概略
誕生日 | 1938年5月28日(82歳) |
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国 | ![]() |
出身地 | ウェストバージニア州チェリアン |
出身 | ウェストバージニア大学 |
ドラフト | 1960年 2位 |
身長(現役時) | 188cm (6 ft 2 in) |
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体重(現役時) | 79kg (174 lb) |
ウィングスパン(現役時) | 206cm (6 ft 9 in) |
ポジションはポイントガード、シューティングガード。
右利き。
1960年代を代表する選手。
ジェリー・ウェストは、かつて1960年から1974年までロサンゼルス(ミネアポリス)レイカーズ一筋でプレイし、14回のオールスター出場、12回のオールNBA選出、1970年の得点王、1972年の優勝を経験。
シュートの名手としてチームを牽引し、土壇場に強いことから「ミスター・クラッチ」のあだ名を持っていた。
引退後には殿堂入りを果たした。
のちに同チームのゼネラルマネージャーとなり、レイカーズの7度の優勝に貢献した。
その後メンフィス・グリズリーズでも同様の役職に就いた。
1960年のローマ五輪金メダリスト。
受賞歴 | |
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経歴
1960-1974 | ミネアポリス・レイカーズ/ロサンゼルス・レイカーズ |
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代表歴 | |
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キャップ | ![]() |
1960年、ウェストはミネアポリス・レイカーズに1巡目2位で指名された。
まもなくレイカーズはロサンゼルスに移転し、ロサンゼルス・レイカーズとなった。
ウェストは入団から引退までこのチームでプレーした。
1年目のシーズン、ウェストは平均17.6得点、4.2アシスト、7.7リバウンドと優秀な成績を残した。
レイカーズは36勝48敗と負け越したがプレーオフでは地区決勝まで進み、当時強豪だったセントルイス・ホークスに3勝4敗で敗退した。
翌シーズンのウェストは平均30.8得点(リーグ5位)、5.4アシスト(リーグ6位)、7.9リバウンドと活躍し、オールNBAファーストチームに初めて選出された。
以降ウェストは引退するまでの間にこの賞を10回受賞することになる。
レイカーズはプレーオフを勝ち進みNBAファイナルに進出するが、ボストン・セルティックスに敗退。
これ以降もレイカーズはファイナルでボストンと幾度も対戦し、その度に敗れることが繰り返され、チームの中心となっていたウェストは優勝には届かないスター選手として過ごしていった。
ウェスト個人の活躍は目覚ましく、1965年の平均31得点はリーグ2位、1970年の31.2得点はリーグ首位と高い水準の得点を記録し続け、チームも1962年、1963年、1965年、1966年、1968年、1969年、1970年にNBAファイナルに進出した。
このうち1969年までは全てボストン・セルティックスに、1970年にはニューヨーク・ニックスに敗れ、優勝を逃した。
1962年のファイナルは第7戦を3点差で、1966年には同じく第7戦を2点差で、1969年も第7戦を2点差で落とした接戦だった。
ウェストが1970年のNBAファイナル第3戦で放ったシュートはよく知られている。
規定時間終了間際にウェストがコート中央から打ったシュートがブザーと同時に決まって同点、試合は延長に続くことになった。
レイカーズは結局この試合を2点差で落とし、最終の第7戦にも敗れ優勝を逃した。
1971-72シーズン、既に30歳を過ぎており怪我も多かったウェストは引退も考えたが、このシーズンのレイカーズは歴史的な躍進を果たすことになった。
今もリーグ記録である33連勝を含めてシーズン成績は69勝13敗で、これは現在史上3位の記録である。
ウェストの平均9.7アシストはリーグ首位となった。
NBAファイナルに進んだレイカーズはニューヨーク・ニックスを4勝1敗で破り、ウェストは優勝を経験した。
その後2シーズンを過ごしたウェストは、怪我で31試合の出場に留まった1973-74シーズンが終了すると引退した。
エピソード
NBAのロゴで赤と青を背景にドリブルをする白いシルエットは、ウェストをモデルにしたもの。
史上唯一、負けたチームにいながらファイナルMVPを獲得した選手。
ウェストが1970年のNBAファイナル第3戦で放ったシュートはよく知られている。
規定時間終了間際にウェストがコート中央から打ったシュートがブザーと同時に決まって同点。
試合は延長に続くことになった。
レイカーズは結局この試合を2点差で落とし、最終の第7戦にも敗れ優勝を逃した。
マイケル・ジョーダンが「史上最高のSG」と言っただけのNBA史に残る名選手です。
「NBA史上最高の選手は誰か?」という議論にしばしば名前が上がるほどの選手です。
プレースタイル
ディフェンスやアシストにも定評があったがリーグ屈指のスコアリングガードとして君臨した。
さしてドリブルがうまいわけでもなければ、運動能力が高かったわけでもない選手でしたが、非常にプライドが高く、また完璧主義者でシュートを17本打ち16本決めた日のことを聞かれても、そんな誉めるべきことじゃないと述べてます。
当時のNBAには3ポイントシュートが存在しなかったにも関わらず、ウェストはその距離からシュートを打つことができたとされており、彼は平均27得点を記録していました。
生涯一試合平均得点27.0、同アシスト6.7、同リバウンド5.8から見ても分かるように、、非常にオールラウンドな選手であったと言えると思います。
類まれなジャンプシュートを武器にした得点力が群を抜いていることは明らかですが、アシスト王になったことがあるくらいにコートビジョンがありパスが上手い選手です。
同時に、今でいうところのスウィングマンでありながらリバウンドも高いアベレージを残すことができました。
また時折勝負どころで見せる勘の良いスティールも相手にとっては厄介だったことでしょう。
アウトサイドシュートとペイント内での得点のバランスの良さがあります。
また「ミスター・クラッチ」の名を冠するほど、勝負強い選手のようです。
シュートタッチはシュートの上手な選手にしては独特で、あまりスピンがかかっていません。
というのも、フォームがたとえばジョーダンのように上腕から伝わってきた力を肘をピンと伸ばしきることで前腕にしっかり伝えきるというよりは、前腕を主に使ってポンとまるでスクープシュートを放つような軽やかさで打つからです。
そして手首の返しもあまりなく、指も最後までボールに触れているというよりは押し出してすぐボールから離れる感じです。
言ってしまえば、多くの人がイメージする美しいシュートフォームだったとはいえないのではないかと思います。
ただ、それで入るわけですし、こういったフォームの特徴からクイックリリースが可能になっているわけですので、美しい美しない以上の価値があったと言えます。