フランチェスコ・トッティ

サッカー

概略

【ローマの王子様】フランチェスコ・トッティ 特徴解説  HD 1080p Francesco Totti みにフト(海外サッカー)
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 1976年9月27日(43歳)
出身地 ローマ
身長 180cm
体重 82kg

 

ポジションはフォワード(セカンドトップ)、ミッドフィールダー(オフェンシブハーフ)。

 

利き足は右。

 

愛称は「イル・プリンチペ(王子様)」。

 

約25年間に亘ってASローマ一筋でプレーしたワン・クラブ・マンであり、同クラブの歴代通算最多得点(316得点)および歴代通算最多出場(786試合)の記録を持つ。

 

在籍中セリエAを1度、コッパ・イタリアを2度、スーペルコッパ・イタリアーナを2度それぞれ制覇した経験を持ち、後年には同クラブのキャプテンも務めた。

 

セリエAにおける通算得点数は歴代2位の250得点、通算出場数は歴代3位の619試合を記録している。

 

創造性豊かなプレービジョンと優れた技術、高い得点力で知られたトッティは、ASローマにおける史上最高の選手にして、イタリア史上最も偉大なサッカー選手の一人であると見なされている。

 

トッティはイタリアサッカー選手協会が主催する、毎年活躍した選手に表彰される賞であるオスカル・デル・カルチョにおいて、セリアA最優秀選手に2回、イタリア人最優秀選手に5回などにそれぞれ選出されている。

 

サッカーイタリア代表においては2007年7月20日に代表引退を表明までに計58試合に出場し、準優勝となったUEFA EURO 2000、優勝した2006 FIFAワールドカップではそれぞれ大会選定のオールスターチームにも選ばれた。

 

2004年には、ペレが選んだ世界の偉大なサッカー選手100人のリストであるFIFA 100にもノミネートされた。

 

2006年にはイタリア共和国功労勲章を受賞。

 

2011年の国際サッカー歴史統計連盟の発表では、トッティはヨーロッパで最も人気のある選手に認定された。

 

獲得タイトル

クラブ

ASローマ
・セリエA : 1 (2000-01)
・コッパ・イタリア : 2 (2006-07, 2007-08)
・イタリア・スーパーカップ : 2 (2001, 2007)

代表

・UEFA U-21欧州選手権 : 1 (1996)
・地中海競技大会(U-23) : 1 (1997)
・FIFAワールドカップ : 1 (2006)

個人

・FIFA 100*セリエA最優秀若手選手 : 1 (1999)
・イタリア最優秀選手 : 5 (2000, 2001, 2003, 2004, 2007)
・セリエA最優秀選手 : 2 (2000, 2003)
・EURO 2000大会選定優秀選手
・ヨーロピアン・スポーツ・マガジン選定ベストイレブン : 3 (2000-01, 2003-04, 2006-07)
・2006 FIFAワールドカップ・オールスターチーム(優秀選手賞)
・セリエA得点王 : 1 (2006-07)
・ゴールデンブーツ : 1 (2006-2007)
・セリエAフェアプレー賞 : 1 (2007-08)
・ゴールデンフット賞 : 1 (2010)
・UEFA会長賞 : 1 (2017)
・ローレウス世界スポーツ賞偉業達成賞 : 1 (2018)

 

経歴

Francesco Totti Skills – Best of
クラブ
クラブ 出場 (得点)
1993-2017 イタリアの旗 ローマ 619 (250)
通算 619 (250)
代表歴
1991-1992 イタリアの旗 イタリア U-16 19 (5)
1993-1995 イタリアの旗 イタリア U-18 14 (7)
1995-1997 イタリアの旗 イタリア U-19 8 (4)
1997 イタリアの旗 イタリア U-21 4 (2)
1998-2006 イタリアの旗 イタリア 58 (9)

 

クラブ

 

ユースチームでの3年間のプレーを経て1993年3月28日、トッティはアウェイのブレシア戦でわずか16歳でのトップチームデビューを飾り、2-0での勝利に貢献した。

 

カルロ・マッツォーネに監督が交代した翌シーズンから、トッティはセカンドストライカーとして何度か起用され、1994年9月4日のフォッジャ戦でセリエA初得点を記録した。

 

同シーズンの途中からはレギュラーに定着し、その後の3シーズンに掛けて計16得点を記録、当時の監督マッツォーネからもその才能を称賛された。

 

1996-97シーズンには監督のマッツォーネが解任され、新たにビアンチが監督に就任するも、チームは12位と低迷した。

 

トッティもビアンチの下で出場機会が減少し、1997年1月にはサンプドリアへのレンタル移籍の寸前にまで至っていたが、当時の会長であったフランコ・センシが土壇場で合意を破談にし、トッティはローマに残留することとなった。

 

後にトッティは「(それまでに指導を受けた数多くの監督の中で)ビアンチとだけは反りが合わなかった」と語っている。

 

1997-98シーズンからは新監督にズデネク・ゼーマンが就任し、ゼーマンの下でトッティは左ウイングとして起用されるようになり、トッティはフィジカル面でもテクニカル面でも大きな成長を遂げた。

 

またトッティは同シーズンから10番の背番号を与えられ、彼はトッティは4-3-3フォーメーションの利点を生かした縦への突破を見せるなど、チーム内でより大きな役割を担うようになった。

 

同シーズンにトッティは1998年2月22日の2-0で勝利したアウェイのナポリ戦で得点を挙げるなど、セリエAの全試合で計13得点をマークし、チームの4位でのフィニッシュに貢献を果たした。

 

同年のチェーザレ・マルディーニ監督率いる1998 FIFAワールドカップのイタリア代表メンバーには招集されなかったが、彼が同シーズンのセリエAで見せたその豊かな創造性と優れた得点力は高い評価を得、トッティはイタリアのサッカー専門誌「グエリン・スポルティーボ」が選出した年間最優秀選手に与えられる賞であるグエリン・ドーロを受賞した。

 

翌1998-99シーズン、このシーズンからトッティはクラブのシンボルとリーダーとしての認知を得るようになり、そして1998年10月31日、トッティは当時のキャプテンであったアウダイールからキャプテンの座を継承し、わずか22歳の若さでセリエAにおける史上最年少のキャプテンとなった。

 

同年10月29日、トッティは同じ都市のライバルチームであるラツィオを相手に3-3で引き分けた試合で同点ゴールを決めたが、これは彼のローマ・ダービーでの初めてのゴールだった。

 

最終的に彼はゼーマンの下での2シーズンで計30得点26アシストを算出し、1998-99シーズンの終了後にはオスカル・デル・カルチョの若手選手賞を受賞した。

 

1999年6月、ASローマ会長のフランコ・センシは監督のゼーマンを解任し、新監督にACミランやレアル・マドリードでも指揮を執った元イタリア代表のファビオ・カペッロを招聘した。

 

カペッロの下でローマはトッティを中心としたチーム作りを模索し、トッティはそのパスセンスと創造性の高さを生かすために、3-4-1-2フォーメーションの攻撃的ミッドフィルダーに配置された。

 

2000年にはセリエA最優秀選手およびセリエA最優秀イタリア人選手に選出され、またバロンドールでも14位にランクインした。

 

2000-01シーズンには2-0で勝利した10月1日のホームでのボローニャとの開幕戦で先制点を挙げると、12月10日のホームのウディネーゼ戦では強烈なボレーシュートで決勝点をマークし、その後もコンスタントに得点を重ね、ローマはリーグの前半戦を首位で折り返した。

 

トッティはシーズンを通してチームの躍進のために重要な役割を担い、そして迎えた最終節の2001年6月18日のホームのパルマ戦、ローマはトッティ、ガブリエル・バティストゥータ、ヴィンツェンツォ・モンテッラの3人のアタッカーが1得点ずつを挙げ3-1で勝利、ローマは悲願の18シーズンぶりのスクデット獲得(リーグ優勝)を決めた。

 

トッティ自身はこのシーズンのセリエAにおいて、自己最多タイの13得点を獲得した。

 

このシーズンの後の2001年、トッティは前年に続き2年連続でのセリエA最優秀イタリア人選手に選出された他、バロンドールの投票ではキャリアハイの5位に入った。

 

翌2001-02よりトッティは3-5-2のフォーメーションにおいて、バティストゥータまたは新たに獲得した若手のアントニオ・カッサーノの後方で、フォワードとセカンドストライカーの間の位置で自由にプレーするフリーロールとして起用されるようになった。

 

翌シーズンの2002年9月30日の3-2で勝利したアウェイのブレシア戦では、トッティはセリエAで初めてのハットトリックを記録した。

 

また2002年10月30日にサンティアゴ・ベルナベウで行われたUEFAチャンピオンズリーグのアウェイのレアル・マドリード戦では、この試合唯一のゴールである決勝点を決めローマの1-0での勝利に貢献した。

 

イタリアのチームがマドリードでの試合で勝利したのは実に35年ぶりとなった。

 

これらの活躍にも関わらず同シーズンのローマはCLではグループリーグ敗退、セリエAでは8位という結果に終わり、またファイナリストにまで進出したコッパ・イタリアでは、決勝戦のACミラン戦ではトッティは2得点を挙げたが、チームは3-6で敗北した。

 

それでもトッティは自らの活躍から、2003年には自身2度目のセリエA最優秀選手に選出された。

 

続く2003-04シーズンには、トッティはセリエAで自身最多となる20得点を記録しローマの準優勝に貢献、自身2度目のセリエA最優秀選手に選出された。

 

カペッロや複数の選手がチームを去った2004-05シーズンはローマは低迷するものの、トッティ自身は得点を重ねてセリエAでは12得点を挙げた。

 

10月3日のインテルナツィオナーレ・ミラノ戦でセリエA通算100得点を達成。

 

また12月19日のパルマ戦ではセリエA通算107得点とし、ロベルト・プルッツォを抜き、ローマのクラブ史上最も多くの得点を記録した選手となった。

 

チームは最終的に8位でシーズンを終え、コッパ・イタリアでは決勝戦に進出したもののインテルに敗れて準優勝に終わった。

 

ルチアーノ・スパレッティが就任した2005-06シーズンからは、トッティは4-2-3-1フォーメーションの中でセンターフォワードとして起用されるようになった。

 

トッティは最前線のポジションであるにも関わらずたびたび中盤でのビルドアップを担い、それにより攻撃的ミッドフィルダーとウイングの攻め上がるためのスペースが生まれるといった場面が度々生じた。

 

ここシステムは後に「4-6-0」、あるいは「0トップ」と表現され、トッティの役割は「偽9番」と呼称されるようになった。

 

ローマは同シーズンに開幕9連勝というクラブ新記録を達成するが、10連勝をかけた2006年2月19日のエンポリ戦にて、開始直後にエンポリのリカルド・ヴァニーリのバックチャージを受けて転倒し、腓骨の骨折および靭帯損傷の大怪我を負った。

 

2006-07シーズンはセリエAではキャリアハイの26得点を記録し、自身初となるセリエA得点王を獲得、また同時にヨーロッパにおける年間最多得点者に与えられるゴールデンブーツ賞を受賞した。

 

ローマはセリエAではインテルに及ばず2位に留まり、チャンピオンズリーグでは準々決勝でマンチェスター・ユナイテッドに敗れたが、コッパ・イタリアではACミランを破って優勝を果たした。トッティは2007年のバロンドールにもノミネートされ、10位にランクインした。

 

2007-08シーズンには1-0で勝利した8月29日のスーペルコッパ・イタリアーナのインテル戦において、トッティは相手ゴール前でペナルティーキックを獲得し、それをダニエレ・デ・ロッシが決めてローマの勝利に貢献した。

 

同年1月28日には5度目のセリエAイタリア人最優秀選手に選ばれた。

 

だが4月19日のリヴォルノ戦で右膝を負傷し、4ヶ月間の離脱を強いられ残りのシーズンの棒に振ったが、同シーズンのローマはクラブ記録となる勝ち点82を記録しインテルと最終節まで優勝争いを演じ、またコッパ・イタリアでは再びインテルを降し連覇を達成した。

 

この決勝戦にはトッティは出場していなかったものの、キャプテンとして優勝カップを受け取り、トッティはローマの歴史上において最も多くのタイトルを獲得したキャプテンとなった。

 

その後もローマのエースとして長きに渡り活躍し、2017年現役を引退した。

 

代表

 

世代別代表チームでの活躍を経て、トッティは1998年10月10日のUEFA欧州選手権予選のスイス戦でディノ・ゾフ監督の下でフル代表デビューを飾り、チームは2-0での勝利を収めた。

 

2000年4月26日のポルトガルとの親善試合では、トッティは代表では初のゴールを決めた。

 

イタリアはEURO2000本戦に出場し、トッティはグループステージ2回戦の共催国のベルギー戦で、デメトリオ・アルベルティーニのクロスに頭で合わせて国際主要大会での初ゴールを決め、またこの試合のマン・オブ・ザ・マッチにも選出された。

 

また準々決勝のルーマニア戦でも、ステファノ・フィオーレのアシストに合わせて得点を上げるなど活躍。

 

準決勝の共催国のオランダ戦のPK戦ではエトヴィン・ファン・デル・サールからクッキアイオ(チップキック)でゴールを奪い、観客の度肝を抜いた。

 

決勝のフランス戦では見事なアシストでローマでのチームメイトであるマルコ・デルヴェッキオの先制点の起点を作った。

 

しかし後半にトッティは二度得点の機会を創出したにも関わらず、パスを受けたアレッサンドロ・デル・ピエロはそのチャンスを得点に繋げることができず、イタリアは後半終了間際に同点弾を許し、延長戦でダヴィド・トレゼゲのゴールデンゴールを決められ逆転敗けを喫した。

 

とはいえトッティは敗れはしたものの決勝戦のマン・オブ・ザ・マッチに選出され、大会選定の優秀選手にも選ばれた。

 

最終的にこの大会で、トッティは2得点1アシストを記録した。

 

2002 FIFAワールドカップ 日韓大会ではトッティは10番の背番号を与えられ、グループステージのエクアドル戦とクロアチアでクリスティアン・ヴィエリのそれぞれ先制点をアシストしたにも拘わず、その低調なパフォーマンスは国内のメディアの批判に晒された。

 

決勝トーナメント・ラウンド16の共催国の韓国戦では、延長戦で彼が倒れたプレーが疑惑の判定でシミュレーションをとられ退場(後にFIFAが誤審を認める)となり、その他数々の疑惑の判定の末にイタリアは敗北し、トッティは「審判を代えて、最初からワールドカップをやり直すべきだ」と怒りを顕にした。

 

またポルトガルで開催されたEURO2004では、グループステージ初戦のデンマーク戦で、DFのクリスティアン・ポウルセンの顔面に唾を吐いたシーンが映像に残ったため3試合の出場停止処分を受け、チームもグループステージで敗退したため活躍できなかった。

 

2006 FIFAワールドカップ ドイツ大会では前述の怪我から復帰したばかりで本調子ではなかったものの、イタリア代表監督のマルチェロ・リッピはトッティを最終登録メンバーの23人に選出した。トッティは適応への懸念にも拘らずチームにおいて重要な役割を担い、 決勝戦を含むイタリアの全7試合全てに出場した。

 

トッティはダニエレ・デ・ロッシ、ジェンナーロ・ガットゥーゾ、シモーネ・ペッロッタらのガードを受けながら、攻撃的ミッドフィルダーとして攻撃のタクトを振るい、大会を通してフアン・ロマン・リケルメ、バスティアン・シュヴァインシュタイガー、ルイス・フィーゴ、そしてチームメイトのアンドレア・ピルロと並んで大会最多の4アシストを記録した。

 

またプレーの際には、手術後まだ取り外されていなかった足首の金属板を付けた状態でプレーしていた。

 

トッティは決勝トーナメント1回戦のオーストラリア戦ではPKを決め、準決勝の開催国のドイツ戦ではデル・ピエロの決定的な追加点の起点となるなど、イタリアの優勝に大きく貢献、大会選定のオールスターチームにも選出された。

 

前述の度重なる負傷や、ローマでのプレーに専念したいとの理由により、トッティは2007年7月20日に代表引退を発表。

 

最終的に58試合に出場して9ゴール22アシストを記録した。

エピソード

Francesco Totti • Roma • Magic Skills, Passes & Goals • HD 720p

端正なルックスで多くの女性ファンを獲得したフランチェスコ・トッティは、知的な風貌に見えます。

 

しかし実は、天然伝説を持っていることでも有名。

 

出版した本が100万部売れたと話題を振られると、「そんなことありえない。僕が書いたのは1冊だけ」と答えたり、悩みが50%解決できると謳った本を見かけると「2冊買えば悩みがなくなるから」と2冊買ったりと天然発言に事欠きません。

 

猫の性別を尋ねられた時には、「ヒゲが生えているんだからオスに決まっている」と答え、「鳩が死んでいる」と言われた時には、空を見上げながらその姿を探したそうです。

 

国際電話をかけようとしたトッティ。かけ方をオペレーターに聞いた。

「それではまず、10番を押してください」

「あのー、悪いんだけど、オレの電話、9番までしかないんだけど……どうしたらいい?」

 

トッティの彼女が「アナタの頭の悪さをバカにした話がはやってる。本でも読んで教養を身につけましょう。手始めにシェークスピアは? 読んだことあるでしょ」。

 

「もちろん読んだことあるさ。ただ、作者名がちょっと思い出せないんだよな」

 

トッティの彼女に「ねえアナタ、わたしのこと、愛してるの? 愛してる? 愛しているの?」とたずねられトッティは「慌てるなよ、ハニー。一度に3つも質問されたら、どれに答えていいか、わからないじゃないか」

 

トッティがチームメートにジグソーパズルを見せびらかし、「オレって天才だよ。たった3カ月で完成させたもんね。普通にやれば、3年はかかるヤツなんだぜ」と自慢した。

 

ジグソーパズルの箱をみると「3years(3歳児用)」だった。

 

トッティが朝練に参上。

 

しかし、その姿を見たチームメートは笑い始める。

 

トッティは「なんだよ。何がおかしいんだよ。キャプテンに対する敬意のかけらもねぇのか、おめぇら」

 

笑いが止まらないマルコ・デルヴェッキオが、事情を説明しようとする。

 

デルヴェッキオは「フランチェスコ、ごめん。でもさぁ、気がついてないんだろうけど、あんた片っぽがアディダスで、 片っぽがナイキのシューズ履いてるんだよ。家帰って、履き替えてきたら?」と言った。

 

トッティ「マルコ、おめぇは本当にアホだな。家にも、片っぽがアディダスで、片っぽがナイキのシューズがあるんだ。だから、履き替えに帰ってもしょうがねぇだろう!?」と返したそうだ。

 

漫画「キャプテン翼」の大ファンで、登場人物の日向小次郎の放つ雷獣シュートを実際に練習し、骨折したという噂も囁かれている。

 

また、試合中にキャプテン翼の真似をしたら、マルディーニに「キャプテン翼の真似してるんじゃない!」と怒られたこともある。

 

日本でいう”ウイニングイレブン”では自身の能力の評価に満足している模様。

 

ナイジェリア代表を愛用しているらしい。

 

たまに自身をレアル・マドリードに移籍させて遊んでおり、曰く「僕には白ユニが似合う」。

 

トッティの話すイタリア語はローマ訛りが強く、イタリアのコメディアン達は皆トッティの喋り方を真似するらしい。

 

また天然ボケのような発言も多く、イタリアでは「おバカなキャラクター」で定着し、サポーターからも「プポーネ」(「大きな赤ちゃん」の意)と呼ばれている。

 

フジテレビではその情報をいち早くキャッチしナレーターが「トッティなのら~」という頭の悪いキャラのセリフでトッティの出来事を紹介していた。

 

プレースタイル

Francesco Totti – Skills and Dribbles – Part 1

トッティはイタリア史上において最も才能が豊富であり、最も偉大なサッカー選手の一人であると考えられている。

 

パスの精度やシュートの決定力など、攻撃面の能力全てが高いレベルを保つプレースタイルであるばかりか、フィジカルも強いため、フォワードで起点になることもできました。

 

総合的に優れたバランスを保ち続け、長きにわたりキャプテンとしてもチームを率いたフランチェスコ・トッティは、誰もが認める伝説的なプレイヤーです。

 

キャリアを通してトッティは攻撃的ミッドフィルダーあるいはセカンドストライカーの位置で、典型的な「10番」としてのプレーを果たしたが、ローマでの後半期はストライカーとしても活躍した。

 

トッティは技術的も優れた選手でありセンターラインより前であればどこでもプレーすることができ、ゼーマンの下ではウイングやセントラルMFとして、スパレッティやリュディ・ガルシアの下では偽9番としても活躍した。

 

またルイス・エンリケの下では、より低い位置でレジスタとしてプレーしたこともあった。

 

高い得点力もさることながら、高度なボールコントロールと創造性を生かしたMFとしてのプレースキルや、彼の代名詞とも言えるノールックパスやバックヒールなどに代表されるゴール前でのポストプレーの巧みさでも知られており、技術の高さと視野の広さ、そしてその正確なパス能力はたびたび専門家からをも特別な賞賛を集めた。

 

彼のプレー範囲の広さからトッティの役割はしばしば、イタリア語において献身的でダイナミックなセンターフォワードとしての役割を指す「Centravanti di Manovra」と形容された。

 

EURO2000準決勝オランダ戦のPK戦ではエトヴィン・ファン・デル・サールからチップキックでゴールを奪っている。

 

本人は、受け手のプレースタイルやクオリティーを理解し、それに合わせてパスを出すようにしていると語っている。

 

イタリア代表で最も相性が良かった選手はフィリッポ・インザーギだと話している。

 

元イタリア代表GKで同代表監督も務めたディノ・ゾフはトッティについて、「トッティはロベルト・バッジョやアレッサンドロ・デル・ピエロと並んでこの25年で最高のイタリア人選手だ。トッティはイタリア史上最も完璧な10番だ。彼はそれらの素質を持ちながら、フィジカルの強さも併せ持っているからね。トッティは誰と比較するにも、必要なものを全て持っている。彼は同じレベルの選手たちほど、多くのトロフィーを持っているわけではないが、クオリティー、テクニック、フィジカルにおいては引けをとらない。トッティはトッティなんだ」と評している。

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