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【サッカーショップKAMO】海外クラブチーム特集

カカ

サッカー

概略

【ブラジルの貴公子】カカ 特徴解説  HD 1080p Ricardo Kaka' みにフト(海外サッカー)
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
イタリアの旗 イタリア
生年月日 1982年4月22日(38歳)
出身地 ブラジリア
身長 186cm
体重 83kg

 

ポジションはミッドフィールダー(オフェンシブハーフ)、フォワード(セカンドトップ)。

 

利き足は右。

 

“ブラジルの貴公子”として人気を博したカカは、2003年に母国の名門サンパウロからイタリアの名門ACミランに移籍して、欧州でのキャリアをスタートした。

 

トップ下の位置で自在に動き、時にはストライカーのように得点を重ねる姿はミランサポーターの心をつかんだ。

 

UEFAチャンピオンズリーグ(CL)制覇や、FIFAクラブワールドカップでの優勝といった国際タイトルも手にした。

 

獲得タイトル

代表

・1999 : 1999 FIFA U-17世界選手権
・2002 : FIFAワールドカップ2002
・2005 : FIFAコンフェデレーションズカップ2005
・2009 : FIFAコンフェデレーションズカップ2009

クラブ

サンパウロFC
・2001 : ヒオ・サンパウロ杯

ACミラン
・セリエA : 2003-2004
・イタリア・スーパーカップ : 2004
・UEFAチャンピオンズリーグ : 2006-2007
・UEFAスーパーカップ : 2007
・FIFAクラブワールドカップ : 2007

レアル・マドリード
・コパ・デル・レイ : 2010-2011
・リーガ・エスパニョーラ : 2011-2012
・スーペルコパ・デ・エスパーニャ : 2012

個人

・2002年 : ボーラ・ジ・オーロ(ブラジル全国選手権MVP)
・2003年 – 2004年 : オスカル・デル・カルチョ(セリエAリーグMVP、最優秀外国人選手賞)
・2004年 – 2005年 : UEFAチャンピオンズリーグ最優秀MF
・2005年 – 2006年 : オスカル・デル・カルチョ(セリエA最優秀外国人選手賞)
・2006年:
・UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー
・2006年 – 2007年:
・UEFA年間最優秀選手(UEFAチャンピオンズリーグMVP)
・UEFAチャンピオンズリーグ得点王、最優秀FW
・オスカル・デル・カルチョ(セリエAリーグMVP、最優秀外国人選手賞)
・2007年:
・バロンドール
・FIFA最優秀選手賞
・FIFPro年間最優秀選手賞
・UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー
・英誌ワールドサッカー選出世界年間最優秀選手賞
・2007年 – 2008年 : FIFAクラブワールドカップ大会MVP
・2009年 – FIFAコンフェデレーションズカップ大会MVP(ゴールデンボール)

 

経歴

【カカ】無双していた頃の超絶ドリブル&スーパープレイ集 【サッカー王国】無双していた頃の最強ブラジル代表!すべてが神クラス ご視聴いただき、ありがとうございます。 チャンネル登録、
クラブ
クラブ 出場 (得点)
2001-2003 ブラジルの旗 サンパウロFC 59 (23)
2003-2009 イタリアの旗 ACミラン 193 (70)
2009-2013 スペインの旗 レアル・マドリード 85 (23)
2013-2014 イタリアの旗 ACミラン 30 (7)
2014-2017 アメリカ合衆国の旗 オーランド・シティSC 75 (24)
2014 ブラジルの旗 サンパウロFC (loan) 19 (2)
通算 461 (149)
代表歴
2001 ブラジルの旗 ブラジル U-20 5 (1)
2002-2016 ブラジルの旗 ブラジル 92 (29)

 

クラブ

 

ブラジルの首都ブラジリアで生まれ、生後すぐにクイアバに移り、7歳の時にサンパウロへ移る。

 

父がサンパウロFCのクラブ会員だったことから、9歳でサンパウロFCのクラブ会員用のチームに加入。

 

当時から技術面では優れたものを持っていたが、他の子たちに比べて線が細く、補欠に甘んじていた。

 

その後、クラブでのトレーニングによってビルドアップに成功し、弱点を克服した。

 

17歳の頃、クラブの深刻な財政難からトルコのクラブ、もしくはCSKAモスクワに売却されそうになった。

 

だが本人は、「あの時に移籍していても今のように素晴らしいキャリアを築くのは難しかっただろう」と語っている。

 

18歳の時、プールで遊んでいた際に頭部を強打して頸椎を損傷する重傷を負い、あわや下半身不随寸前の怪我だったものの、極度の近視となった以外は幸いにも運動能力にはほとんど影響は見られなかった。

 

カカはこれを神のおかげであるとし、十分の一税を行った。

 

なお、本人は「あの事故を契機に人生観が変わった」と語っている。

 

また、事故から4か月後には2001年2月のボダフォゴ戦でサンパウロのトップチームデビューを果たした。

 

途中出場ながら2得点を決める活躍を見せると、以降サンパウロのトップチームに定着する。

 

2003年、880万ユーロ(約12億円)の移籍金でACミランへ移籍。

 

サンパウロでは背番号8番を、2002 FIFAワールドカップでは23番をそれぞれ着けていたが、ミランでは既にジェンナーロ・ガットゥーゾとマッシモ・アンブロジーニがそれぞれの背番号を着けていたため、自身の誕生日の日付にちなんで22番を背負うことになった。

 

入団時のメディカルチェックでは特にずば抜けていた加速値と絶対スピードの項目をはじめ、それまでの選手とはかけ離れて高い数値を記録。

 

ミランラボの担当者は「こんな数字は見たことがなかった」と証言した。

 

移籍初年度である2003-04シーズンの開幕戦から驚異的な活躍でスタメンの座を確立し、同シーズンはセリエAで30試合に出場、チームのスクデット(リーグ優勝)、UEFAスーパーカップ獲得に大きく貢献した。

 

2004-05シーズンはアンドリー・シェフチェンコの後ろの位置でプレーし、36試合で7得点を決めた。

 

この年、UEFAチャンピオンズリーグでは決勝でリヴァプールFCにPK戦で敗れたものの、カカは投票による大会最優秀ミッドフィールダーに選ばれた。

 

イスタンブールの悲劇ともいわれるリヴァプールFC戦の敗北について、「たとえこの先何度優勝できたとしてもあの敗北を忘れることは出来ない」と語っている。

 

また、2004年には国際連合世界食糧計画における最年少大使となった。

 

ACミランとは当初2009年6月までの契約であったが、2005-06シーズン終了後にはACミランの八百長疑惑によりクラブのセリエB降格の危機が報じられ、カカの元にも複数のクラブから移籍のオファーが舞い込んだ。

 

プレミアリーグのチェルシーFCから7000万ポンド(約152億6000万円)という超破格のオファーが来たが、ミランは受け入れなかった。

 

このとき本人も「ACミランが降格しないなら、クラブに忠誠を誓う」と発言。

 

その後2006年7月15日にミランは降格を免れる判決を下された。

 

2006-07シーズンは、UEFAチャンピオンズリーグにて10得点を決めブラジル人としてはリバウド以来の得点王となり、チャンピオンズリーグ優勝の原動力となった。

 

また、FIFAクラブワールドカップ2007では1得点3アシストの大活躍を見せ、UEFA年間最優秀選手に輝くと共に、欧州代表として初となるFIFAクラブワールドカップ優勝に導いた。

 

これらの活躍を評価され、2007年はバロンドール、FIFA年間最優秀選手賞、FIFPro年間最優秀選手賞、英誌ワールドサッカー選出世界年間最優秀選手賞をいずれも初受賞した。

 

また、同年にはレアル・マドリードから8000万ユーロ(約140億円)の移籍金と手取り1400万ユーロ(約20億円)のオファーがあったが、本人は「レアルは僕が欲しいなら、ベルルスコーニ会長の首を縦に振らせればいい」と言い、パオロ・マルディーニ引退後にキャプテンを継ぎたいと語った。

 

そして、2008年には2013年までACミランとの契約を延長した。

 

2009年1月、プレミアリーグのマンチェスター・シティFCがカカ獲得にサッカー界史上最高額の1億ユーロ(約120億円)以上ともいわれる移籍金をミランに提示したことによる移籍騒動が勃発。

 

カカにも年俸1500万ユーロ(約20億円)を提示し、ミランもカカの移籍を容認したものの、本人は残留を希望し、同月19日、ミランに残留することが決まった。

 

また、多くのサポーターは移籍に大反対し、中にはカカの自宅周辺などに集結したサポーターもおり、カカは窓からユニホームを掲げ、笑顔で応えた。

 

この残留により翌日の練習で監督のカルロ・アンチェロッティは、「今冬の補強はカカがこのミランというクラブに残留したことだ」 と語った。

 

2009年6月9日、フロレンティーノ・ペレスが会長に復帰したレアル・マドリードの最初の新加入選手として移籍金6800万ユーロ(約92億円)の6年契約で移籍。

 

なお、この移籍金は2001年にジネディーヌ・ジダンが同じくレアル・マドリードに移籍したときの7696万ユーロ(約103億円)に次いで当時史上2番目に高額な移籍金となった。

 

紆余曲折の末の移籍であり、カカ本人はこの移籍について会見で「(裏口ではなく)玄関から去る」と語った。

 

また、レシフェで行われた会見では、あくまで最高の形はミランへの残留であったとしながらも、移籍は財政難に苦しむミランのことを思えばこそであり、移籍をするのであればレアル・マドリードしかないと語った。

 

親善試合のトロントFC戦でレアル・マドリードでのデビューを飾り、同じく親善試合のボルシア・ドルトムント戦で初得点を決め、更に9月23日、ビジャレアルCF戦でペナルティーキックからレアル・マドリードでの公式戦初得点を記録した。

 

しかし、恥骨炎の影響もあってか以前のような活躍は出来ておらず、その年のリーガワースト移籍ランキングで10位に選ばれ、更に2010 FIFAワールドカップ後には半月板の手術を行い、4ヵ月程度の離脱が発表された。

 

翌年1月3日のヘタフェCF戦で238日ぶりに招集を受け、後半77分にカリム・ベンゼマとの交代でピッチに立った。

 

翌週のビジャレアル戦でも71分から途中出場すると、復帰後初得点を挙げ、4月23日のバレンシア戦では2ゴール2アシストを挙げた。

 

しかし、度重なる負傷の影響と新加入のメスト・エジルの台頭などもあってレギュラーの座を奪うまでには至らず、シーズン終了後には移籍報道が加熱し、スペイン紙アスが行ったアンケートでは、78%が「カカを放出すべき」と答えた。

 

しかし、カカ自身は一貫してレアル・マドリード残留を明言した。

 

2013年冬のメルカートにミランは再びカカの獲得に乗り出した。

 

カカ自身も復帰を希望しており、移籍騒動が起きたもののサラリー面で復帰はほぼ不可能となった。

 

その後、カカは「1年はレアルでいいシーズンを過ごしたい」と改めて残留を強調した。

 

引退後の2018年にカカ本人がレアル時代を振り返り、負傷の影響によるコンディション不良に加え、当時監督であったジョゼ・モウリーニョから信用を得られなかったことを明かした(その後、プライベートでモウリーニョと会い、現在はわだかまりはないことも強調している)。

 

代表

 

2002年のボリビアとの試合で代表戦初出場を果たす。

 

2002 FIFAワールドカップのメンバーにも選ばれ、出場機会はコスタリカ戦での25分のみと少ないながらも優勝を経験した。

 

翌年のCONCACAFゴールドカップではU-23ブラジル代表のキャプテンを務め、3得点を挙げて準優勝に貢献した。

 

FIFAコンフェデレーションズカップ2005でブラジルは優勝し、アルゼンチンとの決勝で得点も決めた。

 

2006 FIFAワールドカップではロナウジーニョ、ロナウド、アドリアーノと共にカルテット・マジコ(「魔法の4人」)を形成し世界中で話題となった。

 

しかしチームは機能せず、個々の選手がバラバラに活躍するのみで優勝候補筆頭といわれた前評判を見せられぬまま、準々決勝でフランスに敗れベスト8で敗退した。

 

FIFAコンフェデレーションズカップ2009では背番号10を背負い、ブラジルの優勝に貢献すると共に大会最優秀選手(ゴールデンボール)に輝いた。

 

2010 FIFAワールドカップでは、前回大会のカルテット・マジコから唯一代表に選出された。

 

しかし、結果は前回大会と同じベスト8でオランダに逆転負けを喫し、カカは3アシストでドイツ代表のメスト・エジル、バスティアン・シュヴァインシュタイガー、トーマス・ミュラーに並び最多アシストとなるも無得点に終わった。

 

南アフリカW杯以降は代表に招集されず、コパ・アメリカ2011でもプレーすることはなかった。

 

親善試合の11月10日のガボン戦、同14日のエジプト戦で南アフリカW杯以来となる代表招集を受けたが、ふくらはぎの負傷により代表復帰は見送られた。

 

2012年10月におよそ1年ぶりに代表に招集されると、10月11日のイラクとの親善試合で約2年ぶりとなる出場を果たし、1ゴール1アシストの活躍をみせた。

 

オーランド・シティ移籍後もメジャーリーグサッカー所属の選手としては初となる代表召集を受け、負傷もあったりした中で断続的に召集されており、2016年5月には同年6月に開催されたコパ・アメリカ・センテナリオに負傷したドウグラス・コスタの代わりとして追加召集を受けたが、6月にカカ自身も負傷したため、大会出場は叶わなかった。

エピソード

Kaká ● Magical Skills & Goals HD

キリスト教の福音主義の一派「キリストの再生教会」の信者である。

 

愛読書は聖書、好きな音楽はゴスペル、座右の銘は聖書の言葉の「神に忠実なれ」。

 

無人島に3つ物を持っていくとすればサッカーボール、聖書、iPodを持っていきたいと語っている。

 

FIFAクラブワールドカップ2007決勝戦のボカ・ジュニアーズ戦などの試合でゴールを決めた後に「私はイエスのもの」という意味の「I BELONG TO JESUS」という文字が書かれたシャツを見せた他、The Prizeというクリスチャンのサッカー選手の話を集めたDVDに出演した際に、「SEXは結婚してからの祝福」と発言し、結婚するまで童貞だった事も告白している。

 

ブラジルのゲイ雑誌が彼のそっくりさんのヌードを掲載すると知った際には、「その企画に何らかの形で「カカ」の名前が載った場合、名誉毀損で雑誌を告訴する」と強く主張した。

 

前述の事故の影響で近視になったカカは、試合中はコンタクトレンズを使用し、普段は度の強いメガネをしていたが、2007年6月に極秘でレーシック手術を受けた模様。

 

用具等はアディダス社と契約している。

 

アルマーニの広告モデルを務めたこともある。

 

「カカ(Kaká)」という名前は、幼い弟が本名の「リカルド」を発音できずに「カカ」と呼んでいたことに由来する。

 

そのため何の意味も込められたものではない。

 

しかし、イタリアやポルトガルなどのラテン語圏において、「カカ」と言う呼び名は発音によってはうんこ(CACCA)を意味するため、ACミランへ移籍する際は愛称を変えなくてはならないというような議論もされたようで、またミランより先にオファーしていたユヴェントスFCがこのような理由で獲得を断念したという。

 

FIFAクラブワールドカップ2007の大会MVP受賞で獲得した賞金約2050万円(12万8000ユーロ)を、ACミランが運営する基金に全額寄付した。

 

世界屈指の人気選手であり、Twitterのフォロワー数は2014年6月現在で約1960万人である。

 

世界のあらゆるアスリートの中でもクリスティアーノ・ロナウドに次いで2番目に多い。

 

2017年5月、ESPNは世界で最も有名なアスリート100人を発表し、カカは18位に選出された。

 

サッカー選手ではクリスティアーノ・ロナウド、リオネル・メッシ、ネイマールに次ぐ4位。

 

プレースタイル

Ricardo Kaka – The Art of Football ||HD||

ゲームの流れを読む戦術眼とスルーパスで決定機を作り、高速ドリブルで敵陣に攻め込む攻撃的MF。

 

トップスピードでも足元の精度は落ちず、類まれな決定力を誇ります。

 

爆発的なスピードを生かした高速ドリブルと強烈なミドルシュートが最大の武器。

 

カカの最大の特徴は速すぎるドリブルだ。

 

トップスピードでのドリブルでも速度が落ちず、ボールコントロールも失うことはない。

 

さらに緩急をドリブル中につけて、急に速度を上げ完全に相手を置き去りにすることができる。

 

初速や元々の足の速さ、さらにフィジカルの強さもあることから一度ドリブルを開始したらほとんど取られることはなく相手をぶっちぎっていく。

 

さらにドリブルのコースどりがうまく、スペースにドリブルかつゴールまでの最短距離を導き効率化されたドリブルを得意とする

 

そのゴールまでの最短距離の最中に相手がいた場合、スピードでぶっちぎるという感じである。

 

なので派手なフェイントは一切しない。

 

カカの緩急をつけるドリブルとは、トップスピードからさらに一段ギアを上げ相手を交わしたり抜き去ることである。

 

またフィジカルも強靭で少々のタックルでは倒れない強さがある。

 

カカのドリブルはいたってシンプルであり、ゴールへ最短距離で、スペースにボールを運んで、相手がいたら等間隔のタッチから、または緩急で抜いていく。

 

さらに、ドリブルのコース取りが完璧で、相手の重心の逆をつきながら抜いていくのも得意である。

 

カカはこれに天性のスピードが加わる。

 

 

 

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