概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1992年2月5日(28歳) | ||
出身地 | モジ・ダス・クルーゼス | ||
身長 | 175cm | ||
体重 | 68kg |
ポジションはフォワード(左ウイング)。
利き足は右。
サントス時代には南米年間最優秀選手賞を2度獲得。
ヨーロッパではFCバルセロナに所属しリオネル・メッシ、ルイス・スアレスとバルサの攻撃トリオを組み、ラ・リーガ優勝、コパ・デル・レイ、UEFAチャンピオンズリーグ制覇に貢献。
2015年のバロンドールでは3位に選ばれた。
翌年もリーガ・エスパニョーラとコパの連覇に貢献。2017年には史上最高額の2億2200万ユーロ相当(約284億円)の移籍金でパリ・サンジェルマンに移籍。
1年目にはリーグ1年間最優秀選手賞に選ばれた。
ブラジル代表には18歳でデビューし、現在ペレ、ロナウドに次ぐ3位の得点記録保持者。
2013年FIFAコンフェデレーションズカップではゴールデンボールに選ばれた。
2016年にはリオ五輪にOA枠で出場し、金メダルを獲得。
世界で最も著名なスポーツ選手の一人。
SportsProは2012年と2013年に彼を世界で最も市場性のあるアスリートに指名し、ESPNは2016年に彼を世界で4番目に有名なアスリートとして挙げた。
2017年にはTimeにより世界で最も影響力のある選手の一人にリストアップした。
そして2019年、フォーブスは彼を世界で3番目に高い収入のアスリート(メッシとクリスティアーノ・ロナウドに次ぐ)にランクした。
タイトル
クラブ
- サントス
- コパ・リベルタドーレス:1回 (2011)
- レコパ・スダメリカーナ:1回 (2012)
- カンピオナート・パウリスタ:3回 (2010, 2011, 2012)
- コパ・ド・ブラジル:1回 (2010)
- バルセロナ
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ:1回 (2013)
- リーガ・エスパニョーラ:2回 (2014-15, 2015-16)
- コパ・デル・レイ:3回 (2014-15, 2015-16, 2016-17)
- UEFAチャンピオンズリーグ:1回 (2014-15)
- FIFAクラブワールドカップ:1回 (2015)
- パリ・サンジェルマン
- クープ・ドゥ・ラ・リーグ:1回 (2017-18)
- クープ・ドゥ・フランス:1回 (2017-18)
- リーグ・アン:3回 (2017-18, 2018-19, 2019-20)
- トロフェ・デ・シャンピオン:2回 (2018, 2019)
代表
- U-20ブラジル代表
- 南米ユース選手権:1回 (2011)
- U-23ブラジル代表
- オリンピック 銀メダル:1回 (2012)
- オリンピック 金メダル:1回 (2016)
- ブラジル代表
- FIFAコンフェデレーションズカップ:1回 (2013)
- スーペルクラシコ・デ・ラス・アメリカス:2回 (2011, 2012)
個人
- コパ・ド・ブラジル 得点王:1回 (2010)
- 南米年間最優秀選手賞:2回 (2011, 2012)
- FIFAプスカシュ賞:1回 (2011)
- ボーラ・ジ・オーロ:1回 (2011)
- 南米ユース選手権 得点王:1回 (2011)
- FIFAコンフェデレーションズカップ ゴールデンボール:1回 (2013)
- FIFAコンフェデレーションズカップ ブロンズブーツ:1回 (2013)
- FIFAワールドカップ ブロンズブーツ:1回 (2014)
- UEFAチャンピオンズリーグ得点王:1回 (2015)
- UEFAチャンピオンズリーグベストチーム:1回 (2014-15)
- FIFA/FIFPro世界イレブン:2回 (2015, 2017)
- リーグ1年間最優秀選手賞:1回 (2018)
- リーグ1年間最優秀チーム賞:1回 (2018)
経歴
クラブ | |||
---|---|---|---|
年 | クラブ | 出場 | (得点) |
2009-2013 | ![]() |
103 | (54) |
2013-2017 | ![]() |
123 | (68) |
2017- | ![]() |
52 | (47) |
代表歴 | |||
2009 | ![]() |
3 | (1) |
2011 | ![]() |
7 | (9) |
2012 | ![]() |
7 | (4) |
2010- | ![]() |
97 | (60) |
クラブ
ネイマール・ダ・シウバ・サントス・ジュニオールは、ネイマール・ダ・シウバとナディーン・サントスとの間にサンパウロ州モジ・ダス・クルーゼスで一男一女の長子として出生、モデル業のrafaella beckranは4歳年下の実妹。
実父もかつてサッカー選手であった。
成長すると、ネイマールはフットサルとストリートサッカーに夢中になった。
1992年、ネイマールは家族と共にサン・ヴィセンテに転居した。
1999年にポルトゥゲーザ・サンチスタのユースクラブ入団を経て、2003年にサントスFCのユースクラブに移籍した。
ユース年代で成功を収めると、家族はヴィラ・ベルミーロの隣に初めての物件を購入した。
ネイマールは、15歳の時には1カ月に10,000レアル、16歳の時には1カ月に25,000レアルの収入があった。
17歳でプロ契約を交わしサントスのトップチームに昇格し、スポンサー契約も得た。
2005年1月、12歳だったネイマールはレアル・マドリードとの契約を交わす予定だったが、締結には至らなかった。
2008年2月10日、サントスFCとプロ契約を結び、違約金は5000万ユーロに設定された。
13歳の時にロビーニョの年末チャリティマッチに参加。
試合はテレビ中継されたこともあり、一躍有名になる。
その後幾度となくサッカー番組などに出演し、サポーターからも一軍でのデビューを期待されるようになった。
デビュー戦となったサンパウロ州選手権のオエステFC戦では、得意の高速ドリブルやペダラーダを連発し、負けていた試合を逆転勝利に導いた。
翌節のモジミリンEC戦でプロ初ゴールを決め、試合観戦していたペレに「彼はうまくいけば私を超える潜在能力を持っている」と評された。
2011年のコパ・リベルタドーレス決勝戦の対CAペニャロール戦では、アウェーの第1戦を0-0の引き分けで終え、ホームでの第2戦では47分に値千金の先制弾を決め、最終的に2-1でサントスが1963年大会以来、3度目のコパ・リベルタドーレス制覇を達成した。
なおネイマール自身はこの大会で計6ゴールを記録しており、優勝の原動力となった。
南米代表として出場したFIFAクラブワールドカップ2011では、12月14日の初戦の柏レイソル戦で、キックフェイントからのミドルシュートで先制点を挙げ、勝利に貢献。
しかし決勝ではFCバルセロナの前に徹底マークに苦しみ、チームも0-4で敗北し準優勝に終わった。
2012年1月1日、2011年の南米年間最優秀選手賞に選出されたことが発表された。
2013年5月26日、サントスでの最後の試合に出場し、試合前の国歌斉唱の際には涙を流した。
2013年5月24日、サントスがネイマールの放出を発表、26日にFCバルセロナとの5年契約での合意が発表された。
6月3日、正式に契約を締結した。
背番号は当初決まっていなかったが、ティアゴ・アルカンタラがバイエルン・ミュンヘンに移籍した後、サントスでも着けていた11番を着けることになった。
8月21日のスーペルコパ・デ・エスパーニャのアトレティコ・マドリード戦にてチームを優勝に導くアウェーゴールを決め、公式戦初得点を記録した。
9月25日のレアル・ソシエダ戦ではチャンピオンズリーグも含め5戦連続アシストを記録した。
10月26日の自身初のエル・クラシコでは1ゴール1アシストを記録し、2-1での勝利に貢献した。
12月11日のチャンピオンズリーググループステージのセルティック戦では移籍後初のハットトリックを達成した。
2014-15シーズンはアルゼンチン代表のメッシ、ウルグアイ代表のルイス・スアレスと南米3トップを組み、公式戦39ゴール、3トップとしてはスペイン史上最多となる公式戦ゴール数122ゴールを記録した。
さらにはチャンピオンズリーグ決勝のユヴェントス戦でも5試合連続となるゴールを決めてメッシ、クリスティアーノ・ロナウドと並んでCL得点王となり、リーガ・エスパニョーラ、コパ・デル・レイ、チャンピオンズリーグの三冠を達成して欧州初のメジャータイトルを獲得した。
また欧州と南米でクラブ王者のタイトルを獲得した史上8人目の選手となった。
12月に日本で開催されたFIFAクラブワールドカップ2015決勝でも南米王者のリーベル・プレート相手に華麗な5人抜きドリブルをみせリオネル・メッシの先制点とルイス・スアレスの3点目をアシストし優勝に貢献した。
サントスFC時代にFIFAクラブワールドカップ2011決勝で敗れたFCバルセロナで今度はクラブ世界一を手にした。
2015-16シーズン、エースであるメッシの負傷による長期離脱の際には攻撃を牽引し、10月17日の第9節ラーヨ・バジェカーノ戦ではハットトリックを含む4得点の活躍を見せた。
さらに、メッシ、クリスティアーノ・ロナウドと共に自身初となる世界最優秀選手賞FIFAバロンドールの最終候補3人に選ばれた。
シーズン後半は調子を落とすものの、公式戦31ゴール16アシストを記録し、コパ・デル・レイの決勝でも追加点を決めるなど、リーガ・エスパニョーラとコパの連覇に貢献した。
2016年7月1日、クラブとの契約を2021年まで延長した。
契約解除金は1年目は2億ユーロ、2年目は2億2000万ユーロ、3年目以降は2億5000万ユーロに設定された。
2017年3月8日のチャンピオンズリーグ、PSG戦では終了間際に3得点に絡む活躍を見せ、1stレグ0-4からの逆転勝利に貢献した。
5月27日のコパ・デル・レイの決勝では2年連続で得点し、優勝に貢献した。
2017年7月中旬、母国ブラジルの報道機関であるグローボ紙がネイマールがFCバルセロナから退団するかもしれないという事を伝えた。
現地バルセロナの機関紙であるSPORTもこれを報じたがムンド・デポルティーボは否定していた。
さらに、7月23日にチームメイトであるジェラール・ピケが彼は残るとInstagramに投稿し、メッシとスアレスが約1時間ネイマール本人と話し合ったことからこの移籍騒動は沈静化するかと思われたが、ピケ本人から個人的な意見だった説明した事や本人の口からは何も話されていない事から移籍騒動はぶり返された。
FCバルセロナのプレシーズンマッチも終わり、8月になり7月30日からの自身のプロモーションの為に訪れていた中国からバルセロナに帰国、このまま練習に参加するかと思われたが、FCバルセロナから公式にネイマール本人が退団の意思を見せた事を明らかにし、契約解除金として2億2200万ユーロ(日本円にして約290億円)を払わなければ放出しない事も同時に明らかにした。
現地時間の8月3日、FCバルセロナからネイマール名義で契約解除金の2億2200万ユーロが支払われたと発表された。
しかし、スペイン・プロリーグ機構は、契約解除金の受け取りを拒否し、それに対してフランス・プロサッカーリーグがネイマールのパリ・サンジェルマン移籍を全面的にサポートすると発表する事態となった。
2017年8月3日、パリ・サンジェルマンFCへの移籍が発表され、2022年までの5年契約を締結した。
背番号はハビエル・パストーレから譲られた10番に決定。
なお、背番号10番はズラタン・イブラヒモビッチやジェイ・ジェイ・オコチャといった名手、同郷の先輩であるロナウジーニョやライーが着けた背番号である。
2017年8月12日、EAギャンガン戦で同クラブの選手としてリーグデビュー、同試合で1ゴール1アシストを記録した。
2018年2月25日のオリンピック・マルセイユ戦で足を骨折してその後のシーズンは離脱した。公式戦30試合の出場で28ゴールを記録した。
2018-19シーズンは開幕戦からゴールを決めた。
10月4日、欧州CL第2節のレッドスター・ベオグラード戦ではハットトリックを決めて今季CL初勝利に貢献した。
2019年1月下旬のクープ・ドゥ・フランスラウンド16のRCストラスブール戦で相手のチャージを受け、中足骨骨折を負った。
欠場した欧州CL決勝T1回戦のマンチェスター・ユナイテッドFC戦第2戦での審判の判定に対し、自身のSNSで怒りを露にした。
これにより3試合のCL出場停止処分を受けた。
4月22日のASモナコ戦で復帰した。
同月27日のクープ・ドゥ・フランス決勝のスタッド・レンヌ戦では得点を挙げたが敗れた。
その表彰式で、PSGの選手が近くの観客と握手を交わしながらメダルを受け取るために階段を上っていく中、列の最後尾近くにいたネイマールがチームメイトを侮辱したという観客の一人の顔を殴打した。
この行為は監督やチームメイトからも苦言を呈され、フランスサッカー連盟(FFF)から3試合の出場停止に加えて2試合の執行猶予処分を下された。
2019-20シーズンは開幕後まで移籍話があったことも影響し、9月14日のリーグ・アン第5節・RCストラスブール戦で初出場。
ホーム開催にも関わらず自身に対してブーイングが起きたが、後半アディショナルタイムに決勝点となるゴールをオーバーヘッドキックで決めた。
代表
2010 FIFAワールドカップ後のブラジルの最初の試合となった2010年8月10日のアメリカ戦でブラジル代表に初めて招集された。
ネイマールはこの試合で代表デビューを果たし、先制点となる代表初ゴールを挙げた。
2011年1月に開催された南米ユース選手権では得点王となる9得点を挙げる活躍でブラジルの優勝に貢献した。
ロンドンオリンピックのU-23ブラジル代表メンバーに選出されると、全7試合に出場して4得点を挙げ銀メダル獲得に貢献した。
2011年3月27日のスコットランドとの親善試合では初の1試合2得点を記録した。
この試合では2得点目を決めた際に、ネイマールに対して観客席からバナナが投げつけられた。
バナナは黒人差別を示唆する物であり、スコットランドサポーターによる人種差別がなされたのではないかと問題になった。
後にバナナを投げつけたのはドイツ人観光客だと判明し、人種差別的意図は無かったと主張したことから事態は沈静化した。
2012年9月10日の中国との親善試合で代表では初となるハットトリックを記録した。
地元ブラジルでの開催となった2014 FIFAワールドカップでは、グループリーグのクロアチア戦、カメルーン戦で2ゴールずつを奪い、準々決勝の時点でチーム最多得点となる4ゴールを挙げていたが、準々決勝コロンビア戦後半43分にDFフアン・スニガの膝による激しいチャージを背後から受け負傷、そのまま担架で運ばれ、フォルタレザ市内の病院に搬送、脊椎骨折で全治数週間と診断され、残る準決勝以降の試合に出場できなくなった。
続く準決勝でネイマールを欠いたブラジルが大敗したこともあり、スニガには非難が殺到し、脅迫や犯罪予告が行われる事態となったため、ネイマールは当時流行していたアイス・バケツ・チャレンジでスニガを指名すると、スニガもこれに応じ和解をアピールした。
ワールドカップ後の初戦となった2014年9月5日のコロンビアとの親善試合では、チアゴ・シウバの負傷に伴い、ブラジル代表史上最年少となる22歳での主将に任命され、試合前にはコロンビアのキャプテンとなった因縁の相手であるスニガと抱擁し、和解を強調。
試合では直接フリーキックによる決勝点を挙げた。
2014年10月14日の日本との親善試合では自身初となる1試合4得点を記録した。
ブラジル代表では2000年10月8日のベネズエラ戦でロマーリオが記録して以来14年ぶり8人目(9回目)で、22歳での4得点は最年少、4-0で全4得点を挙げたのは史上初めてだった。
この4得点で代表通算40得点とし、ベベットを抜きブラジル代表歴代5位となった。
また日本からは通算7得点目となり、日本代表を相手に史上最も得点を挙げた選手となった。
2015年5月5日にブラジル代表としてコパ・アメリカ2015のメンバーに選出された。
6月14日にグループステージ初戦のペルー戦で1得点1アシストをマークし初戦を勝利したが、6月17日のコロンビア戦でドゥンガ体制になって初めて敗れた。
その試合後に相手DFパブロ・アルメロに対してボールを蹴りつけ、その後乱闘に発展した。
この乱闘により相手FWカルロス・バッカと共にレッドカードを提示され、6月19日に南米サッカー連盟(CONMEBOL)は4試合の出場停止処分を下したことを発表した。
これによりネイマールのコパ・アメリカ2015が終了した。
また2014 FIFAワールドカップで負傷させられたコロンビア代表DFフアン・スニガに対して皮肉コメントを浴びせていた。
2016年6月29日、リオデジャネイロオリンピックのU-23ブラジル代表メンバーにオーバーエイジ枠として選出された。
ネイマールはリオデジャネイロオリンピックの出場を優先するため、コパ・アメリカ・センテナリオの出場を欠場していた。
準決勝のホンジュラス戦で、オリンピック史上最速となる試合開始からわずか15秒でゴールを決めた。
ブラジルW杯の雪辱戦となったドイツとの決勝戦では先制点を挙げて大会4ゴールを記録し、PK戦でも最終キッカーとして成功し、ブラジルのオリンピック初優勝に大きく貢献した。
リオデジャネイロオリンピック後、「キャプテンであることは名誉だった、様々な愛情を受けてキャプテンをしていた。しかしもうブラジル代表のキャプテンはやりたくない」と心境を吐露し、チアゴ・シウバから受け継いでいたキャプテンマークをジョアン・ミランダに引き継ぎ、自らはキャプテンを降りた。
2018 FIFAワールドカップの最終メンバーにも選ばれた。
6月3日のクロアチアとの親善試合で足の怪我から3か月ぶりに国際試合に復帰し、ゴールを決めた。
本大会ではグループリーグ第2戦のコスタリカ戦で1ゴール、決勝トーナメント1回戦メキシコ戦では1ゴール1アシストを決めた。
しかし、準々決勝のベルギー戦で敗れて敗退が決まった。
大会を通じてデータ的には良いパフォーマンスを見せたものの、相手のチャージに対する過剰演技が批判を集めてしまった。
コパ・アメリカ2019の代表メンバーにも選出されたが、直前の親善試合で右足首に靭帯損傷を負い、欠場が決まった。
エピソード
自らがアイドルとしている選手はロマーリオです(背番号11は彼へのリスペクトです)。
頻繁に髪型を変えるなど、外見にも強いこだわりを持っています。
ポーカーの愛好家であることを公言しており、2015年5月7日にオンラインポーカーサイト「ポーカースターズ」のブランドアンバサダーに就任したことを発表した。
愛犬の名前もPokerであり、ミネイロンの惨劇をテレビで観戦していた際には「こんなクソみたいな試合見たくない。ポーカーでもしようぜ」と言い放ったという。
2016年10月29日のリーガ・エスパニョーラ第10節グラナダCF戦の試合終了後、ロッカールームに引き上げる際に階段を下りていた相手DFのルヴェン・ヴェーゾを後ろから突き飛ばし、問題視された。ネイマールがグラナダの選手に強烈なタックルを見舞った事をきっかけに試合中から二人は揉めており、ネイマールがヴェーゾに対して繰り返し暴言を吐いていたと報道されている。
2017年5月、アメリカのESPNは世界で最も有名なアスリート100名を発表し、ネイマールは6位に選出された。
サッカー選手ではクリスティアーノ・ロナウド、リオネル・メッシに次ぐ3位。
世界でも屈指の人気アスリートであり、Instagramのフォロワー数は2017年8月現在で約8070万人を超えており、世界中のアスリートの中でもクリスティアーノ・ロナウドに次いで2番目に多い。
2017年7月28日、バルセロナのアメリカ合宿での練習中に、ネルソン・セメドとの接触プレーが原因でセメドと喧嘩沙汰を起こした。
ネイマールは周りにいたチームメイトに抑えられながら不満を爆発させ、そのまま練習場を後にした。
2017年9月17日、リーグ・アン第6節オリンピック・リヨン戦でPSGに加入したばかりのネイマールがPKを誰が蹴るかでチームメイトのエディンソン・カバーニと言い争いをした。
PSGではズラタン・イブラヒモビッチが移籍してからはカバーニがPKを蹴っていた。
試合後も『ロッカールームで二人が掴み合いの喧嘩をした』『ネイマールがカバーニの売却をクラブ会長に願い出た』などといった報道が流れ、ウナイ・エメリ監督はPKキッカーは自分が決めたとコメントし、事態は沈静化した。
2018年1月18日のリーグ・アン第21節ディジョンFCO戦ではカバーニのクラブ歴代最高得点の記録がかかっていた場面でPKを譲らず蹴った事にブーイングが起こった。
2019年6月、アメリカの経済誌フォーブスは2019年版の世界のアスリートの年収を公表した。
ネイマールの年収は1億500万ドルであり、世界のスポーツ選手でメッシ、クリスティアーノ・ロナウドに次ぐ3位にランクインした。
2019年5月、インスタグラム上にて知り合った女性とパリのホテルで会い、性的暴行を加えた疑いで告訴された。
同年9月、サンパウロの捜査当局からこの件について証拠不十分により捜査を終了したと発表された。
プレースタイル
ネイマールは主にウィンガー、または攻撃的なミッドフィールダーとしてプレーしている。
チームの4–3–3フォーメーションでは、彼の精力的なペースとプレイメイキングスキルのために、彼はクラブと代表の両方で左サイドとしてプレーし、内野にドリフトする。
このポジションは、彼がより強い足で撃つこと、またはチームメイトのチャンスを作ることを可能にしている。
ネイマールのドリブルスキル、トリック、プレイメイキング能力は、同胞ロナウジーニョを連想させる。
両足を巧みに操る高度な技術に裏付けされたドリブルと高い決定力により、サントスの先達ペレやロビーニョと比較される、2010年代におけるブラジルのエースです。
とはいえそのプレースタイルは往年のガリンシャに似ていると父親は語る。
彼の主な特徴は、彼の創造性、ビジョン、パス、フィニッシング、ドリブル、フェイント、およびテクニックであり、「電撃的」および「爆発的」の両方として説明されている。
彼はレインボーフリックの顕著な指数である。
利き足は右足だが、彼は両足と頭で得点することができ、正確なフリーキックとペナルティーテイカーである。
ネイマールは次のように述べている。「ドリブル、シュート、ヘッダー、コントロールなど、すべてを完璧にしようとしている。いつでも改善できる」。
彼はリオネル・メッシ、クリスティアーノ・ロナウド、アンドレ・イニエスタ、シャビ、ウェイン・ルーニーに触発されている。
ブラジルのプレイメーカーであるロナウジーニョは、ネイマールが世界最高の選手になるとを言っている。
ロナウドは「論理的に、メッシは優れているが、ネイマールはナンバーワンになることを世界に示す素晴らしい才能の持ち主だ」とネイマールが世界で最高になることができるとしている。
元レアル・マドリードの監督ホルヘ・バルダーノは、ネイマールを称賛し、「ネイマールが大好きだ。彼の個々の行動の多くはゴールをもたらし、しばしばピッチ上で彼だけで起こっているように見える動きです」。
シャビは、ネイマールが「素晴らしい選手であり、非常に良い態度を持ち、世界で最高の選手になるだろう」と述べた。