ロベール・ジョンケ

概略

国籍 フランスの旗 フランス
生年月日 1925年5月3日
出身地 パリ
没年月日 2008年12月18日(83歳没)
身長 176cm

 

ポジションはディフェンダー(センターバック)。

 

利き足は右。

 

愛称は「ハイベリーの英雄」。

 

50年代のフランスを代表するセンターバック。

 

コパやフォンテーヌらと共にクラブ、代表で輝かしい成績をおさめた。

 

獲得タイトル

クラブ

ランス

  • Division 1: 1948–49, 1952–53, 1954–55, 1957–58, 1959–60; runner-up: 1946–47, 1953–54
  • Coupe de France: 1949–50, 1957–58
  • Trophée des Champions: 1955, 1958, 1960
  • European Cup runner-up: 1955–56, 1958–59
  • Latin Cup: 1953; runner-up: 1955

 

経歴

 

クラブ
クラブ 出場 (得点)
1945-1960 フランスの旗 スタッド・ランス 502 (9)
1960-1962 フランスの旗 RCストラスブール 55 (3)
代表歴
1948-1960 フランスの旗 フランス 58 (0)

 

クラブ

 

ジョンケは1945年にスタッド・ランスで選手経歴を開始した。

 

ランスではアルベール・バトー、レイモン・コパ、ジュス・フォンテーヌらと共に中心選手として活躍し、リーグ優勝5回(1949年、1953年、1955年、1958年、1959年)、カップ優勝2回(1950年、1958年)、UEFAチャンピオンズカップ準優勝2回(1956年、1959年)に貢献した。

 

晩年は2部リーグのRCストラスブールでプレーを続け、1961年に1部リーグ昇格に貢献すると、翌1962年に現役を引退した。

 

代表

 

フランス代表としては、1948年4月4日のイタリア戦で代表デビュー。

 

1951年10月にロンドンで行われたイングランドとの親善試合において顕著な活躍をみせ2-2の引分けに持ち込むと、翌日の新聞はle heros de Highbury(ハイベリーの英雄)と賞賛した。

 

またワールドカップには、1954年のFIFAワールドカップ・スイス大会、1958年のFIFAワールドカップ・スウェーデン大会の2大会に出場した。

 

1958年のスウェーデン大会では5試合に出場し同国のベスト4進出に貢献したが、準決勝のブラジル戦では2-5で敗れ、この試合の35分にブラジルのババと交錯した際に腓骨を負傷した影響もあって3位決定戦は欠場した。

 

その後、同年9月18日のイタリア戦で復帰を果たすと、は1960年7月6日の欧州ネイションズカップ準決勝、チェコスロバキア戦、を最後に代表から退くまで国際Aマッチ58試合に出場し、9試合で主将を務めた。

 

エピソード

 

引退後は指導者の道へ進み、古巣のRCストラスブールやスタッド・ランスで監督を務めた。

 

彼の栄誉を讃えランスは、スタジアムオーギュストドローネのスタンドに彼の名前を付けました。

 

プレースタイル

 

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