概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1944年7月17日 | ||
出身地 | スドナハラ | ||
没年月日 | 2016年10月25日(72歳没) | ||
身長 | 180cm | ||
体重 | 77kg |
ポジションはディフェンダー(右サイドバック、センターバック)。
利き足は右。
愛称は「カピトン」。
攻撃的サイドバックの創始者とも言える選手で、クラブチーム・代表チームの両方で「王様」ペレのチームメイトとして活躍した。
1970年ワールカップ優勝時のブラジル代表のキャプテン。
2004年、ペレが選ぶ世界の名プレーヤー「FIFA 100」のひとりに選ばれた。
獲得タイトル
クラブ
- フルミネンセ
- Campeonato Carioca: 1964, 1975, 1976
- Taça Guanabara: 1966
- サントス
- Recopa Sul-Americana: 1968
- Taça de Prata: 1968
- Paulista Championship: 1967, 1968, 1969, 1973
- ニューヨーク・コスモス
- NASL Soccer Bowl Championships: 1977, 1978, 1980, 1982
代表
- ブラジル代表
- FIFA World Cup: 1970
個人
- FIFA World Cup All-Star Team: 1970
- World Team of the 20th Century: 1998
- National Soccer Hall of Fame: 2003
- FIFA 100: 2004
- The Best of The Best – Player of the Century: Top 50
- Brazilian Football Museum Hall of Fame
経歴
- 1963-1966
フルミネンセFC
- 1966-1971
サントスFC
- 1971
ボタフォゴFR
- 1971-1974
サントスFC
- 1974-1977
フルミネンセFC
- 1977
CRフラメンゴ
- 1977-1980
ニューヨーク・コスモス
- 1981
カリフォルニア・サーフ
- 1982
ニューヨーク・コスモス
代表歴 | |||
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1964-1977 | ![]() |
53 | (8) |
サントス時代には5度のリーグ優勝に貢献。
カラーテレビ放映が開始された1970年のW杯メキシコ大会にはブラジル代表キャプテンとして出場。
特に決勝戦での得点は彼のハイライトとも言うべきもので、完全に相手ディフェンダーの裏を取ってオーバーラップし、そこからワンタッチでファーサイドのゴールを射抜いてみせた。
ブラジルに最後のジュール・リメ杯をもたらしたこのスーパーゴールは、ブラジル国民の魂を熱く喚起させる素晴らしいものだった。
エピソード
現役引退後はフラメンゴや各国代表チームの監督を歴任。
息子のカルロス・アレクシャンドレ・トーレスもサッカー選手であり、Jリーグの名古屋グランパスエイトなどで活躍した。
2016年10月25日、自宅で心臓発作を起こし倒れ、搬送先の病院で死去。享年72。
死の2日前にテレビにコメンテーターとして出演するなど「ご意見番」的活躍をしていた矢先の出来事だった。
プレースタイル
攻撃的サイドバックの創始者とも言える選手で、ディフェンダーながら高い攻撃力を誇った。
機を見てしかけるオーバーラップは相手にとって脅威だった。
守備能力の高さもあり、晩年は守備能力をいかしセンターバックを務めた。