概略
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1954年9月24日(65歳) | ||
出身地 | カパンネ・ディ・カレッジネ | ||
身長 | 178cm |
ポジションはミッドフィールダー(センターハーフ、ディフェンシブハーフ)。
利き足は右。
愛称は「スキッツォ」。
1970年代後半から1980年代中期のイタリアを代表する選手の一人。
イタリアで最も偉大なミッドフィルダーの1人であり、彼の世代の最高の選手の1人と見なされている。
1982年ワールカップ・スペイン大会優勝の立役者。
獲得タイトル
クラブ
- ユヴェントス
- Serie A: 1976–77, 1977–78, 1980–81, 1981–82, 1983–84
- Coppa Italia: 1978–79, 1982–83
- UEFA Cup: 1976–77
- UEFA Cup Winners’ Cup: 1983–84
- UEFA Super Cup: 1984
- European Cup: 1984–85
代表
- イタリア代表
- FIFA World Cup: 1982
個人
- UEFA Golden Jubilee Poll: #37
- FIFA XI: 1979
- UEFA European Championship Team of the Tournament: 1980
- Italian Football Hall of Fame: 2015
経歴
代表歴 | |||
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1976-1985 | ![]() |
81 | (6) |
クラブ
1954年にカパンネ・ディ・カレッジーネにて産まれた彼はセンターバックとサイドバックを両方こなせるユーティリティプレイヤーとして名を上げ地元から近いセリエCのピサに入団。
2年後にはセリエBのコモにジャンカルロ・ベルトラミの推薦もあり入団。
力強い守備だけでなく高い得点力にも注目されての事でした。
ジュゼッペ・マルキオーロ監督の指導の元その能力をグイグイ伸ばしていき36試合に出場し2得点。
もう彼はセリエBでありながらイタリア中から注目されるディフェンダーとなっていました。
当初はインテル行きが有力視されていましたが、ジャンピエロ・ボニペルティ会長の鶴の一声でユベントスが獲得。ボニペルティ会長は彼の能力に大変惚れ込んでいました。
しかしユベントスにおいて当初はサイドバックで起用されましたが、ルチアーノ・スピノーシが未だ健在だった為に運動量と得点力を生かす為にボランチへコンバート。
これが見事に機能し翌年の76-77シーズンにはスクデットとコッパUEFAカップ(現在のヨーロッパリーグ)を獲得。
これがユベントス初の欧州タイトルでした。
更にイタリア代表にも選出されます。
ユベントス在籍10シーズンで、国内タイトルではリーグ優勝5回、コッパ・イタリア2回、獲得に貢献。
国際タイトルでは83-84シーズンにカップ・ウィナーズ・カップ84-85シーズンには、チームの悲願であったチャンピオンズ・カップ制覇に貢献した。
しかし85年にインテルへ移籍をしたため、トヨタカップには出場出来なかった。
キャリアの晩年に突入した彼に対しインテリスタからは懐疑の目で見られながらも彼は以前と変わらぬ精力的なプレーを披露。
特にコッパUEFAカップ準決勝でのレアルマドリード相手に2得点を決めるなど全盛期と変わらぬ活躍を披露しました。
その後はスイスのFCザンクト・ガレンに一年だけ移籍し引退。
代表
1976年4月のポルトガル戦にて代表初出場。
以降、3度のFIFAワールドカップ(1978年、1982年、1986年)に出場。
1982年のワールドカップ・スペイン大会では同国を3度目の世界制覇に貢献した。
1978年、1982年のワールドカップに連続で出場をするとイタリアが優勝した。
1982年スペイン・ワールドカップでは、毎試合相手のキープレーヤーをマークし、激しいマークで仕事をさせず、攻撃面でもチームに貢献。
時にカードをもらう事も多々ありましたが、ディノ・ゾフ、ガエターノ・シレア、クラウディオ・ジェンティーレと共に形成したセンターラインは正に鉄壁を誇り「カテナチオ」と呼ぶに相応しい守備を披露します。
予選リーグのアルゼンチン戦で1得点を記録すると、決勝戦の西ドイツ戦では、チームの勝利を決定付ける2点目をミドルシュートで決め、ワールドカップ優勝に導き、喜びを爆発させて走り回った。
エピソード
1982年のW杯スペイン大会、決勝の西ドイツ戦でイタリア2点目のゴールを決めた直後、叫び声を上げながらガッツポーズを繰り返した。
両手を握り締めながら雄叫びを上げ、一心不乱に何度もガッツポーズをする姿は非常に印象的であった(「タルデッリの雄叫び」と称される)。
「タルデッリの雄叫び」は純粋な感情の爆発だった。
ワールカップ史に残る名シーンだ。
引退後は監督としてアンドレア・ピルロらが率いたU-21イタリア代表を優勝へ導いたり、ジョバンニ・トラパットーニ監督の右腕としてアイルランド代表再建に関わったりもします。
プレースタイル
若い頃はサイドバックとして活躍したが、ボール奪取の能力の高さ、豊富な運動量、試合の流れを読む力に長けていた為、次第に中盤などでプレーするようになった。
以後、MFで活躍し、イタリア史上最高のMFと称されるほどになった。
中盤で文字通り相手を「潰し」ゲームの主導権を握らせない役割をします。
彼はいかなる華麗な連携も、いかなる華麗な個人技も体を張って潰してきました。
守備的なポジションなら全てこなす事が出来、またクラッシャーとしては80年代最高峰とも呼ばれている選手です。
特にマーキングへ移行する動きは非常にスムーズで、幅広く動きながらも抑えるべきところは抑える堅実さが光る。
当たりの強さと同時に足下から奪う巧さもあり、必要とあれば激しいスライディングも敢行。
柔軟な対応能力であらゆるタイプと渡り合い、中盤に極上の安定感をもたらす。
カバーエリアは広大で、危険なスペースを素早く見つけてはサイドからセンターバックの裏まで躊躇うことなく飛び込んでいく。
また攻撃面でも貢献します。
溢れる闘志を前面に押し出し、攻守両面で奮闘するオールラウンダーです。
運動量と守備技術を活かしてボールを回収し、力強いドリブルやミドルシュートで攻撃にも多大なインパクトを残す。
力強いドリブルでキープしつつ持ち上がり、タイミング良く叩いて攻撃を活性化させる役割を担う。
攻撃参加の意識は高く、運動量を活かし、かなりの頻度で前線付近にまで顔を出してくる。
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