重 | 73kg |
ポジションはFW(セカウンドトップ、ウイング)、MF(右サイドハーフ)。
利き足は右。
バロンドールを二度受賞している。
1970年代中盤から1980年代初頭のイングランドを代表する選手。
小柄ながら豊富なスタミナでフィールドを駆け回り「マイティ・マウス」と呼ばれた。
小柄だが鍛え抜かれた身体で相手守備陣を手玉にとり、数々のゴールと勝利を重ねてきたアタッカーは、その気さくな性格で多くの人々から愛されるアイドルでもあった。
1978年、1979年と2年連続でバロンドール(欧州最優秀選手)を受賞したが、イングランド代表での活躍には縁が無く、唯一のワールドカップ出場となった1982年のワールドカップスペイン大会では怪我が影響し、1試合出場のみに終わっている。
獲得タイトル
チーム
- リヴァプール
- フットボールリーグ:3回 (1972-73, 1975-76, 1976-77)
- FAカップ:1回 (1973-74)
- UEFAチャンピオンズカップ:1回 (1976-77)
- UEFAカップ:2回 (1972-73, 1975-76)
- ハンブルガーSV
- ドイツ・ブンデスリーガ:1回 (1978-79)
個人
- フットボールリーグ得点王:1回 (1981-82 : 26得点 サウサンプトン)
- バロンドール:2回 (1978, 1979)
- 20世紀世界最優秀選手 38位(国際サッカー歴史統計連盟 1999年)
- 20世紀の偉大なサッカー選手100人 56位(ワールドサッカー誌選出 1999)
- ブンデスリーガシーズン最優秀チーム:1977–78、1978–79、1979–80
- イングランドフットボール殿堂入り
- FWAフットボールオブザイヤー:1975–76
- PFAプレイヤーズプレイヤーオブザイヤー:1981–82
- FIFA100
- オンゼ・タルジャン:1976、1980
- オンズドール:1977、1979
経歴
1968年スカンソープ・ユナイテッドでプロデビュー。
3シーズンを過ごした後、1971年にリヴァプールへ移籍、1972-73シーズン、UEFAカップ決勝、ボルシア・メンヒェングラートバッハ戦のファーストレグでは2ゴールを決め、同大会の優勝に大きく寄与した。
1975-76シーズン、UEFAカップ決勝、ブルージュ戦では第1戦、2戦で共に得点を決め、大きく優勝に貢献した。
1976-77シーズン、チャンピオンズカップ決勝でアラン・シモンセン擁するボルシア・メンヒェングラートバッハを3-1で破りリヴァプールにクラブ初のチャンピオンズカップ優勝をもたらすなど、数多くのタイトル獲得に貢献し、リヴァプールサポーターのアイドル的存在であり、リヴァプールでは323試合100ゴールの成績を残した。
その後、1977年にドイツのハンブルガーSVへ移籍。
当時は英国から海外へ移籍する例、または移籍先で成功する例が少なかった事から活躍が懸念されたが、ハンブルクでも中心選手として1978-79シーズンのドイツ・ブンデスリーガ制覇、翌1979-80シーズン、UEFAチャンピオンズカップ決勝進出に貢献した。
1980年よりイングランドに復帰、サウサンプトンでプレー、1982年には26ゴールを決める活躍で、PFA年間最優秀選手賞を受賞、その当時2部のニューカッスルに移籍、1984年に引退した。
エピソード
キーガンは1972年に「It Ai n’t Easy」というタイトルのシングルをリリースしました。
1979年、クリス・ノーマンとピート・スペンサーによって書かれた彼の歌「Head Over Heels In Love」は6月9日にリリースされ、英国チャートで31位に達しましたが、キーガンの本拠地であったドイツでは10位に上りました。
彼はドイツからイギリスに戻ったときに別のシングル「イングランド」をリリースしたが、チャート外と失敗しました。
プレースタイル
抜群の運動量と爆発力、そして得点力を誇るアタッカー。
豊富な運動量と確かなテクニックで精力的にピッチを駆け回るその姿から漫画のヒーローにちなみ「マイティ・マウス=力強いネズミ」と呼ばれたイングランド屈指のドリブラー。
小柄ですが、大柄な相手にも果敢に挑むアグレッシブなプレーは観る者の心をつかみます。
組み立てもできる戦術眼やパスセンスもあり、得点につなげるアシストを出せる。
また自ら得点することもできた。
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