概略
国籍 | ![]() ![]() |
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生年月日 | 1964年7月30日(55歳) | ||
出身地 | ゲッピンゲン | ||
身長 | 181cm | ||
体重 | 73kg |
ポジションはフォワード(センターフォワード)。
利き足は右。
「黄金の隼」と呼ばれた、俊足のストライカー。
1990年イタリア大会で3得点、94年米国大会5得点、98年フランス大会3得点の合計11ゴールを挙げた。
90年大会では優勝を味わったが、以降はベスト8で敗退した。
90年代ドイツを代表する点取り屋。
獲得タイトル
クラブ
インテル・ミラノ
- スーパーコッパイタリアーナ:1989
- UEFAカップ:1990–91
バイエルン・ミュンヘン
- ブンデスリーガ:1996–97
- UEFAカップ:1995–96
代表
西ドイツ/ドイツ
- FIFAワールドカップ:1990
- UEFA欧州選手権:1996 ; 準優勝:1992
- 夏季オリンピック:1988年銅メダル
- USカップ:1993
個人
- 年間最優秀選手(ドイツ):1987
- ブンデスリーガ得点王:1987–88
- シーズンのキッカーブンデスリーガチーム:1987–88
- 西ドイツサッカーオブザイヤー:1988
- FIFAワールドカップオールスターチーム:1990
- ドイツサッカー・プレーヤー・オブ・ザ・イヤー:1994
- 月間プレミアリーグプレーヤー:1994年8月
- トッテナムホットスパークラブプレーヤーオブザイヤー:1994
- FWAフットボールオブザイヤー:1994–95(トッテナムホットスパー)
- プレミアリーグ PFAチームオブザイヤー:1994–95
- ESMチームオブザイヤー:1994–95
- IFFHSワールドオブザイヤーオブザイヤー:1995
- バロンドール(次点):1995
- FIFAワールドプレーヤーオブザイヤーブロンズ賞:1995
- UEFAカップ得点王:1995–96
- FIFA XI:1996、1999
- FIFA 100
経歴
クラブ
1978年に西ドイツのクラブチーム・SVシュトゥットガルター・キッカーズに入団してキャリアをスタート。
1984年にVfBシュトゥットガルトへ移籍し、1987-88シーズンには得点王を獲得。
1989年にはセリエA・インテル・ミラノへ移籍。
3シーズンの間インテルでプレーし、1989年8月23日コパイタリアのスペツィア戦で移籍後初ゴール、9月13日ボローニャ戦でセリエA初ゴールを決め、11月5日エラス・ベローナ戦でセリエA移籍後初のハットトリックを達成した。
初年度は13ゴール、二年目は14ゴールを記録、UEFAカップの優勝にも貢献したが、1991-92シーズンはミラノダービーではゴールを決めるも、リーグで7得点、チームは8位に終わった。
その後モナコでは1シーズン目にリーグ戦で20ゴールを記録、1993-94シーズンにはチャンピオンズカップで準決勝まで進出するなどの活躍を見せた。
1994-95シーズンからトッテナムに移籍、8月20日のシェフィールドW戦で移籍後初ゴール、リーグ戦21ゴールを挙げ、リーグのライターが選ぶ最優秀選手にも選ばれたが一年で母国へ帰還。
1995年に母国バイエルン・ミュンヘンに移籍して2シーズンを過ごした。
1995-96シーズンは、リーグではチームトップの16ゴールを記録し、UEFAカップでは12試合で15ゴールを決めて優勝に大きく貢献。
1995年度バロンドールの投票では第2位となった。
1996-97シーズンは、2月15日のザンクト・パウリ戦でブンデスリーガ100ゴールを達成。
チームトップの15ゴールを記録し、3シーズンぶりのリーグ優勝に大きく貢献した。
1997年からはサンプドリアに移籍するも8試合2得点振るわず、シーズン途中トッテナムに復帰、5月2日ウインブルドン戦で4ゴール、シーズン最終戦また自身のプロクラブでのラストゲームとなったサウザンプトン戦でゴールを決めるなど、15試合9得点を記録、同シーズン限りでプロとしての現役を引退。
2003年からはアメリカのアマチュアクラブのオレンジカントリー・ブルースターズでプレーし現役を引退した。
代表
代表としては、西ドイツ代表に招集され、1987年12月12日のブラジル戦でデビューを飾った。
1988年ソウルオリンピックでは銅メダル獲得に貢献した。
ストライカーとして1990年のワールドカップ・イタリア大会で優勝、UEFA欧州選手権1996では優勝を果たすなど、ドイツのタイトル獲得に貢献した。
ワールドカップにはイタリア大会3得点、アメリカ大会で5得点、フランス大会3得点、とどの大会でもゴールを決めている。
長年にわたり主将を務めた。
通算成績は108試合47得点。
エピソード
パン職人の息子であり、本人もパン職人の資格を取得している(現在は父は他界し、母と兄が後を継いで経営している)。
その華やかな実績とは裏腹に私生活はきわめて地味であり、スター選手となった後も、クルマは中古、カバンはリュックを愛用している。
現役時代から、高額な年俸の遣い道を聞かれ「将来に備えて貯蓄しているところ」と答えている。
一年の大半をアメリカ、カリフォルニアで過ごしている。
アマチュアクラブのオレンジ・シティ・ブルー・スターズでは、ジェイ・ゲッピンゲンの偽名でプレーを続けていた。
「ジェイ」は彼のファーストネームの頭文字、「ゲッピンゲン」は出身地のゲッピンゲンから取ったものと想像される。
シュトゥットガルト時代からのチームメイトであるギド・ブッフバルト(前浦和レッズ監督)とは唯一無二の親友である。
ローター・マテウスとは犬猿の仲であることは有名である。
プレースタイル
抜群のスピードを持ち、アクロバティックなプレーを得意とするストライカー。
そのプレースタイルから「黄金の翼」「カタパルト」と呼ばれ、長年ドイツ代表を支えてきた。
足が非常に速く、それほど長身ではないがヘディングの高さは群を抜いていた。
相手ディフェンダーを置き去りにする爆発的なスピードと、驚異的な跳躍力からのダイナミックなヘディングは圧巻。
左右両足のシュートも抜群で、様々な形で点を取れる選手。
テクニックはそれほどなく、ボールキープもそれほど優れているわけではない。
そしてサイドに流れた場合のプレーがお粗末であった。
しかし、それを補って余りある得点力を持っており、ドイツ国民だけでなく、世界中のサッカーファンに愛された。
力強いプレースタイルと、脅威の決定力を誇る。
ケガをも怖れない勇気と決断力も持ち合わせている。
また、熱くならず、常に冷静でいられる優れた精神力の持ち主でもあり、ドイツ代表キャプテンとしてもチームを牽引する。