概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1970年4月22日(50歳) |
出身地 | ナポリ |
ラテン文字 | Andrea Giani |
身長 | 196cm |
体重 | 97kg |
ポジションはミドルブロッカー、ウイングスパイカー。
右利き。
1990年代に最も活躍したバレーボール選手の一人であり、「イタリアバレーボール界の英雄」と呼ばれた。
フリオ・ベラスコ、アンドレア・ガルディーニに続き、イタリアで3人目となるバレーボール殿堂入りを果たす。
イタリア政府からは2000年7月にイタリア共和国功労勲章カヴァリエーレ、2004年9月に同功労勲章ウッフィチャーレを受章している。
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ナショナルチーム代表歴
- オリンピック – 1996年(銀メダル)、2000年(銅メダル)、2004年(銀メダル)
- 世界選手権 – 1990年、1994年、1998年(金メダル)
- ワールドカップ – 1995年(金メダル)、1999年(銅メダル)、2003年(銀メダル)
- ワールドグランドチャンピオンズカップ – 1993年(優勝)
- ワールドリーグ – 1991年、1992年、1994年、1995年、1997年、1999年、2000年(優勝)
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- – 1996年、2004年(準優勝)、1993年、2003年(3位)
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- 欧州選手権 – 1993年、1995年、1999年、2003年(優勝)、1991年(準優勝)、1997年(3位)
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クラブチーム優勝歴
- セリエA1 – 1990年、1992年、1993年、1997年、2002年
- コッパ・イタリア – 1987年、1990年、1992年、1997年、1998年
- イタリア・スーパーカップ – 1997年
- CEVカップ – 1992年、1995年
- 欧州チャンピオンズリーグ – 1997年、1998年
- 欧州スーパーカップ – 1989年、1990年
- トップチームズカップ – 1988年、1989年、1990年
獲得メダル | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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経歴
・イタリア代表
中学校在学時に見出されてサバウディアのジュニアチームからバレーボールを始め、14歳でセリエA2・サバウディアへ入団。
1985年、15歳でセリエA1・パルマへ入団した。
在籍した10年間にリーグ優勝を3度飾り、当時イタリア代表でチームメイトだったアンドレア・ゾルジと共にパルマの中心選手として活躍した。
1996年に移籍したモデナでも2度のリーグ優勝を飾った。
1988年5月6日、ルッカで行われたイタリア-フィンランド戦(3-0)で代表デビューを飾り、2005年に代表を退くまでイタリア代表の歴代1位となる通算474試合に出場。
1988年ソウルオリンピック(9位)、1992年バルセロナオリンピック(5位)、1996年アトランタオリンピック(銀メダル)、2000年シドニーオリンピック(銅メダル)、2004年アテネオリンピック(銀メダル)のイタリア男子史上最高の5大会連続オリンピック出場を果たしたほか、世界選手権3連覇、ワールドリーグ7度優勝、欧州選手権4度優勝に貢献した。
1995年ワールドカップと1994年ワールドリーグで最優秀選手賞、1998年ワールドリーグでベストブロッカー賞を受賞した。
エピソード
父のダリオ・ジャーニは1964年東京オリンピックに出場した元ボート競技選手。
現役引退後は指導者の道を歩み、2007年にモデナの監督に就任。
2008-09年のシーズン途中で監督を降板した。
2009年にセリエA2・Mローマの監督に就任し、2010年コッパ・イタリアA2で優勝、A2プレーオフ・ファイナルで優勝し、Mローマを2年ぶりのA1復帰へと導いた。
2015年3月、スロベニア代表監督に就任。
プレースタイル