概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1983年8月6日(36歳) | ||
出身地 | ロッテルダム | ||
身長 | 186cm | ||
体重 | 78kg |
ポジションはフォワード(センターフォワード、セカンドトップ、左ウイング)。
利き足は左。
2011-12・2012-13シーズンと2シーズン連続で異なるクラブでプレミアリーグ得点王に輝いたストライカー。
オランダ代表では3度のワールドカップに出場。
オランダ代表の通算得点記録の保持者でもある。
2017年時点で、プレミアリーグ通算得点ランキング10位である。(280試合144得点 得点率51%)
獲得タイトル
クラブ
フェイエノールト
- KNVB Cup: 2017–18
- Johan Cruyff Shield: 2018
- UEFA Cup: 2001–02
アーセナル
- FA Cup: 2004–05
- FA Community Shield: 2004
- UEFA Champions League runner-up: 2005–06
- Football League Cup runner-up: 2010–11
マンチェスター・ユナイテッド
- Premier League: 2012–13
- FA Community Shield: 2013
代表
オランダ代表
- FIFA World Cup runner-up: 2010; third place: 2014
個人
- Dutch Football Talent of the Year: 2001–02
- KNVB Best Young Talent Award: 2001–02
- Premier League Player of the Month: November 2005, October 2009, October 2011, December 2012, April 2013
- BBC Goal of the Month: September 2006, December 2008, December 2011, August 2012, April 2013
- Premier League top assist provider: 2008–09
- Premier League Golden Boot Landmark Award: 2011–12 (10 goals), 2011–12 (20 goals), 2011–12 (30 goals)
- Premier League Golden Boot: 2011–12, 2012–13
- PFA Players’ Player of the Year: 2011–12
- PFA Fans’ Player of the Year: 2012
- PFA Team of the Year: 2011–12 Premier League, 2012–13 Premier League
- FWA Footballer of the Year: 2011–12
- ESM Team of the Year: 2011–12
- Arsenal Player of the Season: 2011–12
- Sir Matt Busby Player of the Year: 2012–13
- BBC Goal of the Season: 2012–13
- FIFA FIFPro World XI shortlist: 2011, 2012, 2013
- FIFA FIFPro World XI 2nd team: 2013
- Premier League 100 Club’s Greatest Goal Award
- Netherlands all-time top goalscorer: 50 goals
- Manchester United Goal of the Season: April 2013 vs Aston Villa
- 2014 FIFA World Cup qualification Top scorer (11 goals)
- FIFA Puskás Award (3rd place) 2014
- Eredivisie Player of the Month: August 2018
経歴
クラブ
SBVエクセルシオールユースからフェイエノールトユースを経て2002年にトップチームにデビューし、すぐに頭角を現す。
この年のUEFAカップ優勝も経験。
U-19、U-21オランダ代表にも選出された。
フェイエノールト時代は左ウィング、左サイドハーフとしての起用がほとんどであった。
2004年には初の国外挑戦として数多くのオファーの中から、プレミアリーグのアーセナルFCを選択。
2006-07シーズンにはティエリ・アンリに代わり試合に出場したが、骨折によりシーズン終了まで離脱した。
2007-08シーズン序盤、代表戦での怪我で半年近くの離脱。
2008-09シーズンには11アシストを記録してプレミアリーグのアシスト王に輝いた。
2009年夏、アーセナルとの契約を2014年6月まで延長した。
2010-11シーズン序盤は怪我で欠場していたが、怪我から復帰後はゴールを量産。
リーグ戦ではアウェーで8試合連続ゴールを記録(最終的にリーグ18得点)、またカーリングカップ決勝でも得点をあげた。
しかし、チームとしては前述のカーリングカップで敗退し、カンプ・ノウでのUEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦のFCバルセロナ戦では1stレグで同点ゴールを挙げ勝利に貢献したものの、2ndレグでは遅延行為により退場し、その後逆転され敗退した。
2011-12シーズンはセスク・ファブレガスの移籍に伴い、アーセナルのキャプテンに就任した。
チームが怪我で苦しむ中で1人好調をキープし、前年度を上回るペースでゴールを量産。
シーズン終了間際の2012年4月20日時点で27ゴールをマークし、PFA最優秀選手賞を受賞した。
最終的にゴール数を30にまで伸ばし、得点王となった。
シーズン終了後、アーセナルとの契約を延長しないことを発表。
これを受けてユヴェントスFCやマンチェスター・シティFCなどの強豪が獲得に動いたが、2012年8月15日、マンチェスター・ユナイテッドFCへ移籍した。
2012-13シーズン、マンチェスター・ユナイテッドでもゴールを量産し、2年連続でリーグ得点王を獲得。
優勝を決めたアストン・ヴィラFC戦ではハットトリックを達成した。
2014-15シーズンはオランダ代表で共にワールドカップを戦ったルイ・ファン・ハールが監督に就任した。
しかし、度重なる負傷に悩まされ、26試合の出場で10ゴールと満足行く結果を残すことができなかった。
2015年7月14日、トルコのフェネルバフチェSKへ完全移籍することを発表した。
2017年夏の移籍市場でフェイエノールトが関心を示し、ファン・ペルシ本人も子供たちの環境も考えてオランダに帰国を望んだがフェネルバフチェが契約解除に応じなかった。
しかし出場機会が大きく減ったことで2018年冬の移籍市場でフェネルバフチェが契約期間残り半年分のサラリー200万ユーロの内180万ユーロを支払っての契約解除に応じ、フリーになった。
1月22日にフェイエノールトと1年半の契約を結び、14年ぶりに復帰した。
背番号はデビュー当時に付けていた32。
フェイエノールトに復帰当初はフィットしておらず、少しずつ出場時間を増やしながらのプレーではあったが、重要なゴールを決め、4月22日のKNVBカップ決勝ではAZ戦では0-2となるゴールを決め、優勝に貢献した。
2018-19シーズンはキャプテンに就任して完全にフィットした状態でシーズンに入り、低調なプレーで苦しむチームにおいて存在感を示し続け、2019年1月27日のアヤックス戦では2得点を記録し、6-2という歴史的勝利に貢献した。
2019年3月3日のFCエメン戦でハットトリックを達成し、キャリア通算200ゴールを達成した。
2018年10月、2018-19シーズンを最後に現役を引退すると発表した。
代表
2005年6月4日にルーマニア戦でオランダ代表デビューを果たし、ドイツワールドカップにも出場。
グループリーグのコートジボワール戦で強烈なフリーキックを決めるなどオランダのグループリーグ突破に貢献した。
EURO2008ではスーパーサブとして2得点を挙げる活躍を見せ、グループリーグでのオランダの快進撃に貢献した。
2010 FIFAワールドカップにも出場し、チームは準優勝したが、自身はカメルーン戦の1得点のみに終わった。
2011年9月2日のUEFA EURO 2012予選のサンマリノ戦では1試合4得点を記録した。
2013年10月11日の2014 FIFAワールドカップ予選ハンガリー戦でハットトリックを記録し、パトリック・クライファートのオランダ代表最多得点記録を更新した。
2014年のブラジルワールドカップでは主将として、3位決定戦までの7試合のうち累積警告で出場停止となったチリ戦以外の6試合に出場した。
スペイン戦において背後からのクロスボールをダイビングヘッドでループシュートを決め、これはFIFA公式サイトで実施された大会の最優秀ゴールの投票において2位に輝いた。
最終的に出場した6試合で4得点を挙げ、チームの3位入賞に貢献した。
エピソード
卓球が得意で、アーセナル時代はよくチームメイトとプレーしており、チーム内で卓球の王と呼ばれていたという。
また、テレビ番組の企画において卓球のイギリス代表であるダリアス・ナイトと対戦したことがあるが、3-11、4-11で敗れている。
2014年6月、アメリカの経済誌フォーブスは世界のアスリートの年収を公表した。
ファン・ペルシの年収は1950万ドルであり、世界のアスリートの中で81位。
サッカー選手の中では11位。
ピエール・ファン・ホーイドンクとはフェイエノールト時代に勝手にFKを奪ったことで不仲に。
2014年のワールドカップ前から代表戦のTV放送での解説でファン・ホーイドンクは怪我の影響で低調だったファン・ペルシ批判の先鋒となり、ファン・ペルシはワールドカップでの最終戦である3位決定戦でゴールを決めると、試合後に「ピエールの言う事は騒ぎを起こすだけで議論になっていない。彼はゴルフでもやっているべき」とインタビューで語った。
ファン・ペルシは、2014 FIFAワールドカップ ブラジルにオランダ代表の一員として参加し、同国の3位入賞に大きく貢献した。
当時オランダ代表を率いていたのはルイ・ファン・ハール氏だったが、同氏の著書『LVG-監督とトータル・パーソン』の中で、ファン・ペルシは指揮官から“鉄拳制裁”を食らっていたことを明かしている。
「あれは、コスタリカとの準々決勝での出来事だった。90分間で決着がつかず、試合は延長戦に突入したんだ。私は延長戦で足が痙攣してしまった。でも、PK戦になればキッカーとして責任を果たしたいという思いがあったから、交代することを拒否したんだ」
「交代拒否について、ルイは激怒していたね。延長戦が終わり、タッチライン近くに集まった時、彼は私に近づいてきて突然顔に一撃を見舞ってきた。そして、彼は怒りを露わにして言ったんだ。『二度とあんなことをするな!』とね」
オランダ代表はPK戦要員として投入されていたGKティム・クルルの活躍もあり、4-3でコスタリカを下して準決勝に進出した。
ファン・ハール氏は2014 FIFAワールドカップ ブラジル終了後、マンチェスター・Uの監督に就任。
ビンタをはったファン・ペルシと、再びタッグを組んだ。
ロビン・ファン・ペルシも、かつては悪童の代表格だった。
オランダのフェイエノールト時代からチーム内でもめ事を起こす常習犯で、2004年にアーセナルへ移籍後も、たびたび高級車で交通事故を起こした。
アーセン・ベンゲル監督が、そのたびに説教をしたという。
そのなかでも、もっとも響いたのは、こんな言葉だったという。
「サッカー選手は犬と同じだ。犬は1年で4歳、年を取る。サッカー選手の寿命は短い。だから犬と同じように4倍のスピードで成長しなければならない」
プレースタイル
柔らかいドリブルからの高速シュートを得意とするFW。
元来ウィングタイプのFWだがCF、セカンドトップもこなせる器用さも持つ。
卓越したテクニックに加えて恐ろしく正確で素早いボールさばきで相手を翻弄する。
そのボールコントロールはパスでもシュートでも全く変わらず、スペースを見つけることや活かすことにも優れていて、年を重ねるごとにあらゆる選択肢でゴールを奪うことができるようになっていった万能型のストライカーとも言える。
また多くのレフティが苦手としている右足の技術と精度も高いのがシンボルでもある。
シュートパターンが豊富で巻きシュートもパワルショットもいけます。
ボレーも上手く右足も使え一対一は外しません。
ヘディングも上手い。
以前はもっとサイド寄りでドリブルもテクニックありますが、トラップの技術が素晴らしく
ベルカンプ程ではないですがトップレベルです。
裏に抜けるのも抜群だしポストも完璧にこなす。
味方に使われるのも、使うのも得意で、パスセンスもありアシスト役にもなれる。
オールマイティーなストライカー。
一番の武器はその左足から放たれる正確かつ強烈なパワルシュート。
その威力は破壊的。