概略
国籍 | ![]() ![]() |
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生年月日 | 1987年1月24日(33歳) | ||
出身地 | サルト | ||
身長 | 182cm | ||
体重 | 86kg |
ポジションはフォワード(センターフォワード)。
利き足は右。
エールディヴィジ、プレミアリーグ、リーガ・エスパニョーラと3つのリーグで得点王を獲得し、ウルグアイ代表の通算得点記録を持つストライカー。
クラブ、代表、個人で数々のタイトルを獲得。エディンソン・カバーニとの2トップはウルグアイ代表が誇る強力な2トップとして知られる。
一方で、ピッチ内外での行動に問題の多い選手でもある。
獲得タイトル
クラブ
- ナシオナル・モンテビデオ
- プリメーラ・ディビシオン:1回 (2005-06)
- アヤックス・アムステルダム
- エールディヴィジ:1回 (2010-11)
- KNVBカップ:1回 (2009-10)
- リヴァプールFC
- フットボールリーグカップ:1回 (2011-12)
- FCバルセロナ
- リーガ・エスパニョーラ:4回 (2014-15, 2015-16, 2017-18, 2018-19)
- コパ・デル・レイ:4回 (2014-15, 2015-16, 2016-17, 2017-18)
- UEFAチャンピオンズリーグ:1回 (2014-15)
- UEFAスーパーカップ:1回 (2015)
- FIFAクラブワールドカップ:1回 (2015)
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ:2回 (2016, 2018)
代表
- ウルグアイ代表
- コパ・アメリカ:1回 (2011)
個人
- エールディヴィジ得点王:1回 (2009-10)
- プレミアリーグ得点王:1回 (2013-14)
- ヨーロッパ・ゴールデンシュー:2回 (2013-14, 2015-16)
- プレミアリーグ最優秀選手賞:1回 (2013-14)
- コパ・アメリカ最優秀選手:1回 (2011)
- PFA年間ベストイレブン:1回 (2012-13, 2013-14)
- PFA年間最優秀選手賞:1回 (2013-14)
- FWA年間最優秀選手賞:1回 (2013-14)
- UEFAチャンピオンズリーグベストチーム:1回 (2014-15)
- FIFAクラブワールドカップ2015・得点王:1回 (2015)
- FIFAクラブワールドカップ2015・ゴールデンボール1回 (2015)
- リーガ・エスパニョーラ得点王:1回 (2015-16)
経歴
クラブ
少年時代はゴールキーパーもやっており、ボールを弾くのが好きだったという。
ナシオナルに所属していた2005-06シーズンは29試合で12得点を決め、プリメーラ・ディビシオン優勝を果たした。
この時期、後に夫人となる母国時代から交際のあった女性がスペインに引っ越し、シーズン終了後、オランダのフローニンゲンに移籍金80万ユーロで移籍した。
2006-07シーズンは27試合に出場して10得点した。
2007年8月、移籍金750万ユーロ(約8億4000万円)でアヤックス・アムステルダムに移籍した。
移籍初年度の2007-08シーズンは17得点し、得点ランク3位に入った。
国内カップ戦と欧州カップ戦も含めると41試合出場20得点を記録した。
2008-09シーズンは終盤までムニル・エル・ハムダウィと得点王争いをし、最終的に22得点で得点ランク2位に入った。
2009-10シーズンはアヤックスのキャプテンとして臨んだ。
2009年8月8日、RKCヴァールヴァイク戦で残り20分からハットトリックを達成し、歴代10位の若さでのエールディヴィジ通算50得点を達成した。
上位にはヴィム・キーフト(1位)、マルコ・ファン・バステンなどがいる。
2009-10シーズンは開幕からゴールを量産し、2度の4得点を含め4試合でハットトリックを達成した。
最終的にこのシーズンはリーグ戦で35得点を挙げ、得点王となった。
2011年1月28日、5年半契約でイングランド・プレミアリーグのリヴァプールFCへ移籍し、アヤックスには移籍金2280万ポンド(約29億8000万円)が支払われた。
2012-13シーズンの第6節のノリッジ・シティFC戦で再びハットトリックを達成。
第28節のウィガン戦で3度目のハットトリック。
得点ランク2位の23ゴールをあげる活躍を見せたが、第34節チェルシー戦でブラニスラヴ・イヴァノヴィッチの腕に噛み付き、直後に謝罪したが、FAから10試合の出場停止処分を受けた。
2013-14シーズンは開幕から6試合出場停止だったが、そのハンデを乗り越えて復帰後は第9節のウェスト・ブロム戦、第30節のカーディフで戦ハットトリック。
第14節のノリッジ・シティFC戦では自身初の4得点を達成した。
ノリッジ・シティFC相手の3度目のハットトリック、通算で6試合12ゴールと最も得点を奪った相手となった。
最終的にPKなしでリーグ戦31ゴール、12アシストという活躍を見せ、リヴァプール所属選手としては1998-99シーズンのマイケル・オーウェン以来の得点王となり、ヨーロッパ・ゴールデンシューも受賞。
さらに、PFA年間最優秀選手賞も受賞した。
チームの優勝争いに貢献した。
2014年7月、FCバルセロナはスアレスの移籍についてリヴァプールと合意したと発表。契約は5年間。移籍金は8100万ユーロである。
背番号は9番。
2014 FIFAワールドカップでの噛み付き行為により当初はあらゆるサッカー活動が禁止されていたが、スポーツ仲裁裁判所の裁定により処分が一部緩和され、練習参加とスタジアムへの立ち入りは認められた。
10月24日に処分が終了し、リーグ戦第9節のレアル・マドリード戦で右WGとして先発デビュー。
シーズン前半はアシストなどで貢献するものの得点は伸び悩んだが、シーズン後半からは持ち前の得点感覚を発揮。
デビュー戦以来のエル・クラシコとなる2015年3月22日のレアル・マドリード戦ではダニエウ・アウヴェスからのロングパスからの裏抜けで決勝点を決めた。
5月2日のコルドバCF戦では移籍後初のハットトリックを達成した。
チャンピオンズリーグでは決勝戦でユヴェントスFC相手に決勝ゴールを決め、シーズン途中からの参加でありながら公式戦25ゴール21アシストを記録しチームの主要タイトル3冠達成に貢献した。
同じく南米のアルゼンチン出身であるリオネル・メッシ、さらにブラジル出身であるネイマールとの3トップは、それぞれの頭文字を合わせたMSNの愛称で呼ばれた。
2015-16シーズンは10月31日のヘタフェCF戦にて先制点を決め、欧州デビュー後300得点を記録した。
FIFAクラブワールドカップ、広州恒大戦では大会史上初のハットトリックを達成した。
さらに、20日に行われた決勝、CAリーベル・プレート戦でも2ゴールを挙げてチームの優勝に貢献。
自身も大会史上最多となる5ゴールで得点王、大会MVPに輝いた。
2016年2月3日の国王杯、バレンシア戦では1試合4得点を記録した。
4月23日のスポルティング・ヒホン戦では2試合連続4得点を挙げ、1シーズンに公式戦50ゴールを達成したリーガ史上3人目の選手となった。
5月14日のグラナダCF戦ではシーズン6度目のハットトリックを達成してリーガ史上3人目のシーズン40ゴールを記録し、リーガ・エスパニョーラ連覇に貢献した。
最終的にリーグ戦40ゴール、公式戦59ゴールを記録してメッシとクリスティアーノ・ロナウド以外では7シーズンぶりのリーグ得点王に輝き、2度目のヨーロッパ・ゴールデンシューも獲得した。
代表
2007年2月8日のコロンビア戦でウルグアイ代表デビューした。
2010 FIFAワールドカップ予選では、ボリビア戦とチリ戦で得点している。
2010 FIFAワールドカップ本大会では、グループリーグ第3戦のメキシコ戦で決勝ゴールを挙げ、グループリーグ首位通過に貢献した。
決勝トーナメント1回戦の韓国戦では2得点を挙げ、チームを40年ぶりとなるベスト8進出に導いた。
準々決勝のガーナ戦では1-1の同点で迎えた延長戦終了間際、相手セットプレーからの枠内に飛んだドミニク・アディアーの決定的なシュートをハンドで阻止。
決定的な場面での故意に手を使った得点機会阻止のため、レッドカードを受け退場した。
しかし、直後のアサモア・ギャンのPKはクロスバーに弾かれ、得点にはならなかった。
同点のまま延長戦は終了、PK戦にもつれこんで最終的にウルグアイが勝利した。
このハンド事件については2015年に発売した自身の自伝『理由』において、「最初は、目の前にいた味方の影になって『誰にも見られなかった』と思った。でも、主審の笛が鳴った。すると今度は別の考えが頭に浮かんだ。真横にいたホルヘ・フシーレは、俺に似ているとまでは言えなかったけど、同じ黒髪で、同じくゴールライン上にいて、しかもこの試合中にすでにイエローを1枚もらっていたから、チームが勝っても警告累積で準決勝には出場できないことが決まっていた。そこで、主審の方を向いて、自分ではなく彼のファウルだと合図をしてみた。しかし、苦肉の策も主審には通じず、俺の目にレッドカードが飛び込んできた。」と記している。
しかし、準決勝でチームはオランダに敗れ、決勝進出は成らなかった。
このシーンはFIFAワールドカップ・南アフリカ大会のハイライトシーンの1つにあげられた。
出場停止から復帰した3位決定戦のドイツ戦ではエディンソン・カバーニの同点弾をアシストし、チームもディエゴ・フォルランが逆転ゴールを決め一時はリードするも最終的に逆転負け。
チームは4位入賞を果たした。
コパ・アメリカ2011では準決勝のペルー戦で2得点を挙げ、決勝のパラグアイ戦でも決勝点を挙げるなど、大会2位の4得点を記録。
ウルグアイの15回目の優勝に貢献。
大会最優秀選手に選出された。2011年11月11日に行われた2014 FIFAワールドカップ・南米予選のチリ戦では1人で4得点を挙げ、チームの勝利に貢献した。
2014年6月24日、2014 FIFAワールドカップ・ブラジル大会のグループリーグ第3戦対イタリア戦において、イタリア代表DFジョルジョ・キエッリーニの左肩に、試合中としては通算3度目となる噛み付きを行い、FIFAによる調査と審議の結果、同月26日に、ウルグアイ代表としての公式戦9試合出場停止、スタジアムへの入場禁止を含むサッカーに関するあらゆる活動の4カ月間禁止、ならびに10万スイスフランの罰金という処分が下された。
これによりスアレスは、ウルグアイ代表が決勝トーナメント進出を決めた同大会のみならず、所属する英プレミアリーグでの公式戦も10月まで出場が不可能となった。
この処分はFIFA傘下の全てのリーグに及ぶため、プレミアリーグ内の他クラブや他国のリーグに移籍した場合でも有効となる非常に重い処分である。
チームも決勝トーナメントでコロンビアに0-2で敗れ、ベスト16で敗退した。
2016年11月15日、2018 FIFAワールドカップ・南米予選のチリ戦にて先発出場するも、1-3で敗戦。
試合終了後にチリサポーターに向かって中指を突き立てる行為をした。
2017年10月10日、予選第18節ボリビア戦で2ゴールを挙げる活躍を見せ、ウルグアイ代表のワールドカップ出場権獲得に貢献した。
2018 FIFAワールドカップでは、代表通算100試合目の出場となったグループステージ第2節のサウジアラビア戦で、ウルグアイの決勝トーナメント進出を決める決勝点を記録。
続く開催国ロシア戦でも低い弾道の直接フリーキックを決めて2試合連続ゴールを挙げた。
決勝トーナメント1回戦のポルトガル戦では絶妙なコンビネーションでエディンソン・カバーニの先制点をアシストするなど2得点に絡み、ベスト8進出に貢献した。
準々決勝のフランス戦ではカバーニの負傷欠場の影響もありフランス守備陣にマークされ、シュート0本、ペナルティーエリア内のタッチ数0と完全に抑え込まれ、ウルグアイもベスト8で敗退した。
エピソード
貧しい母子家庭の7人兄弟の1人として育ち、幼少期には裸足でプレイしていたと本人は語っている。
イギリスの心理学者はこのような幼少期の貧困体験が噛み付き行為の一因の可能性があるとして、再発の可能性の高さや治療の困難さを語っている。
また、子供の頃から学校で行儀が悪かったとも述懐している。
バルセロナの同僚のリオネル・メッシとは移籍直後にマテ茶仲間として親交を深め、性格や考え方が合うこともありプライベートでも仲が良い。
メッシがプライベートを静かに過ごせるよう、自身と同じカステイダフェルスに住むようアドバイスしたのもスアレスだった。
スアレスはメッシを世界最高の選手として認めているが、一方でスアレスはバルセロナでメッシと共存できた数少ないストライカーでもある。
上記の噛み付き、人種差別発言など問題行動の多さもありイギリスのサッカーサイト”Football Fan Cast”において「プレミアリーグで最も嫌われているサッカー選手」に選ばれた。
2015年6月、アメリカの経済誌フォーブスは最新の世界のアスリートの年収ランキングを発表した。
スアレスの年収は2100万ドル(約26億円)であり、世界の10位にランクインした。
2017年5月、ESPNは世界で最も有名なアスリート100人を発表し、38位に選出された。
サッカー選手としては13位。
プレースタイル
ドリブルによる突破や裏への抜け出し、エリア外からのシュート、フリーキックなど多彩な得点パターンを持つ世界屈指のストライカー。
右利きではあるが状況に応じ左右両足を高いレベルで使い分けることができることに加え、相手ディフェンダー、ゴールキーパーの逆を付く動きを得意とする。
またゴールの多くを2タッチ以内で決めている。
フィジカルにも優れ、シュート力や高いキープ力に生かされている。
ランニングコーチである横原和真はスアレスの独特なバランス感覚と柔軟性を「上半身と下半身が別々に動いている」と表現。
またシュート時に踏ん張りすぎずに相手に身体を乗せたりその場で倒れ込むことで関節への負担を軽減しており、こうしたフィジカルの強さやプレースタイルはフィジカルが求められる南米の環境と、スアレス自身のサッカーセンスとにより生み出されたものであると分析している。
プレーが読めない動き、相手を交わす力にも秀でている。
シュートだけでなくパスによるアシストも多く、リオネル・メッシに最も多くのアシストを供給したアタッカーである。
純粋なセンターフォワードよりも2トップの一角やサイドアタッカーとしてプレーするタイプであり、スアレス本人もアシストを供給することを好む。
スアレスの得点とアシストの両立について、スアレスを世界最高のストライカーに選出したワールドサッカーダイジェストは「健全なエゴイズムの持ち主」であり「利己と利他の完璧なバランス」を持っていると表現している。
こうしたプレー面での器用さやスアレス本人の適応力により、所属した全てのチームにフィットし結果を残している。
一方で前述の人種差別発言や故意のハンドリング、度重なる噛み付きなどの悪行が度々話題となる「悪童」でもある。
大袈裟に倒れて相手のファールを誘発するダイバーであるとされており、スアレス本人も自身がダイバーの「レッテルを貼られている」ことを認識している。
2012年10月28日のエヴァートンとのマージーサイド・ダービーでは、前年の同カードでスアレスのダイブが試合を分けたことからエヴァートン監督のデイヴィッド・モイーズが試合前日の会見でスアレスのダイブを懸念し、一方スアレスは試合本番でゴールを決めた際にモイーズの目の前でダイブのパフォーマンスを披露することで応酬した。