ジャイルジーニョ

サッカー

概略

Jairzinho, O Furacão [Goals & Skills]
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 1944年12月25日(75歳)
出身地 リオデジャネイロ
身長 173cm
体重 76kg

 

ポジションはフォワード(右ウイング、左ウイング、センターフォワード)、ミッドフィールダー(オフェンシブハーフ)。

 

利き足は右。

 

愛称は「フラカォン (ハリケーン)」。

 

ボタフォゴでも、セレソンでも、天才ガリンシャの後継を務めたアタッカー。

 

ドリブルを得意とし、得点能力の高さも際立った。

 

1970ワールドカップでは、リベリーノと共にペレを左右から支え、最強を誇ったブラジル代表チーム優勝の大きな原動力となる。

 

1999年、ワールドサッカー誌の20世紀の偉大なサッカー選手100人で27位に選出された。

 

獲得タイトル

クラブ

ボタフォゴ
  • Torneio de Caracas: 1967, 1968 and 1970
  • Taça Brasil de Futebol: 1968
  • Rio-São Paulo Tournament: 1964 and 1966
  • Campeonato Carioca: 1967 and 1968
クルゼイロ
  • Copa Libertadores de América: 1976

代表

ブラジル代表
  • FIFA World Cup: 1970
  • Taça Independência: 1972

個人

  • FIFA World Cup Silver Boot: 1970
  • FIFA World Cup All-Star Team: 1970
  • South American Player of the Year: Bronze award 1972
  • World Soccer: 27th Greatest Player of the 20th Century
  • IFFHS Brazilian Player of the 20th Century (19th place)
  • Brazilian Football Museum Hall of Fame

 

経歴

ジャイルジーニョのプレイ集【セレソンのハリケーン】
クラブ
クラブ 出場 (得点)
1959-1974 ブラジルの旗 ボタフォゴFR
1974-1975 フランスの旗 オリンピック・マルセイユ
1976 ブラジルの旗 クルゼイロEC
1977 ベネズエラの旗 ポルトゥゲサFC
1978-1979 ブラジルの旗 ECノロエスチ
1979 ブラジルの旗 ファスト・クルーベ
1980-1981 ボリビアの旗 ウィルステルマン
1981-1982 ブラジルの旗 ボタフォゴFR
代表歴
1964-1982 ブラジルの旗 ブラジル 81 (33)

 

クラブ

 

1959年、15歳でボタフォゴの左ウイングとしてプロデビューした。

 

ジャイルジーニョの本来のポジションは右ウイングだったが、当時のボタフォゴの右ウイングには彼のヒーローでもあったガリンシャがいたため、主に左ウイングまたはセンターフォワードとしてプレーし、ガリンシャが不在時のみ右ウイングを務めた。

 

後にガリンシャ右ウイングのポジションを奪い、リオ・デ・ジャネイロ州選手権を4度制した。

 

1974年にフランスのオリンピック・マルセイユに移籍したが短期間でブラジルに帰国。

 

1976年に加入したクルゼイロで同年のコパ・リベルタドーレスに優勝した。

 

代表

 

1964年、怪我のガリンシャに代わって19歳でブラジル代表デビュー。

 

2年後の1966 FIFAワールドカップでは右ウイングにガリンシャがいたために左ウイングとして出場した結果、本領が発揮できず、チームも敗退。

 

大会終了後、ガリンシャが代表から引退したため、以後は右ウイングとしてプレーする。

 

1970年大会では、ワールドカップ史上初となる初戦から決勝戦までの全試合でゴールを決め(1次リーグ初戦チェコスロバキア戦で2得点、以降の5試合は各1得点)、ブラジル代表の3度目の優勝に貢献した。

 

ブラジルが3回目のW杯制覇を成し遂げ、ジュール・リメ杯永久保持を決めた有名な大会ですね。

 

この大会の約3ヶ月前に当時38歳だったザガロが監督就任、ペレ、トスタン、リベリーノ、ジェルソン、キャプテンのカルロス・アルベルト、そしてジャイルジーニョ、W杯初の全勝優勝です。

 

今でもこのブラジルを史上最強チームだと言う方も多いですね。

 

ペレとトスタンの2トップ、ジャイルジーニョは右ウイングとして大活躍です。

 

リベラとマッツォーラを擁するイタリアとの決勝、貴重な1点を挙げています。

 

4-1という完勝の立役者の1人です。

 

チーム最多の7得点を挙げたジャイルジーニョ、この大会の得点王は10得点を挙げたミュラー(当時西ドイツ)ですが、大会中の6試合全てに得点をしてブラジルの優勝に大きく貢献しました。

 

ワールドカップ6試合連続の得点は1958年大会のジュスト・フォンテーヌと共にタイ記録である。

 

自身3度目のW杯となった1974 FIFAワールドカップでは2ゴールを挙げた。

 

2次リーグでオランダに敗れて3位決定戦へ。

 

3位決定戦ではポーランドのカウンターに沈み4位で大会を終えています。

 

この大会では、ジャイルジーニョはセンターフォワードでプレーをしていますが、これが失敗だったと言われることもあります。

 

守備的すぎるという批判もあったようです。

 

大会後に実質的に代表から退く。

 

1982年3月3日、チェコスロバキアを相手に引退試合を行った。

エピソード

Jairzinho – The Hurricane [Best goals & skills]

2003年にガボン代表監督に就任したが、2006 FIFAワールドカップ本大会への出場が果たせず、2005年9月に解任された。

 

ブラジルのサンクリストヴァンを率いていた際には、当時14歳だったロナウドを見いだした。

 

プレースタイル

Jairzinho at Botafogo | Goals & Skills | 1959 – 1974

ジャイルジーニョはクラブでセンターフォワードや攻撃的MFを務めていました。

 

柔軟でスピーディーなドリブルでDFを翻弄、正確なシュートを決めることの出来るFWでした。

 

突破力も得点力も兼ね備えていた選手で特にそのスピードは圧巻でした。

 

ドリブルを得意とし、得点能力の高さも際立った選手です。

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