マイク・シュミット

概略

国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 オハイオ州デイトン
生年月日 1949年9月27日(70歳)
身長・体重 187cm、88.5kg

 

ポジションは三塁手(サード)。

 

右投右打。

 

キャリアの全てをフィラデルフィア・フィリーズで過ごしたフランチャイズ・プレイヤーである。

 

マイク・シュミット以上に1980年代の野球界を支配していた選手は存在しない。

 

後に野球殿堂入りを果たした彼は3度のMVP受賞と7度のオールスター出場を果たしている。

 

彼はリーグ本塁打王に8度輝き、6度のリーグ最優秀OPS+を記録した。

 

そして傑出した守備も忘れてはいけない。

 

通算548本塁打は三塁手として歴代最多。

 

またナ・リーグ最多の本塁打王8回、エディ・マシューズに並びナ・リーグ歴代最長タイとなる9年連続30本塁打といった記録も残している。

 

守備も堅実でゴールドグラブ賞を10回受賞。

 

史上最高の三塁手とも称される。

 

タイトル

  • 本塁打王:8回(1974年 – 1976年、1980年、1981年、1983年、1984年、1986年)(8回は歴代2位。ナショナルリーグでは歴代1位。)
  • 打点王:4回(1980年、1981年、1984年、1986年)(4回は歴代4位タイ。)

表彰

  • シーズンMVP:3回(1980年、1981年、1986年)(3回は歴代2位タイ。)
  • シルバースラッガー賞:6回(1980年 – 1984年、1986年)
  • ゴールドグラブ賞:10回(1976年 – 1984年、1986年)
  • ルー・ゲーリッグ賞(1983年)
  • アメリカ野球殿堂入り(1995年)
  • DHLホームタウン・ヒーローズ選出(2005年)
  • フランチャイズ・フォー選出(2015年)

記録

  • MLBオールスターゲーム選出:12回(1974年、1976年、1977年、1979年 – 1984年、1986年、1987年、1989年)
  • 1試合4本塁打(1976年4月17日、対シカゴ・カブス戦、リグレー・フィールド)

 

経歴

・フィラデルフィア・フィリーズ (1972 – 1989)

 

1971年ドラフト2巡目でフィリーズに入団。

 

1972年9月12日にメジャーデビューを果たし、同年13試合に出場。

 

翌1973年には132試合に出場し、三塁手のレギュラーに定着。

 

しかし、打率.196の低打率に終わり、シーズン終了後にプエルトリコのウィンターリーグで、当時フィリーズの監督だったダニー・オザークや打撃コーチのボビー・ワインからのアドバイスもあり、ゆったり構えていた打撃フォームを投手に背中が見えるくらいにねじり、背中をゆすりタイミングを合わせるという打撃フォームへ変更。

 

1974年6月10日、アストロドームで行われた対アストロズ戦では打球が本塁から329フィート(約100m)、地上35フィート(約10m)の天井からつるしてあったスピーカーに直撃。

 

ボールはフィールドに落下し、グラウンドルールによりインプレーとなった。

 

36本塁打を放ち初のナショナルリーグ本塁打王となり、以後、1976年まで3年連続でナ・リーグ本塁打王となった。

 

1975年4月には当時のメジャータイ記録に並ぶ11本塁打を記録。

 

1976年4月17日のカブス戦では1試合4本塁打を記録。

 

シュミットにホームランを打たれた投手の内訳を見ると、最初の2本がリック・ラッシェル、3本目はマイク・ガーマン、そして4本目はポール・ラッシェルと、リックとポールのラッシェル兄弟から3本のホームランを放っている。

 

試合は3回終了時に13対1でカブスがリードしていたが、延長10回にシュミットの本塁打で、18対16でフィリーズの勝利となった。

 

1980年には、48本塁打、121打点で二冠王となりフィリーズの地区優勝に大きく貢献。

 

満票で初のナ・リーグMVPに選出される。

 

同年のワールドシリーズでもフィリーズ初の世界一に貢献し、シリーズMVPにも輝いた。

 

1981年は50日間に及ぶストライキのためシーズンが短くなったが、102試合で31本塁打・91打点で昨年に続き二冠王となり、ナ・リーグMVPに選出された。

 

1983年は40本塁打・109打点を記録し、3年ぶりに40本塁打・100打点を達成。

 

ボルチモア・オリオールズとのワールドシリーズでは20打数1安打に終わり、チームは1勝4敗で敗れた。

 

シーズン終了後には年俸210万ドルの4年契約に合意。

 

リック・シューが三塁手、シュミットは一塁手として1985年は出場したが、1986年からは再び三塁手として出場。

 

1986年は37本塁打・119打点で二冠王となり、5年ぶり3回目のナ・リーグMVPに選出された。

 

1988年、右肩を痛め、打率.249・12本塁打・62打点の成績に終わり、シーズン終了後に右肩の手術を受けた。

 

しかし、肩の回復が思わしくなく、1989年5月29日、涙ながらに現役引退を表明。

 

エピソード

’88年シーズン終了後、痛めていた右肩の手術を行い、翌’89年も現役選手として開幕したが、5月29日涙の引退会見を行った。

 

しかし、引退発表後にもかかわらずその年のオールスターファン投票で票は延び続け、ナ・リーグ三塁手トップの票を集め、前代未聞の引退選手のオールスター選出となった。

 

オールスター当日プレーはできなかったが、アナハイム球場でシュミットの名がアナウンスされ、スタジアムはスタンディング・オベーションに包まれた。

 

後に’80年代最高選手「プレーヤー・オブ・ザ・ディケイド」に選ばれたシュミットを物語るエピソードであります。

 

プレースタイル

打撃は、本塁打が多い代わりに低打率で三振も多く通算で1883個(歴代10位)喫しています。
リーグ最多奪三振を4回も記録しており、コンタクト・バッティングは良くありませんでした。
しかし、選球眼は良くリーグ最多四球を4回記録、100個以上の年が7回もありました。
そのため通算打率は267ながら、出塁率は380と好成績を残しています。
低打率で三振も四球も多く二塁打も少ない典型的なパワーヒッターでした。
当時は比較的に本塁打が少ない時代で、毎年のように本塁打が30本を超えるシュミットは驚異的でした。
特に全盛期の80~84年の5年間は凄まじく、MVP2回、本塁打王4回、打点王3回、OPSトップ4回、平均OPS968を記録し、他の打撃指標(OPS+やwOBAなど)でトップレベルの成績を残していました。
70~80年代最高の野手として君臨しました。
守備ではGGを10度獲得(三塁手歴代2位)多くの指標でトップレベルの成績を残しています。

当時のNLの三塁手では最高の守備を誇りました。
走塁面では意外と盗塁は多く、174個を記録しています。
75年には29個成功しています。
攻守に渡って最高レベルの選手であり、史上最高の三塁手の評価も頷けます。
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