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【サッカーショップKAMO】海外クラブチーム特集

ライアン・ギグス

サッカー

概略

Ryan Giggs, The Welsh Wizard [Goals & Skills]
国籍 ウェールズの旗 ウェールズ
生年月日 1973年11月29日(46歳)
出身地 カーディフ
身長 180cm
体重 72kg

 

ポジションはフォワード(左ウイング)、ミッドフィールダー(左サイドハーフ)。

 

利き足は左(利き手は右)。

 

愛称は「ジャックナイフ」。

 

ウェールズが生んだ名ウインガー。

 

長年にわたりレッド・デビルズで背番号11を背負った。

 

同クラブの歴史において13回のプレミアリーグ優勝、3回のリーグカップ優勝を経験した唯一の選手であり、アレックス・ファーガソン監督が3度指揮したチャンピオンズリーグの決勝戦全てに出場したただ一人の選手である。

 

クラブでの公式戦出場記録は963試合(168ゴール)であり、長年破られることのなかったサー・ボビー・チャールトンの記録である758試合を上回り歴代最多である。

 

イングランドのサッカー史上で最も多くのタイトルを獲得した選手であり、トップリーグで13回の優勝を経験した。

 

またプレミアリーグ史上初めてPFA年間最優秀若手選手賞を2度受賞した選手であり、2007年には最多得票でPFAの1997年から2007年までのベストイレブンに選出され、2003年にはプレミアリーグ10周年記念のベストイレブンにも選出された。

 

2007年6月2日に代表チームから引退するまでウェールズ代表としても活躍し、その当時最年少で代表デビューを飾った選手であった。

 

フットボールリーグの歴代の名選手100人に選ばれており、2007年にはOBEを受勲し、2005年にはイングランドのサッカーの殿堂入りをしている。

 

獲得タイトル

クラブ

  • プレミアリーグ:1992-93、1993-94、1995-96、1996-97、1998-99、1999-00、2000-01、2002-03、2006-07、2007-08、2008-09、2010-11、2012-13
  • FAカップ:1993-94、1995-96、1998-99、2003-04
  • フットボールリーグカップ:1991-92、2005-06、2008-09
  • FAコミュニティ・シールド:1993、1994、1996、1997、2003、2007、2008年、2010年、2011年、2013年
  • UEFAチャンピオンズリーグ:1999、2008年
  • UEFAスーパーカップ:1991年
  • インターコンチネンタルカップ:1999年
  • FIFAクラブワールドカップ:2008年

個人

  • PFA年間最優秀若手選手賞:1991-92、1992-93
  • PFA年間ベストイレブン:1992-93、1993-94、1994-95、1995-96、1997-98、2000-01、2006-07、2008-09
  • PFAベストイレブン(1997-2007):2007年
  • PFA年間最優秀選手賞:2008-09
  • FWAトリビュート賞:2007年
  • ブラヴォー賞:1993年
  • BBC・スポーツ・パーソナリティ・オブ・ザ・イヤー賞:2009年
  • BBCウェールズ・スポーツ・パーソナリティ・オブ・ザ・イヤー:1996、2009年
  • GQスポーツマン・オブ・ザ・イヤー:2010年
  • サー・マット・バスビー年間最優秀選手賞:1997-98
  • シーミー・マーフィー年間最優秀若手選手賞:1990-91、1991-92
  • プレミアリーグ10周年記念ベストイレブン(国内選手による):2003年
  • プレミアリーグ20周年記念表彰(最多出場):596試合
  • UEFAチャンピオンズリーグ10周年ドリームチーム:2002年
  • ウェールズ年間最優秀選手賞:1996、2006年
  • プレミアリーグ月間最優秀選手:1993年9月、2006年8月、2007年2月
  • ゴール・オブ・ザ・シーズン:1998-99
  • イングランドサッカー殿堂:2005年
  • インターコンチネンタルカップMVP:1999年
  • ゴールデンフット賞:2011年
  • 20世紀の偉大なサッカー選手100人:83位

勲章

  • 大英帝国勲章:2007年
  • サルフォード自由民:2010年1月7日(サルフォードで22人目)

 

経歴

Ryan Giggs ● Amazing Runs & Dribbling Skills ►
クラブ
クラブ 出場 (得点)
1990-2014 イングランドの旗 マンチェスター・ユナイテッド 672 (114)
代表歴
1989 イングランドの旗 イングランド 学生代表 1 (1)
1989 ウェールズの旗 ウェールズ U-18 3 (0)
1991 ウェールズの旗 ウェールズ U-21 1 (0)
1991-2007 ウェールズの旗 ウェールズ 64 (12)
2012 イギリスの旗 イギリス 4 (1)

 

クラブ

 

ギグスは17歳の誕生日である1990年11月29日にプロ契約を提示され、2日後の12月1日に2年間のプロ契約を結んだ。

 

当時、1960年代に活躍したジョージ・ベスト以来の可能性を秘めた選手であると様々なメディアで報じられた。

 

ギグスがトップチームデビューを飾ったのは、1991年3月2日にオールド・トラッフォードで行われ、0-2で敗れたエヴァートンFC戦である。

 

デニス・アーウィンと交代で出場してのリーグデビューであった。

 

初めてスターティングメンバーとして出場したのはその翌シーズン、1991年5月4日に行われたマンチェスター・ダービーであり、コリン・ヘンドリーによるオウンゴールと評価しうるようなゴールではあったものの、リーグ戦初ゴールを記録した。

 

しかし、その試合の11日後に行われたUEFAカップウィナーズカップ決勝のFCバルセロナ戦のメンバーには選ばれなかった。

 

その当時左ウイングのポジションのレギュラーは、ダニー・ウォーレスに代わり20歳のリー・シャープが務めていた。

 

1991-92シーズンの初めにレギュラーポジションを掴んだが、同時にユースチームのキャプテンも務め、彼を含め「ファーガソンのひな鳥(ファーギー・ベイブス)」と呼ばれたこの若手チームは1992年のFAユースカップのタイトルを獲得した。

 

このシーズンのギグスはわずか17歳ながらトップチームで成熟されたプレイを披露し、ファーガソンの下で他のユースチームの選手が昇格するための礎を築いた。

 

トップチームでは最年少の選手であったため、ブライアン・ロブソンのようなベテラン選手のアドバイスには積極的に耳を傾けるように務めたという。

 

ロブソンが与えたアドバイスとしては、自身やケビン・キーガンの代理人を務めるハリー・スウェールズと契約を結ぶことなどが知られている。

 

彼がデビューしたシーズンはプレミアリーグに変わる前の最後のディヴィジョン1のシーズンであったが、リーズ・ユナイテッドAFCに次いで2位でシーズンを終えた。

 

優勝争いをずっとリードしていたが、4月の成績が振るわずリーズ・ユナイテッドに抜かれ、彼とチームメイトはリーグの優勝タイトルを逃した。

 

1992年4月12日にリーグカップ決勝でノッティンガム・フォレストに勝利し、ユナイテッドで初めてのタイトルを獲得した。

 

ギグスはその試合で唯一となるブライアン・マクレアーのゴールをアシストし、シーズン終了後にはPFA年間最優秀若手選手賞を受賞した。

 

1992-93シーズンは新しく創設されたプレミアリーグの最初のシーズンであったが、ギグスはリー・シャープから左ウイングのボジションを奪い、スティーブ・マクマナマンとともにイングランドのサッカーにおいてウイングの選手として最高の若手選手と言われ、2人はスタンリー・マシューズの系譜を継ぐ者と言われていた。

 

ギグスの登場とエリック・カントナの加入によりマンチェスター・ユナイテッドはリーグ戦を優位に進め、プレミアリーグ初年度の覇者として歴史に名を刻んだ。

 

シーズンを通してコンスタントに試合に出場し、チームの26年振りとなるトップリーグ優勝に貢献したことで、ギグスは前年に続きPFA年間最優秀若手選手賞を受賞した。

 

1993-94シーズンにユナイテッドはダブル(2冠)を達成し、ギグスはエリック・カントナ、ポール・インス、マーク・ヒューズとともにチームで中心的な役割を果たした。

 

チームは4試合を終えた8月末に首位に立って以降は一度も順位を落とすことなくシーズンを終えた。

 

リーグカップの決勝ではギグスも出場したが、1-3でアストン・ヴィラFCに敗れ、トレブル(3冠)達成とはならなかった。

 

1994-95シーズンは怪我により出場試合数は29試合に留まり、ゴール数は僅か1ゴールとなった。

 

シーズン後半に復帰しコンディションを取り戻したが、クラブはメジャータイトルを一つも獲得することなくシーズンを終えた。

 

リーグではシーズン最終日にウェストハム・ユナイテッドに敗れ、ブラックバーン・ローヴァーズFCにタイトルを譲った。

 

FAカップ決勝ではギグスも途中出場したが、0-1でエヴァートンに屈した。

 

1995-96シーズンは怪我から完全に回復し、2度目のダブルを達成したチームにおいて重要な役割を果たした。

 

グディソン・パークで行われたエヴァートンFC戦で決めたゴールは、ゴール・オブ・ザ・シーズンの候補に入ったが、投票の結果、マンチェスター・シティFCのゲオルギ・キンクラーゼの記録したゴールが賞に選ばれた。

 

11月のサウサンプトンFC戦では2ゴールを挙げ、シーズンで最高の活躍を見せた。

 

翌1996-97シーズン、クラブは4シーズンで3度目となるリーグタイトルを活躍し、ギグスはヨーロッパの舞台で脚光を浴びる最初のチャンスを得た。

 

チャンピオンズリーグでは準決勝に進出し、28年振りとなるタイトル獲得の期待がかかったが、ボルシア・ドルトムントに2試合とも0-1で敗れ、大会を後にした。

 

1997-98シーズンには、クラブはシーズン後半に失速し、アーセナルFCに次いで2位でシーズンを終えた。

 

タイトルを一つも獲得せずにシーズンを終えるのは、1989年以来2度目となる出来事であった。

 

1998-99シーズン、ユナイテッドはプレミアリーグ、FAカップ、チャンピオンズリーグを制してトレブル(3冠)を達成し、クラブ史上最高のシーズンを送った。

 

ギグス自身は怪我により多くの試合で欠場を余儀なくされたものの、2つのカップ戦では好調なプレーを見せてクラブのタイトル獲得に貢献した。

 

中でも、FAカップ準決勝(再試合)のアーセナルFC戦の延長戦でギグスが決めた決勝ゴールは、ギグスのキャリアにおける最高のゴールであると見なされている。

 

大一番でチームのタイトル獲得を決定付けたそのゴールは、アーセナルのセンターハーフのパトリック・ヴィエラの横パスをハーフライン付近で自らインターセプトした後、当時リーグ屈指のディフェンス陣としてフェイマス4と渾名されたトニー・アダムス、リー・ディクソン、マーティン・キーオンの3人に囲まれながら約60メートルをドリブルで疾走してゴール前まで持ち込んでゴールするというものだった。

 

ゴール後にユニフォームを脱いで振り回しながら喜びを爆発させ、チームメイトに駆け寄ってゴールを祝福したギグスの姿は、ゴールシーンとともにその後のファンの間で語り草となった

 

なお、その次の大会以降FAはFAカップの準決勝の方式を一度の対戦で決着をつける方式へと転換したため、このギグスのゴールはFAカップ準決勝の再試合において記録された最後のゴールとなった。

 

また、ホームで行われたチャンピオンズリーグ準決勝のユヴェントス戦では90分に同点となるゴールを決めた他、チャンピオンズリーグ決勝のバイエルン・ミュンヘン戦では後半アディショナルタイムのテディ・シェリンガムの同点ゴールをアシストし、クラブのトレブル達成に貢献した。

 

更に、年末に行われたインターコンチネンタルカップのパルメイラス戦ではキーンのゴールを演出するなど、勝利に貢献し、MVP(マン・オブ・ザ・マッチ)に選出された。

 

2002年5月にデニス・アーウィンがクラブを去ると、ギグスはトップチームで最もユナイテッドに長く在籍している選手となり、28歳にしてチームで重要な役割を担うようになった。

 

ギグスは1999年のトレブル達成後も活躍を続けており、ユナイテッドは4シーズンで3度のリーグ優勝を飾り、チャンピオンズリーグでは3度の準々決勝進出と1度の準決勝進出を果たしていた。

 

2001-02シーズン開幕前にはオールド・トラッフォードでデビュー10周年を祝うセルティックFCとの記念試合が催され、スタンフォード・ブリッジで行われたチェルシーFC戦でキャリア通算100ゴールを達成した。

 

2004年5月22日に行われたFAカップ決勝に出場し勝利をおさめ、FAカップにおいて4度優勝を果たしたマンチェスター・ユナイテッドでただ2人の選手の内の一人(もう一人はロイ・キーン)となった。

 

また1995年、2005年、2007年には準優勝も果たしている。

 

2004年9月に行われたリヴァプール戦に出場し、サー・ボビー・チャールトン、ビル・フォルケスに続いてユナイテッドで600試合出場を達成した3人目の選手となった。

 

2005年にはイングランドのサッカーに対する貢献が評価され、イングランドのサッカーの殿堂入りをした。

 

シーズン終了後には通常30歳を超える選手とは単年での契約しか結ばないという方針を曲げ、当時クラブの代表であったデイヴィッド・ギルは2年間の契約を提示し、ギグスは契約を結んだ。

 

その後、少なくとも36歳になる2010年6月までクラブに留めておくために、1年間の延長契約を2度結んだ。

 

ギグスはまたハムストリングの負傷の問題以外は、ほとんど怪我をすることもなかった。

 

2007年5月6日に行われたチェルシーFCとアーセナルFCの試合が1-1の引き分けに終わり、マンチェスター・ユナイテッドはリーグチャンピオンになった。

 

ギグスにとっては9度目の優勝であり、アラン・ハンセン、フィル・ニール(二人はすべての優勝をリヴァプールで成し遂げている)と並んでいた記録を更新した。

 

2007年のコミュニティーシールドの試合では前半にゴールを挙げ、試合は1-1でPK戦になったが、エドウィン・ファン・デル・サールが最初の3本全てを止め、チームはタイトルを獲得した。

 

2007-08シーズンは、アレックス・ファーガソンはローテーション制を採用したため、ナニ、アンデルソンといった選手が起用されることも多かったが、重要な試合に起用されるのはギグスであり、オールド・トラッフォードで行われたチェルシーFC戦ではカルロス・テベスのユナイテッドでの初ゴールをアシストした。

 

2007年12月8日に行われ、4-1で勝利したダービー・カウンティ戦ではリーグ通算100ゴールを達成した。

 

2008年2月20日に行われたチャンピオンズリーグのリヨン戦では100試合出場を果たし、2008年5月11日にはサー・ボビー・チャールトンの記録に並ぶユナイテッドにおいての758試合出場を果たした。

 

チャンピオンズリーグ決勝のチェルシー戦では87分からポール・スコールズと交代で出場し、ボビー・チャールトンの記録を更新した。

 

2008-09シーズンの初めからファーガソンはギグスを最も得意とするウイングのポジションではなく、センターハーフで起用するようになった。

 

ギグスは新しいポジションにすぐに適応し、ミドルスブラFC戦やオールボーBK戦など、多くの試合でアシストを記録した。

 

サー・アレックス・ファーガソンはインタビューに応え、「ギグスは11月で35歳になるがユナイテッドにとって非常に重要なキーとなる選手である。25歳の彼はスピードでディフェンダーを困難に陥れたが、35歳となった今では円熟味が増した選手となった」と、述べギグスを讃えた。

 

引退後にオーレ・グンナー・スールシャールのようにクラブに加わってもらうために、ファーガソンはギグスにコーチングライセンスを取得することを勧め、ギグスは講習を受け始めた。

 

2009年2月9日に行われたウェストハム・ユナイテッドFC戦でシーズン初ゴールを記録し、1992年から始まったプレミアリーグの全てのシーズンでゴールを記録している唯一の選手であるという記録を維持し、同月に1年間の契約延長にサインした。

 

同年、ギグスを含め4名のユナイテッドの選手がPFA年間最優秀選手賞にノミネートされ、4月26日にギグスが受賞した。

 

2008-09シーズンにチームは好成績を収めていたが、ギグス本人は受賞した時点でスターティングメンバーとして出場した試合は12試合であった。

 

なお、ギグスが同賞を受賞したのは彼のキャリアにおいて初めてのことであった。

 

授賞式の前にアレックス・ファーガソンは、長年チームに貢献してくれているし、受賞するにふさわしい選手であると述べていた。

 

2012年2月26日に行われたノリッジ・シティFC戦でユナイテッドの公式戦通算900試合出場を達成し、試合ではアシュリー・ヤングのアシストから試合終了間際にゴールを挙げ、2-1の勝利に貢献した。

 

試合後のアレックス・ファーガソンはBBCスポーツのインタビューで、一つのクラブに所属し、900試合に出場する選手は「今後現れることはないだろう」と話した。

 

2014年5月19日、クラブの公式サイトにおいて現役を引退することを発表した。

 

引退をしたギグスに対しては長いキャリアを通して残した功績に対して多くの賞賛が寄せられた。

 

代表

 

ウェールズ人の両親から生まれたギグスはウェールズ代表としてプレイをした。

 

イングランドの学生代表のキャプテンを務めたことがあるが、これは国籍ではなく通っている学校の所在地によって選出される代表であった。

 

1991年に代表デビューを飾ったが、これは当時の最年少記録であった。

 

1991年から2007年まで64試合に出場し、12ゴールを挙げた。

 

2004年からはキャプテンを務めた。

 

ギグスは親善試合の出場に消極的であるとの理由から、たびたび批判を受けた。

 

1991年のドイツ代表戦でデビューをしてからその後9年間親善試合には出場せず、連続18試合出場に応じなかった。

 

表向きは負傷による辞退であったが、実際はマンチェスター・ユナイテッドの監督であるアレックス・ファーガソンが、親善試合に選手を出場させないという方針を持っていたからであると言われている。

 

2006年9月にブラジル代表との親善試合に出場し、2-0で勝利した。

 

試合後にドゥンガは、カカやロナウジーニョといった選手と比べても遜色ないと述べ、賛辞を送った。

 

2007年5月30日に記者会見を開き、16年に渡ってプレイをしてきた代表から引退すると発表した。

 

最後の試合となったのは6月2日に行われたEURO2008予選のチェコ代表戦であり、キャプテンとして出場した。

 

試合は1-1の引き分けに終わったが、ギグスはマン・オブ・ザ・マッチに選出された。

 

2012年ロンドンオリンピックのオリンピックサッカーグレートブリテン代表にオーバーエイジとして選ばれキャプテンを務めた。

 

エピソード

ライアン ギグス 全盛期ドリブル集

ギグスの才能はチームメイトのポール・インスらに「天才」や「魔術師」というような言葉で形容され、ガリー・パリスターは、「練習で彼をマークしようとして血液の流れが滞ってしまった。」と話すなど、同じサッカー選手からも認められていた。

 

彼より経験豊かな選手たちはトップチームに加入した当初から「一体いつになったら彼をデビューさせるのか」といつも監督に聞き、それがギグスのデビューにつながった。

 

スティーヴ・ブルースはギグスについて、「走っている彼はまるで風のようだ。風のように軽く音がしない。彼は自然体でボールを扱いドリブルをするが、それは本当に素晴らしい選手でなければ出来ないことだ。ベッカムとスコールジーを貶すつもりはないが、彼は唯一無二のスーパースターだ」と、述べた。

 

ギグスがユナイテッドの左ウイングで確固たる地位を築くにつれ、英国で最も才能豊かな若手選手の一人であると評価されるようになっていったが、アレックス・ファーガソン監督はギグスが20歳になるまでメディアのインタビューを断り、周囲の雑音からギグスを守らなければならない状況になった。

 

上昇するギグスの人気は通常の若手選手には設けられないような機会を彼自身に与えることになり、1994年には『ライアン・ギグス・サッカー・スキルズ』というテレビ番組が放送され、後にシリーズとして書籍化された。

 

またこの頃のギグスは様々な雑誌の表紙を飾り、1980年代に相次いだ暴力行為により低迷したイングランドサッカーのイメージの向上と市場拡大に貢献し、広く名前が知られるようになっていった。

 

ギグス自身は周囲の注目を集めることを好まなかったが、彼の意思とは無関係に彼は若者の憧れの的となり、「プレミアシップの看板選手」と言われ、「ワンダーボーイ」などと称された。

 

期待の新星として「ワンダーボーイ」と呼ばれた選手は彼が最初であると言われており、彼が脚光を浴びたことによりその言葉が一般に広く知られるようになったと言われている。

 

このように、ギグスはメディアでの報道を通じてジョージ・ベスト以来の人を惹きつける魅力を持ったスター選手であると一般に認められるようになっていった。

 

練習を見るためだけにザ・クリフを訪れたベストとボビー・チャールトンはギグスについて口々に「今最も好きな若手選手である」と語り、中でもベストは「いつか私がもう一人のギグスと呼ばれるようになる日が来るかもしれない」と冗談混じりに述べたという。

 

彼の絶大な人気はサッカーファンに新たな時代の到来を予感させるものであり、「100万人の10代の若者をユナイテッドファンに変えた」と言われた。

 

ギグスは労働者階級以外の人たちにもサッカー人気が広がりつつあった1990年代のサッカーシーンに突然現れた若きポップスターのような存在として、リヴァプールFCのジェイミー・レドナップとともに広い支持を集めた。

 

ギグスが本のサイン会に登場した時には道がふさがり、交通が滞ることも珍しいことではなかった。

 

しかしトレブルを達成した1998-99シーズンの前後からはデイヴィッド・ベッカム、ポール・スコールズのようなより若い選手が注目を集めるようになり、ギグスがメディアに取り上げられる機会は減少していった。

 

特にベッカムはギグスの前例を越え、過去に例を見ないような脚光を浴びるようになっていった

 

BBCスポーツの記事によると、「1990年代前半、ベッカムがユナイテッドのトップチームでポジションを掴むまでは、ギグスが現在のデビッド・ベッカムのような存在だった。ギグスがサッカー雑誌の表紙を飾るのであれば、その号はその年の最大の売り上げを約束されたも同然だった。男性は新たなベストについて知るために、女性は寝室に飾るためにその雑誌を手にしたものだった。ベッカムがプレストン・ノースエンドFCにレンタルに出されている頃には、ギグスは富士フイルムやリーボックとは100万ポンドの契約を結び、ダニ・ベアー、ダヴィニア・テイラーといった有名人の恋人がいた。」

 

2011年5月末にtwitterで元ミス・ウェールズのイモージェン・トーマスとの不倫が暴露され、更に実弟ロドリ・ギグスの妻ナターシャ・ギグスと八年間に渡り不倫していたことが英国のタブロイド紙で報じられた。

 

なお結婚を間近に控えていたナターシャはギグスの子供を妊娠していたがギグスが500ポンドを払い中絶させたという。

 

その後、ロドリとナターシャは13年に離婚した。

 

ロドリは現在、新しいパートナーとの間に娘が生まれている。

 

ナターシャも新しいパートナーの息子を出産している。

 

プレースタイル

Ryan Giggs Best Skills
彼の主な主戦場は左サイドであり、晩年は老獪さを増したプレーでセンターハーフもこなした器用さも持っていた。
年齢により、大きくプレースタイルを変えたといって良いかもしれない。
ウィングでプレーしていた時は、何よりもその弾丸の様なスピードと、ドリブルの切れ味が彼の源泉だった。
ジャックナイフと呼ばれた凶悪なドリブル。
大きく開いた左サイドから縦に、時には斜めにも切り裂く。
そこに逆足の方がやりやすいとか、そういう次元ではなく、単に速さとコース取りが異次元だった。
DFがわざとコースを開けている様にすら見えるその推進力は、位相がズレてさえいた段違いのスピード感が基だ。
そもそものスピードが速い上に、その高速の中での駆け引きと判断に長け、自身の光速を操る技術が何よりも凄かった。
ボールの置く位置や、動かし方を熟知していた先天的なセンス溢れるドリブラーだった。
サイドのウィンガーとしてサイドを破りクロスを上げる印象もあるが、彼はクロッサーではなくアタッカーという印象のほうが強い。
左サイドから斜めに切り裂いてゴール前に侵入できるスキルも当然凄いんだが、あっさりと逆足でも決めきれるシュート能力も凄い。
高速のドリブルの中で、キーパーの位置・シュートコースを常に見ているアタッカー精神があるからこそのゴール数だ。
反対のサイドにベッカムがいた事も大きいのかもしれない。
精密機械であり、シルクのようなボールを蹴るベッカムとの対比で、鋭い切れ味のジャックナイフは見事な相関関係にあったと思う。

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