スポンサーリンク
【サッカーショップKAMO】海外クラブチーム特集

リカルド・サモラ

サッカー

概略

Ricardo Zamora
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 1901年1月21日
出身地 バルセロナ
没年月日 1978年9月8日(77歳没)
身長 181cm
体重 89kg

 

ポジションはゴールキーパー。

 

利き足は右。

 

愛称はエル・ディビーノ神聖なる男)。

 

レフ・ヤシンらと並び、サッカーの歴史上最高と言われるGKの一人である。

 

スペインの年間最優秀ゴールキーパー賞は、彼の名前が冠せられ、サモラ賞と呼ばれている。

 

1999年、 ワールドサッカー誌の20世紀の偉大なサッカー選手100人で79位に選出された。

 

獲得タイトル

クラブ

エスパニョール
  • コパ・デル・レイ – 1928–29
  • カタルーニャ州選手権 – 1917–18, 1928–29
FCバルセロナ
  • コパ・デル・レイ – 1920, 1922
  • カタルーニャ州選手権 – 1919–20, 1920–21, 1921–22
レアル・マドリード
  • プリメーラ・ディビシオン – 1931-32, 1932-33
  • コパ・デ・エスパーニャ – 1934, 1936

代表

スペイン代表
  • 夏季オリンピック銀メダル – 1920
カタルーニャ代表
  • アストゥリアス王子杯 – 1922, 1924, 1926

個人

  • サモラ賞 – 1928-29, 1931-32, 1932-33
  • FIFAワールドカップ最優秀ゴールキーパー – 1934
  • IFFHS20世紀最優秀ゴールキーパー – 5th
  • 20世紀の偉大なサッカー選手100人(ワールドサッカー誌) – 79th

 

経歴

RICARDO ZAMORA: EL DIVINO
クラブ
クラブ 出場 (得点)
1914-1916 スペインの旗 ウニベルシタリオSC
1916-1919 スペインの旗 エスパニョール
1919-1922 スペインの旗 FCバルセロナ 105 (0)
1922-1930 スペインの旗 エスパニョール 26 (0)
1930-1936 スペインの旗 レアル・マドリード 82 (0)
1937-1938 フランスの旗 OGCニース
代表歴
1920-1936 スペインの旗 スペイン 46 (0)
1920-1930 カタルーニャ州の旗 カタルーニャ 13 (0)

 

クラブ

 

アマチュア時代は元々FWの選手であったが、ウニベルシタリオから提示されたプロ契約はGKとしてのものだった。

 

しかしサモラはこれを承諾し、GKとしてプロキャリアをスタートさせる。

 

ウニベルシタリオで評価を上げたサモラは、地元のエスパニョールへ移籍し、カタルーニャ州リーグ優勝を経験する。

 

また10代にしてスペイン代表に選出される。

 

1919年に、同じカタルーニャを本拠地とするFCバルセロナに移籍した。

 

ジャック・グリーンウェルが率いた当時のバルセロナはジョゼップ・サミティエールやパウリーノ・アルカンタラら往年の名手も所属しており、1919-20シーズンからカタルーニャ州リーグ3連覇を果たした。

 

1922年にエスパニョールへ戻ると1929年にリーガ・エスパニョーラが始まり、2月2日にリーガデビューした。

 

当時のエスパニョールはバルセロナ時代と同じくグリーンウェルが率い、サモラはリーガの初代最少失点キーパーとなった。

 

1930年にレアル・マドリードへ移籍。

 

カタルーニャ州からマドリードへの移籍とあってスペインでは大きな騒ぎとなり、カタルーニャのマスコミからは裏切り者扱いを受けた。

 

ジャシント・キンコセスやシリアコ・エラスティらも加わり、1931-32シーズンにはクラブ初のリーグ優勝に貢献した。

 

翌シーズンはバルセロナ時代のチームメイトであったサミティエールとも再びプレーしてリーガ連覇を果たし、2シーズン連続で失点率を1未満に抑えて最少失点キーパーに選ばれた。

 

スペイン内戦の拡大によって、1937年にフランスのOGCニースに移籍。

 

翌年引退している。

 

代表

 

1920年、ピチーチらと共にスペイン代表としてアントワープオリンピックに参加、銀メダルを獲得した。

 

また、イタリアW杯でもプレーした。

 

ワールドカップでは、1934年イタリア大会に参加し、最優秀ゴールキーパーに選ばれた。

 

スペイン代表は、W杯1934では、準々決勝まで進出したが、この大会で優勝した地元 イタリアに敗れた。

 

この準々決勝は、1-1の引き分けで終った。

 

その為、翌日に再試合が行われた。

 

そして、スペインは、0-1でイタリアに敗れた。

スペイン代表は、W杯1934では、ベスト8で敗退したが、サモラは、「最優秀ゴールキーパー」 に選ばれたという事である。

 

スペイン代表として合計46試合に出場した。

 

カタルーニャ代表としても13試合に出場し、パウリーノ・アルカンタラらとプレーした。

 

エピソード

LENDAS DO GOL – RICARDO ZAMORA

彼はコニャックを飲み、1日に最大3パックのタバコを吸うのを楽しんだとされています。

 

1920年のオリンピック期間中、彼は対戦相手を殴打した後イタリアに送り出され、同じトーナメントから帰る途中で、ハバナの葉巻を密輸しようとした罪で逮捕され、投獄されました。

 

Zamora’s ostensible political allegiances were also the subject of debate and controversy. Despite playing regularly for the Catalan XI, he was accused of rejecting Catalan nationalism. In 1934, he was awarded an Order of the Republic medal by his namesake Niceto Alcalá-Zamora, president of the Second Spanish Republic, while during the Spanish Civil War he was exploited by Nationalist propagandists and he played in a benefit game for their cause. During the 1950s he was awarded the Great Cross of the Order of Cisneros by the Franco regime.

プレースタイル

Ricardo Zamora Martínez (1901-1978)

あらゆり距離、角度からのシュートを驚異的な反応と正確な動作で阻止し、無失点記録を打ち立てた稀代の守護神。

 

圧倒的な威圧感で相手FWを萎縮させていたといいます。
第2回W杯では鋭い反射神経でビッグセーブを連発し王者イタリアの前に最大の壁として君臨した。

コメント

タイトルとURLをコピーしました