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【サッカーショップKAMO】海外クラブチーム特集

オリバー・カーン

サッカー

概略

【ドイツの闘将】オリバー・カーン 特徴解説  HD 1080p Oliver Kahn みにフト(海外サッカー)
国籍 ドイツの旗 ドイツ
生年月日 1969年6月15日(51歳)
出身地 西ドイツの旗 西ドイツ・カールスルーエ
身長 188cm
体重 91kg

 

ポジションはゴールキーパー。

 

利き足は右。

 

愛称は「ティターン」。

 

ドイツサッカー界でも最も多くのタイトルを獲得した選手の一人であり、同時にドイツ社会で発言力を持つサッカー選手の一人である。

 

ゼップ・マイヤーやハラルト・シューマッハーらと共にドイツサッカー史に残るGKの一人であり、欧州サッカー連盟が選ぶ歴代欧州サッカー選手ベスト50の中に、当時現役のゴールキーパーでは唯一選出された。

 

獲得タイトル

クラブ

  • トヨタカップ 2001
  • UEFAチャンピオンズリーグ 2000-01
  • UEFAカップ 1995-96
  • ブンデスリーガ 8回(1996-97, 1998-99, 1999-2000, 2000-01, 2002-03, 2004-05, 2005-06, 2007-08)
  • ドイツカップ 6回(1997-98, 1999-2000, 2002-03, 2004-05, 2005-06, 2007-08)
  • ドイツリーグカップ 6回(1997, 1998, 1999, 2000, 2004, 2007)

代表

  • UEFA欧州選手権 : 1996

個人

  • 2002ワールドカップ最優秀選手
  • 2002ワールドカップ最優秀ゴールキーパー
  • 世界最優秀ゴールキーパー : 1999,2001,2002
  • UEFA欧州最優秀ゴールキーパー : 1999,2000,2001,2002
  • 欧州最優秀ゴールキーパー賞 : 1999,2000,2001,2002
  • ドイツ年間最優秀選手賞 : 2000,2001
  • ドイツ最優秀ゴールキーパー : 1994,1997,1999,2000,2001,2002
  • FIFAフェアプレー賞 : 2001

 

経歴

Oliver Kahn, Der Titan [Best Saves]
クラブ
クラブ 出場 (得点)
1987-1990 ドイツの旗 カールスルーエII 73 (0)
1987-1994 ドイツの旗 カールスルーエ 128 (0)
1994-2008 ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン 429 (0)
代表歴
1994-2006 ドイツの旗 ドイツ 86 (0)

 

クラブ

 

祖父母はラトビア出身。

 

父もそこで生まれ、第二次世界大戦後にドイツへ来た。

 

16歳の時にはクラブチームの加入試験にことごとく落ちる。

 

カールスルーエに加入するまでは筋力トレーニングなど雌伏の時期を過ごした。

 

カールスルーエでは数年かかって正GKの座を確保した。

 

ブンデスリーガやUEFAカップでの活躍が認められ、1994年、名門バイエルン・ミュンヘンへ移籍。

 

初年度は味方ディフェンダーのクフォーと衝突し膝の十字靱帯を切断したためシーズンを棒に振たが、翌年からは活躍を見せた。

 

コンスタントにレベルの高いパフォーマンスを見せ、バイエルン・ミュンヘンのGKコーチ、ゼップ・マイヤーの下でワールドクラスのGKに成長した。

 

1998-99シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ決勝は大会史上に残る名勝負となったが、終了直前の3分間に2失点を喫し、マンチェスター・ユナイテッドに敗れた。

 

1999-00シーズン以降、4年連続で欧州最優秀ゴールキーパーに選出されている。

 

またドイツサッカー雑誌「キッカー」の選手ランキングでも幾度も「ワールドクラス」の評価を得ており、1999年から2003年頃までドイツの各テレビや雑誌では世界ナンバーワンGKと紹介された。

 

2000-01シーズンには自らの活躍により、バイエルンをUEFAチャンピオンズリーグ優勝に導き、2年前の雪辱を果たした。

 

2002 FIFAワールドカップ後は、私生活の問題もあってコンディションを落としたが、2004-05シーズンには完全復活した

 

バイエルン・ミュンヘンとの契約が切れた2008年限りで現役を引退。

 

2008年9月2日、ミュンヘンで引退記念試合が行われ、21年間の現役生活に終止符を打った。

 

代表

 

ドイツ代表では、FIFAワールドカップを4回経験している。

 

しかし、1994年大会にはボド・イルクナー、1998年大会にはアンドレアス・ケプケと、共に世界レベルのゴールキーパーの存在が大きくサブに甘んじ、正キーパーとして出場できたのは2002年大会のみである。

 

2006年大会では、守備範囲が広くハイボールに強いイェンス・レーマンとの正ゴールキーパーのポジション争いに敗れ、サブGKとして参加。

 

3位決定戦のみの出場となった。

 

代表のレギュラーとして初めて国際大会に出場したのはUEFA欧州選手権2000。

 

しかし、この大会では実力を発揮することができず、ドイツはグループリーグで敗退した。

 

2002 FIFAワールドカップにはキャプテンとして参加した。

 

ドイツは2001年9月1日にミュンヘンで行われた日韓ワールドカップ地区予選、イングランド戦でマイケル・オーウェンのハットトリックなど5失点を喫し1-5で完敗するなど、苦戦の末の本大会出場ということもあって下馬評は高くなかった。

 

しかし、ワールドカップ本選ではカーンはファインセーブを連発し、準優勝の好成績を収めた。

 

なかでも枠内シュートセーブ率93パーセントという数字を残した

 

自身は決勝戦においてブラジル代表のジウベルト・シウバとの接触プレーにより靭帯損傷の怪我を負うが、そのままプレーを続行する気迫を見せた。

 

ワールドカップでゴールキーパーとして初のMVPを獲得した。

 

また、この年に自身3度目となる世界最優秀ゴールキーパー賞を受賞した。

 

カーンにとって実質3度目の国際大会となるUEFA欧州選手権2004では、実力を発揮したものの、ドイツは2大会連続のグループリーグ敗退となった。

 

EURO2004後に就任したユルゲン・クリンスマン監督の方針により、代表GKはローテーション制となり、ドイツワールドカップに向け長年のライバルであったイェンス・レーマン(VfBシュトゥットガルト)と正GKの座を争う形となったが、2006年4月7日、クリンスマン監督から正式にレーマンが正GKであると発表があった。

 

これにより「正GKとしてワールドカップに出場できないのなら代表を引退する」と公言していたが、「冷静に考えてから答えを出す」とコメントし熟慮の末、代表に参加した。

 

実質最後のワールドカップといわれた地元開催の2006 FIFAワールドカップでは、正GKとなったレーマンの控えとなったが「たとえ試合に出られなくても貢献できることはある」と自身でコメントしたように、延長戦ではレーマンを含めた他のチームメイトを励ますなどチームを盛り上げる姿を見せた。

 

そして2006年7月8日(日本時間9日)に行われた3位決定戦では先発出場。

 

ケガのため欠場したバラックに代わって主将を務めると共に、好セーブを連発してチームの勝利に貢献した。

 

この試合終了後、代表引退を正式に表明した。

 

エピソード

Oliver Kahn | Best Saves Ever

ドイツ代表でW杯に出場し、2002年は大会MVPに選出されている。

 

この大会の7試合で喫した失点はアイルランド戦の1点と、ブラジルとの決勝での2点のみ。

 

枠内セーブ率93%という驚異的な活躍ぶりだった。

 

2002年W杯決勝での2失点は悔いが残る。

 

リバウドのミドルシュートを珍しくゴール正面にこぼしてしまった。

 

試合中に手首を痛めていた影響もあったのかもしれない。

 

こぼれ球をロナウドに決められている。

 

試合後、ゴールポストを背に呆然と座り込んでいた姿はカーンらしくなかった。

 

しかし、彼がいなければドイツは到底決勝にはたどり着けなかった。

 

ドイツはこれまでも切れ目なく名GKを輩出している。

 

かなり凡庸なチームでも勝ち抜いている背景にはGKの存在がある。

 

GKは1つのミスで世界一を逃すこともあれば、1人の力でファイナルまでチームを引っ張っていくこともできる。

 

天国と地獄を行き来するポジションであることを、この時のカーンは示していたと思う。

 

ドイツでの彼の人気を物語るものとして、彼をモチーフにした曲「OLLI KAHN(オリ カーン)」がある。

 

旧・東ドイツの都市・ライプツィヒ出身の音楽グループのディー・プリンツェン (die Prinzen) によるこの曲は2002 FIFAワールドカップの頃に発売された。

 

2006 FIFAワールドカップでは、ミュンヘンの高速道路に横っ飛びしてキャッチしているカーンの巨大アーチ看板が作られた。

 

これはミュンヘン空港からスタジアムに向かう道をまたいでおり、観戦客はカーンの体の下を通過してスタジアムに向かうこととなった。

 

チャリティーイベントに参加したカーン。

 

子供がシュートしてゴールが決まるごとに6万円を寄付するという内容。

 

しかし、カーンは相手が誰だろうとゴールを割らせるつもりはない。

 

次々と繰り出される20人の子供達のシュート ! ! !

 

ところが、カーンはただの1本のゴールも許さなかった。

 

さらにそんなオリバー・カーンさんではありましたが、最後に120万円もの寄付を払ったとされています。

 

ゴリラに似た風貌のため、本国では対戦チームのファンから、バナナを投げられたりする。

 

やけくそで最初は投げられたバナナ食べてたけど、「毒か何か入ってるかもしれないからやめれ」と注意されてやめた。

 

プレースタイル

Oliver Kahn best saves

相手のシュートに対する反応の鋭さ、味方への正確なロングパス、チームメートを引っ張るリーダーシップを持つなど、優れたゴールキーパーであり、存在感もあった。

 

シュートストッパーとしてのカーンの真骨頂は俊敏性と決断力である。

 

1対1になる状況で、相手との間合いを詰めるのが速い。

 

相手がシュート態勢に入った時には、すでに距離を詰められていてコースが限定されている。

 

同時に、カーンはシュートの瞬間には必ず停止していて、最後までボールから目を逸らしていない。

 

コースはほとんど消しているので、ボールはカーンの体のすぐそばを通る。

 

その時の反応の速さ、足でも体の一部でも、どこかに当てて防いでしまう能力は格別だった。

 

瞬間的な手の使い方も素晴らしい。

 

シュートやハイクロスを弾く時に、ポロリと正面にこぼしてしまうミスがほとんどない。

 

クロスに対しては手のひらの角度をとっさに変えて相手のいない場所へボールを落とす。

 

野球の逆シングルのように、瞬時に手の平を向ける方向を変える手さばきが美しい。

 

シュートをゴールから角度のない場所へ弾くか、CKに逃げるか、パンチかキャッチかなど、手の作り方も柔軟に使い分けている。

 

勇猛さやパワーもさることながら、技術的に非常に洗練されているのだ。

 

カーンがプレーしていた1980年代後半から2008年の間に、GKはバックパスを手で処理することができなくなっている(1992年)。

 

ただ、GKがビルドアップに加わる、あるいはペナルティエリアから大きく離れてDFのカバーをするのは、カーンの時代にはまだ一般には行われていなかった。

 

だからといって、カーンがいわゆる「ライン・キーパー」だったかというとそれも違う。

 

イルクナーはまさにそういうタイプだったが、カーンはもっとアグレッシブだった。

 

ゴールライン上でシュートを防ぐだけでなく、前進して至近距離のシュートを防ぐのを得意としていた。

 

スピードとパワーを兼ね備え、決断力と勇気が図抜けている。

 

UEFAのベストGK賞を4度も受賞していて、もしカーンが現在でもプレーしていればノイアーのようにより広いエリアをカバーしていたに違いない。

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