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【サッカーショップKAMO】海外クラブチーム特集

レイモン・コパ

サッカー

概略

Raymond Kopa, Le Napoléon du Football [Goals & Skills]
国籍 フランスの旗 フランス
生年月日 1931年10月13日
出身地 ヌー=レ=ミーヌ
没年月日 2017年3月3日(85歳没)
身長 168cm
体重 68kg

 

ポジションはミッドフィールダー(オフェンシブハーフ)またはフォワード(セカンドトップ)。

 

利き足は右。

 

愛称はナポレオン。

 

1950〜60年代のフランスサッカー界のスター選手であり、フランス人サッカー選手として初めてレジオンドヌール勲章を受章した。

 

168cmの体格的なハンディを感じさせない高い技術と創造性、戦術眼を駆使して数々のゴールを演出、プラティニ、ジダンと続くフランス産ファンタジスタの元祖です。

 

タイトル

チームタイトル

スタッド・ランス

  • リーグ・アン優勝:4回 (1952-53, 1954-55, 1959-60, 1961-62)
  • リーグ・ドゥ優勝:1回 (1965-66)
  • ラテン・カップ優勝:1回 (1953)

レアル・マドリード

  • プリメーラ・ディビシオン優勝:2回 (1956-57, 1957-58)
  • ラテン・カップ優勝:1回 (1957)
  • UEFAチャンピオンズカップ優勝:3回 (1956-57, 1957-58, 1958-59)

個人タイトル

  • 欧州年間最優秀選手 (1958)
  • FIFAワールドカップベストイレブン (1958)
  • フランス年間最優秀選手賞 (1960)
  • レジオンドヌール勲章 (1970)
  • 20世紀世界最優秀選手 43位 (国際サッカー歴史統計連盟 1999)
  • 20世紀の偉大なサッカー選手100人 91位 (ワールドサッカー 1999)
  • UEFA会長賞 (2010)

 

経歴

Raymond Kopa – goals and skills (Ballon d'Or 1958)
クラブ
クラブ 出場 (得点)
1949-1951 フランスの旗 アンジェ 60 (15)
1951-1956 フランスの旗 ランス 158 (48)
1956-1959 スペインの旗 レアル・マドリード 79 (24)
1959-1967 フランスの旗 ランス 244 (36)
通算 541 (123)
代表歴
1952-1962 フランスの旗 フランス 45 (18)

 

ヌー・レ・ミーヌに生まれ、炭鉱での労働と平行して地元のクラブであるUSヌー・レ・ミーヌに加入した。

 

その後、炭坑事故で指を1本失ったことにより炭坑での仕事を終えることになった。

 

全国大会で2位となったことにより、1949年にリーグ・ドゥ所属のアンジェSCOとプロ契約。

 

1951年に移籍金180万フランでスタッド・ランスに移籍し、そこで2度のリーグ・アン優勝を成し遂げる。

 

1952年10月5日の西ドイツ戦で、フランス代表としてもデビューした。

 

1956年チャンピオンズカップ決勝戦でレアル・マドリードと対戦。

 

3-4のスコアで敗れたが、その活躍がレアル・マドリードの首脳陣の目に留まった。

 

翌シーズン、アルフレッド・ディ・ステファノがスペイン国籍を取得したことによってレアル・マドリードの外国人枠に空きができ、同クラブへと移籍。

 

デビュー戦でもある10月に行われたFCソショーとの親善試合では、14-1という結果を残した。

 

その後もディ・ステファノらと共に黄金時代を築き上げ、所属年度すべてでチャンピオンズカップを優勝、リーグ優勝を2度経験した。

 

1958年、ジュスト・フォンテーヌらと共に出場したワールドカップ・スウェーデン大会で、フランス代表はペレ、ガリンシャなどを擁するブラジル代表に敗れ3位に終わったものの、コパは3得点、最多アシストを記録。

 

同年その活躍が認められバロンドールを受賞した。

 

1959年にスタッド・ランスに戻り、復帰後初シーズンとなった1959-60シーズンを含む2度リーグ優勝を果たした。

 

コパ自身も1959年のバロンドールでディ・ステファノに次ぐ2位になり、1960年にはフランス年間最優秀選手賞を受賞するなど高い評価を受けた。

 

しかし、1963-64シーズンには17位でリーグを終えてリーグ・ドゥ降格を経験した。

 

1966-67シーズンに再びトップリーグへ昇格し、シーズン終了後に現役を引退した。

エピソード

レイモン・コパのプレイ集【古き良きナポレオン】

 

コパはポーランド移民の家族に生まれました。

 

本名はレイモン・コパゼフスキー。

 

彼の祖父母はクラクフ出身で、彼の両親が生まれたドイツに移住した。

 

彼らは第一次世界大戦後、フランスに移住した。

 

彼の姓は彼が学校にいた間、コパに短縮されました。

 

プレースタイル

Skills of Raymond Kopa

 

168cmの体格的なハンディを感じさせない高い技術と創造性、戦術眼を駆使して数々のゴールを演出した。

 

比類なきドリブルのテクニックとパスセンスを持ち合わせていた。

 

フリーロールの先進的なプレイメーカーであり、素早く、機敏で、ドリブルの技術の高さでも知られていました。

 

彼はまた、プレイメーカーであり、スコアラーでもありました。

 

1958年のワールドカップ・スウェーデン大会、フランスチームは準決勝で優勝したブラジルチーム(ブラジルのペレ選手がワールドカップにデビューした大会です)に敗れたものの、3位決定戦では西ドイツチームを相手に6-3と快勝して、3位となりました。

 

このフランス代表チームの骨格を成していたのが、レイモン・コパ選手とジュスト・フォンテーヌ選手でした。

 

コパ→フォンテーヌのホットラインから、次々と得点が生まれました。

スウェーデン大会の得点王は、13得点のフォンテーヌ選手でしたが、この「1大会13得点」というのは、いまだに破られていない、ワールドカップの最多記録です。

 

もちろんコパ選手はアシスト王でした。(自身も3ゴールを挙げています)

 

この1958年、ワールドカップでの大活躍が評価されたのでしょう、

 

レイモン・コパ選手はバロンドールを受賞しました。

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