概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1980年1月25日(40歳) | ||
出身地 | タラサ | ||
身長 | 170cm | ||
体重 | 68kg |
ポジションはミッドフィールダー(センターハーフ)。
利き足は右。
ティキ・タカのプレースタイルの具現化であると見なされており、史上最高の中央ミッドフィールダーの一人と広く考えられている。
彼はまた、多くの人から史上最高のスペイン人選手と見なされている。
シャビはバルセロナの青年アカデミー:ラ・マシアに11歳で入り、1998年8月にマヨルカとの初デビューを果たした。
シャビは、クラブ史上初めてヨーロッパとFIFAクラブワールドカップの試合合わせて150試合出場したプレーヤー。
バルセロナでは8つのリーガリーガタイトルと4つのUEFAチャンピオンズリーグタイトルを獲得した。
彼はバルセロナとスペイン代表で31のトロフィーを獲得しており、合計で歴史上最も飾られたスペインの選手としてアンドレス・イニエスタを上回った。
2009年のFIFAワールドプレーヤーオブザイヤーで3位になり、その後継賞である2010年と2011年にFIFAバロンドールで3位になった。
2011年には、ヨーロッパアワードを受賞。
2000年にシニアチームのデビューを果たした後、彼はスペイン代表チームのキャップを133回被り、チームの成功に影響力のある人物だった。
彼は、2010 FIFAワールドカップでのスペインの優勝、およびUEFAユーロ2008とUEFAユーロ2012の両方での優勝に不可欠な役割を果たした。
彼はUEFAユーロ2008でトーナメントの選手に指名され、彼は2010 FIFAワールドカップで91%のパス成功率を達成し、ワールドカップオールスターチームで指名された。
FIFProベストイレブンを2回、UEFAチーム・オブ・ザ・イヤーを2回受賞。
獲得タイトル
クラブ
FCバルセロナ
・FIFAクラブワールドカップ:2回 (2009, 2011)
・UEFAチャンピオンズリーグ:4回 (2005-06, 2008-09, 2010-11, 2014-15)
・UEFAスーパーカップ:2回 (2009, 2011)
・リーガ・エスパニョーラ:8回 (1998-99, 2004-05, 2005-06, 2008-09, 2009-10, 2010-11, 2012-13, 2014-15)
・スーペルコパ・デ・エスパーニャ:6回 (2005, 2006, 2009, 2010, 2011, 2013)
・コパ・デル・レイ:3回 (2008-09, 2011-12, 2014-15)
アル・サッド
・カタール・スターズリーグ: 2018–19
・Emir of Qatar Cup: 2017
・カタールカップ: 2017
・Sheikh Jassim Cup: 2017
代表
U-20スペイン代表
・FIFAワールドユース選手権:1回 (1999)
U-23スペイン代表
・シドニーオリンピック銀メダル:1回 (2000)
スペインA代表
・UEFA欧州選手権:2回 (2008, 2012)
・FIFAワールドカップ:1回 (2010)
個人
・FIFAワールドユース選手権ベストイレブン:1回 (1999)
・リーガ・エスパニョーラ最優秀新人選手賞:1回 (1999)
・リーガ・エスパニョーラ最優秀スペイン人選手賞:1回 (2005)
・UEFA欧州選手権最優秀選手賞:1回 (2008)
・FIFProベストイレブン:2回 (2007-08, 2008-09)
・IFFHS最優秀プレーメイカー賞:2回 (2008, 2009)
・UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー:2回 (2008, 2009)
・FIFA.comベストイレブン:1回 (2008)
・リーガ・エスパニョーラ最優秀MF賞:1回 (2009)
・FIFAコンフェデレーションズカップベストイレブン:1回 (2009)
・FIFAクラブワールドカップブロンズボール:1回 (2009)
・カタラン・オブ・ザ・イヤー::1回 (2009)
経歴
クラブ
1991年、11歳の時にFCバルセロナの下部組織に加入し、ラ・マシアに入寮した。
はじめてもらった24ユーロ(約3200円)の給料は故郷の母へトースターをプレゼントするのに使ったという。
順調に下部組織のカテゴリーを昇格していき、1997年にはジョルディ・ゴンサルボが率いるFCバルセロナBに昇格し、セグンダ・ディビシオン(2部)昇格を果たしたチームのキープレーヤーであった。
この頃、ACミランから4年契約で移籍オファーがあったが、家族から離れることを嫌い受けなかったと、後に母親がスペインメディア『TV Cuatro』のインタビューに応えて明かしている。
1998年8月18日、スーペルコパ・デ・エスパーニャのマジョルカ戦でトップチームデビューし、その試合でプロ入り後初得点してタイトル獲得に貢献した。
10月3日のビジャレアル戦でリーガ・エスパニョーラデビューし、3-1で勝利を飾った。
デビューしてからしばらくはFCバルセロナBとトップチームを往復する日々が続いたが、バリャドリード戦でリーガ初ゴールとなる決勝点を決めて、以降は低迷していたチームの巻き返しに一役買い、ルイ・ファン・ハール監督率いるチームで鍵となる選手に成長していった。
1999-2000シーズンはレギュラーのMFジョゼップ・グアルディオラが負傷で試合を欠場することが多く、シャビがプレーメーカーの一番手で起用されるようになった。
2000-01シーズンまではグアルディオラとコンビを組むことが多く、グアルディオラが退団した2001-02シーズンはMFフィリップ・コクーとコンビを組むことが多かった。
2001-02シーズン、3月16日のレアル・マドリードとのエルクラシコでクラシコ初ゴールを決めた。
2003-04シーズンには下部組織からMFアンドレス・イニエスタが昇格し、退団したコクーに代わってコンビを組むことが多くなった。
2004年夏にはチームの第2キャプテンに就任した。
同年夏にはMFデコが加入し、イニエスタを含めた中盤の3人は抜群のコンビネーションを発揮し、2004-05シーズンのリーグ優勝に貢献した。
2005年12月2日、練習中にグラウンドのぬかるみに足を取られて転倒し、左膝前十字靭帯を断裂する重傷を負った。
手術では膝蓋腱形成による靭帯の再生処置が施され、5ヶ月間のリハビリに取り組んだ。
2006年4月のカディスCF戦でデコに代わって途中出場し、10分間プレーした。
UEFAチャンピオンズリーグ決勝にも出場し、チームはリーグ戦とUEFAチャンピオンズリーグの2冠を達成したが、シャビ自身にとっては不完全燃焼のシーズンであった。
2006-07、2007-08シーズンと連続してリーグ優勝を逃したためにフランク・ライカールト監督が辞任し、かつてのチームメイトであるジョゼップ・グアルディオラが監督に就任した。
2008-09シーズンは、リーガ・エスパニョーラ、コパ・デル・レイ、UEFAチャンピオンズリーグの3冠を達成したチームの中で重要な役割を担った。
2008年12月20日、クラブとの契約を2014年まで延長し、クラブで最も高額な部類となる年俸750万ユーロに昇給した。
2009年2月14日のベティス戦のフル出場で公式戦通算452試合フル出場を達成し、クラブ歴代2位のFWカルロス・レシャックのフル出場記録に並び、ランクの上にはDFミゲリ(548試合フル出場)しかいない。
5月2日に行われたレアル・マドリードとのエル・クラシコでは4アシスト(プジョルとアンリに対して1アシスト、メッシに対して2アシスト)を決め、6-2と大勝してリーグタイトル獲得を決定づけた。
ビルバオとのコパ・デル・レイ決勝では駄目押しとなる直接フリーキックを決めた。
マンチェスター・ユナイテッドとのUEFAチャンピオンズリーグ決勝では69分にリオネル・メッシの得点をアシストし、ペナルティエリアの外からゴールポストを叩くシュートを放った。
最終的に2-0で勝利して自身2度目の優勝を果たし、同大会の最優秀MFに選出された。
2008-09シーズンのリーグ戦ではリーグ最多の20アシストを記録し、UEFAチャンピオンズリーグでも最多の7アシストを記録した。
2009-10シーズンも好調を維持した。
1998-99シーズンから11シーズン連続で欧州カップ戦に出場しているが、2009年12月9日のUEFAチャンピオンズリーグ・ディナモ・キエフ戦に出場してクラブ初の欧州カップ戦通算100試合出場を果たした。
同月にはアラブ首長国連邦で行われたFIFAクラブワールドカップに出場し、アトランテCF(北中米カリブ海代表)とエストゥディアンテス(南米代表)に勝利して優勝した。
2010年4月10日にはエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウでのエル・クラシコで2アシストを記録した。
リーグ戦34試合に出場して3得点9アシストを決め、勝ち点99を獲得してリーグ2連覇を果たした。
UEFAチャンピオンズリーグでは準決勝でインテルに敗れたもののベスト4に残った。
2010年6月3日、リーグ最優秀選手賞であるトロフェオ・アルフレッド・ディ・ステファノでメッシとFWクリスティアーノ・ロナウドに次ぐ3位に選ばれた。
12月にはFIFAバロンドールの最終候補3名が発表され、FCバルセロナのシャビ、イニエスタ、メッシの3人が候補を独占した。
あと一歩及ばずメッシに敗れてしまったが、シャビは「これはカンテラ(育成機関)への賞だ」とメッシの受賞をたたえた。
2011-12シーズンのFIFAクラブワールドカップ決勝のサントス戦では1ゴールを決めて優勝に貢献した。
またリーガでは12月10日のレアル・マドリード戦でゴールを決めて勝利に貢献するなど、キャリア最高のシーズン10ゴールを決めた。
2015年4月28日のヘタフェ戦でゴールを決めたが、これが結果的にバルサでの最後のゴールとなった。
2015年5月21日、記者会見を開いて17年間すごしたFCバルセロナの退団を発表、同時に2014-15シーズン終了後にカタールのアル・サッドへの移籍を発表。
代表
2000年11月15日、オランダとの親善試合でスペイン代表デビューを飾った。
ホセ・アントニオ・カマーチョ監督がスペイン代表を率いた2002 FIFAワールドカップには控え選手の立場で参加したが、準々決勝の韓国戦では試合の流れを変える切り札として延長戦前半途中から投入され、PK戦では3番手キッカーとして出場したが、PK戦に敗れて敗退した。
イニャキ・サエス監督が率いたUEFA EURO 2004では出場機会を全く与えられず、1勝1敗1分でグループリーグ敗退に終わった。
UEFA欧州選手権後にはMFルーベン・バラハ、MFフアン・カルロス・バレロン、MFイバン・デ・ラ・ペーニャ、MFグティ、MFシャビ・アロンソなどとポジションを争い、ルイス・アラゴネス監督の信頼を得てレギュラーに定着した。
2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選では10試合中8試合に出場し、スロバキアとのプレーオフを勝ち抜いて本大会出場を決めた。
プレーオフのファーストレグでは初めて背番号4を着け、2アシストの活躍で5-1の大勝に貢献した。
チームの主軸のひとりであったUEFA EURO 2008ではイニエスタ、MFダビド・シルバ、MFセスク・ファブレガスとともにCuatro Jugones(クアトロ・フゴーネス、4人の創造者)と呼ばれる中盤を形成し、ショートパスの連続でボール支配率を高めて44年ぶり2度目の優勝に導いた。
準決勝のロシア戦では先制点を挙げ、決勝のドイツ戦ではFWフェルナンド・トーレスの決勝点をアシストした。
UEFAによって大会最優秀選手に選出された。
準決勝でシャビが決めた得点は大会通算500得点目のメモリアルゴールであった。
2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選でも中心選手としてチームを引っ張り、10戦10勝で本大会出場を決めた。
本大会、グループリーグのスイスとの初戦は0-1で敗れたが、ホンジュラスとチリに勝利してグループリーグ突破を決め、決勝トーナメントではポルトガル、パラグアイ、ドイツ、オランダを倒して初優勝を飾った。
決勝トーナメント1回戦ではヒールパスでFWダビド・ビジャの決勝点をアシストし、準決勝ではコーナーキックでDFカルレス・プジョルの得点をアシストした。
決勝までの7試合で669本のパスを試みて544本を成功させ、そのパス成功率は81%にも達した。
パス本数はバスティアン・シュバインシュタイガーに104本差をつけて参加選手中最多を誇り、パス成功本数が500本を越えたのは彼だけであった。
また、43本のコーナーキックを蹴って26本を味方に合わせたが、キック数・成功本数ともに2位を大きく引き離してトップだった。
7試合で全選手中トップの80.2kmの走行距離を記録し、1試合平均走行距離は11.4kmに達した。
ペナルティエリア内にボールを運んだ回数も全選手中トップの20回を記録した。
2011年3月25日のUEFA EURO 2012予選のチェコ戦で、スペイン代表史上4人目となる代表100試合出場を達成した。
UEFA EURO 2012ではスペインの全6試合に先発出場、決勝のイタリア戦ではアルバとトーレスのゴールをアシストして勝利、2大会連続の優勝に重要な役割を果たした。
2014年ワールドカップでは、グループリーグ初戦のオランダ戦にフル出場したが、この1試合のみの出場となり、スペインはグループリーグ敗退、引退を表明した。
エピソード
シャビは、一体どんな子どもだったのか。
聞く人にとって興味深く、家族の自慢となっているエピソードがある。
「バルサの下部組織では、毎シーズン、ベストチームメート賞を発表しました。3、2、1点の投票式で、チームの皆が投票した点数を合計するものです。シャビはアレビン(10~12歳)からフベニール(16~18歳)のカテゴリーの間、この賞をずっと受賞し続けました。あの子は、チームメートからいつも慕われていました。この件は、両親である私たちにとって誇らしいことです。自分の息子が、きちんと良い子に育ってくれた証拠です」
父のキムは、さらに続けた。
「シーズンの終わりが近づくと、シャビが練習帰りのタクシーの中で『チームメートの誰かが、来シーズンはもうバルサでプレーできないんだということになる。それを聞くのは、とても悲しい』と言っていました。その悲しそうな顔をよく覚えています」
バルサはシャビをタクシーで送迎したのだが、その周辺に住む子どもたちも相乗りさせていたのだ。
しかし、年々、バルサへの入団を希望する少年は増すばかりである。
カテゴリーが上がるにつれて、競争は激しくなる。
シャビと同じタクシーに乗っていた多くの選手は、最後までバルサで生き残ってプロになるという夢を叶えられなかった。
「子どもにとって、自分のチームメートがクラブに残れずに脱落していくのを見るのは辛いことです。シャビは学校に通っていた頃の友だちとずっと仲良しです。皆、いい子ばかりですよ。彼らは今でも私たちの家まで来て遊んでいますし、友達が来る前日にはシャビが私に電話をしてきます。友達と一緒に帰るから、パン・コン・トマテ(バゲットにトマトを塗ったカタルーニャ州の伝統の食べ物)と、スパニッシュオムレツを作っておいてと言うんです」
母マリア・メルセは「もちろん、みんなで来てくれるのは大歓迎ですよ」と嬉しそうに続けた。
さらに父のキムも「シャビは基本的に気取らない性格です。あの子の大好物は、豪華で派手な食事ではなく、母が作るマカロニパスタなんですからね!」と付け加える。
シャビは、食に関してもサッカーをするときと同じように飾らないのだ。
シンプルさを美徳にしている。
また、決して見栄を張ったりすることもないという。
そういった気取らない性格を裏づける、こんなエピソードもある。
「シャビはクラブで練習しているとき以外にバルサのユニフォームやジャージを着て歩くようなことは一度もありませんでした。地元の友だちとサッカーをするときも、バルサのユニフォームを着ていったことはありません。日曜日に親戚や一家が集まるときでもバルサのジャージを着たりはしませんでした。だから、私はあるとき『どうしてバルサのジャージを着ないんだ?』と息子に聞きました。すると『見せびらかしているみたいだろう? 格好つけているみたいで嫌なんだ』と答えました。本当に、息子は一度だって普段の生活の中でバルサのユニフォームやジャージを着て現れたことがないんです」
シャビはサッカーでも、ボールをコントロールしてパスを出すという極めてシンプルなプレーを見せる。
「シャビは生まれつき、頭がいいんです。たったの6歳で、あの子はもう試合中にスペースの使い方を考えていました。多くの子どもは、ボールを蹴りたくてボールの後を追いかけてばかりいるものです。ある日、他の子どもたちがボールをめがけて走って攻撃を仕掛けているときに、あの子だけはディフェンスをするために後ろに残っていたのです。私は試合後に理由を聞きました。すると、シャビは『だって、みんなが前線に上がってしまって、誰もゴールを守らなかったら、得点されてしまうでしょう? だから、僕は後ろに下がっていたんだ』と言ったのです。たった6歳で、そんなことを考えていたのかと驚いたのを、よく覚えています」
思い出話をする父は、興奮していた。
当時の驚きが脳裏に蘇ったようだった。
キムが話すように、シャビがサッカーに対する広い視野を持ち始めたのは、まだ6歳のときだった。
「幼い頃からサッカーに夢中でした。家には今でもシャビが子どもの頃にチームの布陣を書いたノートが残っています。たしか7歳のときのものだったと思いますが、そのときはすでにマンチェスター・ユナイテッドの布陣をよく研究していました」
プレースタイル
トラップの巧さとパス精度に秀でたMFでスペイン語で「ティキ・タカ」と呼ばれている「パスの細かな連携によって組み立てるサッカー」「パスを受けると同時に次にパスすることを繰り返すことで組み立てるサッカー」では欠かせない存在。
まずシャビがボールを失うことはほぼなかったですしパスの成功率も脅威の数字でした。
シャビを語る上で欠かすことのできないのが、精度の高いボールコントロールと、類まれな戦術眼です。
とくにサッカーの基礎である、「ボールを止める、蹴る、運ぶ」は世界でも有数のレベルにあるといえるでしょう。
シャビには「状況を正確に把握する眼」と「ボールを自由に操る技術」があるので、大柄な選手に囲まれても慌てることはありません。
それどころか、自在にボールを動かし、相手を翻弄します。
柔軟なボールタッチで、とくに守備から攻撃へのつなぎのパス、スルーパス、ラストパスを得意とする一方、晩年はゴールへの意欲も増していた。
ルーズボールへの対応にも秀でており、重要な局面でこぼれ球からの得点をいくつも重ねている。
シャビはターンとスクリーンを巧みに使いながら、コンパスのようにチームを自在に操る。
チームは彼を中心に回っていた。
味方を操れる中盤の選手は、過去にもいた。
だがフィールド上にいる敵・味方の22選手を操れるような選手は、シャビ以外に存在しない。
ボールは常にシャビを経由する。
チームの攻撃方向を定め、戦い方に軸を与える。
まさに「羅針盤」だ。
テクニック面が注目されがちだが、スタミナやけがの耐性にも優れている。
また守備能力にも優れており、「相手からボールを奪い取る技術にも長けている」と考えられている。
シャビのすごいところは、それだけの判断力と技術を持ちながら、「チームのためにプレーできる」ことです。
エゴイスティックなプレーはほとんどなく、自分勝手なプレーは彼がもっとも嫌うところでもあります。