概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1942年11月8日(77歳) | ||
出身地 | ピエモンテ州トリノ県トリノ | ||
身長 | 179cm | ||
体重 | 66kg |
ポジションはフォワード(セカンドトップ)、ミッドフィールダー(オフェンシブハーフ)。
利き足は右。
イタリアサッカー史上最大の伝説「グランデ・トリノ」のキャプテン、ヴァレンティーノ・マッツォーラの息子であり、父親に見劣りせぬ技術と存在感を示し歴代イタリアを代表するファンタジスタにしてキャリアの全てをインテルに捧げたインテルのシンボル。
その能力はヴァレンティーノと比べても決して見劣りすることはなく、グランデ・インテルに欠かすことのできない選手の一人となった。
獲得タイトル
クラブ
インテル
・セリエA:1962-1963、1964-1965、1965-1966、1970-1971
欧州チャンピオンズカップ:1963-1964、1964-1965
インターコンチネンタルカップ:1964、1965
代表
イタリア
・FIFAワールドカップ 2位:1970
・UEFA欧州選手権:1968
個人
・セリエA得点王:1964–65(17ゴール)
・欧州チャンピオンズカップ得点王:1963-1964
・FIFA XI:1967
・UEFA欧州選手権大会チーム:1968
・バロンドール(2位):1971
・イタリアサッカー殿堂:2014年
経歴
クラブ | |||
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年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1961-1977 | ![]() |
417 | (116) |
代表歴 | |||
1963-1974 | ![]() |
70 | (22) |
クラブ
ミラノ近郊出身だがACトリノで活躍した父ヴァレンティーノとは逆に、トリノ出身のサンドロはミラノのインテルですべてのキャリアを全うした。
それは、あまりに偉大な父との比較を本人が嫌ったためである。
しかし、その能力はヴァレンティーノと比べても決して見劣りすることはなく、グランデ・インテルに欠かすことのできない選手の一人となった。
インテルでの通算成績は418試合116得点。セリエAデビューは1961年6月10日のユヴェントス戦。4回のセリエA(1962-63、1964-65、1965-66、1970-71)、2回のUEFAチャンピオンズカップ(1963-64、1964-65)、2回のインターコンチネンタルカップ(1964年、1965年)を獲得。
1964-65シーズンには得点王に輝いている。
インテルが初めて欧州チャンピオンとなった1963-64シーズンのチャンピオンズカップ決勝のレアル・マドリード戦では、先制点と3点目を挙げる活躍で3-1の勝利の立役者となった。
晩年は、その視野の広さからゲームメーカーとしてトップ下でプレーした。
代表
イタリア代表としての通算成績は70試合22得点。
デビューは1963年5月12日のブラジル代表戦。
1966年、1970年、1974年の3回のワールドカップに出場。
同時代のライバル、ジャンニ・リベラとのポジション争いは熾烈だった。
1966年W杯では北朝鮮代表に敗れるという不覚を取るが、プレイメーカーとして起用された1968年欧州選手権では優勝に貢献。
これ以降、イタリア代表でのサンドロはプレイメーカーとして定着。
1970年W杯では決勝に進出するも、ペレ擁するブラジルに敗れ、準優勝に終わった。
エピソード
同時代のライバル、ジャンニ・リベラとのポジション争いは熾烈だった。
偉大な父を持つサンドロは、小さな頃から常にバレンティーノと比較され続けた。
だがサンドロはそれを極端に嫌い、父が永く在籍したトリノではなく、ミラノ市のインテルに活躍の場を求めた。
カテナチオの基礎となったと言われる1960年代のインテルの守備的な戦術の中で、効率的なカウンターアタック、1人で攻める術を身に付けたマッツォーラは、イタリア代表にも欠かせない存在だった。
デビュー間もない頃はFW登録だったが、円熟期を迎えるとゲームメーカーとしての才能も発揮。
1968年欧州選手権ではイタリア代表に30年振りのビッグタイトルをもたらし、インテリスタだけでなく全イタリア国民の尊敬を集めた。
プレースタイル
複数のポジションをこなせる攻撃の万能プレイヤー。
またジャンニ・リベラに勝るとも劣らないファンタジスタであった。
その創造性とテクニックを生かし一瞬で勝負を決める力があった。
高い得点力を生かし最初のプレースタイルはゴール前での冷静さと決定力を武器にスアレスとのホットラインを形成しストライカーとして活躍。
その後は1.5列目の位置でプレー。
さらに視野の広さを生かしながら得点力のあるトップ下としても活躍。
またそのゲームメイク力を生かし中盤の底でもプレイでき、そのドリブルでの突破力を生かしウイングとしてもプレーできた。
ドリブル技術に優れており中盤の位置から中に切り込んでいくドリブルは相手の脅威となった。
マッツォーラは、ストライカーとしてのセンスもありましたが、その高度なパス能力や戦術眼を生かしMFとしてもその能力を発揮しました。
俊敏で鋭く力強い身のこなし、パスやドリブルなどの高いテクニック、中盤に君臨するゲームメイカーとして、インテリスタに絶大な支持を受けました。
マッツォーラはサッカー選手としての能力に加えて、強い性格、精神性、決断力、およびリーダーシップも際立っていました。