概略
誕生日 | 1945年11月17日(74歳) |
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国 | ![]() |
出身地 | ルイジアナ州レイビル |
出身 | ヒューストン大学 |
ドラフト | 1968年 1位 |
身長(現役時) | 206cm (6 ft 9 in) |
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体重(現役時) | 107kg (236 lb) |
ポジションはセンター、パワーフォワード。
右利き。
NBA史に残る名選手として活躍し、「THE BIG E」のニックネームで呼ばれた。
NBAのワシントン・ブレッツでウェス・アンセルドとともに1978年のチャンピオンシップ優勝の大きな原動力となった。
高い身長を活かし、リバウンドを制し、攻撃・防御の要となった名選手である。
1990年にバスケットボール殿堂入りした。
受賞歴 | |
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主な受賞
- オールスターゲーム出場:12回 (1969-1980)
- オールルーキー1stチーム選出:1969
- オールNBA1stチーム選出:3回 (1975, 1977, 1979)
- オールNBA2ndチーム選出:3回 (1973, 1974, 1976)
- オールNBAディフェンシブ2ndチーム選出:2回 (1974, 1975)
- 得点王:1回 (1969-トータル2,327点、平均28.4点)
- フィールドゴール最多得点:1回 (1969-930得点)
- フィールドゴール試技数リーダー:3回 (1969-2,082回・1970-2,020回・1971-2,215回)
- リバウンド王:2回 (1970-トータル1,386、平均16.9・1974-トータル1,463、平均18.1)
- オフェンシブリバウンド王:1回 (1974-354リバウンド)
- ディフェンシブリバウンド王:1回 (1974-1,109リバウンド)
- NBAベスト50選手:1996年
主な記録
- 通算プレイ時間NBA歴代3位 (50,000分)
- 通算フィールドゴール得点NBA歴代5位 (10,976得点)
- 通算フィールドゴール試技数NBA歴代4位 (24,272ショット)
- 通算ポイント数NBA歴代6位 (27,313得点)
- 通算リバウンド数NBA歴代4位 (16,279リバウンド)
- 通算ポイント数ウィザーズフランチャイズ記録 (15,551得点)
- 通算ブロック数ウィザーズフランチャイズ記録 (1,558ブロック)
経歴
1968-1972 1972-1981 1981-1984 |
サンディエゴ・ロケッツ ワシントン・ブレッツ ヒューストン・ロケッツ |
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大学卒業後、ドラフト1位指名でサンディエゴ・ロケッツに入団すると、さっそく平均28.4得点、17.1リバウンドを記録し、新人にして得点王に輝く。
創設2年目のロケッツをプレイオフに導く活躍を見せたが、新人王はボルチモア・ブレッツを強豪へと変貌させたウェス・アンセルドが受賞した。
ロケッツで4シーズンを過ごした後、1972年にブレッツに移籍し、アンセルドとともにブレッツを牽引する。
ヘイズとアンセルドに率いられたブレッツは70年代後半にファイナルに3度進出し、1978年にチーム史上唯一となる優勝を遂げている。
ファイナルMVPにはブルーカラー役に徹したアンセルドが選ばれたが、ヘイズはチームトップとなる平均20.7得点、11.9リバウンド、2.0ブロックを記録し、ブレッツの優勝に大きな役割を果たした。
その後、1981年に古巣のロケッツに復帰し、3シーズンを過ごした後に現役を引退した。
デビューから12シーズン連続でオールスターに選出され、この間、10シーズンで平均21得点、11リバウンド以上を記録している。
また、16シーズンに渡る選手生活で欠場はわずかに9試合しかなく、長くコンディションを維持しトップ選手として活躍を続けた。
背番号『11』はブレッツ(現ワシントン・ウィザーズ)の永久欠番となり、通算得点と通算ブロックは現在もチーム記録となっている。
エピソード
ヒューストン大学最終学年に平均36.8得点、18.9リバウンドという数字を残し、シーズン中には47連勝を記録していたUCLAに勝利して連勝をストップさせた。
ルー・アルシンダー(後のカリーム・アブドゥル=ジャバー)を擁するUCLAとの対戦は大きな注目を集め、この試合は「Game of the Century(世紀の試合)」と称えられた。
52,693人のHouston Astrodomeファンの中、ホームのヒューストン選手、エルビン・ヘイズは39ポイントを得点して、15のリバウンド記録。
その一方で、ジャバーをちょうど15ポイントと、得点は低迷。
ヒューストンが71-69でUCLAに勝利する。
このゲームで、 UCLA Bruinsんの連勝は47でSTOPし、後に「Centuryのゲーム」と呼ばれて記録をとじる。
その後、エルビン・ヘイズとジャバーは、1968のNCAA Men、Aリーグ Basketball Tournamentで、再試合をする。
「Centuryのゲーム」のゲームの借りを、UCLAが101-69で準決勝でヒューストンに帰す事となる
プレースタイル
高い身長を活かし、リバウンドを制し、攻撃・防御の要となった名選手である。