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【サッカーショップKAMO】海外クラブチーム特集

グジェゴシュ・ラトー

サッカー

概略

Grzegorz Lato in World Cup
国籍 ポーランドの旗 ポーランド
生年月日 1950年4月8日(70歳)
出身地 マルボルク
身長 175cm
体重 73kg

 

ポジションはフォワード(右ウイング)。

 

利き足は右。

 

70年代のポーランドを代表する快速ウインガー。

 

獲得タイトル

クラブ

スタル・ミエレツ
  • Mistrzostwo Polski: 1973, 1976
  • Wicemistrzostwo Polski: 1975
  • 3. miejsce mistrzostw Polski: 1974, 1979
  • Finał Pucharu Polski: 1976
  • Ćwierćfinał Pucharu UEFA: 1976
  • Wygrana grupa w Pucharze Intertoto: 1971
  • Trofeo Colombino: 1978
アトランテ FC
  • Puchar Mistrzów CONCACAF: 1983

代表

ポーランド代表
  • 3. miejsce mistrzostw świata: 1974, 1982
  • Mistrzostwo olimpijskie: 1972
  • Wicemistrzostwo olimpijskie: 1976

個人

  • Król strzelców ekstraklasy: 1973, 1975
  • Król strzelców mistrzostw świata: 1974
  • Krzyż Oficerski Orderu Odrodzenia Polski (1982)
  • Krzyż Kawalerski Orderu Odrodzenia Polski (1974)
  • Złoty Krzyż Zasługi (1972)
  • Złoty Medal za Wybitne Osiągnięcia Sportowe
  • Srebrny Medal za Wybitne Osiągnięcia Sportowe
  • Brązowy Medal za Wybitne Osiągnięcia Sportowe
  • Zasłużony Mistrz Sportu
  • Wpis do „Księgi zasłużonych dla województwa rzeszowskiego” (1976)
  • Złota Odznaka PZPN (1972)
  • „Jedenastka 50-lecia PRL”
  • 6. miejsce w plebiscycie „France Football” (1974)
  • Piłkarz Roku w plebiscycie katowickiego „Sportu” (1974)
  • Piłkarz Roku w plebiscycie „Piłki Nożnej” (1977, 1981)
  • 1. miejsce w plebiscycie dziennika „Nowiny Rzeszowskie” na najlepszego sportowca Rzeszowszczyzny (trzy razy)
  • Tytuł honorowego obywatela Mielca (2019)
  • Prawy napastnik w jedenastce stulecia PZPN (2019)

経歴

Grzegorz Lato – Deutschland 1974 – 7 goals
クラブ
クラブ 出場 (得点)
1962-1980 ポーランドの旗 スタル・ミエレツ 295 (117)
1980-1982 ベルギーの旗 KSCロケレン 64 (12)
1982-1984 メキシコの旗 アトランテFC 45 (15)
代表歴
1971-1984 ポーランドの旗 ポーランド 104 (45)

 

66年にスタル・ミエレツでデビューし、80年までの在籍期間で2度のリーグ優勝に貢献。

 

そして自身は2度の得点王に輝いた。

 

当時、ポーランドでは30歳まで国外移籍ができないという規則があり、ラトーがベルギーのロケレンに移籍できたのは80年になってから。

 

ここで2シーズンを過ごした後、メキシコに渡ってアトランテで84年までプレーし、最後はカナダのアマチュアリーグに91年まで在籍した。

 

代表チームには71年から招集され、72年ミュンヘン五輪で金メダルを獲得。

 

国際舞台では何の実績もなかったポーランドの存在を、世界に知らしめるのに大貢献を果たした。

 

70年代に政権を担ったエドワルド・ギエレクはサッカー好きで知られ、「欲しいものは何でも与える」と選手らに約束して、多くの才能あるプレイヤーが20代前半で車を手に入れたという。

 

そうした優遇策の中、優秀な選手30人ほどが固まって現れた。

 

72年ミュンヘン五輪の金メダル獲得に始まる黄金期のクライマックスが、2年後のW杯だった。

 

その74年W杯。

 

予選でイングランドを蹴落として本大会に進んできたものの、前評判は決して高くなかったポーランドだが、初戦で強豪アルゼンチンを3-2で下すと、一気に波に乗った。

 

この重要な一戦でラトーは、先制点を含む2ゴールを挙げている。

 

その後、7-0で圧勝したハイチ戦でも、彼は2得点。

 

なお、ポーランドはイタリアにも2-1で勝利してグループリーグを首位突破し、この大会で旋風を巻き起こすオランダとともに、新勢力として一躍注目を浴びることとなった。

 

ラトーの勢いは2次リーグでも衰えることなく、スウェーデン戦、ユーゴスラビア戦でともに頭で1点を挙げて勝利に貢献。

 

決勝進出を懸けた西ドイツ戦では無得点に終わり、試合も0-1で落としたものの、気を取り直して前回王者ブラジルとの3位決定戦に臨んだ。

 

ここで彼は、持ち味を十二分に発揮。

 

76分、自陣でボールを得ると、快足を活かしてDFをあっさりとかわし、長距離ドリブルからゴールを決めたのである。

 

通算7得点目。

 

これでポーランドの3位入賞、そして自身の得点王を確定させた。

 

7得点で大会得点王となったラトーは「ワルシャワに戻ると10万人が街を埋め尽くした。あの感動は忘れない」と語る。

 

1974年の西ドイツW杯では7得点を挙げ得点王に輝き、ゲームメーカーのカジミエシュ・デイナ、左ウイングのロベルト・ガドーハと共に3位入賞に貢献し、ポーランドサッカーの一時代を築いた。

 

その後、ラトーは76年のモントリオール五輪でランキング3位となる3得点で銀メダル獲得に貢献。

 

78年アルゼンチンW杯では、チュニジア戦で決勝ゴール、2次リーグのブラジル戦で1ゴールを挙げた。

そして彼にとって最後のメジャー大会となった82年W杯。

 

すでにキャリアのピークは過ぎており、得点はペルー戦の1点に止まったものの、全7試合に出場して攻守に奮闘し、ポーランドを2大会ぶりの3位入賞に導いた。

 

再び3位となった82年W杯スペイン大会も、特別な記憶として語り継がれている。

 

前年に、戒厳令が施行され、試合を中継した国営放送は、観客席に民主化を支持するメッセージを見つけると、別の映像に切り替えたとされる。

 

ポーランド代表通算104試合出場は歴代最多、通算45得点はヴォジミエシュ・ルバンスキに次ぐ2位の記録である。

 

エピソード

Polish Legends odc.1 – Grzegorz Lato

引退後は指導者としてサッカーに携わり続けている。

 

また政治家として民主左翼連合に所属し、2001年から2005年までポーランド上院議員を務めた。

 

プレースタイル

Grzegorz Lato

ラトー選手の100m走11秒台と言われる俊足を活かしたドリブル突破を武器とした右ウイングプレーヤー。

 

カウンターでの突破や中央に切れ込んでのドリブルシュートで得点を量産しました。

 

ラトーは小刻みにボールをまたぐようなステップで仕掛け、そこからロケットスタートで相手を置き去りにする。

 

決定力もあり、シュートも上手かった。

 

ただ、戦術的な話が一切通用しない人間で、戦術的な理解度は皆無。

 

それを補ってあまりある圧倒的な個人能力である快速ドリブルで相手ディフェンダーを恐怖に陥れた。

 

攻撃のスタイルは一辺倒だったが、圧倒的なスピードと決定力で歴史に名を残す快速ウインガーに数えられる。

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