概略
生年月日 | 1947年7月12日(72歳) | ||
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出身地 | ウェールズ、グウォイン=カー=ゲーワン | ||
学校 | ミルフィールド | ||
大学 | カーディフ教育大学 |
ポジションはスクラムハーフ。
BBCによって「ウェールズのジャージを纏ったほぼ間違いなく史上最高の選手」と評されている。
2003年、ラグビーワールド誌によって行われた国際的なラグビー選手の調査では、エドワーズが史上最高の選手とされた。
2007年、元イングランド代表でキャプテンを務めたウィル・カーリングはデイリー・テレグラフ誌上で「史上最高のラグビー選手ベスト50」を発表し、エドワーズを史上最高の選手に順位付けした。
エドワーズは、1960年代と1970年代の欧州ラグビーの先頭に立っていたウェールズ代表において卓越していた。
エドワーズは3回のグランドスラムを達成した数少ないウェールズ人選手の一人である(その他にはアリン・ウィン・ジョーンズ、ライアン・ジョーンズ、アダム・ジョーンズ、ゲシン・ジェンキンズ、ジェラルド・デイヴィス、J・P・R・ウィリアムズなど)。
2007年の新年叙勲において、エドワーズはスポーツへの貢献に対してCBEを授与された。
2015年の女王誕生記念叙勲において、スポーツへの貢献と慈善奉仕活動によりナイト爵に叙された。
経歴
シニア経歴 | |||
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年 | チーム | 出場 | (得点) |
1966–1978 | カーディフRFC | 195 | (426) |
代表 | |||
年 | チーム | 出場 | (得点) |
1967–1978 1971–1974 |
ウェールズ ブリティッシュ・ライオンズ |
53 10 |
(88) (3) |
エドワーズは1966年9月17日のコヴェントリー戦でカーディフRFCの選手としてデビューした。
カーディフでは12シーズンプレーし、195試合に出場して69トライを挙げた。
エドワーズは1967年4月1日にパリで行われたフランス戦において、19歳でウェールズ代表としての初試合を飾った。
試合は20対14で敗れた(フランスはその後ファイブ・ネイションズを制した)。
1967年から1978年の間にエドワーズはウェールズ代表として53キャップを記録し、そのうち13試合でキャプテンを務めた。
1970年代はウェールズ代表の第二次「黄金世代」と呼ばれ、ウェールズ代表は国際舞台で大きな成功を収めた。エドワーズは代表戦で20トライを記録した。
エドワーズはウェールズの史上最年少のキャプテンで、1968年2月に行われたスコットランド戦において20歳で初めてキャプテンを務めた。
エドワーズはラグビー史上最高のアウトサイドハーフ(スタンドオフ)であるバリー・ジョンとフィル・ベネットと共にプレーした点で非常に幸運だった。
キャリアの初期において、エドワーズとそのクラブでのチームメイトであったバリー・ジョンは切っても切れない以心伝心のコンビだった。
エドワーズの時代、ウェールズ代表はファイブ・ネイションズ・チャンピオンシップで3回のグランドスラムを含む7度の制覇を果たした。
1969年、エドワーズはウェールズの年間最優秀選手に選ばれた。
1974年、エドワーズは、BBCのウェールズ年間最優秀スポーツ選手に選ばれた。
この功績によって1975年にMBEを授与された。
エドワーズのウェールズ代表としての長く輝かしいキャリアは1978年3月18日のファイブ・ネイションズ・チャンピオンシップの試合で終焉を向かえた。
相手はデビュー戦と同じフランスだった。しかし、デビューと異なり、16対7でフランスを破り、カーディフ・アームズ・パークの母国の観衆の前で有終の美を飾った。
ウェールズはこの試合でグランドスラムと、3年連続の三冠を達成した。
この記録は未だに破られていない。
エドワーズはブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズの一員として10回プレーした。
1971年のライオンズはニュージーランドとのシリーズを勝利した唯一のチームであり、1974年のチームは南アフリカで無敗だった。
エピソード
しばしば単に “that try”(「あのトライ」)と呼ばれる1973年にカーディフ・アームズ・パークで行われたバーバリアンズ対オールブラックス戦でのエドワーズのトライは、史上最高のトライと見なされている。
一連のプレーはニュージーランドのウィンガーからの深いキックで始まった。
ボールはゴールライン近くでフィル・ベネットの前に落ちた。
ベネットはサイドステップを切り、3度のタックルを躱し、次にボールをJPRウィリアムズへパスした。ボールは次に4人(パリン、ドーズ、デイヴィド、クィネル)の手に次々と渡り、最後にエドワーズが左のコーナーにダイビングトライを決めた。
2002年にチャンネル4がイギリスで実施した投票では、エドワーズの歴史的トライはスポーツの最高の瞬間トップ100の第20位であった。
プレースタイル
彼は、最高の技術を持った最高のアスリートで完成された選手だった。
1970年代にプレーしたが、現在プレーしたとしても、彼が今でもベストだろう。
ランニング、パス、そして試合を読む力がずば抜けていた。
彼はピッチ上で究極のアスリートとしてラグビー全体に跨った。