概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1986年3月27日(34歳) | ||
出身地 | ![]() |
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身長 | 193cm | ||
体重 | 92kg |
ポジションはゴールキーパー。
利き足は両足
愛称は「マヌ」。
2010年代ドイツを代表するゴールキーパー。
2014年ワールドカップブラジル大会優勝時の守護神。
クラブと代表でキャプテンを務めている。
獲得タイトル
クラブ
シャルケ 04
- DFB-Pokal: 2010–11
- DFL-Ligapokal: 2005
バイエルン・ミュンヘン
- Bundesliga: 2012–13, 2013–14, 2014–15, 2015–16, 2016–17, 2017–18, 2018–19, 2019–20
- DFB-Pokal: 2012–13, 2013–14, 2015–16, 2018–19, 2019–20
- DFL-Supercup: 2012, 2016, 2017, 2018
- UEFA Champions League: 2012–13
- UEFA Super Cup: 2013
- FIFA Club World Cup: 2013
代表
ドイツ代表 U21
- UEFA European Under-21 Championship: 2009
ドイツ代表
- FIFA World Cup: 2014
個人
- Silbernes Lorbeerblatt: 2010, 2014
- Footballer of the Year in Germany: 2011, 2014
- ESM Team of the Year: 2011–12, 2012–13, 2014–15
- UEFA European Championship Team of the Tournament: 2012
- IFFHS World’s Best Goalkeeper: 2013, 2014, 2015, 2016
- UEFA Goalkeeper of the Year: 2011, 2013, 2014, 2015
- FIFA FIFPro World XI: 2013, 2014 2015, 2016
- UEFA Team of the Year: 2013, 2014, 2015
- UEFA Champions League Squad of the season: 2013–14, 2015–16
- FIFA World Cup Golden Glove: 2014
- FIFA World Cup All-Star Team: 2014
- FIFA World Cup Dream Team: 2014
- L’Équipe’s player of the year: 2014
- AIPS Athlete of the Year: 2014
- AIPS Europe Athlete of the Year – Frank Taylor Trophy: 2014
- Bundesliga Team of the Year: 2014–15, 2015–16, 2016–17
経歴
クラブ
地元ゲルゼンキルヒェンのクラブであるシャルケ04のユース出身。
2006年8月19日のアレマニア・アーヘン戦でブンデスリーガデビューを果たすと、フランク・ロストに代わり正GKの座を手にした。
冬にロストはハンブルガーSVへと移籍した。
2007-08シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは決勝トーナメント1回戦のポルト戦のPK戦でブルーノ・アルヴェスとリサンドロ・ロペスのシュートを止め、シャルケのクラブ初となるベスト8進出に貢献した。
またこのシーズンはブンデスリーガの全試合にフル出場を果たした(ノイアーの他には2人のみ)。
この活躍もありUEFA最優秀GK賞にドイツから唯一ノミネートされた。
ハンブルガーに移籍したハイコ・ヴェスターマンに変わり主将として臨んだ2010-11シーズンは好セーブを連発。
チャンピオンズリーグではグループリーグ6試合で3失点に抑え、首位通過に貢献。
決勝トーナメントでも活躍し、シャルケ初のベスト4入りに貢献した。
ベスト4進出決定後の2011年4月20日にシャルケとの契約を更新せず、シーズン終了後に移籍する方針であることを発表。
バイエルン・ミュンヘンやマンチェスター・ユナイテッドFCなどの多数の関心が報じられていたが、ユナイテッドからのオファーは否定した。
チャンピオンズリーグ準決勝1stレグではそのユナイテッドに0-2で敗戦したもののビッグセーブを連発し、敵将のアレックス・ファーガソンから「対戦してきた選手の中で最も良いプレーをした一人」と賞賛し、またノイアーがユナイテッドに来る望みがないことも話した。
また本人も試合後、改めてユナイテッド移籍の可能性を否定した。
6月1日、移籍金1800万ユーロと出来高700万ユーロの5年契約で、バイエルン・ミュンヘンへの移籍が決定した。
すぐさま、ハンス=イェルク・ブットから背番号1を譲り受けて定位置を確保。
だが、8月7日のボルシア・メンヒェングラートバッハとの開幕戦ではジェローム・ボアテングとの連携ミスによりイゴール・デ・カマルゴに決勝点を決められ、0-1で敗れた。
しかし、8月13日のVfLヴォルフスブルク戦(1-0)以降リーグ戦では10月23日のハノーファー96戦(1-2)に敗北するまでリーグ戦8試合・770分間連続無失点を記録した。
さらに、10月18日のUEFAチャンピオンズリーグのSSCナポリ戦(1-1)にてホルガー・バトシュトゥバーのオウンゴールで失点するまで公式戦12試合・1140分間連続無失点も同時に記録した。
2012年4月25日、チャンピオンズリーグ準決勝のレアル・マドリード戦2ndレグは延長戦でも決着がつかずPK戦に突入。
ここでクリスティアーノ・ロナウドとカカのPKを止めて3-1で勝利し、決勝に進出した。
5月20日のチェルシーFCとの決勝戦はバイエルンの本拠地フースバル・アレナ・ミュンヘン で行われた。
トーマス・ミュラーのゴールで先制するが終了間際に追いつかれて、レアル戦同様延長でも決着がつかずPK戦に突入。
1人目フアン・マタのPKを止め、さらには自らもPK戦を拒否したアリエン・ロッベンに変わってキッカーを務め、ペトル・ツェフの守るゴールを破ったが、結局イビツァ・オリッチとバスティアン・シュヴァインシュタイガーが失敗して最後はディディエ・ドログバに決められて4-3で敗北。
ホームで11季ぶりの優勝はならなかった。
大型補強を敢行した2012-13シーズンは開幕8連勝を飾るなど首位を独走。
リーグ戦ではバイエル・レバークーゼンに、チャンピオンズリーグではGLでBATEボリソフ、決勝トーナメントではアーセナルに敗れたが安定した成績を残した。
リーグ戦では14連勝を含む25戦連続無敗もあって新記録となる勝ち点91を叩き出してボルシア・ドルトムントから3季ぶりのリーグ優勝を果たし、チャンピオンズリーグ決勝でもドルトムントとの同国対決を制して12季ぶり5回目の優勝を果たした。
さらにDFBポカール決勝でもVfBシュトゥットガルトに勝利してドイツでは史上初となる三冠を達成した。
自身は31試合出場でわずか18失点 に抑え、ダンテやハビ・マルティネスなど新加入選手の多いDFラインを支えた。
2014-15シーズン、ドイツ最優秀選手賞に選ばれ、UEFAのベストイレブンにも選ばれた。
バロンドールの投票では第3位となった。
2016年4月20日、バイエルン・ミュンヘンと2019年の夏まで契約を結んでいたが、期限を待たずに2年間の延長を決断し、契約期間は2021年6月30日までとなった。
2017年2月25日、第22節のハンブルガーSVではリーグ通算100回目のクリーンシートを史上最速で記録した。
4月に左中足骨を骨折した。
翌シーズンはフィリップ・ラームの跡を継ぎチームキャプテンに就任する。
しかし2017年9月に、再び中足骨骨折のため2018年1月まで離脱することが発表され、結局復帰は3月まで待つこととなった。
2019-20シーズン開幕前にCL優勝を目指して移籍も噂されたが残留した。
代表
2009年に開催されたUEFA U-21欧州選手権では5試合で失点を4に抑え、ドイツの優勝に貢献した。
ドイツ代表としては2009年6月2日に行われたUAE代表との国際親善試合でデビュー。
正GKとしてに臨んだ南アフリカW杯では3位決定戦以外の全試合にフル出場。
出場した6試合を2失点に抑え、4度の完封を記録しドイツの2大会連続となる3位入賞に貢献した。
決勝トーナメント1回戦のイングランド戦ではミロスラフ・クローゼのゴールをアシストした。
W杯後は不動の正GKとして活躍している。
ブラジルW杯では決勝までの7試合で喫したのはわずかに4失点で、4試合で完封した。
さらに、大会通算で86.2%という高いセーブ率を記録して大会の最優秀GKに選ばれドイツの優勝に貢献した。
代表を引退したバスティアン・シュヴァインシュタイガーの後任として、新キャプテンに任命された。
ドイツ代表チームでGKがキャプテンを務めるのはオリバー・カーン氏以来、2人目。
ロシアW杯のグループリーグ第3戦の韓国代表戦において、試合終了直前に相手陣内に上がった所、相手選手にボールを奪われ、それが前線にいたソン・フンミンに繋がりそのまま決められるなどとして韓国代表に2点を奪われドイツ代表のグループリーグ敗退が決定してしまった。
ユーロ2020予選、エストニア戦でこれまでゼップ・マイヤーが持っていた最多クリーンシート数を37に更新した。
エピソード
ドイツ代表はイェンス・レーマンが2008年に代表から引退し、新しくロベルト・エンケが守護神として、南アフリカワールドカップに臨む見込みとなっていました。
しかし、エンケがうつ病の影響で逝去し、さらにアドラーも大会直前に肋骨を骨折し、突然一気にGKの選手層が薄くなるという緊急事態が起こりました。
エンケやアドラーに関しては気の毒なエピソードですが、ノイアーは一気に正守護神の座が回ってきたというエピソードがあります。
また、この大会ではバラックも直前の怪我により、そのまま代表引退しており、ノイアーはDFフィリップ・ラームやMFバスティアン・シュバインシュタイガーと共にドイツな新たなる世代を担う旗手としての役割を担うことになりました。
その後、ドイツ代表が国際大会で大成功を収めたことを考えると、興味深いエピソードです。
ノイアーは不安視こそされましたが、その後若手とは思えない驚異的なパフォーマンスでドイツ代表のゴールマウスに君臨し、イタリア代表のブッフォンやスペイン代表のカシージャスに次ぐ、スーパーなゴールキーパーの誕生として広く認識されました。
シャルケ時代、ノイアーは内田篤人がまだドイツの生活に慣れず、言葉がままならなかった時期にもノートを使ってコミュニケーションを取ろうとしたことを、キャプテンのドイツ代表ベネディクト・ヘーヴェデスが明かしています。
メディアの前では寡黙な2人はあっという間に親友になったというエピソードがあります。
また、シャルケ入団当初はサポーターから受け入れられなかった内田篤人をノイアーはチームメイトとして支えています。
そして、日本人にとっては忘れがたい出来事が起こります。
それは、東日本大震災です。
東日本大震災が紡いだ、内田篤人とノイアーのエピソードとは?
ここからが、内田篤人とノイアーの友情を繋ぐ、心温まるエピソードです。
ドイツの地で大震災のことを知った内田篤人は堪らず、ユニフォームに日本に向けたメッセージを書きました。
そして、メッセージを書き込む内田篤人に対してノイアーが話しかけます。
ノイアー『それ見せるのか?』
内田『勝ったら見せる。負けたら見せない。』
ノイアー『俺が守って勝たせる。問題ない。』
こちらがノイアーと内田篤人のエピソードです。
しかし、2人の間にあった友情のエピソードはこれだけではありませんでした。
ノイアーこのフランクフルト戦で自身のミスで失点を喫しますが、1対1で迎えた後半に得意のロングフィードで逆転ゴールをアシストします!
そして、内田篤人がユニフォームを日本に掲げることができたのです。
ミスを挽回したのも素晴らしいですが、有言実行したのが男らしくさらに素晴らしい、ノイアーの強心臓振りを感じさせるエピソードです。
ノイアーの憧れの選手はシャルケの正GKであったイェンス・レーマンである。
ノイアーはサッカーの他にバスケットボールの腕前も高い。
2013年に公開されるピクサーの映画「モンスターズ・ユニバーシティ」のドイツ語版で、ゲスト声優としてフランク・マッケイ役を務めた。
2017年5月、ESPNは世界で最も有名なアスリート100人を発表し、97位に選出された。
サッカー選手としては37位。
プレースタイル
世界最高クラスのキーパー。
ビッグセーバーであり、特に至近距離からのシュートには滅法強い。
大きな身体を広げ、足でもセーブするスタイルの第一人者でもある。
一方で、片手でのセーブやスローイングなど、GKとしての基礎技術も非常に高い。
セーブの際にはバレーボールのレシーブのように狙った場所に飛ばす技術も持っており、相手選手にセカンドボールを押し込まれるようなミスも少ない。
また、ノイアーの代名詞といえば、「スイーパー・キーパー」である。
ジョゼップ・グアルディオラ監督指揮下では、最終ラインが非常に高かったため、後方のスペースをカバーする役割としてノイアーが高い位置を取っていた。
攻撃時はペナルティエリアの外でフィールドプレーヤーとしてプレーする。
足下の技術が非常に高いこともあり、バイエルンだけではなく、ドイツ代表でもビルドアップや飛び出しなど、個性を出していくようになった。
フェイントで相手FWのチェイスをかわすこともあるほど、テクニックには自信を持っており、周囲からの評価も高い。
グアルディオラ監督は在任時、ノイアーをフィールドプレーヤーとして起用する案もあったほどだという。