概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1969年5月10日(51歳) | ||
出身地 | アムステルダム | ||
身長 | 183cm | ||
体重 | 81kg |
ポジションはフォワード(セカンドトップ)、ミッドフィールダー(オフェンシブハーフ)。
利き足は右。
「アイスマン」のニックネームを持つ。
90年代のオランダを代表する選手。
異次元の技術と言われるほどのテクニックで見るものを魅了した。
2007年イングランドサッカー殿堂に選ばれ、FIFA最優秀選手賞3位を二度獲得している。
獲得タイトル
クラブ
- アヤックス
- エールディヴィジ 1990
- オランダカップ 1987、1993
- UEFAカップ 1992
- UEFAカップウィナーズカップ 1987
- インテル
- UEFAカップ 1994
- アーセナル
- プレミアリーグ 1998、2002、2004
- FAカップ 1998、2002、2003、2005
- コミュニティーシールド 1998、1999、2002、2004
個人
- エールディヴィジ得点王 1991、1992、1993
- オランダ最優秀選手 1992、1993
- PFA年間最優秀選手賞 1998
- FWA年間最優秀選手賞 1998
- 20世紀の偉大なサッカー選手100人 34位 1999
- FIFA100 2004
- イングランドサッカー殿堂 2007
経歴
クラブ | |||
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年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1986-1993 | ![]() |
185 | (103) |
1993-1995 | ![]() |
52 | (11) |
1996-2006 | ![]() |
315 | (87) |
代表歴 | |||
1989 | ![]() |
2 | (0) |
1990-2000 | ![]() |
79 | (37) |
11歳の時にWilskrachtでプレーしていたベルフカンプはアヤックスにトレーニング参加を打診されたが、「当時アヤックスを傲慢なクラブと思っていた」という理由で拒否。
しかし1年後に同意し、12歳でアヤックスのユースに入ったベルカンプは、ヨハン・クライフに才能を見出され1986年、17歳でトップチームにデビュー。
アヤックスで1990年から3年連続得点王に輝き、リーグ優勝、UEFAカップ優勝などに貢献。
239試合に出場し、122ゴールを挙げた。
その後、大きな期待を受けてインテルに移籍、93-94UEFAカップにおいては11試合8ゴールを決める活躍でUEFAカップ獲得の原動力となるも、国内リーグでは全く能力を発揮できず、2年目にはベンチを温める様にもなり、1995年にアーセナルに移籍しチームの中心として活躍。
97~98シーズン、01~02シーズンの二冠等に貢献。
また、2003-2004シーズンには無敗でプレミアリーグを制するなど、一時代を築いた。
1998年フランスワールドカップのアルゼンチン戦や2002年プレミアリーグのニューカッスル・ユナイテッド戦などで技巧的なゴールを数多く挙げ、パトリック・クライファートが2003年に更新するまでオランダ代表の最多得点記録も保持していた。
FIFAワールドカップには、94年アメリカ大会、1998年フランス大会の計12試合に出場し6得点を記録、アメリカ大会ベスト8、フランス大会ベスト4進出に貢献した。
前述の1998年フランスワールドカップ準々決勝アルゼンチン戦のトラップからのゴールは、当時オランダの新聞によって、「まるでレンブラントの筆さばきのようだ」と同国の歴史的画家のタッチに例えて賞賛された。
EURO 2000の準決勝でイタリアに敗れ、代表引退を発表した。
05-06シーズン終了をもって引退を表明した。
自身がプロデビューを果たしたチームであるアヤックス・アムステルダムとアーセナルの対戦で引退試合が行われ、オランダの往年の名選手であるヨハン・クライフ、元オランダ代表監督マルコ・ファン・バステン、元FCバルセロナ監督フランク・ライカールト、そしてジョバンニ・ファン・ブロンクホルストやパトリック・ヴィエラ、ティエリ・アンリ、デビッド・シーマン、エマニュエル・プティ、エドガー・ダーヴィッツなどが出場し、数多くのサッカー関係者がこの日のために駆けつけた。
ベルカンプ本人も出場し、この試合ではゴールを決めることはできなかったが、随所でイマジネーション溢れるプレイを魅せた。
また、クライフとファン・バステンは当初スタンドから観戦していたが、後半から当時のアヤックスのユニフォーム姿で実際にピッチに立ち、ベルカンプとプレイしている。
なお、この試合はアーセナルの新スタジアムのエミレーツ・スタジアムのこけら落しとして行われた。
エピソード
極度の飛行機恐怖症という弱点を持つことでも有名である。
このためヨハン・クライフのニックネーム「Flying Dutchman(空飛ぶオランダ人)」をもじって「Non-flying Dutchman(飛ばないオランダ人)」と呼ばれた。
飛行機恐怖症の理由として、「乗っていた飛行機が爆破予告の対象になり、それがトラウマになっている」、「機中で同行記者に不安を煽ることを言われた」、「自分が乗る予定だった飛行機に乗った友人が航空事故で亡くなった」等の諸説がある。
このため、遠隔地への遠征にも陸路でしか参加できなかったことがチームの監督を悩ませていた。
デニスというファーストネームは、マンチェスター・ユナイテッドの名FW、デニス・ローにあやかって名づけられた。”n”が一つ多いのは、オランダで “Denis” は女性名と間違われる恐れがあるとの理由で市役所が認可せず、父親が追加したためである。
愛称のアイスマンは、そのパワーと冷静さによる正確な決定力の他、顔が俳優のヴァル・キルマー(『トップガン』でアイスマン役を演じた)に似ていることから名付けられた。
息子のミッチェル・ベルカンプ(1998年生まれ)と甥のロランド・ベルカンプ(Roland Bergkamp)もサッカー選手であり2015年現在、前者はアルメレ・シティFC、後者はFCエメンに所属している。
プレースタイル
彼は優れた芸術家であると同時に傑出した科学者でもあった。
誰よりもボールの性質を理解し、ソックスとシューズに覆われた崇高な絵筆で球体のあらゆる可能性を示した。
天才ベルカンプのプレースタイルは足元でボールを受けてゲームを作るセカンドトップタイプ。
裏のスペースへ走り多くのチャンスを作るよりも、ベルカンプは足元でのプレーを好むプレイヤーでした。
もちろん運動量が少ないプレースタイルの選手はその分、技術を見せなければいけません。
しかし、”天才”と言われるが通り幾度となくスーパープレーを見せてくれました。
中でもベルカンプの代名詞は「正確無比なトラップ・パス・シュート技術」。
どんなボールでも正確にトラップし、巧みな身体の使い方で相手にボールを渡すことはありません。
また、ボールキープから相手の嫌がる所へ出すスルーパス、そしてトラップからシュートまでの正確さ。
FWとしてこれだけチャンスを作れるベルカンプが”天才”と呼ばれる理由がわかります。
ベルカンプの代名詞といえば、「異次元のトラップ技術」です。
特に浮き球の処理に優れており、40~50m後方からきたロングパスでも意のままにコントロールすることが可能です。
またベルカンプは完璧なトラップからボールを足下に置き、身体から離すことなく次のプレーまでもっていけます。
そのため、相手はボールを奪う隙がなく、止めることが出来ません。
同時に「相手が予測できない位置にトラップ」をすることも可能なので、常に相手の一手先のプレーを実現でき、何度もDFを翻弄してきました。
サッカーは全てが「トラップ」から始まるスポーツだと言われています。
そのため、優れたトラップ技術はそのままサッカー選手として一流だということの証明になりますね。
ベルカンプは「決定機」を演出させるパス技術にも定評があります。
ボールの回転を読み、味方が止めやすい位置にパスを出す技術が優れているのです。
アヤックス時代から味方へのスルーパス・ロングパスでは何度も決定機を作り、アシストを量産してきました。
トラップも含め、こうしたボールコントロール技術が優れている理由は「常にボールの中心を捉えている」からだと言われています。
ベルカンプは感覚的にボールの中心を捉え、どう蹴れば思った位置にボールが行くのか…を理解していました。
これは文字にすると基礎的なことに思えるかもしれませんが、ほぼ100%正確にボールをコントロールできる選手は現代では殆どいません。
基礎的な「止める、蹴る、運ぶ」が完璧にできるからこそ、ベルカンプは優れた選手として称えられているのです。