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チャールズ・バークレー

バスケ

概略

【バスケ】史上最高のPF チャールズ・バークレーのプレイ動画集!→「空飛ぶ冷蔵庫」と呼ばれたその強さをみよ!【NBA】【サー・チャールズ】
誕生日 1963年2月20日(57歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アラバマ州リーズ
出身 オーバーン大学
ドラフト 1984年5位
身長(現役時) 198 cm (6 ft 6 in)
体重(現役時) 114 kg (251 lb)
足のサイズ 34.0cm

 

ポジションはパワーフォワード。

 

右利き。

 

1992年バルセロナオリンピックと1996年アトランタオリンピックの金メダリスト。

 

NBA史上、(生涯)通算得点20,000P、通算リバウンド数10,000R、通算アシスト数4,000Aを超えた5人の選手の一人。

 

インサイドを完全に支配できた、NBA史上最高のパワーフォワードと謳われている。

 

公称身長198cm(実際は193-195cm程度と自認)ながら、非常に体重(横幅)のある選手であった。

 

その巨体に見合わぬ、高い運動能力と技術を有していた。

 

大変な毒舌家であり、歯に衣着せぬ物言いでも有名。

 

コートの内外にかかわらず、話題に欠けることのない人物。

 

愛称は「空飛ぶ冷蔵庫(小山)」「サー・チャールズ

 

受賞歴
  • MVP:1993
  • リバウンド王:1987
  • 11×NBAオールスターゲーム出場:1987~1997
  • NBAオールスターゲームMVP:1991
  • オールNBAチーム
    • 5×1stチーム:1988~1991, 1993
    • 5×2ndチーム:1986, 1986, 1992, 1991, 1995
    • 3rdチーム:1996
  • NBAオールルーキーチーム:1985
  • NBA50周年記念オールタイムチーム:1996
  •  34  フィラデルフィア・76ers永久欠番
  •  34  フェニックス・サンズ永久欠番
  • No.34 オーバーン大学永久欠番

 

経歴

[NBA]空飛ぶ冷蔵庫チャールズ・バークレー物語
1984-1992
1992-1996
1996-2000
フィラデルフィア・76ers
フェニックス・サンズ
ヒューストン・ロケッツ
代表歴
キャップ アメリカ合衆国の旗 1992, 1996

 

1984年のNBAドラフトで、フィラデルフィア・セブンティシクサーズより全体5位で指名を受ける。

 

キャリア初期は体重コントロールが出来ず、走ることが苦しかったと語っているが、ウェイトトレーニングをして、身体ができてからトップレベルでやれる自信がついたと話す通り、プレーもどんどん向上していった。

 

Dr.Jこと ジュリアス・アービングやモーゼス・マローンら歴史に残る名選手に囲まれながらも、バークレーは次第に存在感を示すようになり、1987年にはオールスター戦出場を果たす。

 

個人成績はリーグ屈指のスター選手にふさわしいものになっていたが、チーム成績は降下していき、バークリーはチームのフロントに不満を持つようになる。

 

1992年、ドリームチームの一員として金メダルを獲得した後、自ら志願したトレードによりフェニックス・サンズへと移籍した。

 

新チームに移ったそのシーズン、リーグ屈指のPGケビン・ジョンソンとバークリー、セドリック・セバロスら将来を嘱望される若手、またダン・マーリーらベテランがうまく噛み合い、サンズはブルズをも上回るリーグ最高の62勝20敗という成績を上げ、バークリーはMVPを受賞。

 

NBAファイナルに進出、マイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズと対戦。

 

しかしチームは、ホームゲームで全敗したことが大きく響き、シリーズはブルズの4勝2敗の勝利で終わり、バークリーは悲願の優勝を逃す。

 

この次期以降、バークリーは怪我がちになり欠場が増えるようになり、また同じくチームの柱であったケビン・ジョンソン、ダニー・マニングといった他のオールスター級の選手が軒並み怪我を起こし、サンズは唯一ダン・マーリーだけが安定して出続ける満身創痍のチームとなりブルズに対抗できるスター軍団と目されていたにもかかわらず、結果を残す事が出来ずに二度とNBAファイナルへの進出はならず、バークレーとチームオーナー、ジェリー・コランジェロの間の確執が表面化した。

 

1996年、バークリーは優勝できる新天地を求めヒューストン・ロケッツに移籍。

 

アキーム・オラジュワンやクライド・ドレクスラーといった当時を代表する選手をチームメートに得る。

 

しかしNBAファイナル進出はならず、1998年にドレクスラーは引退。

 

翌シーズンは入れ替わりにスコッティ・ピッペンが加入するもののまたもやファイナル進出は果たせなかった。

 

1999年12月8日の古巣フィラデルフィア・セブンティシクサーズ戦で左膝の腱断裂という全治6か月の重傷を負い、その翌日にシーズン限りでの引退を発表した。

 

その際、数年前にコート内外での態度に対して苦言を呈し、舌戦を繰り広げていたアレン・アイバーソンも引退会見に駆けつけ、労を労った。

 

その後、怪我を負いコートから担ぎ出される姿で終わりたくないとの思いからリハビリを開始。

 

見事に最終戦に間に合わせ、わずか6分間であるが出場し、リバウンド、ゴールも記録した。

エピソード

【NBA】本当に飛んで来たら危ない!空飛ぶ冷蔵庫!歴代最強パワーフォワード。【チャールズ・バークレー】

彼の発言は毒舌的なユーモアのセンスがあると話題になることが多かった。

 

ほんの一例を紹介しよう。

 

  • トイレで小銭を便器に落としたとき、わざと紙幣をもトイレに落としてから小銭と紙幣を一緒に拾って

「だって、こんなはした金のために手を汚す気にならないだろ」

 

  • 「(沈没船が題材の映画)タイタニックを見ましたか?」とインタビューで聞かれ、

「あぁ、見たよ。ダラスにデンバーに・・(全て当時の弱小チーム)」

 

  • (敬虔なクリスチャンとして有名な)A.C.グリーンに対し、

「なぁ、神様がそんなにいいモノなら、なんでお前にジャンプ・ショットを授けてくれなかったんだろうな」

 

  • ある年のドラフトで、最初から高卒選手の指名が続き、シェーン・バティエが指名されたときに

「やっと酒の飲めるヤツが入ってきたぜ」

 

  • ヒューストン・ロケッツに移籍した1996-97シーズンのプレシーズンマッチのニューヨーク・ニックス戦で、チャールズ・オークリーと乱闘騒ぎを起こし、シーズン開幕戦を出場停止処分を課されたことに対し、

「開幕戦の相手はキングスだろ!? じゃあ、俺が出なくても勝てるよな!?」

 

「周りがどう思っても気にしない。なぜなら人はバカだから」「俺は6フッターだろうが7フッター(190cm~2mクラスの選手)だろうが、前にいる奴は全力で張り倒そうと思っていた」なんてブラックジョークも放つ。

 

  • 2006年5月3日のESPNのインタビューで、自身のギャンブル癖を認めると共にこれまでに1000万ドル以上を失ったと告白。金には困っていないようで止める気は全くない様子。

 

  • 姚明がドラフトで指名された時、ケニー・スミスを相手に、「もし姚明が20得点出来たら、スミスの“”にキスする」という賭けをしたが、姚が20得点を記録し賭けに負けてしまう。結局、スミスが“ロバ”を用意し、それにキスすることで落着となった(尻、ロバは共に英語で“ass”)。なお、キスの模様の映像は全米に放送された。

 

プレースタイル

Charles Barkley Early Career Highlights

NBA史上最高のパワーフォワードと謳われる存在。

 

横幅のある体型と並外れた跳躍力から「空飛ぶ冷蔵庫」の異名を取った。

 

類稀なオリジナリティとカリスマを持ったプレイヤーとして評価を受けている。

 

身長198cm(実際は193-195cm)とガード並だが、常時体重115kgをオーバーする非常に大柄な選手であった。

 

フォワードとしては低身長だったが、屈強な肉体を活かしてセンターをも圧倒。

 

バークレーは重量級ながらも極めて高い運動能力を有しており、コート上を端から端まで高速で駆け抜けるスピード、リングの遥か上まで手が届く豊かな跳躍力を発揮した。

 

高い運動能力と巨躯が生み出す圧力で、2メートルを超える大男たちを打ち負かした。

 

リーグ屈指のオールラウンダーであり、得点、パス、リバウンド、ブロックショットといったあらゆる部門において毎試合高度なパフォーマンスを魅せた。

 

圧倒的パワー、広いウイングスパン、高い跳躍と走力を併せ持っており、パワーフォワードというポジションでありながら、ガードと並走する姿がよく見られるほど前衛を走る走力があり、なおかつパワーに恵まれていたためドリブルでそのままダンクまで持ち込むパワフルなシーンが多かった。

 

一方トランジションの場面においても、インサイドではポストアップからのスピンムーブ、アウトサイドでも優れたクイックネスを発揮し、ミドルレンジや、時に3Pなどのロングジャンパーも使う。

 

ボールハンドリングも巧く、自身が攻撃の起点となり敵チームの隙を突いたパス捌きでアシストも多く記録。

 

特に有名なのが、トップポジションからバックビハインドでゴール下へアシストしたプレイで、ハイライトによく使われる。

 

当時のパワーフォワードとしては攻撃の選択肢が幅広い希少な選手であった。

 

過度なハッスルプレイや奇想天外な言動、あからさまなラフプレイが引き起こした数々のトラブルから、「冷静沈着」の対極に位置する人物として認識されやすい。

 

しかし、稀有な高いバスケットボールIQと要所で機転を利かせられるクレバーなプレイスタイルを持ち合わせているため、決して一筋縄ではいかないプレイヤーであった。

 

大変な毒舌家であり、ラフプレイと口の悪さでマッチアップマンを苛立たせるNBA史上屈指のトラッシュ・トーカーだったが、抜群のユーモアセンスでファンが多かった。

 

キャリア通算(一試合平均)、22.1得点、11.7リバウンド、3.9アシスト。

 

 

 

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