概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1929年2月27日 | ||
出身地 | サンパウロ | ||
没年月日 | 2013年7月23日(84歳没) | ||
身長 | 172cm | ||
体重 | 73kg |
ポジションはディフェンダー(右サイドバック)。
利き足は右。
ブラジルを代表する最高クラスの右サイドバック。
過去4度のワールドカップに出場し、うち1958年スウェーデン大会、1962年チリ大会で2度の優勝を勝ち取った、ブラジル代表史上最高のディフェンダーの1人。
2004年、ペレが選ぶ偉大なサッカー選手「FIFA 100」の1人に選出された。
獲得タイトル
クラブ
ポルトゥゲーザ
- Torneio Rio – São Paulo: 1952, 1955
パルメイラス
- Campeonato Paulista: 1959, 1963, 1966
- Campeonato Brasileiro Série A: 1960, 1967, 1967
- Torneio Rio – São Paulo: 1965
代表
ブラジル代表
- FIFA World Cup: 1958, 1962
個人
- FIFA World Cup All-Star Team: 1954, 1958, 1962
- World Soccer World XI: 1962, 1963, 1965
- FIFA XI: 1963
- FIFA World Cup All-Time Team: 1994
- FIFA 100
- The Best of The Best – Player of the Century: Top 50
- Brazilian Football Museum Hall of Fame
経歴
クラブ | |||
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年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1948-1959 | ![]() |
434 | (11) |
1959-1968 | ![]() |
498 | (10) |
1968-1972 | ![]() |
32 | (2) |
代表歴 | |||
1952-1968 | ![]() |
111 | (11) |
代表が3バックを敷いた’54年W杯では、右のフルバックとしてレギュラー。
準優勝するハンガリーに敗れたものの、ベスト11に選出され世界に大きな印象を与えました。
次の’58年大会では、決勝のスウェーデン戦が初出場でしたが、対面したレナルト・スコルグルンドを厳しく抑えて勝利に貢献。
3度目のW杯となる’62年大会は全試合に出場し、優勝はもちろん、再びベスト11にも選出。
37歳となっていた4度目の’66年大会への出場は周囲を驚かせました。
4度のW杯出場が物語るように、代表選手としての長いキャリアは111試合に及びます。
Aマッチとしては98代表3得点。
クラブレベルでは、ポルトゲーザやパルメイラスでプレイ。
パルメイラスでは3度のサンパウロ州選手権優勝を果たしています。
エピソード
ニウトン・サントスとは、ワールドカップで3大会に渡り両サイドバックとしてコンビを組んだ。
なお、血縁関係は無い。
レギュラーメンバーとして出場した1962年W杯チリ大会では、決勝の対チェコスロバキア戦において、3点目となるババのゴールをアシストしている。
太陽が照りつける日中の試合で、高く放物線を描くロングフィードにより相手ゴールキーパーの目を眩ませるという頭脳的なプレーであった。
2013年7月23日、ミナスジェライス州の病院で腎不全のため死去。
84歳没。
プレースタイル
その傑出した守備能力はもとより、好機時には右サイドを果敢に攻め上がり、ペレやガリンシャらを擁する強力なブラジル攻撃陣の一翼を担った。
中盤の選手に比肩する高いテクニックと、センターバックとしても十分以上の厳しいマーク能力を持っていた。