概略
国籍 | ![]() ![]() |
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生年月日 | 1968年9月7日(51歳) | ||
出身地 | ![]() |
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身長 | 185cm | ||
体重 | 80kg |
ポジションはディフェンダー(センターバック)、ミッドフィールダー(ディフェンシブハーフ)。
利き足は右。
愛称は「モンスター」、「ザ・ロック」。
ワールドカップ、ユーロと連覇を成し遂げたフランスの不動のセンターバックです。
ブランと組んだセンターバックは高く強く、さらにテュラム、リザラズを加えた4バックは、何年もの間コンビを組み続け、遂に不敗伝説を残しました。
獲得タイトル
クラブ
マルセイユ
- UEFA Champions League: 1992–93
A.C.ミラン
- Serie A: 1993–94, 1995–96
- Supercoppa Italiana: 1994
- UEFA Champions League: 1993–94
- European Super Cup: 1994
チェルシー
- FA Cup: 1999–2000
- FA Charity Shield: 2000
- UEFA Super Cup: 1998
アル・ガラファ
- Qatar Stars League: 2004–05
代表
フランス代表
- FIFA World Cup: 1998
- UEFA European Championship: 2000
- FIFA Confederations Cup: 2001, 2003
個人
- Overseas Team of the Decade – Premier League 10 Seasons Awards (1992/93 – 2001/02)
- Overall Team of the Decade – Premier League 10 Seasons Awards (1992/93 – 2001/02)
- UEFA Euro 1996 Team of the Tournament
- FIFA XI: 1996
- 1998 FIFA World Cup All-Star Team
- UEFA Euro 2000 Team of the Tournament
- FIFA 100: 2004
- Trophée d’honneur UNFP: 2005
- A.C. Milan Hall of Fame
- Golden Foot Legends Award: 2017
- Chevalier of the Légion d’honneur: 1998
経歴
クラブ | |||
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年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1986-1992 | ![]() |
164 | (5) |
1992-1993 | ![]() |
47 | (1) |
1993-1998 | ![]() |
137 | (5) |
1998-2004 | ![]() |
158 | (6) |
2004-2005 | ![]() |
28 | (6) |
2005-2006 | ![]() |
7 | (0) |
代表歴 | |||
1993-2004 | ![]() |
116 | (3) |
クラブ
アクラにて、ガーナ人の両親のあいだにオデンケ・アベイ (Odenke Abbey) という名前で生まれる。
彼の母親がフランスの外交官と結婚して子供たちを養子とした際にマルセルと改められた。
一家は1972年にフランスのナントへ移る。
彼は12歳からFCナントのユースチームで育ち、1986年にプロ選手となった。
1992年にマルセイユに移籍。
1992-93シーズンにUEFAチャンピオンズリーグ優勝と国内リーグ優勝を果たすが、国内リーグ戦での八百長が発覚したためリーグ優勝は剥奪された。
1993年11月にセリエA・ACミランへ移籍。
ミランを去ったライカールトの後継者として不動の地位を確立。
1993-94シーズンのUEFAチャンピオンズリーグに優勝し、異なるクラブで2年連続優勝を経験した最初の選手になった。
1993-94と1995-96シーズンの2度リーグ優勝を果たした。
彼自身はディフェンダーとしてのプレーを好んだが、ミランではもっぱらミッドフィールダーで起用された。
1998年、イングランドのチェルシーへ移籍金460万ポンドで移籍し2、002-03シーズン末までセンターバックとしてプレーした。
チェルシーにおいて彼はフランク・ルバフと堅固なパートナーシップを築いた。
強豪チェルシー守備の要として活躍。
99/00シーズンにはFAカップ優勝に貢献。
ここでも守備の中心として活躍。全盛期に比べ身体的な衰えはみえるものの、存在感はいまだ健在。
キャプテンとして、チェルシーに欠かせない存在として活躍を続けた。
2004年にカタールのアル・ガラファに移籍。
クラブキャプテンを任され、2004-05シーズンのカタールリーグに優勝した。
翌シーズンはカタールSCに移籍したが、2005年11月に退団した。
その後はどこのクラブにも所属せず、2006年5月7日に現役引退を表明した。
代表
フランス代表デビューは1993年8月22日スウェーデン戦。
以後、フランス代表に欠かせない存在となり不動のCBとして君臨。
1998年母国開催となったワールド杯では全7試合に出場しブランと共に鉄壁の守備を見せて見事優勝に貢献、攻撃のMVPがジダンならば、守備のMVPは間違いなくデサイーだった。
更に2年後に開催された欧州選手権も制覇して見せた。
その後フランス代表キャプテンをデシャンから引き継ぎ、高い統率力を見せるも2002年ワールド杯では攻撃陣の不調から、まさかのグループリーグ敗退となった。
2003年4月30日エジプト戦、代表キャップを104とし、フランス代表歴代最多出場記録保持者となった。
2004年欧州選手権クロアチア戦を最後に代表を引退。
通算116キャップ。
通算116キャップは2006年にリリアン・テュラムに破られるまでフランス代表の最多記録だった。
エピソード
彼はガーナ生まれです。
そこの大使館か領事館かに赴任していた今の父親が、未亡人だった彼の母親と恋に落ちて結婚して、彼らはフランスに渡りました。
デサイーはこの義理の父を肌の色が違おうが、血がつながっていなかろうが、大変に尊敬していると語っています。
若いときからサッカー選手として英才教育を施され、ずっと一緒だった同い年のデシャンとは大親友となりました。
凄みのある顔や体格からは想像もつかないお茶目な面も大いに持ち合わせている人のようです。
両方の手に携帯電話を持って話している姿はデサイーのトレードマークです。
デサイーで思い出すエピソードがもう一つあります。
ワールドカップの表彰式。
キャプテンのデシャンが最初にメダルをもらい、その後に続いていたのがデサイーだったのですが、彼は途中で立ち止まってしきりに後方に声をかけています。
何だろうと目を凝らすと、後ろの方にいるブランに前に来い、と声をかけているのでした。
ブランは大先輩ですが、年功序列にはこだわらない外国のこと。
彼も平気でブランのことを「ロロ」と呼び捨てにしているのですが、晴れの舞台で自分よりもより苦労の長かったブランこそ、キャプテンの次にメダルをもらうべきだと気を利かせたのでした。
やっと前にやってきたブランの肩に手を置いて「良かった」とばかりに笑っていました。
引退後は自らのルーツであるガーナ代表監督を務めたいと発言していたが、2007年3月、ACミランのフロントに就任。
主としてアフリカの新人発掘スカウトの業務を担う。
プレースタイル
人呼んでモンスター。
群を抜く身体能力を持ち、フィールドプレーでも空中戦でも1対1に負けることはまず無い。
強靱な肉体でいて柔軟な身体能力を持ち合わせ、鉄壁とも言えるDF能力は世界最高クラス。
驚異的な跳躍力を生かして空中戦でも強さを見せ、ラインの統率にも抜群のセンスを見せた元フランス代表ディフェンダー。
黒人選手特有の身体能力の高さと、重量感溢れるパワースタイルで競り合いや球際で無類の強さを発揮する。
DFラインの統率も上手く、安定した足下の技術と冷静な判断で相手のチャンスを摘み取る。
一時期、インサイドキックが世界一速いといわれていた。
また、インサイドキックでサイドチェンジが出来るとも言われていた。
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