概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1970年8月13日(49歳) | ||
出身地 | ニューカッスル・アポン・タインゴスフォース | ||
身長 | 183cm | ||
体重 | 76kg |
ポジションはフォワード(センターフォワード)。
利き足は右。
愛称は「ビッグ・アル」「ザ・ゴールマシン」など。
1990年代のイングランドを代表するストライカー。
プレミアリーグ得点王3回を誇る。
2002年、プレミアリーグ創設10周年を記念して国内最優秀選手に選出。
また2004年には、国際サッカー連盟 (FIFA) 創設100周年記念式典でペレが選出した、“偉大なサッカー選手100人” 「FIFA 100」のひとりに選ばれている。
獲得タイトル
クラブ
- ブラックバーン・ローヴァーズFC
- プレミアリーグ優勝:1回 (1994-95)
- プレミアリーグ得点王:3回 (1994-95, 1995-96, 1996-97)
代表
- イングランド代表
- UEFA欧州選手権得点王 (1996)
-
個人
- FWA年間最優秀選手賞:1回 (1994)
- PFA年間最優秀選手賞:2回 (1994-95, 1996-97)
- 20世紀の偉大なサッカー選手100人 65位(ワールドサッカー誌選出 1999)
- プレミアリーグ通算得点記録 260点(リーグ歴代通算1位。ただし1992年以前のイングランドリーグ歴代トップディヴィジョン全体では更に上の選手もいる)
- イングランドサッカー殿堂 (2004)
- FIFA 100
経歴
クラブ | |||
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年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1988-1992 | ![]() |
118 | (23) |
1992-1996 | ![]() |
138 | (112) |
1996-2006 | ![]() |
303 | (148) |
通算 | 559 | (283) | |
代表歴 | |||
1990-1992 | ![]() |
11 | (13) |
1992 | ![]() |
1 | (0) |
1992-2000 | ![]() |
63 | (30) |
サウサンプトンのユースチームを経て、1987年にトップチームに昇格。
デビュー戦となったアーセナル戦でいきなりハットトリックを達成する活躍を見せた。
以降、ガリー・リネカー引退後のエースストライカーとしてファンの期待を集め、イングランド代表にも招集。
1992年2月19日のフランス戦で代表デビューを果たす。
同年プレミアリーグに昇格したばかりのブラックバーン・ローヴァーズへ移籍すると、クリス・サットンとの「SAS」(SASとSutton And Shealerをかけた愛称)コンビで1994-95シーズンにクラブを優勝に導くとともに自身も得点王に輝き、このシーズンでリーグ通算100ゴールを達成した。
その後活躍が認められ、ビッグクラブからのオファーが相次いだ(マンチェスターには家まで買っていたという)が、故郷であるニューカッスル・ユナイテッドでプレーすることを決意。
自らが尊敬する元代表フォワード、ケビン・キーガンが監督を務めていたことも後押しとなった。
ニューカッスル移籍後も順調に活躍し、3年連続プレミアリーグ得点王の快挙を達成した。
1996年に地元開催となったEURO1996では、チームはベスト4に終わったものの得点王に輝いているが、イングランドにはガスコインを筆頭に有能なパサーが揃いゴールするにはもってこいの状況であり、前述の通り3年連続プレミアリーグ得点王だったにも関わらず、1994年9月7日のアメリカ戦で2ゴールを挙げて以降そのEUROの期間中にあたる1996年6月8日のスイス戦まで20試合(期間にして2年近く)もゴールを挙げられずにシアラーパズルと呼ばれる程不振だった為、イングランド代表では通算63試合に出場して30得点しか挙げられなかった。
キャリアの中で度重なる故障に見舞われたが、1998年のフランスW杯ではキャプテンを務め、チームの柱として活躍。
2000年、EURO2000を最後に代表を引退したが、長らく代表復帰を望む声が根強かった。
2004-05シーズンでの引退を一度は発表していたが、ファンの強い要望からこれを撤回しもう1シーズンプレーすることを決意。
2005-06シーズンはマイケル・オーウェンの加入により、新旧イングランド代表フォワードの2トップを形成した。
2006年2月6日のポーツマス戦で、ニューカッスルの往年の名選手、ジャッキー・ミルバーンの持つ同チームでの通算200ゴールの記録を更新(但しミルバーンの記録は第二次大戦中のものが加算されていない)。
同年5月11日、本拠地セント・ジェームズ・パークで引退試合が開催され、多くのファンが別れを惜しんだ。
エピソード
ニューカッスルの中でも労働者階級の街であるウォールズエンド (Wallsend) の出身で、特徴的なニューカッスル訛りが未だに抜けない。
気性の激しさと人なつっこさ、兄貴肌の同居した、まさにジョーディ(ニューカッスルっ子)らしいジョーディと言われる。
ジャッキー・ミルバーンには直接会ったことがない(1980年代に亡くなっている)。
しかしその家族とはニューカッスルの試合に招待されるなどして面識があり、またジャッキーの甥に当たるボビー・チャールトンとは交流が深い。
オーストラリアのサッカー教室に参加した際に、14歳のゴールキーパー相手に本気でボールを蹴り手首を骨折させた。
シアラーは「“こいつはできる。ちょっとプロの実力を思い知らせてやろう”と思ったんだ」と申し訳なさそうに話した。
映画出演は、「シーズンチケット Purely Belter」(2000) 、「GOAL!」(2006)
高潔な人間性は広く知られており、殆どファウルは犯さなかった。
セルティック(スコットランド)との引退試合のチケットは数時間で売り切れ、52,000人の超満員だった。
試合は2-2で終了かと思われたロスタイム、ニューカッスルがペナルティーキックを獲得。
膝の靱帯を負傷し、プレーが出来ない筈のシアラーがベンチから登場。
痛む膝を引きずりながらPKを決めてみせると、満員の大観衆が一斉に立ち上がってシアラーのラスト・ゴールを大いに祝福した。
なお、この試合の収入は全て医療関係のチャリティに充てられた。
プレースタイル
生粋のストライカーである。
マークしてくるDFの裏を取ったり、マークを外すのが非常にうまい。
技術はそれほどでもないが、ポジショニングの巧みさ、両足から放たれる超強烈なシュート力、パワー、スピードを持ち、そして鋼の精神を持つイングランドの古き良きセンターフォワードのスタイルを受け継いでいるストライカー。
ポジショニングの良さと左右どちらからでも確実にゴールの枠内に打てる強烈なシュート力を持ち、相手ディフェンダーを跳ね飛ばすパワー、相手を一瞬のうちに置き去りにするスピードも備えていた。
本当にDFの裏を取ったり、マークを外すのが非常にうまかった。
そして強靱な精神力を持っており、どうしても「ここで1点欲しい」という状況では何が何でも1点もぎ取って来るという、チームの全てを引っ張るキャプテンシーと勝負強さも光っていた。
身長が際立って高い訳ではないが、空中戦も非常に強かった。
プレーとしては、「華麗」よりも世界最高の「泥臭い」ストライカー。
ゴール前でのパサーとしてのセンスも備えていた。