ジュス・フォンテーヌ

概略

国籍 フランスの旗 フランス
生年月日 1933年8月18日(86歳)
出身地 モロッコの旗 モロッコ・マラケシュ
身長 174cm
体重 72kg

 

ポジションはフォワード(センターフォワード)。

 

利き足は右。

 

1958年ワールドカップスウェーデン大会、この大会で1大会13得点というワールドカップ史上最高の記録を打ち立てたのがフランス人ストライカー。

 

この記録は半世紀過ぎた今尚、誰にも破られていない驚異的な記録である。

 

1999年、 『ワールドサッカー』誌の20世紀の偉大なサッカー選手100人で45位に選出された。

 

2003年にはUEFAジュビリーアウォーズにおいて、ミシェル・プラティニやジネディーヌ・ジダンらを抑えて、フランスの最優秀選手に選出されている。

 

獲得タイトル

クラブ

Stade de Reims
  • French Division 1: 1957–58, 1959–60, 1961–62
  • Coupe de France: 1957–58
  • Challenge des champions: 1958, 1960
  • European Cup: runner-up 1958–59

個人

  • Golden Foot: 2003, as a football legend

 

経歴

クラブ
クラブ 出場 (得点)
1950-1953 モロッコの旗 USカサブランカ
1953-1956 フランスの旗 OGCニース
1956-1962 フランスの旗 スタッド・ランス
代表歴
1953–1960 フランスの旗 フランス 21 (30)

 

当時フランスの保護国だったモロッコのマラケシュでスペイン人の母を持つ7人兄弟の1人として育つ。

 

1958年に開催されたFIFAワールドカップ・スウェーデン大会で6試合に出場したが、当初はスタメンではなく控え選手に過ぎなかった。

 

ところが急遽スタメン入りするや6試合全てにゴールを決めるという八面六臂の大活躍を見せ、2度のハットトリックを含む13得点を挙げて得点王となる。

 

これほどの彼の活躍にもかかわらず、フランスは準決勝でペレを擁するブラジルに2-5で敗れ去り、優勝は出来なかった。

 

しかし、3位決定戦では前回優勝国の西ドイツに彼の4得点を含む6-3のダブルスコアで勝利を収め、3位の座を確保した。

 

後に西ドイツのゲルト・ミュラーが2大会通算14得点、ブラジルのロナウドが3大会通算15得点、ドイツのミロスラフ・クローゼが4大会通算16得点を記録したことにより、彼の得点記録は通算ゴール数でこそ彼らに抜かれたものの、1大会最多得点のワールドカップレコードである13得点は現在も破られていない。

 

しかし、その後は度重なる負傷のため第7回ワールドカップ・チリ大会には出場できず、1962年7月に28歳で現役を引退した。

エピソード

引退後は指導者となり、1967年にはフランス代表監督も務めたが、2試合連続敗戦の後更迭された。

 

さらにパリ・サンジェルマンFC、トゥールーズFC、モロッコ代表の監督を務めた。

 

その後はトゥールーズでスポーツ用品店を経営している。

プレースタイル

フォンテーヌはその敏捷さと瞬発力に優れ、スピードを武器にゴールを量産するストライカー。

 

しかしそのプレースタイルにより削られることが多く、晩年にケガに悩まされた末の早期引退は惜しまれるところです。

 

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