概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1936年11月5日(83歳) | ||
出身地 | ハンブルク | ||
身長 | 170cm | ||
体重 | 75kg |
ポジションはフォワード(センターフォワード、セカンドトップ)。
利き足は右。
愛称は「
現役生活を一貫してハンブルガーSVで過ごし、クラブ史上最も成功した選手であると共にシンボル的存在であった。
西ドイツ代表としては4度のFIFAワールドカップに参加し21試合に出場した。
この記録は1998年に同じドイツのローター・マテウスによって塗り替えられるまで世界記録であった。
獲得タイトル
クラブ
ハンブルガーSV
- German football championship: 1959–60
- DFB-Pokal: 1962–63
代表
西ドイツ
- FIFA World Cup: 1966 (Runners-up), 1970 (Third-Place)
個人
- Ballon d’Or – Third place: 1960
- Footballer of the Year in Germany: 1960, 1964, 1970
- FIFA XI (Reserve): 1963
- Bundesliga Top Scorer: 1964
- FIFA World Cup All-Star Team: 1966
- kicker Bundesliga Team of the Season: 1969–70
- FIFA 100
- Member of Germany’s Sports Hall of Fame
経歴
クラブ | |||
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年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1953-1972 | ![]() |
476 | (404) |
1978 | ![]() |
1 | (2) |
代表歴 | |||
1954-1970 | ![]() |
72 | (43) |
クラブ
ゼーラーは1946年に9歳の時にハンブルガーSVの下部組織に入団しサッカーを学んだ。
1953年に18歳でトップチームへ昇格を果たし、翌1954年のDFBポカール、対ホルシュタイン・キール戦でデビューを飾り、この試合で4得点を決めた(試合は8-2でハンブルクの勝利)。
当時のドイツのサッカー選手の給与水準は低く、トップクラスの選手の中には国外へ活躍の場を求める者もいた。
ゼーラーに対してもイタリアやスペインから高額のオファーが届いたが、現役生活を一貫してハンブルガーSVの為にプレーを続けた。
ハンブルクではドイツ選手権優勝1回(1960年)、DFBポカール優勝2回(1960年、1963年)に貢献。彼自身もブンデスリーガ創設初年度の1963-64シーズンに30得点を挙げ得点王を獲得するなど、ブンデスリーガ通算239試合に出場し137得点、またヨーロッパのカップ戦において29試合21得点を記録した。
これらの活躍からドイツ年間最優秀選手賞を3度(1960年、1964年、1970年)受賞した。
ゼーラーは1972年に現役を引退したが、1978年にアイルランドのコーク・セルティックFCの選手として公式戦1試合でプレーし2得点を記録した。
ゼーラーは選手生活を通じて509試合に出場した。
なお、この記録はドイツ歴代最多記録となっている。
代表
西ドイツ代表としては1954年10月16日にデビュー。
1958年のワールドカップ・スウェーデン大会3位入賞、1962年のワールドカップ・チリ大会ベスト8、1966年のワールドカップ・イングランド大会準優勝、1970年のFIFAワールドカップ・メキシコ大会3位入賞に貢献した、1970年9月に代表から退くまで、国際Aマッチ72試合に出場し43得点を記録した。
また、1962年から1970年の長きに渡って西ドイツ代表のキャプテンを務め、引退後の1972年にドイツサッカー協会(DFB)から2人目のドイツ代表名誉キャプテンに選ばれた。
エピソード
現役生活を一貫してハンブルガーSVで過ごし、クラブ史上最も成功した選手であると共にシンボル的存在であった。
引退後の現在もハンブルクでは「Uns Uwe」(私達のウーヴェ)と親しみを込めて呼ばれている。
また2005年8月にはホームスタジアムのAOLアレナ(現、HSHノードバンク・アレナ)の前に彼の銅像が立てられた。
ドイツで最も愛された選手の一人。
父親のエルヴィン・ゼーラーと兄のディーター・ゼーラーもハンブルガーSVでプレーしたサッカー選手である。
孫のレヴィン・エズトゥナリもサッカー選手でバイヤー・レバークーゼンに所属している。
- 1970年のワールドカップ・メキシコ大会では若いゲルト・ミュラーが台頭しており、どちらを起用するかが焦点となった。監督のヘルムート・シェーンは2人を合宿所では同室とし、試合ではゼーラーを中盤に起用することで両者の共存を図った。
- 1972年にコメディアンのハインツ・エルハルトの主演映画Willi wird das Kind schon schaukelnに友情出演した。
プレースタイル
小柄で太めな体形からは想像もつかない程の俊敏さとジャンプ力、ボールの落下点に絶妙に合わせる得点感覚、旺盛な闘争心を持ち合わせていた。
またヘディングの名手としても知られています。