概略
国籍 | ![]() ![]() |
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生年月日 | 1978年6月20日(42歳) | ||
出身地 | ロンドン | ||
身長 | 184cm | ||
体重 | 88kg |
ポジションはミッドフィールダー(センターハーフ)。
利き足は右。
愛称は「ランプス」、「鉄人」など。
MFながら高い得点能力を誇り、チェルシーFCにおける歴代最多得点記録の保持者である。
13シーズン所属したチェルシーでは、3度のプレミアリーグ優勝、クラブ初のUEFAチャンピオンズリーグ優勝に中心選手として大きく貢献した。
獲得タイトル
クラブ
ウエストハム・ユナイテッド
- UEFA Intertoto Cup: 1999
チェルシー
- Premier League: 2004–05, 2005–06, 2009–10
- FA Cup: 2006–07, 2008–09, 2009–10, 2011–12
- Football League Cup: 2004–05, 2006–07
- FA Community Shield: 2005, 2009
- UEFA Champions League: 2011–12
- UEFA Europa League: 2012–13
個人
- FIFA Player of the Year: Silver Award: 2005
- Ballon d’Or Silver Award: 2005
- FWA Footballer of the Year: 2005
- PFA Fans’ Player of the Year: 2005
- PFA Merit Award: 2015
- FWA Tribute Award: 2010
- Premier League Player of the Season: 2004–05
- Premier League top assist provider: 2004–05, 2008–09, 2009–10
- PFA Team of the Year: 2003–04 Premier League, 2004–05 Premier League, 2005–06 Premier League
- FIFPro World XI: 2005
- UEFA Midfielder of the Year: 2008
- England Player of the Year: 2004, 2005
- ESM Team of the Year: 2004–05, 2005–06, 2009–10
- UEFA European Championship Team of the Tournament: 2004
- UEFA Europa League Final Fans’ Man of the Match: 2013
- FA Cup Final Man of the Match: 2007
- Premier League Player of the Month: September 2003, April 2005, October 2005, October 2008
- Chelsea Player of the Year: 2004, 2005, 2009
- FA Cup Best Player: 2006–07, 2008–09, 2009–10
- League Cup Best Player: 2004–05, 2006–07
- Premier League 20 Seasons Awards: Premier League 500 Club
- MLS All-Star: 2015
- New York City Player of the Month: September 2015
- New York City’s Ride of Fame: Immortal
- Globe Soccer Awards Player Career Award: 2015
- MLS Player of the Month: July 2016
- Outstanding Contribution to London Football: 2017
経歴
クラブ
1995年にウェストハムでプロ生活を始める。
その後スウォンジー・シティにレンタル移籍する。
復帰後はあまり活躍できずにいたが徐々に頭角を現し、1998-99シーズンは全試合に出場する。
1999年にイングランド代表に招集され着実に成長していく。
しかし、ウェストハムでは数シーズンに渡って経験を積むが、伯父のハリー・レドナップが監督、父親のフランク・ランパード・シニアがコーチであったために、調子が悪い時には批判の対象となっていた。
ファンから愛されず、またレドナップ、フランク・シニアが不明確な理由でクラブから解雇されてしまい、自身の環境転換の為に2001年夏に移籍金1100万ポンド(約24億円)でチェルシーへ移籍。
チェルシーでは2005年にはバロンドール、FIFA最優秀選手賞共にロナウジーニョに次ぐ第2位の得票数を獲得。
イングランド代表GKのデイビッド・ジェームズが保持していたプレミアリーグの連続試合出場記録を更新。
2005年12月28日マンチェスター・シティ戦でウィルス性疾患のため欠場するまで、164試合連続出場という記録を残した。
モウリーニョ監督の「国内選手にクラブを引っ張ってほしい」との方針から、チェルシーでは副キャプテンを務める。
2006-07シーズンは故障がちなジョン・テリーに代わって、多くの試合でキャプテンマークを巻いた。
2008年5月21日にルジニキ・スタジアムで行われたマンチェスター・ユナイテッドとのUEFAチャンピオンズリーグ2007-08決勝では、45分に同点ゴールを決めた。
しかし、チームはPK戦で敗れ、初優勝を逃した。
2008年のシーズンオフにはモウリーニョ率いるインテルへの移籍が噂されたが、最終的にはチェルシー残留を選んで5年契約を結び、チェルシーでキャリアを終える意向を明らかにした。
2010年3月27日のアストン・ヴィラ戦で4得点を記録し、チェルシーでのプレミアリーグ通算100得点を達成した。
2009-10シーズンはMFのプレミアリーグ史上最多得点となる22得点を挙げ、5年連続でシーズン20得点を記録。
チェルシーの4シーズンぶりのプレミアリーグ制覇に貢献した。
2012年4月9日に行われたフラム戦で1得点を挙げ、このゴールでプレミアリーグ通算150得点を記録。
これはプレミアリーグのミッドフィルダーでは史上初の記録である。
また、2月26日に行われたボルトン戦の得点でプレミアリーグ連続2桁得点記録を9に伸ばしている。
2012年4月18日にスタンフォード・ブリッジで行われたUEFAチャンピオンズリーグ準決勝FCバルセロナ戦1stLegでは、ラミレスへのパスを通しこれがディディエ・ドログバの決勝点の起点となった。
4月24日の2ndLegでは、2-0とリードされた前半ロスタイムにマスチェラーノのプレスを弾き飛ばしラミレスへ絶妙なアシストを決め、決勝進出へ大きく貢献した。
5月19日にアリアンツ・アレーナで行われたUEFAチャンピオンズリーグ2011-12決勝では、出場停止のジョン・テリーに代わりキャプテンマークを巻いた。
PK戦の末にバイエルン・ミュンヘンを破り、悲願のビッグイヤーを掲げた。
自身もPK戦では3人目のキッカーを務め、成功させている。
2013年2月2日のニューカッスル戦でプレミアリーグ10季連続2桁得点を達成。
3月17日のウェストハム戦では、チェルシーでの通算200得点目を記録。
さらに5月11日のアストン・ヴィラ戦で2得点を決め、チェルシー歴代最多得点記録となる通算203得点を達成した。
このシーズンはUEFAヨーロッパリーグ優勝を果たした。
2014年4月2日のパリSG戦でチャンピオンズリーグ出場100試合を達成、4月5日ストーク戦でチェルシーでの250ゴールを達成した。
2014年6月、2013-14シーズン限りで13年間所属したチェルシーを退団する事を発表。
2014年7月24日、2015年からメジャーリーグサッカーに創設されるニューヨーク・シティFCへの加入が決定。
8月5日にマンチェスター・シティFCへシーズン開幕までの間、レンタル移籍することが発表された。
2014年9月13日、エミレーツスタジアムでのアーセナル戦に先発し、移籍後初出場。
前半のみでの途中交代となった。
9月21日に行われたチェルシー戦では途中出場し、貴重な同点ゴールをあげたが、古巣への敬意から喜びの表情は見せなかった。
2014年12月31日ペジェグリーニ監督の希望より、ニューヨークシティFCと本人とのシーズン終了までのレンタル延長が合意した。
2015年1月8日、ニューヨーク・シティと契約を交わした上で、レンタルの形でマンチェスター・シティに加わったとされていたが、プレミアリーグの出した声明により、ランパードはニューヨーク・シティと契約を交わしていなかったことが明らかになった。
夏の移籍市場で正式にニューヨークシティFCの移籍が決定した。
2015年3月15日バーンリー戦でプレミアリーグ600試合出場を達成、5月24日リーグ最終戦サウザンプトンFC戦ではキャプテンとしてプレーしプレミアリーグ177点目となるゴールを決め77分までプレーした。
シティではトータル38試合8ゴールの成績を残した。
2015年6月、大英帝国勲章OBEを受ける。
2016年7月31日のコロラド戦でニューヨークシティの選手として初めてとなるハットトリックを成し遂げた。
2016年11月14日、2016年シーズンの契約満了をもって、ニューヨーク・シティを退団することを発表。
2017年2月2日、自身のFacebookで現役を引退することを発表した。
ラストシーズンは19試合に出場し13ゴール3アシストを決めた。
代表
1999年10月10日のベルギー戦でデビューを果たす。デビュー後しばらくは目立った活躍をすることはできず、2002年の日韓ワールドカップではメンバー選考から外れた。
しかし、チェルシーの躍進と共に自身もコンスタントに出場機会を得るようになると、EURO2004ではレギュラーとして出場し、準々決勝で敗退するが、自身は3得点を挙げ、大会ベスト11にも選出された。
2006年ドイツワールドカップ予選では5得点を挙げ、イングランドの本大会出場に貢献。
2010年南アフリカワールドカップ決勝トーナメント1回戦の対ドイツ戦では、1点リードされて迎えた前半38分に放ったシュートがクロスバーに当たりゴールラインを越えたがゴールと認められず、1-4でイングランドは敗戦。
「幻の同点ゴール」と言われ、科学的な判定の導入を求めた。
イングランドは1966年イングランドワールドカップ決勝戦で起こった「疑惑のゴール」とは逆の「誤審」を味わうこととなり、英メディアの憤激を呼び起こした他、たまたま開催中だった2010年サミットの合間に共にテレビ観戦していたアンゲラ・メルケル独首相がデーヴィッド・キャメロン英首相に謝罪する一幕もあった。
2014年8月26日、代表引退を表明した。
エピソード
父のフランク・ランパード・シニアも元イングランド代表のサイドバックであるほか、叔父にサッカー監督のハリー・レドナップ、従兄弟に元イングランド代表MFジェイミー・レドナップがいる。
彼にはスペイン人のモデル、エレン・リベスとの間に2人の娘がいるが、2人目の娘が産まれた2年後、某TV司会者との関係が明るみに出て、結局、彼はその女性、クリスティーン・ブレークリーと2015年に結婚している。
その過程では、ラジオ番組で「ランパードの不実」をネタにしたDJのもとに怒鳴り込んだとか、その際にランパードが「全力で家族(エレンと2人の娘)を守ってみせる」と言い切ったというエピソードも伝わっている。
2008年4月、母親が病に倒れ、リーグ戦を欠場して看病にあたっていたランパードだったが、24日に母は他界。
その精神的なショックから、30日のチャンピオンズリーグ準決勝セカンドレグのリヴァプール戦を欠場するとの見方もされていたが、練習に復帰して気丈に振る舞うとクラブ初のファイナル進出をかけた重要な一戦に出場、先制点につながるスルーパスや、延長戦でのPKを決めるなど見事なパフォーマンスを見せた。
PKを沈めた瞬間には左腕の袖下に隠していた喪章に口づけし、感極まった表情で天国の母にゴールを捧げた。
以降、ゴールを挙げた際には両手で空を指差すパフォーマンスを行っている。
現役引退後、監督になる。
プレースタイル
ランパードは、アウトフィールドプレイヤーとして164試合連続出場記録を持っています。
怪我や累積警告もないので、これはとてつもない数字です。
しかも、ランパードは攻守に併走する選手でしたので、この記録をより凄いものにしています。
FWやDFが作る記録とは訳が違います。
そのタフネスさから「鉄人」と評され、チェルシーのみならず多くのサッカーファンから愛された選手です。
ランパードは、プレミアリーグ609試合に出場して歴代4位となる177ゴールを決めています。
プレミア史上150ゴールをマークしたミッドフィルダーの1人。
ちなみに、アシスト数も歴代4位の102回。
試合にも出場する、走る、ゴールも決める、アシストもする、控えめに言って完成された理想のミッドフィルダーと言って良いでしょう。
シーズン2桁ゴールを約束してくれる。
それがフランク・ランパードの最大の魅力である。
ストライカーであれば、そうした選手も珍しくはない。
ただ、ランパードは中盤の選手でありながら容易くやってのける。
プレミアリーグ創設から20年の歴史の中で、ランパードはMFとして最多の150のゴールを重ねてきた。
2003-04シーズンから続く連続2桁得点記録も、前人未到の9シーズンに到達。
高精度のミドルシュートや職人技のPKはもちろん、チャンスの匂いを嗅ぎ取って絶妙なタイミングでゴール前に飛び込む場面は、長きにわたってチェルシー攻撃陣の黄金パターンとされてきた。
もっとも、ランパードが偉大なプレーヤーと呼ばれる理由は得点力だけではない。
彼の真の魅力は、MFに必要な資質をすべて高いレベルで備えているところにある。
正確なパス、巧みなボールキープ、豊富な運動量、果敢なタックル、味方を鼓舞するリーダーシップ……。
ただの万能では終わらない“全能”のランパードをイングランドの人々は「パーフェクトなMF」と称賛する。