概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1918年9月28日 | ||
出身地 | ブエノスアイレス | ||
没年月日 | 1983年9月20日(64歳没) |
身長174 cm
ポジションはフォワード(インサイドレフト)。
利き足は左。
ニックネームは「El Pocho」。
アルゼンチン時代には「ゴールの達人」と呼ばれ、イタリアでは「稲妻」の愛称をもらっている。
イタリア系アルゼンチン人である。
1940年代に「ラ・マキナ(機械)」と呼ばれたCAリーベル・プレートの一員である。
CAインデペンディエンテなどに所属したアルセニオ・エリコと並び、アルゼンチンリーグの最多得点記録者でもある。
獲得タイトル
クラブ
リーベルプレート
・プリメーラディビシオン(9):1941、1942、1945、1947、1952、1953、1955、1956、1957
・コパイバルグレン(3):1937、1941、1942
・コパアドリアンC.エスコバル(1):1941
・コパアルダオ(3):1941、1945、1947
代表
アルゼンチン
・南米選手権(2):1946、1955
経歴
クラブ | |||
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年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1939-1959 | ![]() |
515 | (293) |
1960-1961 | ![]() |
16 | (3) |
1961 | ![]() |
2 | (0) |
1961 | ![]() |
5 | (0) |
代表歴 | |||
1942-1958 | ![]() |
37 | (17) |
1939年6月18日、CAリーベル・プレートでアルゼンチンリーグデビュー。
その後20年に亘って所属して9度のリーグ優勝を果たし、1943年と1945年にはそれぞれ23得点と25得点を挙げて個人としてもリーグ得点王にも2度輝いた。
また、ボカ・ジュニアーズとのスーペルクラシコでも通算16得点を記録した。
1959年、ラブルナは515試合で293得点という記録を残してクラブを離れ、ランプラ・ジュニアーズFC、CAプラテンセ、CSDランヘルスなどでプレー。
43歳で引退した。
アルゼンチン代表として37試合に出場。
1955年のコパ・アメリカで優勝した。
エピソード
アドルフォ・ペデルネラ、ホセ・マヌエル・モレノ、フェリックス・ロウスタウ、フアン・カルロス・ムニョスらが共にプレーした当時、リーベル・プレートは”ラ・マキナ”(機械)と呼ばれ無敵を誇った。
40歳で迎えたスウェーデンW杯にも招集された。
しかし、同世代の選手と同じように第二次世界大戦によって他のワールドカップに出場することは出来なかった。
ワールドカップとは縁がなかった名選手である。
プレースタイル
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