概略
生年月日 | 1962年10月21日(57歳) | ||
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出身地 | オーストラリア、ニューサウスウェールズ州クウィーンビアン | ||
身長 | 180 cm | ||
体重 | 89 kg |
ポジションはウイング、フルバック。
愛称はCampo。
2001年にはラグビー殿堂入りを果たした。
経歴
シニア経歴 | |||
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年 | チーム | 出場 | (得点) |
1982–1986 1981–1985 1984–1988 1987–1998 1987–1998 1988–1993 |
クウィーンビアン・ホワイツ ACT ペトラルカ・パドヴァ ランドウィック ニューサウスウェールズ アマトーリ・ラグビー・ミラノ |
56 | (114) |
代表 | |||
年 | チーム | 出場 | (得点) |
1982–1996 | オーストラリア | 101 | (315) |
ラグビーオーストラリア代表(ワラビーズ)で長らく活躍し、キャップは101に上る。
その間、1984年の遠征ではワラビーズ史上唯一のグランドスラム(ホーム・ネイションズ、すなわちイングランド・アイルランド・ウェールズ・スコットランドの代表に対する全勝)達成に、1991年の第2回W杯では、ニック・ファー=ジョーンズ、マイケル・ライナーとともに優勝に貢献した。
また、テストマッチでのトライ数64は2006年に大畑大介に更新されるまで世界記録だった。
引退後は指導者に転じ、シンガポール代表や南アフリカのシャークス、トンガ7人制代表などで始動した。
エピソード
ワラビーズでのポジションは左ウィング、右ウィング、フルバックとこなしたが、左ウィングに思い入れがあるのか、どのポジションについても11番を着けることが多かった。
1991年の第2回大会では、準決勝でニュージーランドと宿敵オーストラリアが激突したが、そのとき、ハカの最中にオーストラリアのレジェンド、デイビッド・キャンピージは、1人だけハーフウェイラインを離れて、自陣深くでボールを蹴って無邪気な子どものように遊んでいた。
つまり、ハカをまったく無視したのだ。
しかも、この試合はオーストラリアの勝利で幕を閉じたが、勝負を決定づけるトライをアシストしたのがキャンピージだった。
ボールを持ってニュージーランド防御に向かって直進。
2人を自分に引きつけたまま、まったく視線を動かさず前を向いたまま、ボールをヒョイと後ろに放り投げて、サポートしたティム・ホランがトライを挙げた。
この大会の「THE FINEST MOMENT(最良の瞬間)」賞を受賞した名場面だ(この大会だけ、そんな賞があった)。
ハカと対峙することより、ボールを蹴って遊ぶことを選んだキャンピージだからこそ、できたプレーだった。
プレースタイル
キャンピージは「グースステップ」(タックルを試みる相手をよろめかせて置き去りにするヒッチ・キックモーション)で有名である。
背番号11をつけながら右WTBを住処とし、状況に応じて左WTBやFB、SOにもポジショニングを変える変幻自在のランナーは、足を高く振り上げるグースステップで防御を幻惑。
相手の予測しないスペースに走り込む高速移動と、魔法のようなパフォーマンスを見せる。