概略
国籍 | ウェールズ | ||
---|---|---|---|
生年月日 | 1961年10月20日(58歳) | ||
出身地 | セント・アサフ | ||
身長 | 183cm | ||
体重 | 79kg |
ポジションはフォワード(センターフォワード)。
利き足は右。
1980年代から1990年代にリバプールで活躍したウェールズ史上最高のストライカー。
15年間所属したリバプールでは素晴らしい得点能力を発揮し、70年代より続くリバプール黄金期は、ラッシュの活躍により80年代末まで続くこととなる。
獲得タイトル
リバプール
- Football League First Division (5): 1981–82, 1982–83, 1983–84, 1985–86, 1989–90
- FA Cup (3): 1985–86, 1988–89, 1991–92
- League Cup (5): 1980–81, 1981–82, 1982–83, 1983–84, 1994–95
- FA Charity Shield (3): 1982, 1986 (shared), 1990
- European Cup (2): 1980–81, 1983–84
個人
- PFA Young Player of the Year (1): 1983
- PFA Players’ Player of the Year (1): 1984
- FWA Footballer of the Year (1): 1984
- BBC Wales Sports Personality of the Year (1): 1984
- PFA First Division Team of the Year (5): 1983, 1984, 1985, 1987, 1991
- PFA Team of the Century (1977-1996): 2007
- European Golden Boot (1): 1984
- First Division Golden Boot (1): 1984
- Liverpool Top Goalscorer (8): 1981–82, 1982–83, 1983–84, 1985–86, 1986–87, 1990–91, 1992–93, 1993–94
- FAI International Football Awards – International Personality: 2010
経歴
クラブ
北ウェールズのセントアサフで生まれ、エバートンファンとして育つ。
17歳の時チェスター・シティでトップデビューを果たすと翌シーズンには33試合14得点を記録。
その活躍が認められ1980年、当時10代の選手としては最高額の30万ポンドでリバプールへ移籍する。
リバプールに移籍した彼はその才能を一気に開花させ、在籍2年目の81/82シーズンには17得点を挙げリーグ制覇に貢献、その後リバプールは彼の活躍によりリーグ3連覇を達成する事となる。
3連覇目となる83/84シーズンには彼自身、32得点を記録しリーグ得点王を獲得、その年のプレミアリーグ年間最優秀選手に選出されると欧州得点王となるゴールデンブーツ賞をも受賞し、同年のチャンピオンズカップをも制覇した。
その後も3シーズンで66得点と驚異的な活躍を続ける彼に1987年、ユベントスが320万ポンドのオファーを出すとクラブはそれを受け入れる。
しかしユベントスでは29試合7得点と不本意な成績に終わり、わずか1年でリバプールに復帰をする。
復帰後は再び輝きを取り戻し89/90シーズンには4シーズンぶりのリーグ制覇を成し遂げるとともに様々な記録を樹立した。
20世紀レコードとなるFAカップ44得点はそれまでの記録保持者デニス・ローを上回り、皮肉にも少年時代大ファンだったエヴァートンを相手に25得点と、マージーサイドダービーにおける最多得点記録も樹立。
ワージントンカップでは史上初めてワージントンカップを5回獲得した選手となり、ジョフ・ハーストと並ぶ49得点を記録した。
90年代後半に入りR・ファウラーの台頭によりリヴァプールでの居場所を失うとトップでのプレーにこだわるラッシュはリーズに移籍。
慣れないMFとしての役割を見事にこなすがゴールの喜びを忘れられないラッシュはニューカッスル、シェフィールド・U、レグザムとチームを渡り歩く。
最後はオーストラリアに渡り、そこで3週間の契約を全うさせ現役を引退した。
代表
ウェールズ代表としては1980年にデビューを飾り、1996年に引退するまで国際Aマッチ78試合出場28得点を記録した。
キャップ数と得点数はいずれもウェールズ歴代最多記録となっている。
1990年から1991年に行われたUEFA欧州選手権1992予選では1990 FIFAワールドカップ優勝のドイツや、同ベスト16のベルギーと同じ組となる厳しい組み合わせだったが、マーク・ヒューズやディーン・ソーンダースらと共にチームを牽引し、1990年10月17日のホームでのベルギー戦を3-1、1991年6月5日のホームでのドイツ戦ではラッシュの決勝点で1-0で勝利するなど、強国を相手に勝ち点9を上げ、本大会出場まであと一歩まで詰め寄った。
しかし、現役生活を通じてFIFAワールドカップやUEFA欧州選手権の予選を突破し本大会へ出場することは叶わなかった。
エピソード
引退後の2003年にジェラール・ウリエ監督の下、古巣のリヴァプールFCのストライカーコーチを務めマイケル・オーウェンらを指導。
2004年8月にフットボールリーグ2部のチェスター・シティFCの監督に就任したが、翌2005年4月6日に辞任した。
2006年にイングランドサッカー殿堂入りを果たした。
プレースタイル
抜群のスピードと高い決定力を併せ持った選手。
スピードを生かした的確なポジショニングと、左右両足から繰り出す正確なシュート(ワンタッチゴール)で得点を挙げた。
氷のような冷静さとカミソリのように鋭い直感を併せ持ちシンプルなダイレクトシュートでゴールを量産した。