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【サッカーショップKAMO】海外クラブチーム特集

パオロ・マルディーニ

サッカー

概略

【歴代屈指のDF】パオロ・マルディーニ 特徴解説  HD 1080p Paolo Maldini みにフト(海外サッカー)
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 1968年6月26日(51歳)
出身地 ミラノ
身長 186cm
体重 85kg

 

ポジションはディフェンダー(左サイドバック、センターバック)。

 

利き足は右。

 

史上最高の左サイドバックと評され、ミランの象徴とまで呼ばれた選手。

 

そのサッカー人生の全てをACミランに捧げ、25年間という長きにもわたりミランのバンディエラ(旗手)としてクラブを支え続けた。

 

イタリア代表ではFIFAワールドカップ4大会連続出場を果たし、1998年フランスW杯、2002年日韓W杯の2大会で主将を務めた。

 

彼が築き上げたサッカー人生は、やがてセリエA最多出場試合数(647試合)、W杯最多フル出場試合数(23試合)、W杯最多出場時間(2217分)という3つの歴代最多記録を打ち立て、幾多のタイトルと共に、今日のサッカー史にその名が刻まれている。

 

UEFAチャンピオンズリーグ優勝5回(1988-89, 89-90シーズンは連覇)を筆頭に、セリエA優勝7回(1991-92, 92-93, 93-94シーズンは3連覇)、インターコンチネンタルカップ(FIFAクラブワールドカップ含む)優勝3回を含む、通算26個のタイトルと栄光をクラブにもたらす。

 

そして、いつしか『グランデ・ミラン』(偉大なミラン)と呼ばれる様になる、クラブを象徴するバンディエラの1人となった。

 

1999年12月、イギリスの大手サッカー専門誌『ワールドサッカー』が、読者による投票ポイントによってランキング化したのをまとめた『20世紀の偉大なサッカー選手100人』を発表し、総合21位に選ばれた。

 

これは当時の現役選手としては、ロナウドの13位、ロベルト・バッジョの16位に次ぐ3番目の順位であり、サイドバックの選手としてはOB・現役を含め最高位という快挙であった。

 

獲得タイトル

国内タイトル
  • セリエA優勝7回
1987-88, 1991-92, 1992-93, 1993-94, 1995-96, 1998-99, 2003-04
  • コッパ・イタリア優勝1回
2002-03
  • イタリア・スーパーカップ優勝5回
1988, 1992, 1993, 1994, 2005
国際タイトル
  • UEFAチャンピオンズリーグ(UEFAチャンピオンズカップ)優勝5回
1988-89, 1989-90, 1993-94, 2002-03, 2006-07
  • UEFAスーパーカップ優勝5回
1989, 1990, 1994, 2003, 2007
  • インターコンチネンタルカップ(FIFAクラブワールドカップ含む)優勝3回
1989, 1990, 2007
個人タイトル
  • 20世紀の偉大なサッカー選手100人 21位(ワールドサッカー誌選出 1999)
  • セリエA 最多出場試合数(647試合)
  • FIFAワールドカップ 最多フル出場試合数(23試合)
  • FIFAワールドカップ 最多出場時間(2217分)

 

経歴

Paolo Maldini – Epic Defending Compilation (RARE)
クラブ
クラブ 出場 (得点)
1985-2009 イタリアの旗 ACミラン 647 (29)
代表歴
1986-1988 イタリアの旗 イタリア U-21 12 (5)
1988-2002 イタリアの旗 イタリア 126 (7)

 

父親のチェーザレ・マルディーニは、息子と同じくACミランのキャプテンを務め、1962-63シーズンのUEFAチャンピオンズカップ優勝を成し遂げ、ミラン、イタリア代表監督を共に務め挙げた存在。

 

必然的にパオロはその下で幼少期よりサッカーに親しんでいった。

 

ニルス・リードホルム監督の下1985年1月20日のウディネーゼ戦において途中交代という形で16歳でセリエAにデビューした。

 

以降25年間に亘り第一線でプレイし続けることになる。

 

1987年1月4日のコモ戦でセリエA初ゴールを決めた。

 

1987-88シーズンにセリエA初制覇、1988-89シーズンのチャンピオンズカップ決勝でステアウア・ブカレストを4-0で破り初優勝、1989年のインターコンチネンタルカップでメデジンを1-0と破って優勝した。

 

1989-90シーズンのチャンピオンズカップ決勝でもベンフィカを1-0と破り同タイトルを連覇、1990年のインターコンチネンタルカップでもチームはオリンピアを3-0と破り優勝したが、パオロは前半で負傷の為途中交代、肩を脱臼脱窮していた。

 

1991-92シーズンはミランの無敗優勝に貢献、1993-94シーズンチャンピオンズリーグ準決勝ASモナコ戦では決勝ゴール、決勝のFCバルセロナ戦では、出場停止のバレージに代わり、初めてセンターバックのポジションに入り、ロマーリオとストイチコフのツートップを完璧に抑え、優勝に貢献、またワールドカップでは、決勝でPK戦の末ブラジルに敗れたが、イタリアを決勝に見導くなど活躍から同年のバロンドール投票では第3位となった。

 

2004-05シーズンのチャンピオンズリーグ決勝リヴァプールFC戦では先制点を決めたが、3-3からの延長PK戦で敗れた。

 

長年一線級で活躍し、一時代を築いてきた彼は進退に対して注目されることも多かった。

 

とはいえ、セリエAはもとより世界に於いてトップクラスの資質を保ち続けたこと、平均年齢が高齢化したミランのディフェンダー陣再構築が遅々として進んでいなかったこと、また精神的支柱としての立場を考慮し、シルヴィオ・ベルルスコーニ会長らクラブ首脳陣は慰留を続けた。

 

代表チームを引退し「2足の草鞋」を脱いでクラブでのプレーに専念することで、再び世界トップレベルのDFとして復活した。

 

アレッサンドロ・コスタクルタと共に2007年7月末の契約満了をもって現役引退を示唆したシーズンには、チャンピオンズリーグ 2006-07の決勝でリヴァプールを破り2004-05シーズン勝勝で敗れた相手に雪辱をはらし優勝を決めた後「今度はクラブW杯をとりたい。」と語り、翌シーズンもプレーする意思を表明した。

 

膝の怪我を手術した影響で2007-08シーズンは出場機会が限定されたものの、FIFAクラブワールドカップ2007では長年のキャリアで数々の栄光を勝ち取った本職の左サイドバックとして準決勝に途中出場、決勝でもフル出場し優勝に貢献した。

 

2007年2月20日にはチャンピオンズリーグの対セルティック戦においてチャンピオンズリーグ通算100試合出場を達成、更に同年3月11日には史上初となるセリエAのリーグ通算600試合出場を達成した。

 

奇しくもこの日の試合はライバル、インテル・ミラノとのミラノ・ダービーであったが白星を飾ることはできなかった。

 

2008年2月16日、セリエA第23節のパルマFC戦に途中出場しクラブ、U-21代表、A代表での公式戦現役合計出場1000試合を達成した。

 

その後も契約を延長し、40歳を迎えてなおもプレーする姿はファンはもとより選手の間からも尊敬を集めた。

 

2009年に現役引退を発表。

 

一部のミラニスタとは険悪な関係であり、ホームでの現役最後の試合では、マルディーニを批判するメッセージが掲げられたが、 現役最後の試合となったアウェー・フィオレンティーナ戦ではロスタイムにフィオレンティーナの選手がわざとボールを外に出しマルディーニの為だけの時間を作った。

 

敵味方関係なくその場にいたすべての人がスタンディングオベーションでマルディーニを称えた。

エピソード

Rossoneri Icons | Paolo Maldini

お父さんのチェーザレもミラン、そしてイタリア代表の大事な存在であった。

 

あるインタビューでパオロは彼のことをこう語った。

 

「とても厳しい父でした。彼にとって近道など存在しない。10歳でミランに入ったとき、ユースの監督が父に私がプレーしてほしいポジションを聞いていた。そのとき父はちょっと怒った顔で他の子供と同じ扱いをしてほしいと監督に頼んでいたよ。今の私がいるのは父のおかげだ」

 

マルディーニ(パオロ)は長い間お父さんの影に生きていた。

 

自分がいい活躍をしても「さすがチェーザレの子だ」としか言われなかったという。

 

しかし、欠かせない努力によってパオロはお父さんを超える、イタリアの誰もが知る存在となった。

 

今はお父さんのチェーザレが逆に「あなたはパオロのお父さん」だと言われている。

 

 

小さい頃はミシェル・プラティニのユヴェントスのファンだった。

 

しかし、父のチェーザレ・マルディーニから、もし本気でサッカーをするのであればACミランかインテル・ミラノを選ぶよう言われた。

 

パオロがACミランでつけていた背番号3は、2005年10月18日に彼の父親のチェーザレ・マルディーニから始まる親子3代のACミラン入りとなった長男クリスティアン・マルディーニ(Christian Maldini, 1996年6月14日 – )若しくは次男のダニエル・マルディーニ(Daniel Maldini、2001年10月11日 -)が引き継がない限り、フランコ・バレージのつけていた背番号6と同様に永久欠番となる。

 

二人の息子もACミランの下部組織に所属している。

 

上述の長男のクリスティアンは父・パオロ同様にセンターバック・サイドバックの選手、次男のダニエルはフォワード。

 

実業家のリッカルド・シルヴァと北米サッカーリーグに2016年から新規参入したマイアミFCの共同オーナーを務めている。

 

プレースタイル

The Legend Paolo Maldini | Throwback | Serie A TIM

果敢な攻撃参加、1対1での強さ、状況判断の良さ、優れた戦術理解能力、 さらにフランコ・バレージより受け継いだキャプテンシーを駆使し、 現役時代は10年以上世界最高の左サイドバックの座を守り続けた。

 

両足を使えて運動量もありクロスの精度も高く、ディフェンス面も高いレベルの選手です。

 

フィジカルの強さもある。

 

あたりの強さや全盛期のスピードは並のディフェンダーを凌ぐ能力を持つ。

 

1対1の強さ、果敢な攻撃参加、優れたカバーリング能力、フェアプレー精神など彼を称える言葉は数多いが、最大の魅力はそのキャプテンシーにある。

 

当初は左サイドバックでプレーしていたが年月を重ねるごとにポジションを中央へ移していった。

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