アンドレス・イニエスタ

サッカー

 

概略

Andrés Iniesta | Goals, Skills, Assists, Passes, Tackles | Barcelona | 2014/2015 (HD)
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 1984年5月11日(36歳)
出身地 カスティーリャ・ラ・マンチャ州
アルバセテ県
フエンテアルビージャ
身長 170cm
体重 68kg

 

ポジションはミッドフィールダー(オフェンシブハーフ、センターハーフ)。

 

利き足は右。

 

FCバルセロナでは2002年から2018年までプレーし、3シーズンにわたってキャプテンを務めた。

 

イニエスタは、同世代の最高の選手の一人であり、史上最高のミッドフィールダーの一人であると広く考えられている。

 

バルセロナの育成アカデミー:ラ・マシア出身。

 

バルセロナでは9つのラ・リーガと4つのUEFAチャンピオンズリーグのタイトルを含む35のトロフィーを獲得。

 

イニエスタはスペインで16歳、19歳未満、21歳未満のレベルでプレーし、2006年に国際デビューを果たした。

 

スペインはUEFAユーロ2008で優勝し、すべての試合でトーナメントチームに選ばれた。

 

イニエスタは、2010 FIFAワールドカップで勝利したスペインチームの主要メンバーでもあった。

 

彼はオランダとの決勝戦で決勝ゴールを獲得した。

 

決勝のマン・オブ・ザ・マッチに選ばれ、スペインは初優勝を果たした。

 

また大会の最優秀選手賞にノミネートされた。

 

2009年のバロンドール投票では4位、2010年のFIFAバロンドール投票では2位、2011年には4位に選ばれた。

 

スペインのメディアからはDon Andrés(ドン・アンドレス[nb 1])と呼ばれることが多いが、その他にもEl Ilusionista(エル・イルシオニスタ、手品師)、El Cerebro(エル・セレブロ、頭脳)、El Caballero Pálido(エル・カバジェロ・パリド、青白い騎士) など様々な愛称を持っている。

 

獲得タイトル

クラブ

FCバルセロナ
・リーガ・エスパニョーラ:9回 (2004-05, 2005-06, 2008-09, 2009-10, 2010-11, 2012-13, 2014-15, 2015-16, 2017-18)
・スーペルコパ・デ・エスパーニャ:8回 (2005, 2006, 2009, 2010, 2011, 2013, 2016)
・UEFAチャンピオンズリーグ:4回 (2005-06, 2008-09, 2010-11, 2014-15)
・コパ・デル・レイ:6回 (2008-09, 2011-12, 2014-15, 2015-16, 2016-17, 2017-18)
・UEFAスーパーカップ:3回 (2009, 2011, 2015)
・FIFAクラブワールドカップ:3回 (2009, 2011, 2015)

ヴィッセル神戸

・天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会:1回 (2019)
・FUJI XEROX SUPER CUP:1回 (2020)

代表

U-16スペイン代表
・UEFA U-16欧州選手権:1回 (2001)

U-19スペイン代表
・UEFA U-19欧州選手権:1回 (2002)

スペインA代表
・UEFA欧州選手権:2回 (2008, 2012)
・FIFAワールドカップ:1回 (2010)

 

個人

・UEFA欧州最優秀選手賞:1回 (2012)
・UEFA欧州選手権大会最優秀選手:1回 (2012)
・UEFA欧州選手権ベストイレブン:2回 (2008, 2012)
・UEFA欧州選手権ファイナル・マン・オブ・ザ・マッチ:1回 (2012)
・UEFAチャンピオンズリーグベストプレーヤー:1回 (2011-12)
・UEFAチャンピオンズリーグファイナル・マン・オブ・ザ・マッチ:1回 (2015)
・バロンドール :(2009年 4位)
・FIFAバロンドール:(2010年 2位, 2011年 4位, 2012年 3位)
・オンズドール:1回 (2009)
・リーガ・エスパニョーラ 最優秀スペイン人選手賞:1回 (2009)
・リーガ・エスパニョーラ 最優秀選手賞:(2008-09 2位, 2011-12 3位)
・IFFHS World’s Best Playmaker:2回 (2012, 2013)
・リーガ・エスパニョーラ 最優秀攻撃的ミッドフィールダー:5回 (2009, 2011, 2012, 2013, 2014)
・Marca Legend Award:1回 (2011)
・FIFAコンフェデレーションズカップ2013 シルバーボール:1回 (2013)
・FIFAプスカシュ賞:(2009年 2位)
・FIFAワールドカップ ベストイレブン:1回 (2010)
・FIFAワールドカップファイナル・マン・オブ・ザ・マッチ:1回 (2010)
・FIFA FIFPro World XI:9回 (2009, 2010, 2011, 2012, 2013, 2014, 2015, 2016, 2017)
・UEFAチャンピオンズリーグベストチーム:1回 (2014-15[132])
・UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー:6回(2009, 2010, 2011, 2012, 2015, 2016)
・ESMベストイレブン:1回 (2010-11)
・ゴールデンフット賞:1回 (2014[133])
・FIFAクラブワールドカップ2015・ブロンズボール:1回 (2015)
・Jリーグ・ベストゴール賞:1回(2018年8月)
・Jリーグ・優秀選手賞:1回(2019年)
・Jリーグ・ベストイレブン:1回(2019年)

その他

・プリンス・オブ・アストゥリアス・アワード:1回 (2010)
・Gold Medal of the Royal Order of Sporting Merit:1回 (2011)

 

経歴

Andres Iniesta – Super Skills – HD
クラブ
クラブ 出場 (得点)
1996-2003 スペインの旗 バルセロナB 54 (13)
2002-2018 スペインの旗 バルセロナ 442 (35)
2018- 日本の旗 ヴィッセル神戸 38 (9)
代表歴
2000 スペインの旗 スペイン U-15 2 (0)
2000-2001 スペインの旗 スペイン U-16 7 (1)
2001 スペインの旗 スペイン U-17 4 (0)
2001-2002 スペインの旗 スペイン U-19 7 (1)
2003 スペインの旗 スペイン U-20 7 (3)
2003-2006 スペインの旗 スペイン U-21 18 (6)
2006-2018 スペインの旗 スペイン 131 (13)
2004-2005 カタルーニャ州の旗 カタルーニャ 2 (0)

 

クラブ

 

8歳のときに地元アルバセテ・バロンピエの下部組織に入団した。

 

12歳の時に出場した全国大会では惚れ惚れする程のドリブル能力と視野の広さを見せ、様々なクラブから注目を集めた。

 

レアル・マドリードの下部組織に入団する予定だったが、両親の意向で取りやめられ、両親とFCバルセロナの下部組織寮(ラ・マシア)を見学して好印象を持ったことからFCバルセロナに入団した。

 

U-15チームではキャプテンを務め、1999年のナイキ・プレミア・カップ決勝ではロスタイムに決勝点を挙げて優勝に貢献し、大会最優秀選手に選ばれた。

 

イニエスタにトロフィーを手渡したのは、当時トップチームでキャプテンを務めていたMFジョゼップ・グアルディオラであり、グアルディオラは「今まで見た中で最高の選手」と記した写真をイニエスタに贈った。

 

グアルディオラはクラブの若手有望株だったMFシャビに「じきにお前は俺を引退に追い込むだろうが、あの坊や(イニエスタ)が俺たちふたりを引退に追い込むかもしれないぞ」と語りかけたのはこの大会時であったと伝えられている。

 

2002年10月、監督のルイス・ファン・ハールによってトップチームに招集され、10月29日のUEFAチャンピオンズリーグ、クラブ・ブルッヘ戦でデビューした。

 

そのままトップチームに定着すると、デビュー直後から良質なプレーを見せ、スペインメディアからはMFフアン・ロマン・リケルメに取って代わる存在だと報じられた。

 

2003-04シーズンは主にFWロナウジーニョの控えとしてリーグ戦11試合に出場し、4月10日のバジャドリード戦でラ・リーガ初ゴールを決めた。

 

2004-05シーズンはリーグ戦38試合中37試合に出場したが、その大半は途中出場だった。

 

2005-06シーズン前半戦は途中出場が中心だったが、2005年12月上旬にシャビが靭帯を痛めて長期離脱したため、イニエスタがその代役を任され、先発出場回数が増加したことでより高いレベルの選手へ成長した。

 

監督、フランク・ライカールトの下でラ・リーガとUEFAチャンピオンズリーグの2冠達成に貢献した。

 

2006年8月22日のジョアン・ガンペール杯、バイエルン・ミュンヘン戦ではゲームキャプテンを任され、勝利してトロフィーを掲げた。

 

UEFAチャンピオンズリーグ、レフスキ・ソフィア戦では今まで経験したことがなかった左ウイングのポジションで出場して2ゴールを決めた。

 

決勝トーナメント1回戦のリヴァプール戦は普段通りセンターハーフとして出場したが、その後もしばしば3トップの一角としてプレーした。

 

リーグ戦では自己最多タイの37試合に出場(28試合に先発出場)し、6得点3アシストを決めた。

 

2007年7月にはライバルのレアル・マドリードが移籍金として6000万ユーロの予算で彼の獲得を狙っていると噂されたが、「引退するまでFCバルセロナでプレーしたい」と述べて噂を一蹴した。

 

同年夏にはASローマに移籍したFWリュドヴィク・ジュリが着けていた背番号8番を譲り受けた。

 

2008年のFIFA最優秀選手賞の投票では37ポイントを獲得し、9位にランクインした。

 

FCバルセロナの選手はFWリオネル・メッシ、FWサミュエル・エトオ、シャビの3人も10位以内に入った。

 

ドン・バロン紙の選手採点では2006-07シーズンがリーグ5位、2007-08シーズンがリーグ4位 であり、この2シーズンを通じて最も安定した活躍を見せた選手であるとされた。

 

2008年9月24日、ロナウジーニョがACミランに移籍したことにより、DFカルレス・プジョル(第1キャプテン)、シャビ(第2キャプテン)、GKビクトル・バルデス(第3キャプテン)と一緒に新しいキャプテンの一人(第4キャプテン)に選ばれた。

 

11月中旬に足を負傷し、完全に状態が回復するまで試合出場を控えたが、2009年1月3日のマヨルカ戦の後半途中に復帰し、その10分後にはカンプ・ノウの観客の前で重要な得点を決めて見せた。

 

2009年2月5日、コパ・デル・レイのマヨルカ戦に出場し、公式戦を通じて250試合出場を達成した。

 

ホームでのマラガ戦で再び負傷したが、UEFAチャンピオンズリーグ準々決勝、バイエルン・ミュンヘン戦1stレグで復帰し、4-0で快勝した。2009年5月6日、UEFAチャンピオンズリーグ準決勝、チェルシー戦2ndレグでは、後半ロスタイム3分過ぎにメッシからパスを受け、ペナルティエリア外からアウェーゴール差での勝ち抜けを決める重要な得点を叩き込んだ。

 

バルセロナの枠内シュートはこの1本だけであった。

 

決勝のマンチェスター・ユナイテッド戦ではエトオの先制点をアシストして優勝に貢献したが、試合前に腿を痛めていたにも関わらず無理を押して決勝に出場したことで怪我を悪化させた。

 

この試合後には、ウェイン・ルーニーが「世界のベストプレーヤーはイニエスタ」と表現した。

 

2008-09シーズンのプレーは高く評価され、カンプ・ノウのみならずアウェーゲームでスタンディング・オベーションを受けることもあった ほか、ドン・バロン紙の年間最優秀選手にも選ばれた。

 

2009年8月8日に親友であるダニエル・ハルケが急逝し、泣き崩れるほど悲しんだ。

 

負傷の影響でプレシーズンのフィットネス・トレーニングには参加できず、頻発する怪我のためにシーズン前半戦は途中出場がほとんどだった。

 

11月27日、クラブとの契約を1年延長して2015年までとし、契約解除金は1億5000万ユーロから2億ユーロに引き上げられた。

 

2009年のFIFA年間最優秀選手賞では134ポイントを獲得して5位に選ばれ、FIFAベストイレブンに選ばれた。

 

同年のバロンドール投票では4位に選ばれた。

 

チームは勝ち点99を獲得してリーグ優勝を果たしたが、練習中に怪我を再発させ、チームより一足早くシーズンを終えた。

 

2010-11シーズン開幕戦のエスタディオ・エル・サルディネーロでのラシン・サンタンデール戦で30mの距離からロングシュートを決めた。

 

ラシン・サンタンデール戦とエスタディオ・ビセンテ・カルデロンでのアトレティコ・マドリード戦では、2010 FIFAワールドカップ決勝で優勝を決める得点をイニエスタが挙げたことに敬意を表し、アウェーファンから観客総立ちでの拍手を受けた。

 

2011-2012シーズンの最初の活躍はスーペルコパ・デ・エスパーニャでのレアル・マドリードとの対戦で、2011年8月17日にバルセロナのホームで行われたセカンドレグで先制ゴールを決めた。

 

試合はバルセロナが3-2で勝利し、2試合合計5-3で制した。

 

同年10月19日に行われたUEFAチャンピオンズリーグ 2011-12 グループリーグのFCヴィクトリア・プルゼニ戦ではメッシとの華麗なパス交換から先制ゴールを決めた。

 

2012年3月24日に行われたリーガ・エスパニョーラ第30節のRCDマヨルカ戦で2-0で勝利したことにより、出場したリーガ・エスパニョーラでの試合の無敗記録をそれまでの最長だったエミリオ・ブトラゲーニョの50試合を抜いて51試合と更新し、最終的に第35節のレアル・マドリード戦で1-2で敗れるまで、55試合無敗(47勝8分)のリーグ新記録を打ち立てた。

 

同年4月3日に行われたUEFAチャンピオンズリーグ 2011-12 決勝トーナメントの準々決勝ACミラン戦のセカンドレグでは後半8分にゴールを挙げ、チームは3-1で勝利し、2試合合計3-1で準決勝に進出した。

 

準決勝のチェルシー戦ではセカンドレグでゴールを挙げたが、2試合合計2-3でバルセロナの敗退が決まった。

 

この年の活躍でFIFAバロンドールの最終候補3名に選出され、最終的に3位になった。

 

2012-2013シーズン、リーガ・エスパニョーラ第13節のレバンテ戦で1ゴール3アシストを記録し、チームを4-0の勝利に導いた。

 

このシーズンでは最終的にリーグトップの16アシストを記録した。

 

2013年12月23日、2015年までとなっていたバルセロナとの契約を3年延長し、2018年6月までとする新契約にサインした。

 

2014-15シーズンはチーム内での役割の変化により、公式戦2ゴール、8アシストと個人成績では物足りないシーズンとなるも、変わらずチームの主力として活躍。

 

チャンピオンズリーグ決勝のユヴェントス戦ではイヴァン・ラキティッチの先制点をアシストし、UEFAチャンピオンズリーグの決勝戦では最多となる3戦連続アシストを記録。

 

決勝戦ではマン・オブ・ザ・マッチに選出され、これによってFIFAワールドカップ、UEFA欧州選手権と併せ、3つの国際大会の決勝でマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた史上初の選手となった。

 

さらにチームはリーガ・エスパニョーラ、コパ・デル・レイ、チャンピオンズリーグの三冠を達成。

 

チャンピオンズリーグの個人優勝回数はクラレンス・セードルフと並んで史上最多の4度目である。

 

2015-16シーズンはシャビの退団によりキャプテンに就任。

 

2016年11月21日、レアル・マドリードとのエル・クラシコでは1ゴール1アシストを決めて敵地での4-0での大勝に貢献。

 

交代時にはアウェーにも関わらず相手サポーターからスタンディングオベーションが贈られた。

 

2017年2月19日、リーガ・エスパニョーラ第23節のレガネス戦では通算400試合を達成した。

 

バルセロナで400試合を達成したのはシャビに続いて史上2人目。

 

2017-18シーズンは新たに監督に就任したエルネスト・バルベルデのプレー時間の管理により、出場した試合では常に好パフォーマンスを披露した。

 

10月5日、バルセロナと契約を延長し、クラブ史上初の生涯契約を結んだことが発表された。

 

生涯契約を結んだイニエスタだったが、2018年に入り退団報道が過熱。

 

チャンピオンズリーグのチェルシー戦、2ndlegの試合後のインタビューにおいて自身の去就について、「4月末までには決断する」と述べた。

 

2017-18シーズンのチャンピオンズリーグのローマ戦敗退後、記者から「これが最後のCLになるか」と質問され、非常に落胆した様子で「その可能性もある」と答えた。

 

4月14日のバレンシア戦後、自身の去就について既に決断していることを明らかにした。

 

退団が確実視される中で迎えたコパ・デル・レイ決勝、セビージャ戦ではリオネル・メッシのアシストから1ゴールを記録するなど素晴らしいパフォーマンスを見せ、チームの4年連続30回目のコパ・デル・レイ制覇に大きく貢献。

 

交代時には両クラブのサポーターからスタンディングオベーションを受け、ベンチでは涙を浮かべていた。2018年4月27日、イニエスタは会見を開き、同シーズン限りでのバルセロナ退団を発表した。

 

バルセロナで最後の試合であるレアル・ソシエダ戦では、カンプノウは「INFINIT INIESTA」というコレオでイニエスタを迎えた。

 

この試合でも好プレーを披露し、バルセロナの勝利(1-0)に貢献した。

 

試合後にはイニエスタへの感謝を示す大規模なセレモニーが行われ、選手やファンが彼との別れを惜しんだ。

 

その後、再び静寂のカンプノウに素足で戻りピッチに腰を下ろし、22年間過ごしたクラブとの別れを人知れず惜しんだ。

 

2018年5月頃から、複数のメディアがイニエスタのJリーグ・ヴィッセル神戸への移籍の可能性について報道する。

 

5月18日早朝にスポーツ報知が日本の大手メディアで初めて「イニエスタ、神戸入団合意」と報じ、5月23日にはNHKをはじめとする複数の新聞社・放送局が一斉にこのニュースを伝えた。

 

翌5月24日、イニエスタが自身のTwitterとInstagramのアカウントで、楽天会長兼社長およびヴィッセル神戸オーナーの三木谷浩史はTwitterアカウントで神戸移籍を示唆するコメントと共に両者の2ショット写真を投稿。

 

同日午後に記者会見と神戸・バルセロナ両クラブからのリリースで、神戸への移籍が正式に発表された。

 

2020年現在もヴィッセル神戸でプレーを続けてクラブ初タイトル獲得に貢献した。

 

代表

 

2006年5月15日に発表された2006 FIFAワールドカップに出場するスペイン代表への選出は驚きをもって受け止められた。

 

メンバー発表後の5月27日に行われたロシアとの親善試合の後半に途中出場してスペインA代表デビューを果たした。

 

本大会では、グループリーグ突破が決まった後の3戦目のみに出場した。

 

2006-07シーズン頃に代表のレギュラーポジションを獲得し、2007年2月7日、イングランド戦で63分に遠めの位置から放ったミドルシュートが代表初得点となった。

 

UEFA EURO 2008予選ではチームの中心的な役割を担い、シャビ、セスク・ファブレガス、MFダビド・シルバと組んだ中盤の4人はCuatro Jugones(クアトロ・フゴーネス、4人の創造者たち)とメディアに名づけられた。

 

スウェーデン戦で1得点1アシストと大活躍し、アイスランド戦では終了間際にゴールを決めて本選出場の望みをつないだ。

 

予選では主に中盤でプレーしたが、デンマーク戦に代表されるように左ウイングで起用されることもあった。

 

オーストリアとスイスで共催されたEURO本大会直前に食中毒を患って胃炎に悩まされ、グループリーグではコンディション不良からボールを失うこともたびたびあったが、控え選手にポジションは譲らなかった。

 

グループリーグの初戦のスウェーデン戦と2戦目のロシア戦に出場し、ロシア戦ではFWダビド・ビジャの2点目をアシストする重要なパスを通した。

 

3戦目のギリシャ戦は控え選手主体でチームを組んだため、イニエスタは出場しなかった。

 

準々決勝のイタリア戦はPK戦の末に勝利したが、イニエスタはその前にベンチに下がっており、PKを蹴ることはなかった。

 

準決勝のロシア戦にはフル出場し、決勝点を決めたシャビに質の高いクロスを放ち、技術委員会によるマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた。

 

決勝のドイツ戦もフル出場し、1-0で勝利して44年ぶりの優勝を果たした。

 

同じ中盤のシャビやMFマルコス・セナなど6人のチームメイトとともに大会ベストイレブンに選定された。

 

2009年のFIFAコンフェデレーションズカップ2009は腿の筋肉の負傷により出場を逃した。

 

2010 FIFAワールドカップ欧州予選には6試合しか出場していないが、2009年10月10日のアルメニア戦で復帰し、2010年5月、2010 FIFAワールドカップ本大会に出場する23人に選ばれた。

 

大会前の親善試合ポーランド戦では自ら交代を申し出たため足首の状態が心配されたが、グループリーグ第1戦のスイス戦には先発出場した。

 

3戦目のチリ戦ではこの大会の節目となる100ゴール目を決め、マン・オブ・ザ・マッチに選出された。

 

決勝のオランダ戦は0-0で延長戦に突入したが、延長後半11分に決勝ゴールを挙げ、ゴール後にはユニフォームを脱いでアンダーウェアに手書きした”DANI JARQUE SIEMPRE CON NOSOTROS“(ダニ・ハルケ、いつも僕らとともに)というメッセージを晒して(この行為は規定によりこの行為後にイエローカードを受けている)、2009年8月に心臓発作で急死した親友ダニエル・ハルケに優勝を捧げた。

 

このアンダーウェアは同年11月にRCDエスパニョールの本拠地エスタディオ・コルネリャ=エル・プラットに寄贈された。

 

イニエスタはこのアンダーウェアが寄贈される際に「このシャツはここにあるべきものだ。あの得点と共に、ハルケも人々の心に残り続けるだろう」と語った。

 

決勝のマン・オブ・ザ・マッチに選ばれ、スペインは初優勝を果たした。

 

また大会の最優秀選手賞にノミネートされた。

 

EURO 2012ウクライナとポーランドで開催された第14回目のUEFA欧州選手権でもチームの主力として活躍。

 

イタリアとの決勝を含む3試合でマン・オブ・ザマッチに選ばれる活躍を見せ、スペイン代表を2大会連続3回目の優勝に導いた。

 

今大会で大会MVPに輝いたイニエスタは「この規格外の世代の一員でいられることを誇りに思う。トリプル制覇という歴史的な記録を達成できたことが僕にとって最高の栄誉だ」と述べた。

 

以上のように、主要国際大会3連覇というスペインの黄金時代を支えた。

 

2014 FIFAワールドカップ、イニエスタは今大会でもグループリーグ全3試合にスタメンとして出場したが、チームは第一戦(対オランダ 1-5)、第二戦(対チリ 0-2)と敗戦。

 

第三戦(対オーストリア 3-0)を待たずして早々に敗退が決まった。

 

まさかのグループリーグ敗退であり、母国メディアや母国ファンから痛烈な批判が寄せられた。

 

イニエスタはメディアによるスタメン選手評価で星一つを獲得、残りの10人は評価不能という散々なものであった。

 

EURO 2016はグループリーグ第一戦のチェコ戦でピケのゴールをアシストし、勝利に貢献。

 

第三戦、クロアチアに敗れるもののグループリーグ2位で決勝トーナメントへ駒を進めた。

 

しかしラウンド16で前回大会で4-0と勝利していたイタリアと対戦するも敗戦(0-2)、史上初のEURO3連覇はならなかった。

 

2018 FIFAワールドカップでもグループリーグ3試合で先発出場したが、スペイン国内からは低調なパフォ―マンスとの批判の声もあり、決勝トーナメント1回戦のロシア戦では先発から外れた。

 

後半22分から途中出場したロシア戦にPK戦で敗れた試合後に代表引退を発表した。

エピソード

ANDRÉS INIESTA | Best compilation of moments of magical skill

幼少期からの憧れの選手はかつて同じFCバルセロナ、ヴィッセル神戸に在籍したミカエル・ラウドルップで、自身が過去のインタビューで、「ほんのわずかでもいいから一緒にプレーできたらよかったのに」と語っていた。

 

また子供の頃からそのプレーを模範とし真似してきたと話した。

 

またラウドルップがプレーしていたことから、ヴィッセル神戸というチームを以前から知っていたとも話した。

 

 

2011年頃から資金難に陥っている故郷アルバセテのアルバセテ・バロンピエに投資を続けており、現在は筆頭株主である。

 

同クラブは2012-13シーズン終了時に選手給与の24万ユーロを支払えず、罰則規定により降格危機に陥っていたが、イニエスタが個人資産で全額を肩代わりし、チームを降格から救った。

 

 

バロンドールを運営する『フランス・フットボール』誌はイニエスタにバロンドールを授与できなかったことについて謝罪した。

 

2018年4月27日に会見を開き、今シーズン限りでのバルセロナ退団を発表した。

 

イニエスタは涙ながらに「これがバルサでのラストシーズン」「バルサは僕にすべてを与えてくれた」「さよならを言うのは、本当に本当につらい」などと述べ、クラブやチームメイト、家族、そしてファンに感謝の言葉を述べた。

 

退団発表に際し、チームメイトを始めビジャ、セスク、ペドロ、D・シルバ、フェルナンド・トーレス、カシージャス、セルヒオ・ラモス、フアン・マタ、ネイマール、マスチェラーノ、ジダン、ベッカム、ピルロそして各クラブ(エスパニョール、ビルバオ、エイバル、セビージャ、ラス・パルマス、ビジャレアル、ベティスなど)、ラ・リーガ公式などから称賛や別れを惜しむ言葉が寄せられた。

 

退団発表後、エスパニョールのホームゲームにおいてダニ・ハルケの背番号21とともに「ありがとう、イニエスタ。 何よりも友人でいてくれて」(GRACIAS 21NIESTA POR SER ANTE TODO AMIGO)というバナーが掲げられた。

 

バルセロナでの最後の試合であるレアル・ソシエダ戦後のセレモニーで「素晴らしい22年間だった。僕にとって世界最高であるクラブのエンブレムを身に着けてプレーできたのは誇りであり喜びだ。子供の頃ここにやって来て以来、ずっと受け続けてきた愛情とリスペクトに感謝したい。みんなのことは永遠に僕の心の中に残る」と述べた。

 

2019年6月、アメリカの経済誌フォーブスは2019年版の世界のアスリートの年収を公表した。

 

イニエスタの年収は3250万ドルであり、世界のスポーツ選手で46位にランクインした。

 

ダニ・ハルケとはユース代表時代からの仲であり、家族ぐるみでの付き合いもあり、イニエスタは代表で共にプレーすることを夢見ていた。

 

2009年8月8日のハルケの急逝は、ハルケがエスパニョールで急成長を見せ、A代表入り間近とも言われていた矢先の出来事であった。

 

約1年後の2010FIFAワールド・カップ決勝で決勝ゴールを決めたイニエスタは、ハルケへのメッセージが書かれたシャツをあらわにし、ハルケにこのゴールを捧げた。

 

この行為は世界中のサッカーファンの感動や涙を誘い、ダニ・ハルケの名が彼らの心に刻まれることとなった。

 

イニエスタが所属するバルセロナとはライバルクラブであるエスパニョールの選手やサポーターもこの行為に深く感動し、「涙が止まらなかった」「あの舞台で彼を思い出させてくれて嬉しかった」などと語った。

 

エスパニョールのホームスタジアムには「GRACIAS INIESTA」の文字が掲げられ、これ以降イニエスタはこのスタジアムを含む様々なスタジアムでスタンディングオベーションを受けている。

 

プレースタイル

Andres Iniesta Ultimate Skills ||HD||

ジョゼップ・グアルディオラ、イバン・デ・ラ・ペーニャ、シャビなど他のFCバルセロナ出身選手のように、創造性豊かなパス能力を持ち、洞察力、卓越したボールコントロール技術、プレーの流れを読む能力に優れている。

 

バルサ育成部門に所属するアルベルト・ベナイジェスは「彼はサッカー選手に必要なセンスの全てを兼ね備えている。特に優れているのは考えるスピード。また、ドリブルしながら相手をかわすことにかけては世界一だと思う。身体の接触があるプレーは基本的にダメだよ」と語った。

 

元スペイン代表監督のビセンテ・デル・ボスケは「完璧な選手だ。攻撃も守備もでき、得点することだってできる」と表現している。

 

FCバルセロナで彼を指導した経験のあるフランク・ライカールトは、「私は彼をウイング、セントラル・ミッドフィールダー、守備的ミッドフィールダー、ストライカーのすぐ後ろでプレーさせたことがあるが、どこでプレーさせても並はずれていた」と語っている。

 

スポーツライターの西部謙司は、「シンプルな最適解を叩き出せる達人」「(一つ一つのプレーにおいて)無理も無駄もない」「その判断や一挙手一投がサッカーと矛盾しない」ことから、「イニエスタはフットボールそのものである」と述べている。

 

遠藤保仁は「イニエスタのプレーについて感じるのは、攻撃に関わるプレーの質の高さですね。もちろん、パスの精度は言うまでもない。ボールをもらうときのタイミングとか、受ける場所とか、常に次のプレーをしやすいように考えてます。」「あとは動き出しの質が高い。僕とは違うタイプのパサーですが、見ていて感じるのは、次の人がプレーしやすいパスを出しています。スルーパスのアイディアもさまざま。時には敵だけでなく、味方でさえだまされます。パスの能力は、本当に高い。バルセロナの考え方をプレーで体現してきた選手ですから。」「パスだけでなく、ドリブルという選択肢を持っているのも強み。ドリブルでも緩急をつけてきます。パスばかり注目されがちですが、ゴールに至る過程の中でいろいろなプレーができる。」「パサーがあのようなドリブルを持っているメリットは、相手のプレスを一度はがせること。あのドリブルがあることで相手は後手に回るし、そのプレーで更に多くのスペースが生まれます。ドリブルで一人はがせる選手がいると、チームにとっては大きいんですよ。」と語る。

 

中村憲剛は「一番見てほしいプレーはトラップですね。ボールを止める技術。パススピードもすごいけれど、彼がボールを止めて蹴るだけで、ゲームのリズムやサッカーの質が上がるんです」「イニエスタのトラップというのは走っていて、そのまま足にくっついているかのよう。トラップをするので走っているのではなく、ボールがイニエスタのほうにくっついてくる。だからトップスピードのまま、ボールを扱えているのでしょうね。減速もしないし、慌てないから加速もしない。本当に無駄がないし、ボールと体が一体化されている」「もしかしたら、あのトラップはどんなプレーよりも体得するのが難しい技術かもしれないですね。彼の真骨頂だと思います。」「あとは攻撃の緩急のつけ方、メリハリですね。崩しにいくときと、いかないときの判断の仕方もそう。いかないときの判断の仕方もそう。いくと決めたときのゴール前への入り方や、崩しのアイディアのところ。自分だけではなく、味方を使ったり、人と絡んだりしながら入っていくセンスは抜群です。パスを出して動くとか、出して寄るとか、それでワンタッチ、ツータッチで崩していく。」と語る。

 

柏木陽介は「一番すごいと思うのは、トラップの置きどころが良いことです。自分がやりたい次のプレーをするための最適な場所に、常にボールを置くことができる選手だと感じます。」『相手とマッチアップしたとき、抜き去るドリブルに一瞬の速さがある。相手をかわすタイミングが速いから、トラップと同時にボールを持ち出して、「ここに行きたい」というスペースに入り込めます。あの速さは相当なレベルだし、相手との駆け引きのうまさも感じます。」「イニエスタは周りを見ていないようで、しっかり見えていて、味方に正確なパスを出せる。空間認知能力が優れているんだと思います。」と語る。

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