概略
国籍 | ![]() |
||
---|---|---|---|
生年月日 | 1963年11月5日(56歳) | ||
出身地 | ブローニュ=シュル=メール | ||
身長 | 177cm | ||
体重 | 70kg |
ポジションはフォワード(センターフォワード)。
利き足は右。
愛称は「高性能爆撃機」、「JPP」。
フランスサッカー史上最も優れたストライカーの一人であり、フランスリーグ5年連続得点王に輝くと共に、チャンピオンズカップでも1989-90シーズンから3期連続得点王となった。
1991年度にはバロンドールを受賞者した。
獲得タイトル
クラブ
- ブルージュ
- ベルギーカップ: 1986
- マルセイユ
- リーグ優勝: 1988–89, 1989–90, 1990–91, 1991–92
- フランスカップ: 1988–89
- チャンピオンズカップ 準優勝: 1990–91
- A.C.ミラン
- セリエA: 1992–93, 1993–94
- スーパーカップ: 1992, 1993
- UEFAチャンピオンズリーグ: 1993–94
- FCバイエルン
- UEFA Cup: 1995–96
- ボルドー
- フランスリーグカップ 1997-98 準優勝
フランス代表
- キリンカップ: 1994
- FIFA World Cup 3位: 1986
個人タイトル
- French Division 1: Top Scorer 1987–88, 1988–89, 1989–90, 1990–91, 1991–92
- Onze de Bronze: 1989, 1990, 1992
- European Cup Top Scorer: 1989–90, 1990–91, 1991–92
- Onze d’Or: 1991
- Ballon d’Or: 1991
- FIFA World Player of the Year – Silver award: 1991
- IFFHS World’s Top Goal Scorer of the Year: 1991
- FIFA XI: 1997, 1998, 1999[26]
- FIFA 100: 2004
- Named Joueur du Siècle (player of the century) of Olympique de Marseille
- Équipe type spéciale 20 ans des trophées UNFP: 2011
- Golden Foot: 2013, as football legend
- The Dream Team 110 years of OM: 2010
経歴
地元の2部クラブ・ヴァランシエンヌFCに入団し、1985-86シーズンにクラブ・ブルッヘへ移籍すると、UEFAカップのボアヴィスタFCとの対戦でハットトリックを達成するなど、すぐさま活躍を見せてカップ戦優勝に貢献し、自身もリーグの得点王を獲得。
マルセイユ
翌シーズンにはオリンピック・マルセイユへ移籍を果たし、1987-88シーズンから5年連続で得点王に輝くとともに、リーグでは4連覇を達成。
またチャンピオンズカップでも3年連続得点王となり、1990-91シーズンにはマルセイユを決勝に導いた。
1986-87シーズン、開幕戦のASモナコ戦で2ゴールを決めるデビューを飾る。
1988-89シーズン、クープドゥフランス決勝、ASモナコ戦でハットトリックを決め、優勝に貢献。
1989-90シーズン、8月30日のソショー戦で4ゴールを決めると、12月3日トゥールーズ戦、3月7日トゥーロン戦、3月31日リール戦とシーズン中4度のハットトリックを達成するなどリーグ得点王を獲得、チャンピオンズカップでも得点王を獲得した。
1990-91シーズン、1月13日リヨン戦で4ゴール、4月13日ASナンシー戦でハットトリックを達成するなどリーグ得点王を獲得、9月19日のチャンピオンズカップ、KSディナモ・ティラナとの対戦でもハットトリックを達成、チャンピオンズカップでは決勝で延長PK戦の末レッドスター・ベオグラードに敗れ準優勝に終わるも、チームを初のチャンピオンズカップ決勝に導き、同大会で2年連続得点王となった。
1991-92シーズン、12月14日レンヌ戦でハットトリックを達成するなど5年連続リーグ得点王を獲得しリーグ4連覇に大きく寄与した。
1991年、9月18日のチャンピオンズカップ、ルクセンブルグとの対戦でもハットトリックを達成、チャンピオンズカップでも3年連続得点王となった。
1991年12月にはFIFA選出の最優秀選手に選ばれ、バロンドールを受賞した。
ACミラン
様々な移籍の噂が有ったが、1992年からACミランに移籍、ミラン移籍は子供の頃からの夢だと語った。
ヨーロッパ最優秀選手同士のファンバステンとのツートップは、世界最強になるのではと、あらゆるメディアで取り上げられた。(ファンバステンが故障の為、数試合しかツートップは実現せず)
1992-93シーズンは当初オランダトリオの存在も有り出番は限られたが、1992年第6節のSSラツィオ戦にてセリエA初ゴールを記録、第7節のACパルマのと対戦でも2試合連続となるゴールを決めた。
ファンバステンとのツートップではアシスト的な役回りであったが、怪我でファンバステンが離脱すると以降翌年まで最大の得点源として、18節から21節のサンプドリア戦まで4試合連続ゴールを決め、23節のSSラツィオ戦ではキーパーが一歩も動けないロングシュートを決めるなど、限られた出番ではあったが13ゴールを決め、リーグ優勝に貢献した。
チャンピオンズカップでも決勝進出に貢献したが、マルセイユに敗れ、優勝は出来なかった。
また決勝の相手が前年まで所属のオリンピック・マルセイユであり、パパンにはブーイングが浴びせられた。
翌1993-94シーズンは序盤こそレギュラーであったが、怪我での離脱、シーズン途中にデサイーの加入もあり、外国人枠の影響で出場は限られたが、2年連続となるリーグ優勝を経験。
セリエAでは第4節アタランタBC、第5節ASローマ、第6節USクレモネーゼ戦まで3試合連続ゴールを決めると、第11節インテルとのミラノダービーではパヌッチのクロスがDFの背後に流れた所をDF一瞬の隙を突き得点した。
カップ戦では、トヨタカップでのサンパウロFCとの対戦では2-2とする同点ゴール、欧州スーパーカップのACパルマとの第1戦では決勝ゴールを決める活躍をした。
UEFAチャンピオンズリーグではミランは優勝を成し遂げたが、予選などでは活躍するも、決勝では外国人枠の影響もあり、ベンチ外となった。
バイエルン
レアルマドリード、プレミアリーグのトッテナム・ホットスパーなど様々な移籍の話しが有ったが、1994-95シーズンからはドイツ・ブンデスリーガ・バイエルン・ミュンヘンに移籍。
かつてのマルセイユ時代の監督であるフランツ・ベッケンバウアーが会長を務めていたバイエルンで、ゴールの量産を期待されたものの、度重なる怪我により、活躍は出来なかった。
1994年11月12日FCシャルケ04戦で移籍後初ゴールを決めた。
1995-96シーズンには決勝でFCバルセロナを破り、UEFAカップ優勝を果たした。
1994年12月にはASローマ対世界選抜の試合に出場、三浦知良とツートップを組んだ。
代表
フランス代表として54試合・30得点、全盛期を迎えていたであろう90年W杯、94年W杯は、フランスがW杯欧州予選で敗退し不参加。
当時のフランスにはカントナ、パパン、ジノラ、デサイー、デシャンら数多くのタレントがいましたから、サッカーファンにとっても残念でしたね。
エピソード
1999年にマルセイユで、マルセイユのかつてのチームメイトであるクリス・ワドル、エリック・カントナ、モーゼル、バジール・ボリなどを集めたマルセイユOBチームや、フランス代表、世界選抜と引退試合を行い、プロサッカー選手としての生活に終止符を打った。
その後もアマチュア選手としてプレーを続け、JSサン=ピエール (1999-2001) 、JSキャップ=フェレ (2001-2004) の2チームに所属した。
マルセイユのサポーターが選ぶ20世紀最高のマルセイユのプレーヤーの投票で第1位に輝いた。(2位はチームメートのクリス・ワドル)
2011年にはACミラングロリエの一員として来日し、仙台でのチャリティーマッチに出場した。
2004年からはCFA2(フランスリーグ5部に相当)で監督としてのキャリアをスタートし、2006年からリーグ・ドゥ(2部)所属のRCストラスブールの監督を務める。
2006-07シーズンに1部昇格を果たした後、ストラスブールを退団した。
2007-08シーズン途中からRCランスの監督に就任したが、チームの降格を防ぐことができずシーズン終了後に解任された。
2009年にフランス地域リーグのASファクトゥール・ビガノでアマチュアの選手として短期間だが現役復帰した。
同年12月29日、LBシャトールーの監督に就任するが、シーズン終了後に解任された。
プレースタイル
身長は180に満たないがヘディングでのゴールも多かった。
またパパンのほとんどのゴールは少ないボールタッチ数のでのゴールで、DFの裏に抜け出し、相手をスピードでかわしシュートを決めるプレーを得意とし、オーバーヘッドやジャンピングボレーは彼の十八番で、ボールへの入り方やジャンプのタイミングも正確で、大抵はボールの芯に当たって強烈なシュートとなった。
アクロバティック&ダイナミックなボレーシュート、ヘディングも含め長いボールにタイミングをあわせる感覚に秀で、難易度の高い芸術的なゴールはフランス国民を魅了した。
小柄ですが一瞬のスピードの速さ、ダッシュ力、鮮やかで思い切りの良いシュート、時にアクロバチックにゴールを量産するストライカーでした。
右サイドに流れて、右足で逆サイドのサイドネットにシュートを蹴りこむのも得意でした。
また、FKを蹴る事も度々あり、カーブをかけたシュートや強烈なシュートなどで得点を決めることがあった。
マルセイユ時代には、キーパーが退場になり、ゴールキーパーを務めたこともあった。