概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1936年10月1日 | ||
出身地 | ダドリー | ||
没年月日 | 1958年2月21日(21歳没) | ||
身長 | 185cm | ||
体重 | 82kg |
ポジションはミッドフィールダー(左サイドハーフ)。
利き足は右。
「ブーム・ブーム」の異名をとった。
完璧なフットボーラーと言われておりイングランドが誇る伝説的選手。
「ミュンヘンの悲劇」の犠牲者のひとりとして知られ、イングランドのサッカー史では夭折の天才選手として語られている。
その早すぎる死が残念でならない。
獲得タイトル
クラブ
マンチェスター・ユナイテッド
- First Division: 1955–56, 1956–57
- FA Charity Shield: 1956, 1957
個人
- Football League 100 Legends: 1998 (inducted)
- Inducted into the inaugural English Football Hall of Fame in 2002
- PFA Team of the Century (1907–1976): 2007
経歴
クラブ1 | |||
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年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1953–1958 | ![]() |
151 | (20) |
代表歴 | |||
1949–1952 | ![]() |
9 | (0) |
1954–1957 | ![]() |
6 | (5) |
1953–1954 | ![]() |
4 | (0) |
1955–1957 | ![]() |
18 | (5) |
1952年10月1日、16歳の誕生日にイングランドのマンチェスター・ユナイテッドと契約。
クラブの若い世代からの底上げを図るマット・バスビー監督に見出された少年は、契約から半年後の1953年4月4日、対カーディフ・シティ戦でデビューを飾った。
その2年後のシーズンには、18歳にしてクラブの中心選手として活躍、若さに似合わぬ精神力とキャプテンシーでチームを牽引した。
バスビー・ベイブス(バスビーの子ども達)と呼ばれた、エドワーズを擁するこの若いチームは、1955-56シーズンからリーグ2連覇を成し遂げている。
この時期に多くのメディアは、マンチェスター・ユナイデットの黄金時代がやってくると確信していたぐらい、強力なチームでした。
クラブでの活躍が認められ、1955年4月2日の対スコットランド戦にイングランド代表として初出場。
18歳と138日で代表デビューという最年少記録は、1998年に「ワンダー・ボーイ」マイケル・オーウェンが塗り替えるまで、43年も破られなかった。
次代を担う若き天才として将来を嘱望されていたエドワーズだったが、その希望は突然無残に打ち砕かれた。
1958年2月6日、UEFAチャンピオンズカップで遠征していたベオグラードからの帰路の途中、マンチェスター・ユナイテッドのチャーター機が給油の為に経由したミュンヘン・リーム国際空港を出発しようとする際に離陸に失敗してオーバーランし、近隣の住宅に激突し大破。
同機に乗っていたエドワーズを含むユナイテッドの選手たち、および監督をはじめとするクラブ関係者が事故に巻き込まれた。(ミュンヘンの悲劇)
この事故でエドワーズは瀕死の重傷を負い、すぐさま病院に収容。
驚異的な体力で2週間余り闘い続けたが、2月21日早朝、ついに力尽きた。
21歳の若さで死亡したキャプテンは、うわ言で最期まで次の試合のことを心配していたという。
エピソード
エドワーズのマンチェスター・ユナイテッドの後輩に、ボビー・チャールトンがいる。
チャールトンは一時大きな精神的ショックを受けたものの、エドワーズら亡き後のクラブをキャプテンとして牽引し、その後のユナイテッド、そしてイングランド代表の黄金時代を築いた。
チャールトンはエドワーズについて「私が唯一劣等感を抱かされたプレイヤー」と賞している。
ダンカン・エドワーズの実働期間はわずか5年弱であった。
国内リーグ戦150試合出場・20得点、イングランド代表として18試合出場・5得点。存命ならば代表100試合出場は軽く超えていたであろうと言われている。
プレースタイル
あのボビー・チャールトンでさえエドワーズの前では未熟なプレーヤーに過ぎず、頑丈な体とテクニックを非常に高いレベルで併せ持ち、リーダーシップまで備えた完璧なフットボーラーだった。
エドワーズが主に担当したポジションは左のサイドハーフ。
ただし当時は前線にフォワードを5人並べる戦術が主流であり、サイドハーフはどちらかと言えば守備的なポジションである。
しかしエドワーズは強力なキック力を生かし、ペナルティエリア外からのミドルシュートでゴールを決めることを好んだという。
彼の強烈なシュートは大砲の弾丸に喩えられ、「Boom Boom」(ブーム・ブーム、大砲の砲撃音を表す)の異名をとった。
パワー、テクニック、戦術眼、その若さから想像すら出来ないプレーで観客を魅了し当時将来を最も嘱望されたスタープレーヤーであった。