概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1946年5月30日(74歳) | ||
出身地 | セルビア・ウブ | ||
身長 | 164cm | ||
体重 | 77kg |
ポジションはフォワード(左ウイング)。
利き足は左。
ドリブル突破とチャンスメイクに優れ、自ら多くのゴールも挙げた左ウイング。
ユーゴスラビア史上最高の選手の一人。
獲得タイトル
クラブ
レッドスター・ベオグラード
・Yugoslav First League: 1963–64, 1967–68, 1968–69, 1969–70, 1972–73
・Yugoslav Cup: 1963–64, 1967–68, 1969–70, 1970–71
・Mitropa Cup: 1968
代表
ユーゴスラビア
・Mediterranean Games: 1971
・UEFA European Championship: Runners-Up 1968 Italy
個人
・UEFA Euro Top Scorer: 1968
・UEFA Euro Team of the Tournament: 1968, 1976
・Ballon d’Or (3rd place): 1968
・Golden Badge: 1969
・World Soccer World XI: 1969
・Best Sportsman of SD Crvena Zvezda: 1966, 1967, 1968, 1969, 1970
・YU-Serbian UEFA Golden Player: 2004
・FIFA XI: 1968
経歴
所属クラブ
代表歴 | |||
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1964–1978 | ![]() |
85 | (23) |
ジャイッチは1961年、ユーゴ最大のクラブチーム・レッドスター・ベオグラードでデビュー、ユーゴの歴史に名を残すことになります。
フランスのバスティアで2年プレーしたあと、レッドスターに戻り、1978年に引退しました。
1968年、当時はベスト4を集めて行われた欧州選手権(ネーションズ・カップ)の決勝大会、準決勝でイングランドと当たったユーゴスラビア。
2-1でイングランドを退け、決勝に進みました。
イングランドのプレスは、ある一人の選手に翻弄されたことを認め、「マジック・ドラガン」と称賛を惜しみませんでした。
ドラガン・ジャイッチ、多くのタレントを生み出したユーゴスラビアの中でも、最高峰の選手でした。
地元イタリアとの決勝では、ジャイッチが同点ゴールを決め1-1、当時の規定により再試合になりましたが、0-2でユーゴスラビアは準優勝に終わりました。
この年のバロンドールで、ベスト、チャールトンにつぐ3位にランクしています。
1974年のW杯に出場、2次リーグ進出に貢献しました。
エピソード
大学で商業および経済学を学び、これとサッカーに関する知識を合わせ、レッドスター・ベオグラードのマネージャー、後には会長を務め上げた。
2004年に健康問題のため辞職。
プレースタイル
当代きっての左ウイングであり、左足で球を扱う技術はマジックさながら。
その最盛期には、誰も止められなかった。
「マジック・ドラガン」と呼ばれた左ウイングの職人で、スピードと高水準のテクニックでサイドを破り、正確なクロスを上げ、中に切り込んでのシュートを得意としていました。
ドリブル突破とチャンスメイクに優れ、自ら多くのゴールも挙げた。