概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1926年6月12日 | ||
出身地 | ルフィーノ | ||
没年月日 | 2020年3月20日(93歳没) | ||
身長 | 188cm | ||
体重 | 86kg |
ポジションはゴールキーパー。
利き足は右。
愛称は「ターザン」。
国際サッカー歴史統計連盟から20世紀で10番目に偉大なGKに選ばれ、ウーゴ・ガッティやレネ・イギータ、ホセ・ルイス・チラベルトらその後の南米出身のGKに大きな影響を与えた。
経歴
代表歴 | |||
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1954-1964 | ![]() |
20 | (0) |
CAリーベル・プレートでは20年以上プレーし、1952年、1953年、1955年、1956年、1957年と5度のリーグ優勝を経験。
当時、ラ・マキナと呼ばれた黄金期でホセ・マヌエル・モレノ、フェリックス・ルスタウ、アドルフォ・ペデルネラ、アンヘル・ラブルナ、若いアルフレッド・ディ・ステファノなどのスターと一緒にプレーしました。
520試合に出場して同クラブ歴代最多出場記録を持つ。
また、アルゼンチン代表としても20試合に出場し、1958年のFIFAワールドカップにも招集された。
カリーソは全3試合にスタメン出場したが、アルゼンチンはグループリーグで敗退してしまった。
1964年には代表でW杯王者イングランドやペレ擁するブラジル、そしてポルトガルといった強敵を相手に3試合のクリーンシートを記録。
リオ・デ・ジャネイロの地でネーションズ・カップを獲得した。
エピソード
プレースタイル
手袋を着用したアルゼンチンで最初のゴールキーパーでした。
彼はゴールキーパーというポジションに革命をもたらした選手。
彼は屈強な肉体とダイナミックなプレイぶりから、「ターザン」という愛称で呼ばれていた。
またキーパーながら足元の技術にも優れており、彼はペナルティエリアを離れてゴールを守る最初のキーパーでした。
それまでのゴールキーパーは、フォワードが攻め込んでくるのを待ち、それを制圧するという、ゴール前でのお決まりの役割だけが与えられていた。
だがカリーソは飛び出して相手選手を阻止するというプレーを見せた。
これは1950年代のフットボールにおいて、大きな転換となった。
足も器用で、前線にパスを出し、カウンターアタックの起点にもなった。
ゴールキックで反撃を開始する戦略を使用した最初のキーパーでもあった。
彼のプレースタイルは多くの有名な南米キーパーに多くのインスピレーションを与えてきました。
ウーゴ・ガッティ、レネ・イギータ、ホセ・ルイス・チラベルト、近年ではドイツのマヌエル・ノイアーは、この攻撃的ゴールキーパーの系譜です。