フィリップ・ラーム

サッカー

概略

Philipp Lahm, the Magic Dwarf [Skills & Goals]
国籍 ドイツの旗 ドイツ
生年月日 1983年11月11日(36歳)
出身地 西ドイツの旗 西ドイツ・ミュンヘン
身長 170cm
体重 66kg

 

ポジションはディフェンダー(左サイドバック、右サイドバック)、ミッドフィールダー(ディフェンシブハーフ)。

 

利き足は右。

 

愛称は「ワイヤレス・ラーム」、「魔法の小人」。

 

歴史に名を刻む世界最高クラスのサイドバックの一人。

 

2010 FIFAワールドカップと2014 FIFAワールドカップではドイツ代表キャプテンを務めていた。

 

母国開催の2014年W杯ではキャプテンとしてチームを牽引し、4度目の優勝に導いた。

 

獲得タイトル

クラブ

バイエルン・ミュンヘン
  • Bundesliga: 2005–06, 2007–08, 2009–10, 2012–13, 2013–14, 2014–15, 2015–16, 2016–17
  • DFB-Pokal: 2005–06, 2007–08, 2009–10, 2012–13, 2013–14, 2015–16
  • DFL-Supercup: 2010, 2012, 2016
  • DFL-Ligapokal: 2007
  • UEFA Champions League: 2012–13
  • UEFA Super Cup: 2013
  • FIFA Club World Cup: 2013

代表

ドイツ代表
  • FIFA World Cup: 2014

個人

  • Silbernes Lorbeerblatt: 2006, 2010, 2014
  • FIFA World Cup All-Star Team: 2006
  • FIFA World Cup Dream Team: 2010
  • FIFA World Cup Castrol Index All Star Team: 2014
  • UEFA Team of the Year: 2006, 2008, 2012, 2013, 2014
  • UEFA Euro Team of the Tournament: 2008, 2012
  • ESM Team of the Year: 2013, 2014
  • FIFA Club World Cup Silver Ball: 2013
  • FIFA FIFPro World XI: 2013, 2014
  • FIFA FIFPro World XI 2nd team: 2015
  • FIFA FIFPro World XI 3rd team: 2016
  • FIFA FIFPro World XI 4th team: 2017
  • UEFA Champions League Team of the Season: 2013–14
  • FIFA Ballon d’Or: 6th place 2014
  • UEFA Ultimate Team of the Year (published 2015)
  • UEFA Euro All-time XI (published 2016)
  • German Footballer of the Year: 2017
  • Honorary citizen of Munich: 2019

 

経歴

Philipp Lahm – The Hero – Defensive skills, goals and assists
クラブ
クラブ 出場 (得点)
2001-2003 ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘンII 63 (3)
2002-2017 ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン 332 (12)
2003-2005 ドイツの旗 シュトゥットガルト (Loan) 53 (2)
通算 448 (17)
代表歴
1999 ドイツの旗 ドイツ U-17 1 (0)
2000 ドイツの旗 ドイツ U-18 1 (0)
2001–2002 ドイツの旗 ドイツ U-19 9 (1)
2002–2003 ドイツの旗 ドイツ U-20 6 (0)
2003 ドイツの旗 ドイツ U-21 3 (0)
2004–2014 ドイツの旗 ドイツ 113 (5)

 

クラブ

 

地元ミュンヘンにあるGernというジュニアチームでプレーしていた時にスカウトを受け、11歳でバイエルン・ミュンヘンの下部組織に入団した。

 

少年時代から将来が期待されており、下部組織で彼を指導したHermann Hummels(マッツ・フンメルスの父親)は「もしラームがプロになれなかったら、誰もプロにはなれないだろう」と語っている。

 

A-juniorの年代の全国選手権では2度の優勝を経験し、2度目はキャプテンとしてチームをまとめた。

 

17歳だった2001年にはアマチュアのセカンドチームに昇格し、当時の監督だったHermann Gerlandは彼が指導した中で最高の才能を持った選手であるとみなし、2002-03シーズンにはラームをキャプテンに指名した。

 

ジュニアチームやセカンドチームでは主に守備的ミッドフィールダー、右サイドハーフ、右サイドバックなどでプレーしている。

 

2002-03シーズン途中にUEFAチャンピオンズリーグ出場(RCランス戦)を果たしているが、当時のトップチームの右サイドバックにはフランス代表のウィリー・サニョルがおり、左サイドバックにはやはりフランス代表のビセンテ・リザラズがいた。

 

さらに、中盤にも実力者が揃っていたため、2003-04シーズンと2004-05シーズンはVfBシュトゥットガルトにレンタル移籍した。

 

2003-04シーズン開幕戦のハンザ・ロストック戦の76分にシルビオ・マイスナーとの交代で途中出場し、ブンデスリーガ(1部)デビューを果たした。

 

当初は右サイドバックのアンドレアス・ヒンケルのバックアップと見られていたが、フェリックス・マガト監督はラームを左サイドバックで試し、ドイツ代表のハイコ・ゲルバーからポジションを奪った。

 

4節に初めて左サイドバックとして出場し、6節のボルシア・ドルトムント戦で初めてフル出場し、その後はレギュラーとしての地位を確立した。

 

2003年9月29日のマンチェスター・ユナイテッドFC戦で同大会初スタメンとなった。

 

2003-04シーズンはリーグ戦31試合・UEFAチャンピオンズリーグ7試合に出場し、ドイツ最優秀選手投票で2位にランクインした。

 

UEFA EURO 2004に参加したために2004年夏のプレシーズンは短くなり、マティアス・ザマー新監督の戦術やシステムに適応するのに時間を要した。

 

しかし、ウィンターブレーク前にリーグ戦16試合に出場し、そのうちの14試合はフル出場であり、それに加えてUEFAカップには6試合に出場した。

 

2005年1月には右足を疲労骨折し、4ヶ月の間は試合に出場できなかったが、4月9日のシャルケ04戦で復帰した。

 

そのわずか5週間後には同じ右足の十字靱帯断裂の重傷を負い、一足早くシーズンを終えた。

 

2005年7月にバイエルン・ミュンヘンに復帰したが、その後の数ヶ月はリハビリに費やした。

 

11月下旬にアマチュアチームの試合に出場して負傷から復帰し、同月のアルミニア・ビーレフェルト戦でトップチームにも復帰した。

 

2005-06シーズンはリーグ戦20試合・UEFAチャンピオンズリーグ3試合に出場し、リザラスとポジション争いを繰り広げた。

 

2006-07シーズンはリーグ戦全34試合・UEFAチャンピオンズリーグ9試合に出場した。

 

左サイドバックとしてプレーできたのが彼しかおらず、最悪のシーズンを過ごしたバイエルンで堅実なプレーを見せたため、途中出場に終わったのはわずか2試合だった。

 

2007年夏にドイツ代表左サイドバックのマルセル・ヤンセンが加入したため、2007-08シーズンはラームは再び右サイドバックに戻ると、前シーズンに右サイドバックのレギュラーだったサニョルに取って代わった。

 

シーズン終盤にはヤンセンが負傷したため、再び左サイドバックに移ったが、2008年中も本職の右サイドバックでのプレー願望を隠さなかった。

 

このシーズン中には、シーズン終了後にFCバルセロナなどに移籍するのではないかという噂が駆け巡り、実際に契約寸前まで至ったと考えられている。

 

しかし、2008年5月16日にクラブと新契約を結び、契約は2012年6月まで延長された。

 

2009-10シーズンはルイス・ファン・ハール新監督の下で、右サイドバックとして好プレーを見せた。

 

序盤戦では問題もあったが、中盤戦以降では右ウイングのアリエン・ロッベンと素晴らしい連携を見せ、1得点12アシストを記録する活躍を見せた。

 

ファン・ハール監督により副キャプテンに指名され、シーズン中はDFBポカール1回戦以外の公式戦全てにフル出場した。

 

2011年1月にキャプテンのマルク・ファン・ボメルがACミランに移籍したため、キャプテンの仕事を引き継いだ。

 

2011年3月12日のブンデスリーガ第26節のハンブルガーSV戦で、バイエルン・ミュンヘンでの100戦連続スタメン出場を果たした。

 

始まりは、2009年4月14日のチャンピオンズリーグのFCバルセロナ戦(1-1)で、それ以来ずっとスタメンを続け、それも途中交代となったのは1戦のみである(シーズン前のドイツカップ、RWオーバーハウゼン戦/5-0)。

 

2013-14シーズンはジョゼップ・グアルディオラに監督が変わり、システムも4‐1‐4‐1になってアンカーのポジションにコンバートされた。

 

2014年10月18日ブレーメンとのリーグ戦では、プロ初の1試合2ゴールを決めた。

 

2015-16シーズンになると従来のサイドバックとインサイドハーフ、アンカーと試合によってさまざまポジションをこなし、リーグ優勝に貢献。

 

2016年2月のユベントス戦でチャンピオンズリーグ出場100試合に到達した。

 

2017年2月4日シャルケ戦でバイエルンでの500試合出場に到達した。

 

3日後のDFBポカール・3回戦のVfLヴォルフスブルク戦で、2016-17シーズンをもって現役を引退することを発表した。

 

現役最後の試合、2017年5月20日ブンデスリーガ最終節のフライブルグ戦では先発出場、87分にスタンディングオベーションを受け、ピッチを後にした。

 

代表

 

U-20ドイツ代表やU-21ドイツ代表でも何試合かに出場した後、2004年2月18日のクロアチア戦(2-1)で先発フル出場し、ドイツA代表デビューを果たした。

 

20歳と3ヶ月であり、キッカー紙によってマン・オブ・ザ・マッチに選ばれている。

 

4月28日のルーマニアとの親善試合で代表初得点を挙げた。

 

ポルトガルで開催されたUEFA EURO 2004にも出場し、グループリーグ3試合すべてにフル出場している。

 

チームはグループリーグ敗退となったが、ラームのプレーは代表唯一の明るい材料とみなされた。

 

2005年1月から2006年3月にかけては十字靱帯断裂の重傷でリハビリ生活を続けていたため、1年以上も代表から遠ざかった。

 

そのために2005 FIFAコンフェデレーションズカップ出場を逃したが、リーグ戦に復帰するとすぐに代表にも復帰し、レギュラーに返り咲いた。

 

2006 FIFAワールドカップ前の親善試合で左肘を負傷したが、特製のアームガードを装着して本大会に臨んだ。

 

ユルゲン・クリンスマン監督はそれでもラームを左サイドバックのレギュラーと考え、初戦のコスタリカ戦では右足からのミドルシュートで右のサイドネットを揺らし、ポーランド戦でもマン・オブ・ザ・マッチに選ばれる活躍を見せた。

 

チームの全7試合にフル出場したドイツ代表で唯一の選手であり、大会のオールスターチームに選ばれた。

 

UEFA EURO 2008でも全試合でスタメン出場し、決勝で負傷交代した以外は90分間出場した。

 

大会開始時は右サイドバックとして起用されたが、ヤンセンの不調によりグループリーグ2試合目の途中から左サイドバックに移っている。

 

準決勝のトルコ戦では自身のミスから失点を許すも、90分に代表通算3得点目となる決勝点を挙げ、1得点1アシストの活躍でチームを決勝に導いた。

 

この得点を「これまでのキャリアの中で最も重要なゴール」と表現し、彼自身はそれに値するとは思っていなかったようだが、試合のマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた。

 

決勝のスペイン戦(0-1)にも出場したが、33分にラームとGKイェンス・レーマンの連携不足からシャビにスルーパスを通され、フェルナンド・トーレスに先制点を許した。

 

この得点が結果的に決勝点となり、スペインに敗れて準優勝に終わった。

 

大会後にはUEFA選定の大会優秀選手に選ばれている。

 

2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選でもラームは皆勤したが、全試合にフル出場したのはドイツ代表で彼しかいない。

 

2010 FIFAワールドカップ本大会前にはキャプテンのミヒャエル・バラックが負傷離脱し、ラームがその代役に選ばれた。

 

グループリーグ初戦のオーストラリア戦で初めて腕章を着けてプレーし、FIFAワールドカップに臨むドイツ代表の歴代最年少キャプテンとなった。

 

2013年のワールドカップ予選オーストリア戦で代表100試合出場を達成した。

 

2014 FIFAワールドカップでもキャプテンを務め、決勝までの全7試合にフル出場した。

 

当初はクラブ同様アンカーでの起用だったが、準々決勝のフランス戦以降は右サイドバックとしてプレーし、チームの優勝に貢献した。

 

大会後に代表引退を表明した。

 

現役引退後の2017年12月8日、ドイツ代表の名誉キャプテンに選出された。

 

エピソード

Philipp Lahm ● Great Skills & Tackles ●

慈善事業に熱心なことで知られており、2007年6月にはオーウェン・ハーグリーブスとともに南アフリカを訪れ、2010 FIFAワールドカップの事前イベントに参加することが国際サッカー連盟(FIFA)から発表された。

 

負傷のためにハーグリーブスは参加できなかったが、ラームとドイツ代表のチームメイトのピオトル・トロホウスキは南アフリカを訪れ、2010 FIFAワールドカップの主催者を訪問するだけでなく、地元のSOS子供の村を訪れてエイズ撲滅運動に参加した。

 

恵まれない子供たちのためのフィリップ・ラーム基金を設立しており、またSOS子供の村の大使を務めている。

 

それに加え、2007年から3年連続で世界エイズデーの大使も務めた。

 

また、麻薬撲滅キャンペーンや児童虐待反対運動などにも参加している。

 

また2008年9月にサッカーにおいての不寛容とホモフォビア反対にたいする特段の貢献によりTolerantia-Preisを受賞した。

 

彼は「 サッカーにおいて同性愛者であることがタブーになっていることは気の毒」といい「チームメイトがそうであっても問題はない」と公言している。

 

しかし、彼は、それによって蒙るであろう苦しみを考え、カミングアウトを薦めない。

 

これはゲイであることを公言してから2年後に自殺した ジャスティン・ファシャヌの悲劇を念頭に置いたものである。

 

2014年にトーマス・ヒッツルスペルガーが同性愛者であることを告白したときにインタビューを受けた時は「彼は少数者のために尽くすだろう」とコメントした。

 

2011年8月に、自伝”Der feine Unterschied” (「微妙な違い」の意)を出版したが、その中でルディ・フェラー、ユルゲン・クリンスマン、ルイス・ファン・ハール、フェリックス・マガトら複数の監督を批判する内容が含まれていたため話題となった。

 

2011-2012シーズンにバイエルンに所属していた宇佐美貴史は練習後に、自宅に帰ってゆっくり風呂に入ることが好みであったため、クラブハウスでシャワーを浴びずにいた。

 

すると、バイエルンの選手の間に「タカシは男の前で風呂に入るのが恥ずかしいのか?」という噂が流れ始め、キャプテンだったラームが宇佐美のもとを訪れ「タカシ、人前で風呂にはいるのが恥ずかしいなら言ってくれ。対応するから」と告げた。

 

これ以降、宇佐美はラームに何てことを言わせてしまったのかと思い直し、クラブハウスでシャワーを浴びるようになった。

 

プレースタイル

Philipp Lahm | Best Skills | All Time |

小柄ながらスピード、ドリブル、クロスの精度、ミドルシュートと多彩な才能の持ち主でボランチでもプレーすることできる。

 

最近は守備型のサイドバックが多いので相対的に攻撃的なSBと言われる事もありますが、実際は上下動を繰り返して守備にも攻撃にも穴を開けない攻守バランスの取れたスタイルです。

 

左右どちらもトップレベルでこなしますが右利きなので右サイドで使われた時は大きなサイドチェンジやアウトサイドからのクロスボールを多用し、左サイドの時はカットインからのシュートや切り返しからのフェイントを得意とするなど、基本的に右足が武器の選手です。

 

サッカーのインテリジェンスも高く同じサイドでどんなタイプの選手とも組めますし、精神的にも強く、クラブ・代表でキャプテンを努めデビュー以来、常にトップの活躍をし続けている鉄人でもあります。

 

スピード、テクニック、パス能力、キックの精度といったサッカーに必要な技術、アスリートの能力は高い。

 

しかし、それ以上にラームが飛び抜けて素晴らしかったのは、頭の良さ、或いはサッカーセンスと言うものであろう。

 

まず守備面で言えば、ラームは殆どポジショニングのミスと言うものが無い。

 

ラームが裏を取られて相手選手の尻を追いかける場面は殆ど記憶にない。

 

更に滅多にファウルをしない選手として有名で、2015年に何とおよそブンデスリーガで1年間ファウル無しという地味ながらおよそ信じられない記録を持っている。

 

ラームのクレバーさを象徴するような記録だ。

 

私が見た中でラームの決定的なミスは二つ、EURO2008の準決勝のトルコ戦で1対1で相手の突破を許して同点ゴールを許した。

 

但し、この直後ラームは見事なコンビから自ら勝ち越しゴールを決めている。

 

もう一つはEURO2012の準決勝イタリア戦、相手ロングボールの目測を誤りバロテッリに裏を取られ得点を許した。

 

しかし全体的に見れば、2010年あたりからのラームは安定感抜群でその守備は非の打ちどころがないと言える程だった。

 

更にラームは攻撃面での貢献度は極めて高く、とにかくコンビプレーが上手かった。

 

FCバイエルンでは右のロッベンが得意の中央へのドリブルを開始すると、必ず、もう本当に間違いなくラームがその空いたスペースへ走り込み、相手陣内深くへ切り込んだ。

 

更に中盤の組み立てに参加し攻撃の起点として機能する上に、ワンツーなどを駆使して中央も突破した。

 

弱点は、近年のSBにしては高さが無いぐらいですね。

 

ラームについてもう一つ言及しておきたいのが、FCバイエルンとドイツ代表のキャプテンを務め、そこでドイツにおける伝統的なキャプテン像を変えた事だ。

 

伝統的にドイツのキャプテンとはいわゆる「闘将」と言う言葉がピッタリの強面でチームの中心に座り、見方を鼓舞、指示し、チームのヒエラルキーの頂点に立つ存在だった。

 

マテウスやカーン、バラックなどはその最たる例だろう。

 

ラームはこれらのキャプテン像とは180度異なるタイプのキャプテンとして存在を確立する事に成功した。

 

つまり、チームメイトに上から目線で従わせるのではなく、彼らと対等な立場としてコミュニケーションをとり、それぞれの選手の長所と短所を把握しつつ責任を分担させると言うスタイルだ。

 

そしてラームは古いキャプテン像に対しインタビューなどではっきりと嫌悪感も示している。

 

そのラームの意思がはっきりと行動に現れたのが、2010年にバラックからキャプテンの座を奪い取った事件であろう。

 

当時バラックが怪我でチームを離脱中に代理としてキャプテンを務めていたラームは、インタビューにおいてキャプテンの座をバラックに「自主的には返却したくない」と事実上拒否した。

 

表向きは極めて政治的な発言だったとはいえ、当時の状況や内容を考えればチーム内のヒエラルキーにおいて下克上の意図が見えるもので、これは当時キャプテンとしてアンタッチャブルな存在だったバラックの逆鱗に触れ世間に物議を醸した。

 

この時の事をラームは現在になって回想しているが、ラームはこの時自分の新しいキャプテンのスタイルが若い選手に歓迎されている事を確信し、自然と本能的に出た発言だと述べている。

 

この後、監督のレーヴはバラックを代表に呼ぶことはせず、ラームがそのままキャプテンの座に留まることになった。

 

この件をバラックは相当根に持っているらしく、未だにラームをこの件で批判するコメントを出している。

 

確かにラームのあのタイミングでの発言は自然に口から出たとしてもややアンフェアであり、バラックの言い分は理解できなくも無い。

 

しかし、ラームは様々な批判を受けながらも自身の新しいキャプテンのスタイルをチームに定着させ、クラブでは2013年にCLを制し、代表としては2014年にはW杯を制した。

 

圧倒的な実力を備えながら、国際的には万年2位にしかなれなかったバラックとはここで大きな差がついた。

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