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パトリック・クライファート

サッカー

概略

Patrick Kluivert ● The Dutch Legend
国籍 オランダの旗 オランダ
スリナムの旗 スリナム
生年月日 1976年7月1日(44歳)
出身地 アムステルダム
身長 188cm
体重 81kg

 

ポジションはフォワード(センターフォワード)。

 

利き足は右。

 

愛称は「黒いファン・バステン」、「ドン・キホーテ」。

 

1990年代から2000年代に活躍したオランダ人ストライカー。

 

アヤックスで若い頃から活躍し、バルセロナのエースも務めた早熟の天才。

 

獲得タイトル

クラブ

アヤックス・アムステルダム
  • オランダ・スーパーカップ 1994, 1995
  • エールディヴィジ 1994-95, 1995-96
  • UEFAチャンピオンズリーグ 1994-95
  • UEFAスーパーカップ 1995
  • インターコンチネンタルカップ 1995
FCバルセロナ
  • リーガ・エスパニョーラ 1998-99
PSVアイントホーフェン
  • エールディヴィジ 2006-07

個人

  • オランダ年間若手最優秀選手賞 1995
  • ブラヴォー賞 1995
  • UEFA EURO 2000得点王

 

経歴

クラブ
クラブ 出場 (得点)
1994-1997 オランダの旗 アヤックス 70 (39)
1997-1998 イタリアの旗 ミラン 27 (6)
1998-2004 スペインの旗 バルセロナ 182 (90)
2004-2005 イングランドの旗 ニューカッスル 25 (6)
2005-2006 スペインの旗 バレンシア 10 (1)
2006-2007 オランダの旗 PSV 16 (3)
2007-2008 フランスの旗 リール 13 (4)
通算 343 (149)
代表歴
1990-1991  オランダ U-16 2 (0)
1991-1992  オランダ U-17 10 (2)
1992  オランダ U-18 3 (2)
1992-1994  オランダ U-19 20 (6)
1994-2004 オランダの旗 オランダ 79 (40)

 

クラブ

 

1976年7月1日、パトリック・クライファートはオランダの首都アムステルダムに生まれた。

 

スリナムのCalcutta出身の父親はプロサッカー選手であり、母親はキュラソー島出身である。

 

ストリートサッカーで技術を習得し、Schellingwoude というクラブに1年間通った後、7歳の時にアヤックス・アムステルダムの下部組織に入団した。

 

この頃はディフェンダーなどのポジションでもプレーしていた。

 

技術の高さやインテリジェンス、スピードなどが持ち味であったが、調子に波がありすぎることが欠点だった。

 

アヤックス・アムステルダムの下部組織出身であり、1994年8月21日、18歳の時にトップチームのルイス・ファン・ハール監督に見出され、オランダ・スーパーカップのフェイエノールト戦でデビューした。

 

この試合でトップチーム初得点を決めると、デビューシーズンの1994-95シーズンは高い得点能力を発揮し、デニス・ベルカンプ、エドガー・ダーヴィッツ、クラレンス・セードルフ、エドウィン・ファン・デル・サールなど同じ下部組織出身の若手選手たちとともにUEFAチャンピオンズリーグで旋風を巻き起こし、ついには優勝を果たした。

 

ウィーンで行われた決勝のACミラン戦では途中出場して85分に決勝点を決め、クラブにとって22シーズンぶりとなる欧州でのタイトルを獲得した。

 

1995年夏にはオランダ・スーパーカップとUEFAスーパーカップというふたつのスーパーカップを制覇し、1995年冬のインターコンチネンタルカップではグレミオFBPAをPK戦の末に破って世界一の座に輝いた。

 

1995-96シーズンにはエールディヴィジ2連覇を果たした。

 

1997年、ボスマン・ルールを行使してイタリア・セリエAのACミランに移籍した。

 

ユヴェントスとの親善試合で鮮烈なデビュー弾を決めて見せたが、1997-98シーズンはわずか6得点に終わった。

 

1998年8月28日、移籍市場が閉まる直前にスペイン・リーガ・エスパニョーラのFCバルセロナと4年契約を結んだ。

 

アヤックスで指導を受けたファン・ハール監督と再会し、1998-99シーズンのリーグ戦を制した。

 

1999-2000シーズンにはリーグ戦3連覇を逃したものの、チーム内得点王となる15得点を挙げた。

 

1998-99シーズンからはリバウド、ルイス・フィーゴと3トップを組むことが多く、2001-02シーズンにはリバウド、ハビエル・サビオラと3トップを組むことが多かった。

 

トップ下としてプレーしたこともある。

 

1998-99シーズンから2002-03シーズンまで5シーズン連続でリーグ戦15得点以上を挙げたが、2003年夏にフランク・ライカールト監督が就任して脱オランダ化を図り、パリ・サンジェルマンFCからロナウジーニョが加入したこともあって出場機会が減少した。

 

2003-04シーズンはリーグ戦21試合の出場にとどまり、FCバルセロナ移籍後最少となる8得点に終わった。

 

FCバルセロナでは6シーズンでリーグ戦182試合に出場して90得点を挙げた。

 

2004年3月4日、FIFA100に選出された。

 

2004年7月21日、イングランド・プレミアリーグのニューカッスル・ユナイテッドFCに移籍し、チームの象徴であるアラン・シアラーとコンビを組んだ。

 

ニューカッスルと契約した理由として、FCバルセロナ時代にUEFAチャンピオンズリーグの試合でニューカッスルと対戦し、その際に強い感情を受けたためだとしている。

 

FAカップでは、2005年2月20日のチェルシーFC戦 (1-0)や3月13日のトッテナム・ホットスパーFC戦 (1-0) などで重要かつ華麗な得点を決め、ともに1-0で勝利している。

 

2004-05シーズンには公式戦通算13得点を挙げたが、リーグ戦では14位に沈み、契約延長には至らなかった。

 

その後クラブを転々とし、2008年現役引退した。

 

代表

 

1995年にオランダA代表としてデビューし、UEFA EURO 1996出場メンバーにも選ばれたが、膝の負傷で満足にプレーできなかった。

 

それでもグループリーグのイングランド戦ではデニス・ベルカンプのアシストから得点し、スコットランドを得点数の差で上回って決勝トーナメント進出を決めた。

 

準々決勝のフランス戦はPK戦の末に敗れ、大会からの敗退が決まった。

 

1998 FIFAワールドカップにも出場したが、ベルギー戦ではロレンツォ・スターレンスに挑発され、肘打ちを見舞って退場処分を受けた。

 

準々決勝のアルゼンチン戦では改心し、先制点を挙げて準決勝進出に貢献した。

 

準決勝のブラジル戦でも輝きを見せ、ヘディングで同点ゴールを挙げたが、PK戦で敗れた。

 

UEFA EURO 2000にも出場し、準々決勝のユーゴスラビア戦 (6-1) ではハットトリックを達成して相手を粉砕した。

 

準決勝のイタリア戦で、オランダ代表は90分の間に2度もペナルティキックを蹴る機会があったが、2本とも外し(1本はクライファート)、PK戦にもつれ込んだ。

 

PK戦でもオランダ代表の選手はなかなかゴールネットを揺らせず、2年前のブラジル戦や4年前のフランス戦と同じくPK戦の末に敗れた。

 

自身は大会通算5得点を挙げ、ユーゴスラビア代表のサボ・ミロシェビッチとともに大会得点王に輝いた。

 

UEFA EURO 2004にもやはり、背番号9を付けて臨んだ。

 

しかし、頑固なディック・アドフォカート監督はクライファートに出場機会を与えず、オランダ代表のフィールドプレーヤーとして唯一、試合に出場することがなかった選手であった。

 

UEFA EURO 2004後に就任したマルコ・ファン・バステン監督はクライファートを無視し、2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選には1試合も招集されなかった。

 

エピソード

Patrick Kluivert ● Best Goals

惜しまれるのは早くに才能が開花したあまり、天狗になり、夜遊びなど不摂生を繰り返すとともに、素行不良が目立ち、現役生活を縮めてしまったことだ。

 

毎晩ディスコで夜遊びし婦女暴行や殺人疑惑に関わるなど、ダーティーなイメージが強い選手。

 

引退後は監督として活躍。

 

次男のジャスティン・クライファートもプロのサッカー選手でありオランダ代表に選ばれる実力者。

 

2019年現在、ASローマに所属している。

 

オランダ代表のチームメイトであったルート・ファン・ニステルローイとは生年月日(1976年7月1日)と身長・体重が一緒であるが犬猿の仲として知られている。

 

プレースタイル

TOP 10 GOALS – Patrick Kluivert

最高のサッカーセンスを持つ、身体能力も高いセンターフォワード。

 

ポストプレーを非常に得意とし、数々のゴールを演出してきた。

 

ゴール前の的確なポジショニングなど天性の感覚を備え、柔らかいボールタッチによるコントロールや高いキープ力で正確なポストプレーをこなします。

 

並はずれた身体能力で難しいシュートをあっさり決める一方、イージーシュートミスをする場面も見られるなど決定力に難があります。

 

188cmの恵まれた体格から、繊細な足元の技術を備えていた。

 

爪先に吸い付くような柔らかいトラッピングに惹かれたファンは数多かった。

 

長身から繰り出すヘディングの高さ、マーカーを苦としないフィジカルの強さ、長身に見合わないテクニックとストライカーに必要とされる能力を兼ね備えていますが、サッカーの神は彼にたったひとつのものを与えませんでした。

 

それは「シュートの正確さ」。

 

どれだけ華麗なテクニックや脅威の身体能力でチャンスを作っても、肝心のシュートが決まらない。

 

鮮烈で印象深いシュートを決める半面、なんでもないようなシュートを呆気なく外すことが多かった。

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