概略
国籍 | ![]() ![]() |
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生年月日 | 1955年6月23日(65歳) | ||
出身地 | ![]() |
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身長 | 168cm | ||
体重 | 62kg |
ポジションはミッドフィールダー(ディフェンシブハーフ、センターハーフ)。
利き足は右。
愛称は「ティティ」。
80年代のフランスを代表するMF。
プラティニやジレス、ジャンジーニと共に黄金の中盤を形成し、華麗なパスワークで敵を翻弄した彼らは「4銃士」と名づけられた。
獲得タイトル
クラブ
ボルドー
- Division 1: 1983–84, 1984–85, 1986–87
- Coupe de France: 1985–86, 1986–87
マルセイユ
- Division 1: 1989–90, 1990–91
代表
フランス代表
- UEFA European Championship: 1984
- FIFA World Cup third place: 1986; fourth place: 1982
個人
- Division 1 Rookie of the Year: 1980
- French Player of the Year: 1984
- Onze d’Argent: 1984
- Ballon d’Or runner-up: 1984
- UEFA European Championship Team of the Tournament: 1984
- FIFA World Cup All-Star Team: 1986
- Onze de Bronze: 1987
経歴
クラブ | |||
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年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1975-1978 | ![]() |
76 | (10) |
1978-1981 | ![]() |
104 | (15) |
1981-1989 | ![]() |
251 | (11) |
1989-1991 | ![]() |
56 | (0) |
代表歴 | |||
1980-1988 | ![]() |
52 | (1) |
クラブ
アフリカ大陸マリの首都バマコに生まれ、地元クラブに入団します。
幼少期にフランスに移住し、マルセイユなどでのアマクラブではスパゲティ製造工場や郵便局で働いていたため長い時間プレーできませんでしたが、それでもスカウトされて2部トゥーロンに入団します。
1975年にトップチームデビューを果たすと、初年度より23試合に出場するなど即戦力として活躍しますが、1部昇格はなりませんでした。
その後ジャケ監督の目に留まってリヨンに入団、2年目は残留争いになるなどタイトルとは無縁でしたが、3年間レギュラーを張りました。
そしてボルドーに引き抜かれます。
攻撃的MFジレスの背後で献身的に動き、ラコンブやD・ミュラーといったストライカーの実力を引き出して3年目からリーグ連覇を達成。
86/87シーズンにもリーグを制覇し、国内カップ決勝では移籍したジレス擁するマルセイユと対戦して勝利を収め2冠を達成するなど、クラブの一時代を築きました。
89/90シーズンは自らもマルセイユに加入して優勝請負人としてリーグ連覇を達成。
翌シーズンは19試合にとどまり現役を退きました。
代表
代表デビューは1980年5月23日のソ連戦。
1982年W杯では5試合戦いベスト4になりました。
1984年欧州選手権でも5試合に出場して自国開催の大会を優勝で飾りました。
この活躍によりバロンドール投票ではトップのプラティニに次ぐ票を得ました。
1986年W杯でも3位となるなど、プラティニ、ルイ・フェルナンデス、ジレスと共に、「シャンパン・サッカー」と呼ばれたフランス代表の一員として活躍しました。
エピソード
引退後はリヨンで2年間アシスタントとして働き、1993年に監督に就任。
2年目にリーグ2位と結果を残します。
この結果を受けて名古屋へ去ったヴェンゲル監督の後任としてモナコに就任し、96/97シーズンはリーグを制し、UEFA杯でベスト4になりました。
翌シーズンはチャンピオンズ・リーグでベスト4になりました。
この成果により1998年W杯を制して勇退したジャケ監督の後任候補になるものの固辞し、99/00シーズン途中までモナコを率いました。
2000年4月に2部フルハムに就任。
ジェトゥ、コリンズ、レグヴァンスキをモナコから引き抜き開幕11連勝する圧倒的な強さでクラブを昇格させ最優秀監督に選ばれました。
プレミアではファン・デル・サールや稲本らを獲得しましたが、いずれも2ケタ順位に甘んじました。
2005年に就任したベジクタシュでは1年目に国内カップを制し、その後は古巣ボルドーや上海申花を率いましたが成績不振のため、わずか4カ月で辞任した。
プレースタイル
170cmに満たない小柄な体躯ながらフィジカル能力は非凡です。
高度な戦術眼も併せ持ち、中盤において攻守に貢献します。
フィジカルが強く当たり負けしません。
スタミナも豊富でテクニックも優れ、自ら得点をすることはあまりなかったが、巧みなパスワークでチームで多くのチャンスを作り出していた。
疲れを知らないその豊富な運動量で守備でも広範囲をカバーしていました。