概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1942年2月28日(78歳) | ||
出身地 | マリアーノ・デル・フリウーリ | ||
身長 | 182cm | ||
体重 | 78kg |
ポジションはゴールキーパー。
利き足は右。
「氷のゴールキーパー」の異名を持つイタリアを代表する守護神。
ユヴェントス在籍時の1973-74シーズンに1974年FIFAワールドカップ・西ドイツ大会のハイチ戦で得点を許すまで1143分間連続無失点記録を樹立している。
獲得タイトル
クラブ
ユヴェントス
- Serie A: 1972–73, 1974–75, 1976–77, 1977–78, 1980–81, 1981–82
- Coppa Italia: 1978–79, 1982–83
- UEFA Cup: 1976–77
代表
イタリア代表
- FIFA World Cup: 1982; runner-up: 1970
- UEFA European Championship: 1968
個人
- UEFA European Championship Team of the Tournament: 1968, 1980
- Ballon d’Or: 1973 (2nd place)
- FIFA World Cup All-Star Team: 1982
- FIFA Order of Merit: 1984
- FIFA World Cup Best Goalkeeper: 1982
- Berlin-Britz Goalkeeper of the Decade (1970s): 1999
- IFFHS Italian Goalkeeper of the 20th Century: 1999
- IFFHS European Goalkeeper of the 20th Century (2nd): 1999
- IFFHS World Goalkeeper of the 20th Century (3rd): 1999
- World Soccer Magazine’s 100 Greatest Players of the Twentieth Century: 1999
- November 2003: Italy’s Golden Player – the best Italian player of the last 50 years, selected by the Italian Football Federation.
- UEFA Golden Jubilee Poll: #5
- FIFA 100
- Golden Foot “Football Legends” Award: 2004
- Inducted into the Italian Football Hall of Fame: 2012
- Inducted into the Walk of Fame of Italian sport: 2015
- IFFHS Legends
記録
- FIFA World Cup: Oldest player to play in and win a final, at 40 years, 4 months and 13 days in 1982
- UEFA Champions League/European Cup: Oldest player to play in a final, at 41 years and 86 days in 1983
- Most consecutive appearances in Serie A with Juventus: 330 (1972–1983)
- Most consecutive appearances in Serie A: 332 (1972–1983)
- Longest period time without conceding a goal in international matches: 1142 minutes (1972–1974).
- Most consecutive minutes without conceding a goal at the European Championships including qualifying: 784 (1975–1980)
- Fewest goals conceded in a single edition of the European Championships: 1 (1968) (alongside Gianluigi Buffon, Iker Casillas, and Thomas Myhre)
- Fewest goals conceded in a single edition of the European Championships by a tournament-winning starting goalkeeper: 1 (1968) (alongside Iker Casillas)
- One of four goalkeepers to win the FIFA World Cup as captain: 1982 (alongside Gianpiero Combi, Iker Casillas, and Hugo Lloris)
経歴
クラブ | |||
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年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1961-1963 | ![]() |
38 | (0) |
1963-1967 | ![]() |
131 | (0) |
1967-1972 | ![]() |
143 | (0) |
1972-1983 | ![]() |
330 | (0) |
通算 | 642 | (0) | |
代表歴 | |||
1968-1983 | ![]() |
112 | (0) |
クラブ
4才でボールを蹴り始めた頃からゴールキーパーのポジションに身を置き14才の時にインテル、ユベントスの入団テストを受けるが、当時ゾフの身長が149cmだった事で落選、故郷のクラブ、マリアネーゼにてプレーした後19才でウディネーゼとプロ契約を果たす(この頃には身長も182cmに伸びていた)。
1961年9月24日フィオレンティーナ戦にてセリエAデビュー。
5失点と不運なデビュー戦であったが、その後経験を積む事で着実に成長しナポリに加入する頃にはイタリア屈指と言われるまでになっていた。
1972年、ユベントスに引き抜かれるが、30才という年齢から周囲からは批判の声も上がる。
しかし、その能力は衰える事を知らず、引退する1983年41才まで不動の守護神として安定したプレーを見せ、6度のスクデッド、2度のコッパ・イタリア、1度のUEFAカップのタイトルに大きく貢献する。
代表
1968年4月20日、欧州ネーションズ・カップ(現欧州選手権)準々決勝ブルガリア戦にて代表デビューを果たし同大会準決勝、決勝でも守護神としてプレーし、早くも欧州チャンピオンのメンバーとして名を列ねる。
その後1970年W杯ではアルベルトシにポジションを奪われるが1971年以降は不動の守護神として君臨、引退間近の1982年W杯ではキャプテンとして1938年大会以来の栄冠を手中にし、その両手にワールドカップは高々と掲げられた。
セリエAでは 67/68シーズンから213試合に連続出場、1972年に骨折のため記録はストップしたが7試合休んだ後ピッチに復帰、引退する1983年まで連続332試合に出場した記録を持つ。
更にセリエA では903分間無失点を記録、代表ではなんと1143分間無失点という驚異的な記録を持つ。
また、代表通算112試合出場は2000年11月にマルディーニに抜かれるまでの代表出場最多記録であった。
エピソード
ゾフは最初から大活躍していたいわゆる「天才的選手」ではありませんでした。
イタリア北東部の酪農家の息子として生誕した彼は、いわゆる普通のサッカー少年で、14才の時にインテル、ユベントスに入団を拒否され(身長が149cmしかなかった!)、後に自動車修理工として働きながら地元のチームでプレーしていた普通のサッカー好きな人でした。
そんな時に試合を見に来ていたウディネーゼのスカウトに誘われてチーム入りします。
ところが初めて出場した試合では5失点。
しかもその試合でチームはセリエBへの降格が決定。
結局すぐに解雇されることになり、地元に戻って村のチームでプレーをし始めました。
そしてセリエAのマントバに呼ばれて入団、その後ナポリへ移籍しました。
この頃からゾフは一気に頭角を現してきます。
無失点記録
ゴールキーパーとしていまだに君臨し続けている最高の記録は代表戦連続1143分間連続無失点です。
詳しい記録があまりないのですが、1973年から1974年の西ドイツワールドカップの1次予選、イタリアの第2試合のハイチ戦で後半開始早々にサノン・エマヌエルにゴールを許すまで、14試合に渡って無失点を続けたことになります。
なにしろこの期間中にはワールドカップ・ヨーロッパ予選があったはずです。
ものすごい記録ですよね。
当時のイタリアでは「ゾフはイタリアのゴールに鍵をかけた。そしてその鍵をどこかに失くしてしまった。」と言われました。
長いキャリア
彼は、41才で、ユベントスで先発していたという、とんでもなく息の長い選手だった(しかも30試合先発をして、リーグ優勝までしていた)。
41才で引退する最後まで、「世界最高峰レベルで通用していた」という驚くべき選手である。
そして前年、イタリア代表では、「40才の時に、W杯を主将で優勝」していたのだ。
本当に驚きだ。
この年齢でこんな大活躍をするGKはこの先、まず出て来ないだろう。
ディノ・ゾフは「ゴールキーパーはワインと同じ。年を重ねるほど味が出る」と言った。
監督として
引退後はイタリア五輪代表監督を務め、1989年から古巣ユヴェントスを率いてUEFAカップとコッパ・イタリアで優勝した。
1990年からはラツィオで監督を務め、1994年からは同クラブの会長に就任。
1998年にイタリア代表監督に就任すると、EURO2000でフランスに敗れたものの準優勝に導いた。
その後再びラツィオの監督に復帰したが、2001年9月に成績不振で解任された。
2005年1月から6月まではフィオレンティーナの監督を務めた。
プレースタイル
彼は動きの多いGKではなく、ポジショニングの良さで勝負するGKだった。
派手さはなくとも常に安定したセービングと抜群のポジショニング、冷静な判断力でチームメイトから絶大な信頼を得ていたイタリア史上最高のゴールキーパーである。
プレースタイルはいたってクール。
非常に冷静沈着で渋い。
いわゆる良いポジショニングで安全に守るというタイプ。
でもそんなクールなゾフですが、一旦動き出せばプレーはとても大きく大胆で数々のファインセーブを生み出しました。
相手選手を恐れない前への飛び出し、大きく安定したダイビングセーブ。
そして信頼の厚いクールな彼が大きく叫べばきっと味方選手はその一言で引き締まり、励まされたりしたことでしょう。
この静と動の切り替えが重要なんです。