デイビッド・ベッカム

サッカー

概略

【イングランドの貴公子】デイビッド・ベッカム 特徴解説  HD 1080p David Beckham みにフト(海外サッカー)
国籍 イギリスの旗 イギリス(イングランドの旗 イングランド)
生年月日 1975年5月2日(45歳)
出身地 ロンドン、レイトンストーン
身長 180cm
体重 74kg

 

ポジションはミッドフィールダー(右サイドハーフ)。

 

利き足は右。

 

愛称は「ベックス」、「貴公子」。

 

FIFA最優秀選手賞では2位に2度選出され、2004年に初めて最も収入を得たサッカー選手となり、英国人として初めてUEFAチャンピオンズリーグ100試合出場を達成した。

 

2000年11月15日から、2006 FIFAワールドカップまで、58試合でイングランド代表のキャプテンを務めた。

 

その後も代表に選ばれ、2008年3月26日に行われたフランス戦で100キャップ目を記録し、フィールドプレイヤーとしては最多の出場数を誇っている。

 

1999年にスパイス・ガールズのヴィクトリア・ベッカム(旧姓アダムス)と結婚した。

 

獲得タイトル

クラブ

マンチェスター・ユナイテッド
  • プレミアリーグ 1995-96, 1996-97, 1998-99, 1999-2000, 2000-01, 2002-03
  • UEFAチャンピオンズリーグ 1998-99
  • FAカップ 1995-96, 1998-99
  • インターコンチネンタルカップ 1999
  • FAコミュニティ・シールド 1993, 1994, 1996, 1997
レアル・マドリード
  • リーガ・エスパニョーラ 2006-07
  • スーペルコパ・デ・エスパーニャ 2003
ロサンゼルス・ギャラクシー
  • MLSカップ 2011, 2012
  • サポーターズ・シールド 2010, 2011
  • MLSウエスタン・カンファレンス 2009, 2010, 2011
パリ・サンジェルマンFC
  • リーグ・アン 2012-13

個人

  • PFA年間最優秀若手選手賞:1997年
  • サー・マット・バスビー賞:1997年
  • 20世紀の偉大なサッカー選手100人 49位:1999年
  • UEFA年間最優秀選手:1999年
  • BBC スポーツ・パーソナリティ・オブ・ザ・イヤー:2001年
  • プレミアリーグ10周年記念ベストイレブン:2003年
  • プレミアリーグ10周年記念ベストゴール:2003年(1996年8月17日、ウィンブルドン戦でのゴール)
  • FIFA100:2004年
  • ESPY賞:2004, 2008年
  • PFAベストイレブン(1997-07):2007年
  • イングランドサッカー殿堂:2008年
  • PFA年間ベストイレブン:1997, 1998, 1999, 2000, 2002年
  • BBC スポーツ生涯功労賞:2010年

初記録

  • 練習生契約:1991年7月8日
  • プロ契約:1993年1月23日
  • 初出場:1992年9月23日 対ブライトン&ホーヴ・アルビオン戦(リーグカップ、途中出場)
  • リーグ戦初出場:1995年4月2日 対リーズ・ユナイテッドAFC戦
  • 初ゴール:1994年12月7日 対ガラタサライ戦(UEFAチャンピオンズリーグ)
  • 代表初キャップ:1996年9月1日 対モルドバ戦(FIFAワールドカップ予選)
  • 初ゴール:1998年6月26日 対コロンビア戦(FIFAワールドカップフランス大会)

 

経歴

HeilRJ デビッド・ベッカム スーパープレイ集
クラブ
クラブ 出場 (得点)
1992-2003 イングランドの旗 マンチェスター・ユナイテッド 265 (52)
1994-1995 イングランドの旗 プレストン・ノース・エンド (loan) 5 (2)
2003-2007 スペインの旗 レアル・マドリード 116 (13)
2007-2012 アメリカ合衆国の旗 ロサンゼルス・ギャラクシー 98 (18)
2009 イタリアの旗 ミラン (loan) 18 (2)
2010 イタリアの旗 ミラン (loan) 11 (0)
2013 フランスの旗 パリ・サンジェルマン 10 (0)
通算 523 (97)
代表歴
1992-1993 イングランドの旗 イングランド U-18 3 (0)
1994-1996 イングランドの旗 イングランド U-21 9 (0)
1996-2009 イングランドの旗 イングランド 115 (17)

 

クラブ

 

1992-93シーズン、マンチェスター・ユナイテッドで9月23日に行われたリーグカップのブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFC戦に後半から途中出場し、トップデビューを果たす。

 

1994-95シーズン、経験を積むために1か月間のレンタル移籍で、当時リーグ2所属のプレストン・ノースエンドに加入。

 

故障者が続出していたユナイテッドに復帰すると、1995年4月2日のリーズ戦にスターティングメンバーとして出場し、プレミアリーグデビューを果たした。

 

ユナイテッドの監督であるアレックス・ファーガソンは、クラブの若手選手に大きな期待を寄せており、ベッカムはニッキー・バット、ガリーとフィルのネヴィル兄弟らとともに、1990年代にファーガソンが連れてきた「ファーガソンのひな鳥」と呼ばれる選手たちの一人であった。

 

1994-95シーズンを最後に、ポール・インスやマーク・ヒューズ、アンドレイ・カンチェルスキスといった経験豊富な選手がクラブを去ったが、ファーガソンは、スター選手たちが移籍した代わりに、他のクラブの有名な選手(ユナイテッドは夏にダレン・アンダートン、マルク・オーフェルマルス、ロベルト・バッジョの獲得を試みたが契約には至らなかった)を獲得するのではなく、クラブの下部組織出身の選手を代わりに起用することを決めたが、多くの批判を招いた。

 

ベッカムはゴールを決めたが、開幕戦でアストン・ヴィラFCに1-3で敗れ、アラン・ハンセンの「子供ばかりでは勝てない」という言葉に象徴されるように多くの者がリーグでのユナイテッドの苦戦を予想したものの、その後6連勝をし、若手選手たちは好パフォーマンスを披露した。

 

ベッカムはすぐに右サイドハーフのポジションを掴み、FAカップ準決勝のチェルシーFC戦でゴールを決め、決勝戦ではエリック・カントナのゴールをアシストするなどの活躍をし、クラブのリーグとFAカップのタイトル獲得に貢献した。

 

ベッカムが初めて獲得したタイトルは、新年まで10ポイントの差を付けられていたニューカッスル・ユナイテッドFCを逆転して得たものであった。

 

1996年8月17日のプレミアリーグ開幕戦のウィンブルドンFC戦でハーフウェイライン手前から、ゴールキーパーの頭上を越えるロングシュートを決め、ベッカムの名前はイングランド中に知れ渡った。

 

ベッカムはプレミアリーグ連覇を達成したチームの不動のレギュラーであり、シーズン終了後にはPFA年間最優秀若手選手賞を受賞した。

 

1997年5月18日にエリック・カントナが現役引退を発表し、テディ・シェリンガムがクラブに加入したことに伴い、ベッカムは10番をシェリンガムに譲り、カントナが付けていた7番を背負うことになった。

 

ファンの中には、カントナ引退後には7番を永久欠番にすることを望む人もいた。

 

1998-99シーズン、クラブはプレミアリーグとFAカップ、チャンピオンズリーグのトレブルを達成し、ベッカムもその一員であった。

 

ワールドカップ終了後で特に多くの批判を浴びていた時期であり、様々な憶測が飛び交ったが、ベッカムはマンチェスター・ユナイテッドに残留するという決断を下したのであった。

 

リーグのタイトルを獲得するためには最終戦でホームのトッテナム・ホットスパーFC(ライバルクラブであるアーセナルの連覇を阻止するために、容易に負けるのではないかと言われていた)戦で勝利する必要があったが、開始早々にトッテナムがリードを奪った。

 

その後ベッカムが同点ゴールを決め、チームは逆転で勝利し、リーグ優勝を果たした。

 

FAカップ決勝のニューカッスル・ユナイテッドFC戦とチャンピオンズリーグ決勝のバイエルン・ミュンヘン戦は、本来の選手が出場停止であったため、センターハーフのポジションで出場した。

 

チャンピオンズリーグは試合終了間際まで0-1でリードされていたが、ロスタイムに2ゴールを挙げ、トロフィーを勝ち取った。

 

2ゴールともベッカムのコーナーキックをきっかけに生まれたものであった。

 

これらのアシストやシーズンを通して見せた活躍が評価され、バロンドールとFIFA最優秀選手賞では、いずれもリバウドに次いで2位に選出された。

 

1999-2000シーズン中には、イタリアのユヴェントスへの移籍の話があったが、結局は何も起こらなかった。

 

しかし、ベッカムがサッカーから離れたところから名声を得始めたことによって、2000年の初めからファーガソンとベッカムの関係は悪化し始めた。

 

2000年にベッカムは嘔吐下痢症に感染した息子のブルックリンを看病するために練習を欠席する許可を得たが、ファーガソンは、同日にロンドン・ファッション・ウィークのイベントで写真撮影をされていたヴィクトリア・ベッカムが子どもの看病をすればベッカムは練習に参加することが出来たと激怒し、ベッカムに対してクラブでの最大の罰金(2週間分の給料、ベッカムの場合は50,000ポンド)を科し、ユナイテッドのライバルであるリーズとの重要な試合のメンバーから外した。

 

ファーガソンは後に自叙伝の中で、「チームメイトに対してフェアではなかった」として批判し、ベッカムを非難した。

 

しかし、ユナイテッドは記録的な差でリーグのタイトルを獲得し、ベッカムもタイトル獲得に貢献した。

 

ベッカムは連覇に貢献し、1999-2000シーズンは、2位のアーセナルに18ポイント差を付けて優勝し、残り11試合を11連勝で飾り首位を快走した。

 

ベッカムは3連覇を達成した2000-01シーズンのユナイテッドの中心選手であった。

 

2001-02シーズンは、ユナイテッドの選手として、ベッカムにとっての最高のシーズンであった。

 

リーグ戦28試合に出場し11ゴール、全公式戦42試合に出場し16ゴールの成績を残した。

 

怪我から回復して迎えた2002-03シーズンであったが、オーレ・グンナー・スールシャールがベッカムに代わって右サイドでプレイしており、以前のようにポジションを得ることが出来なかった。

 

監督との関係も2003年2月15日に行われたFAカップのアーセナル戦後に悪化。

 

ドレッシングルームで敗退に怒ったファーガソンがスパイクを蹴り上げ、それがベッカムの目の上を直撃し、縫合が必要な傷を負ってしまった。

 

この事件をきっかけとして、多くの移籍の噂が巻き起こり、ブックメーカーは、ベッカムとファーガソンのどちらが先にクラブを去るかを対象とした賭けを始めた。

 

チームは低調なスタートを切ったが、12月頃から立ち直り、リーグ優勝を果たした。

 

ベッカムは全公式戦を通して52試合に出場し、11ゴールを挙げた。

 

プレミアリーグで265試合に出場し、61得点、チャンピオンズリーグでは81試合に出場し、15得点の成績を残した。

 

そして、このシーズン限りでマンチェスター・ユナイテッドを離れる決断を下す。

 

ベッカムはユナイテッドで6度のリーグ優勝と2度のFAカップ優勝、チャンピオンズリーグとインターコンチネンタルカップ、FAユースカップのタイトルを12年間の間に獲得した。

 

2003年、ジョアン・ラポルタがFCバルセロナの会長に立候補した際、ベッカムの獲得を公約に掲げた。

 

マンチェスター・ユナイテッドはFCバルセロナへの移籍を望んでいたが、ベッカムはレアル・マドリードを選択し、4年間の契約を結んだ。

 

移籍金は約3500万ユーロだとされている。

 

手続きは2003年7月1日に完了し、ローリー・カニンガム、スティーブ・マクマナマンに続いて、レアル・マドリードでプレイするイギリス人のサッカー選手となった。

 

2003-04シーズン、レアル・マドリードは4位でシーズンを終了し、チャンピオンズリーグでも準々決勝で敗退したが、ベッカムは開幕戦でのゴールを含め、最初の公式戦16試合で5得点を挙げ、すぐにサポーターのお気に入りとなった。

 

しかし、リーグかチャンピオンズリーグのいずれかのタイトルを獲得することを望んでいた会長の期待には応えることは出来なかった。

 

また、このシーズンからは、チーム事情により、センターハーフでのプレーが主だった。

 

2004-05シーズン、チームは無冠に終わる。

 

移籍後は主にセンターハーフでプレーしていたが、冬にトーマス・グラベセンが加入したことと監督であったルシェンブルゴとルイス・フィーゴの確執に伴い、2005年に入ってからはフィーゴに代わって右サイドハーフとして出場する機会が増えた。

 

右サイドで出場した2005年のエル・クラシコではマイケル・オーウェンへのアシストを含め2アシストを記録し、移籍後最高のパフォーマンスと称される活躍をして4-2の勝利に貢献した。

 

その後も右サイドハーフとして出場を続け好パフォーマンスを披露し、リーグで最も多くのアシストを記録した選手となった。

 

2005-06シーズンは、フィーゴの移籍に伴い右サイドハーフに定着したが、優勝したバルセロナに12ポイント差を付けられての2位に終わり、チャンピオンズリーグでは、アーセナルFCに決勝トーナメント1回戦で敗れた。

 

2006-07シーズンは監督に就任したファビオ・カペッロの好みにより、当初はスターティングメンバーで出場したが、ベッカムがスターティングメンバーとして出場した最初の9試合で、レアルは7ポイントを落とし、スピードのある新加入選手のホセ・アントニオ・レジェスに右サイドのポジションを奪われた。

 

2007年1月11日にベッカムはレアル・マドリードを離れ、特別指定選手制度を使用してメジャーリーグサッカーのロサンゼルス・ギャラクシーへ移籍することが明らかになり、翌日のMLSのスーパードラフトの際に公式な記者会見が開かれた。

 

ベッカムはロサンゼルス・キャラクシーと7月1日からの5年間の契約を結んだと発表した。

 

ベッカムとロサンゼルス・ギャラクシーとの契約は2007年7月11日に結ばれ、13日にホーム・デポ・センターでギャラクシーへの入団発表が行われた。

 

その後クラブを転々とした後、2013年に現役を引退した。

 

代表

 

1996年9月1日に行われたワールドカップ予選のモルドバ戦でA代表デビュー。

 

その後の予選の試合にも出場を続け、1998 FIFAワールドカップを戦うイングランド代表のメンバーに選出された。

 

監督を務めていたグレン・ホドルが、大会に集中できていないと判断し、最初の2試合はスターティングメンバーから外されたが、3戦目のコロンビア戦でスターティングメンバーに抜擢されると、フリーキックからゴールを決め、2-0の勝利に貢献した。

 

このゴールは、ベッカムの代表初ゴールであった。

 

しかし、決勝トーナメント1回戦のアルゼンチン戦、ディエゴ・シメオネに報復攻撃を加え退場処分となり、また、チームもPK戦の末に敗退したこともあり、デイリー・ミラーに「10 heroic lions one stupid boy(10人の勇敢な獅子と1人の愚かな若者)」という標語をつけられ、戦犯としてメディアを含め多くの批判を浴び、ベッカムは死の脅迫をも受けた。

 

ベッカムへのファンによる批判がピークに達したのが、2-3で敗れたEURO 2000のポルトガル戦(ベッカムは2得点を演出した)である。

 

サポーターは試合を通してベッカムにブーイングを浴びせ続けたが、ベッカムはそれに対して右手の中指を立てて応えた。

 

その行為もまた非難されたが、かつて彼を批判していた新聞社は読者に対し、もうベッカムを批判するのは止めるようにしようと求めた。

 

2000年11月15日、10月に監督を辞任したケヴィン・キーガンの後を継いだピーター・テイラー監督にキャプテンに指名され、続いて監督に就任したスヴェン・ゴラン・エリクソンの下でもキャプテンとしてプレイし続けることとなった。

 

ベッカムは、5-1で勝利したドイツ戦を含め、ワールドカップ最終予選で活躍を続けた。

 

ギリシャ戦では、1-2とリードされている後半ロスタイム、同点となるフリーキックを決めイングランドをワールドカップ出場へと導いた。

 

これらの活躍を通して、ベッカムがブーイングを浴び批判されるようなことはなくなった。

 

その年は、BBCスポーツ・パーソナリティー・オブ・ザ・イヤーを受賞し、FIFA最優秀選手賞では2位に選ばれている。

 

怪我から回復し、2002 FIFAワールドカップ初戦のスウェーデン戦に出場を果たし、アルゼンチン戦では、PKからゴールを決めた。

 

イングランド代表は準々決勝でブラジルに敗れ、ベスト8で大会を後にした。

 

EURO2004にもイングランド代表として出場したが、1-2で敗れたフランス戦でPKを失敗した他、準々決勝のポルトガル戦のPK戦でも最初のキッカーとして外してしまうなど活躍することは出来なかった。

 

2004年10月4日のウェールズ戦で、ベン・サッチャーにファウルを犯し、イエローカードを受け、累積で次戦のアゼルバイジャン戦は出場停止となった。

 

2006年6月10日、イングランド代表にとっての2006 FIFAワールドカップ初戦であるパラグアイ戦では、ベッカムのフリーキックがカルロス・ガマーラのオウンゴールを招き、1-0で勝利した。

 

6月15日に行われた2戦目のトリニダード・トバゴ戦では、83分にベッカムのクロスからピーター・クラウチのゴールが生まれ、終了間際には、スティーヴン・ジェラードのゴールもアシストした。

 

試合は2-0で勝利し、大会スポンサーのバドワイザーが選出するマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた。

 

決勝トーナメント1回戦のエクアドル戦では、59分にフリーキックからゴールを決め、イングランド代表選手としてワールドカップ3大会で得点を挙げた初めての選手となり、試合も1-0で勝利し、準々決勝進出を果たした。

 

ベッカムは試合前から体調が悪く、体調不良と脱水症状に陥いった結果、得点後もプレイを続けたが、試合中に数回嘔吐した。

 

準々決勝のポルトガル戦では、怪我のために52分で交代し、試合は延長戦を終えても0-0のままで、PK戦の末に敗れた。

 

交代後ベッカムは、プレイできないことから目に見えて落胆しており、ベンチで涙を流した。

 

2008年、ワールドカップ予選のベラルーシ戦で87分から出場し107キャップを記録し、歴代3位の出場数となり、2009年2月11日に行われたスペインとの親善試合では、スチュワート・ダウニングに代わり後半から出場、代表108キャップ目を記録し、ボビー・ムーアの持つフィールドプレイヤーとしての最多出場数の記録に並び、イングランド代表歴代2位タイの出場数となった。

 

2009年3月28日のスロバキアとの試合に途中出場し、ムーアの記録を更新し、試合ではウェイン・ルーニーのゴールをアシストした。

 

2009年6月10日のアンドラ戦でスターティングメンバーとして100試合目の出場を果たした。

エピソード

【Legend】デビッド・ベッカム クロス&パス 1999-2003【 David Beckham 】

少年時代、天才サッカー少年としてテレビで紹介されたことがある。

 

ユース時代にはチームでいちばんヘディングが強かったという。

 

幼少の頃からマンチェスターUの試合を必ずと言っていいほど正装で観戦し、かなりの敬意を表していた。

 

また、欧州に遠征して来た日本代表と対戦したときはジーコ監督(当時)に「小さい頃からファンだった」と試合前に正装をして挨拶に行ったこともある。

 

ロンドン近郊イーストロンドン(エセックス州寄り)レイトンストーン育ちの為、エセックス訛りの下町言葉を話す。

 

趣味は切手集めとテディベアのコレクション。

 

オークションで1800ポンドのテディベアをEBAYで購入したことが英国のBBCニュースで流れたことがある。

 

またオーダーメードでバイクを注文するなど、バイク好きで知られている。

 

2002年日韓ワールドカップ開催数ヶ月前の4月に、ベッカムは左足の第二中足骨を骨折したが、高圧酸素カプセルによる治療もあり、出場に間に合った。

 

まだ日本でなじみがなかったこの器具は当時、「ベッカムカプセル」と呼ばれることもあった。

 

2006年、自身が強迫性障害であることをメディアに告白した。

 

2015年、ピープル誌が選ぶ「この世で最もセクシーな男」に選ばれる。

 

2017年の映画『キング・アーサー』で俳優デビューした。

 

ガイ・リッチー監督はその演技を高く評価したが、ファンや英メディアからはヴィクトリア夫人の歌声に例えられて酷評された。

 

1997年にヴィクトリア・アダムズがマンチェスター・ユナイテッドの試合の観戦に訪れた後に、交際が始まった。

 

スター二人の交際関係はメディアの多くの注目を集め、このカップルは「ポッシュ & ベックス」と呼ばれた。

 

1999年7月4日にアイルランドにあるルトレスタウン・キャッスルで式を挙げ、二人は結婚した。

 

二人の間には、息子が三人、娘が一人いる。

 

ブルックリン・ジョセフ・ベッカム(1999年生) ロメオ・ジェームズ・ベッカム(2002年9月1日生) クルス・デイヴィッド・ベッカム(2005年2月20日生) ハーパー・セブン・ベッカム(2011年7月10日生)

 

2014年11月、長男ブルックリンがアーセナルFCと契約、次男ロメオと三男クルスもアーセナルのユースチームに所属している。

 

ブルックリンは2015年にアーセナルU-18にも招集されるなどしたが、契約延長に至らず、2014-2015シーズンを持って退団した。

 

その後は父親のキャリアの原点であるマンチェスター・ユナイテッド加入なども報じられたが、引退を選択している。

 

その年の11月14日に行われたユニセフ主催のチャリティーマッチでは、父・デビッドと共に「イギリス・アイルランド合同チーム」の一員としてプレーし、ピッチ上で親子競演を果たした。

 

12月にはブルックリンに続き、次男のロメオも引退する意向を両親に伝えたと報じられている。

 

2016年、三男のクルーズがジャスティン・ビーバーなどのマネージャーであるスクーター・ブラウンとマネジメント契約を結び、オフィシャルインスタグラムを開設。「If Every Day Was Christmas」で歌手デビューを果たす。

 

2015年、アメリカの経済誌フォーブスはデビッド・ベッカムの去年(2014年)の年収は約5080万ポンド(約91億円)であったと発表した、2012年の3460万ポンド(約62億円)からさらに1500万ポンド(約29億円)もの増収を上げている。

 

現役を引退したスポーツ選手の長者番付では、マイケル・ジョーダンに続き、ベッカムが二位に付けている。

 

2011年5月、英サンデー・タイムズ紙が『お金持ちリスト』を発表し、ベッカム夫妻が総資産1億6,500万ポンド(日本円で約217億8,000万円)で1位になった。

 

デビッドはロサンゼルス・ギャラクシーから2年間で5,600万ポンド(約73億9,200万円)の契約を結んでいるほか、2012年のロンドン・オリンピックでサムスンのブランド大使を務める契約をしており、相当な額になっているという。

 

さらに妻ビクトリアのファッションブランドからも収入が入るため、今後もベッカム家の資産は増え続けることになりそうだという。

 

ベッカムがロンドンに所有している邸宅は、ベッキンガム宮殿(Beckingham Palace)と呼ばれることがある。

 

これはバッキンガム宮殿をもじったもの。

 

高級住宅街があることで知られるハートフォードシャーに位置しており、ロンドン中心部から車で1時間程度の場所にある。

 

約97,000m2の敷地面積がある。

 

2007年4月に家族はベッカムのロサンゼルス・ギャラクシー移籍を踏まえて、ビバリーヒルズにイタリア風ヴィラを購入した。

 

この建物は2,200万ドルで、近くにはトム・クルーズやケイティ・ホームズ、ジェイ・レノの家があり、街を一望できる丘の上に立つゲーテッドコミュニティである。

 

2018年10月には、このロサンゼルスの豪邸を3300万ドル(2018年当時約36億3000万円)で売却し、差額1100万ドルの利益を得たと報道された。

 

報道によれば、ロサンゼルス・ギャラクシー退団後ロンドンで過ごすことが多くなった上、ベッカムはマイアミで新たにインテル・マイアミCFを立ち上げ、マイアミを頻繁に訪れるようになったため、一家はマイアミ・ビーチのフィッシャー・アイランドで新居を探しているという。

 

プレースタイル

David Beckham ● Skills and Highlights ● Fantastic Midfielder

ベッカムの代名詞ともなっていたのが、フリーキックやクロス

 

フリーキックももちろん凄いけど、どちらかというと流れの中でのキック精度が本当に凄い。

 

いまでも自分が観てきた中では史上最高だと思っています。

 

単純にキックの精度、ボールの質自体も綺麗で伸びがあってすごいんだけど、ベッカムの場合、見ている場所、狙う場所の凄さもあった。

 

かなり俯瞰で見えてないとそこは狙わないんじゃないかという場所を狙うし、そこにピンポイントでボールを送れるのがすごい。

 

普通の選手がもっと近い距離でグラウンダーのスルーパスで狙うようなパスを、これだけの距離がある状況でロングボールでピンポイントで狙える。

 

それがベッカムの凄さだったと思います。

 

普通の選手ならたとえ見えていたとしても出せないような、例えば右サイドの低い位置から左サイドの高い位置、フィールドを斜めに横断するような超ロングパスもピンポイントで蹴れるのも凄いところ。

 

どの位置でボールを持っても、フィールド全体をパスエリアにできるような選手。

 

ユナイテッドで決めた、有名なハーフラインあたりからのゴールもそうだけど、ボールを持ったときはまず遠くから見ているような印象がありました。

 

サイドハーフなだけに縦に突破してクロスを上げるシーンもありましたが、ドリブルはそれほど上手くなく推進力もなかったです。

 

相手をかわし切る前や、フリーで受けて寄せられる前に放り込むクロスが多かったです。

 

ですのでベッカムのクロスは不可避です。

 

史上最高のクロサーの一人ではないでしょうか。

 

キック以外のところでいえば、特別フィジカルなどに優れているわけでもなく目立つ部分は多くないけど、派手なイメージとは真逆といってもいいプレースタイルで、実は労働タイプというか、運動量もめちゃくちゃ多くてハードワークする選手でした。

 

ユナイテッドでも、走行距離はベッカムが1位という試合がけっこうありました。

 

攻守に渡り運動量で貢献していました。

 

サイドということもあり、運動量とポジショニングのよさでフリーでボールを受けることも多かったです。

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