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アイザイア・トーマス

バスケ

概略

アイザイア・トーマス(Isiah Thomas)プレー集 〜デトロイト・ピストンズ バックトゥバックの立役者〜 [NBA history] Vol.74
誕生日 1961年4月30日(59歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 イリノイ州の旗イリノイ州シカゴ
出身 インディアナ大学
ドラフト 1981年 2位
身長(現役時) 185cm (6 ft 1 in)
体重(現役時) 84.1kg (185 lb)

 

ポジションはポイントガード。

 

右利き。

 

選手時代の13シーズンをデトロイト・ピストンズで過ごした。

 

通算得点、通算アシスト、通算スティール、通算出場試合数でピストンズトップの成績を残している。

 

その時代を代表する名ポイントガードであるだけでなく、NBA50周年記念オールタイムチームに選ばれ、引退後にはバスケットボール殿堂入りも果たした名選手だった。

 

1990年のNBAファイナルMVP。

 

優勝経験は2回。

 

新人の1982年から12年連続でNBAオールスターに選ばれた。

 

ニックネームは「Zeke(ジーク)」。

 

受賞歴
  • 2× NBAチャンピオン (1989–1990)
  • NBAファイナルMVP (1990)
  • 12× NBAオールスターゲーム出場 (1982–1993)
  • 2× NBAオールスターゲーム MVP (1984, 1986)
  • オールNBAチーム
    • 3×1stチーム (1984–1986)
    • 2× 2ndチーム (1983, 1987)
  • NBAオールルーキーチーム 1stチーム (1982)
  • アシスト王 (1985)
  • USAバスケットボール男子年間最優秀選手 1980
  • No. 11 デトロイト・ピストンズ永久欠番
  • NBA50周年記念オールタイムチーム (1996)
  • NCAAチャンピオン (1981)

 

経歴

HD Highlights of Isiah Thomas
1981-1994 デトロイト・ピストンズ

 

トーマスは1981年のNBAドラフト全体2位でピストンズに指名された。

 

この年の1位指名権を持っていたのはダラス・マーベリックスだったが、トーマスはマーベリックスを避けていた。

 

ピストンズも21勝61敗と下から2番目の成績の弱小チームであった。

 

1年目の1981-82シーズンには17得点、7.8アシストをあげ、オールルーキーファーストチームに選ばれた。

 

2年目には22.9得点、7.8アシストでオールNBAセカンドチームに選出。

 

オールスター戦にも新人のシーズンから出場し、トーマス個人の実力は評価されていた。

 

しかしチームは1981-82シーズンには39勝43敗、翌年は37勝45敗と負け越しており、プレイオフ出場もままならない状態だった。

 

なお、トーマスが新人だったシーズンの途中でビル・レインビアがチームに加わり、3年目の1983-84シーズンからはチャック・デイリーヘッドコーチが就任している。

 

デイリーをヘッドコーチに迎え入れて以降、ピストンズは徐々に上向き始めた。

 

1984年にチームは49勝33敗と勝ち越した。

 

この年ピストンズは6年ぶりにプレイオフに進出するが、1回戦でニューヨーク・ニックスに敗れる。

 

トーマスは1984-85シーズンにはNBA記録となる平均13.9アシストをあげた(この記録は1989-90シーズンにジョン・ストックトンが更新した)。

 

翌1985年のドラフトでピストンズはジョー・デュマースを指名、リック・マホーンをトレードで獲得。

 

ビル・レインビアも徐々に成績を伸ばしてきており、1985-86シーズンにはリーグのリバウンド首位になった。

 

さらに1986年にはジョン・サリーとデニス・ロッドマンがチームに加わり、「バッドボーイズ」と呼ばれるチームの中核メンバーが集まった。

 

「バッドボーイズ」は激しいディフェンスでリーグを席捲した。

 

チームで唯一の紳士と言われたデュマースを除けば、彼らは必要以上に乱暴で卑怯なチームとしてリーグの大抵の選手に忌み嫌われた。

 

バッドボーイズの主な数人だけで他の1チーム分の罰金をリーグに支払っていた。

 

小柄ながら強気なプレイを見せるトーマスは、得点やゲームメイクの面で、そして精神的な柱としてこのチームを束ねる役割を果たしていた。

 

またドリブルの名手でもあり、スティールにも長けていた。

 

トーマスは年齢よりもかなり若く見える顔立ちをしており、しばしば人好きのしそうな笑顔を見せたが、「バッドボーイズ」のリーダーというイメージとそのプレイスタイルから「微笑んで相手を倒す」と言われた。

 

”バッドボーイズ”を結成し戦力を強化したピストンズにとって、目指すべきゴールはやはりNBAチャンピオンでした。

 

1986-87シーズンのプレイオフ、25年ぶりにカンファレンス決勝まで勝ち進んだピストンズは、当時最強チームのボストン・セルティックス相手に2勝2敗と互角の勝負を繰り広げていました。

 

しかし第5戦、1点リードで迎えた第4クォーター最終盤でトーマスはインバウンズパスを相手に奪われて逆転負けを喫すると、第6戦は勝利で終えたもののロードの第7戦に敗れて姿を消すことになります。

 

リベンジに燃えるトーマスとピストンズは、翌1987-88シーズンのカンファレンス決勝でボストン・セルティックスを4勝2敗で見事に下し、NBAファイナルでロサンゼルス・レイカーズと激突しました。

 

ピストンズは先に3勝2敗と王手をかけるも、第6戦でトーマスが足首を負傷するというまさかのアクシデントが起こります。

 

トーマスは不屈の闘志でコートに立ち、第4クォーターだけでNBAファイナル記録となる25得点を記録するも、チームは1点差で敗れる結果に。

 

結局第7戦もレイカーズが勝利することになり、ピストンズはあと一歩のところで優勝を逃すこととなりました。

 

それでも成長を続けるピストンズは翌1988-89シーズン、再びNBAファイナルの舞台に戻ってくると、マジック・ジョンソンをはじめとした主力を欠いたレイカーズに4勝0敗と完勝し、トーマスにとってキャリア9年目でNBAチャンピオンに輝きます。

 

さらに翌1989-90シーズン、カンファレンス決勝では実力をつけてきたマイケル・ジョーダン擁するシカゴ・ブルズを第7戦までもつれた末に下すと、NBAファイナルではポートランド・トレイルブレイザーズを4勝1敗で下し、悲願の2連覇を成し遂げました。

 

そしてトーマスはこのシリーズで平均27.6得点、7.0アシストを記録し、自身初のファイナルMVPにも輝きました。

エピソード

Isiah Thomas – Bad Boy

NBAで2連覇したチームは、1987年、1988年のロサンゼルス・レイカーズに続いて1960年代以降で2チームめだった。

 

ピストンズは歴史に残る快挙を成し遂げたが、同じ地区のライバルシカゴ・ブルズの実力はピストンズに迫り、追い越しつつあった。

 

「バッドボーイズ」と呼ばれたピストンズは、ブルズのエースマイケル・ジョーダンをジョーダン・ルールという手法で封じ込めていた。

 

これはゴール下に切り込んだジョーダンをピストンズが数人がかりで強引に抑え込むというものだった。

 

過去3年にわたってプレイオフでピストンズに敗退していたブルズにとって、ピストンズは倒すべき宿敵だった。

 

1990-91シーズン、ピストンズは勝ち星を減らし50勝32敗、一方のブルズはリーグ首位の61勝21敗を記録していた。

 

プレイオフで、ピストンズは1回戦、カンファレンス・セミファイナルと勝ち抜き、カンファレンス・ファイナルでブルズと対戦した。

 

前シーズンは最終の第7戦まで争ったが、このシーズンのブルズは成長が著しく、0勝4敗でピストンズは敗退した。

 

115対94でブルズの圧勝となったシリーズ最後の4試合目に、トーマスはのちに物議を醸す事件を起こした。

 

ピストンズの敗戦が明らかになった試合終了間際、ベンチに下げられていたピストンズの主力メンバーは、試合が終わる前にトーマスに率いられてコートから退場した。

 

相手選手と挨拶を交わすことなくブルズベンチの前を通りすぎる様を、多くのファンはいかにも「バッドボーイズ」の終焉らしい幕切れと考え、同様に多数の人々はスポーツマンシップに欠けた非礼な行為という印象を持った。

 

この事件でトーマスは大きな批判を受けることになった。

 

1992年に、トーマスがドリームチームのメンバーに選ばれなかったのはこの件が大きな要因になったとされる。

プレースタイル

100 Isiah Thomas Highlights ( actually more like 200)

185cmとNBAのポイントガードの中でも小柄な身長の部類に入るトーマスですが、彼の卓越したハンドリング能力、ゲームメイク力は、それを補って余りあるものでした。

 

特にボールハンドリング能力は凄まじく、ボールが吸い付くようなドリブルをしていました。

 

1984年からは4年連続でシーズン平均20得点、10アシストを記録したほか、1982年から1993年まで12年連続オールスターゲームに出場したことからも、1980年代を代表する名ポイントガードだったと言えるでしょう。

 

トーマス小柄ながら強気な性格はチームの精神的な柱にもなり、強力なディフェンスかつ荒いプレイスタイルが特徴の”バッドボーイズ”のリーダーとして機能しました。

 

トーマスの勝利への欲求は人一倍強く、チームが勝てていないキャリア初期には退団を考えたこともあったとのこと。

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