概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1957年1月11日(63歳) | ||
出身地 | ダラム | ||
身長 | 175cm | ||
体重 | 79kg |
ポジションはミッドフィールダー(センターハーフ)。
利き足は右。
愛称は「ロッボ」。
80年代、マンチェスター・ユナイテッドとイングランド代表を支えたプレイメーカーにして偉大なるキャプテン。
1999年、『ワールドサッカー』誌の「20世紀の偉大なサッカー選手100人」で94位に選出された。
獲得タイトル
クラブ
マンチェスター・ユナイテッド
- Premier League: 1992–93, 1993–94
- FA Cup: 1982–83, 1984–85, 1989–90
- FA Charity Shield: 1983, 1993
- European Cup Winners’ Cup: 1990–91
個人
- PFA Team of the Year: 1981–82 First Division, 1982–83 First Division, 1983–84 First Division, 1984–85 First Division, 1985–86 First Division, 1988–89 First Division
- PFA Team of the Century (1977-1996): 2007
- First Division Goal of the Season: 1985–86
- Sir Matt Busby Player of the Year: 1988–89
経歴
クラブ | |||
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年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1972-1982 | ![]() |
198 | (40) |
1982-1994 | ![]() |
345 | (74) |
1994-1996 | ![]() |
28 | (1) |
代表歴 | |||
1979-1980 | ![]() |
7 | (2) |
1979-1990 | ![]() |
3 | (1) |
1981-1991 | ![]() |
90 | (26) |
ウェスト・ブロムでプロとしてデビュー。
そこで、ロブソンはイングランド代表に招集される程の活躍を見せる。
代表デビューは1980年2月6日アイルランド戦。
現役初期に在籍したウェストブロムウィッチ・アルビオンでは、わずか1年の間に3度の骨折を経験した。
しかし、選手生活を危ぶまれたにもかかわらず、ロブソンは不屈の精神力で完全復活を果たしてみせる。
バギーズ(ウェストブロムウィッチ)では約200試合のリーグ戦に出場し、通算39ゴールを記録した。
活躍の場をオールド・トラッフォードへと移したのは1981年10月。
ユナイテッドが同じウェストブロムウィッチから引き抜いたロン・アトキンソン新監督は、ロブソンとレミ・モーゼスの獲得に合計200万ポンドを投じた。
そのうち“ロッボ”(ロブソンの愛称)には、当時最高額となる150万ポンドが費やされている。
1982年にマンチェスター・ユナイテッドへ移籍。
クラブの90年代の黄金時代への礎を築いた。
ロブソンは一気に飛躍を遂げた。
サッカー界屈指のMFへと成長するのも、単に時間の問題でしかなかった。
その才能に理解を示し、ロブソンの展開力に磨きをかけたレイ・ウィルキンスは、すぐにチーム・キャプテンの座を明け渡すことになる。
選手としてピークを迎えたロブソンは、ユナイテッドの原動力として強烈な輝きを放った。
ロブソンのリーグ通算得点数は、100ゴールの大台をはるかに超えている。
1983年、1985年、1990年のFAカップでは、主将としてユナイテッドの優勝に貢献。
ブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンと死闘を演じた1983年の決勝では、4-0と圧勝した再試合で自ら2ゴールを決めてみせた。
リーグカップの決勝進出を果たした1991年には、カップウィナーズカップを制して欧州初タイトルも手に入れている。
イングランド代表では90キャップを記録し、スリー・ライオンズ(イングランド代表の愛称)の一員として3度のワールドカップを経験。
代表通算26得点を挙げており、1984年のトルコ戦ではハットトリックを達成した。
また、1982年のワールドカップではフランス相手に開始27秒でネットを揺らし、大会史上2番目に速い得点記録を作っている。
3度もW杯に出場し活躍するなど代表通算90試合に出場したが、その内65試合はキャプテンとしてチームを牽引(歴代3位)し抜群の存在感を示した。
通算26得点。
ユナイテッドで過ごした最後の2シーズンは、プレミアシップでわずか15試合の先発出場にとどまった。
しかし、出場機会ごとに効果的な働きを披露し続けると、1994年にはリーグ戦とカップ戦の国内2冠を達成。
ユナイテッドでのキャリアを最高の形で締めくくった。
以前は低迷していたチームを強豪へと復活させた大きな役割を果たしキャプテンとしてこれ以上ない成功を収めた。
彼の存在が、現在華々しい活躍を見せるベッカム等に多大なる影響をもたらしたのは言うまでもない。
1994年よりプレーイング・マネージャーとしてミドルズブラに移り、1996年の現役引退後もチームの監督として活躍、2度のプレミア昇格とFAカップ決勝進出の功績を残した。
エピソード
マンチェスター・ユナイテッドのエースナンバーである背番号7を背負って戦った選手の一人である(他にジョージ・ベスト、エリック・カントナ、デビッド・ベッカム、クリスティアーノ・ロナウド、マイケル・オーウェンら)。
また、ベッカムが幼少時代のアイドルとして公言している選手でもある。
プレースタイル
クラブ、代表の双方でキャプテンを務めた選手で、高いキャプテンシーを持っているイングランド史上屈指のミッドフィルダー。
ミッドフィールダーに必要な能力を全て高い水準で備えている。
彼の最大の特徴といえば、クラブと代表チームで発揮した抜群のキャプテンシーだろう。
そのキャプテンシーでチームを鼓舞し支え続けた。
プレー面では主にセンターハーフとしてプレイし、高い運動量とパスでゲームを組み立てた。
積極的に前線に飛び出し、ヒューズ、ストラカンらとの連携から数多くのゴールを決めた。
疲れを知らぬ運動量、創造性豊かなパスワークで攻守を支えると、厳しくもフェアなタックルでボールを奪取。
さらには恵まれたスピードとパワフルなシュート、正確なヘディングで相手ゴールを脅かし続けた。
利き足は右だが、左足も遜色なく使え、ミドルレンジからも左右両足で多くのゴールを挙げた。